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第一話 目覚める女神と 2

ルビの振り方がよくわからない結果がこれです。未だに機能をよく理解できてない。


「女神は見つけた。ご苦労だった。我々はこれにて帰還する」

 壇上に立つイングナルのあまりにも簡潔過ぎる説明に、村の中心部に集まった村人は呆然とする。そもそも、説明というよりも報告でしかなかった。

「悪いが女神の姿を見せることは出来ない。勝手に連れ出されて褒美を要求されても面倒だからだ」

「あんたも無意味に喧嘩売る物言いしてんじゃないのよ」

 イングナルの冗談とも本気とも取れる言葉に村人はどう反応すればいいのかわからず、唖然とする。これ以上喋らせるとより面倒なことになりそうだと判断したシルファはイングナルを壇上から引きづり下ろし、代わりに上がった。

「これより我々は女神をお連れし、王都へと出発します。捜索にご協力してくださった皆様には王より、別口で謝礼があるかと思われます。その辺りの連絡は、後日使いの者を」

「誰が女神を見つけたんだよ」

 話の腰を折られたシルファは、声を上げた青年を睨みつけた。余計なことを聞きやがって、と言外の意思を込めて。次々と上がる疑問の声。無視することも出来たが、いらぬ禍根を残していくことは王国にとって良くはないだろう。

 集まりの一番端の、目立たない位置に立っていたエギルは、シルファが言い淀んでいることに気づいた。話してもいいか、と視線が交差した時、エギルは首を縦に振る。

「……エギル・アヌミノンです」

 エギルの名が出た瞬間、村人のざわめきが大きく、過激になった。不満の声、どうして、なんで、と。誰も彼も、素直に納得する者などいなかった。

「それじゃあ何か、あいつに褒美を与えるっていうのか!?」

 声を荒げて問うたのは自警団の一人、昨日エギルの家まで来た青年だった。その詰問に近い問いの答えを聞くために、ざわめきは一瞬で収まる。

「……ええ。そのため、彼にも王都に来ていただくこととなります」

 黙っていることは出来ずに、渋々シルファはそう返した。当然、村人はそんな答えなど望んでいなかった。

 一瞬にして爆発する村人の不満。納得がいかない。どうしてあいつが。不満の声は膨れ上がり、次第にそれは直接エギルへの糾弾へと変わっていく。けれど、エギルの表情は変わらない。ここまでの直接的な罵倒は久々でも、ただ規模が大きくなっただけに過ぎない。

 慣れている。その一言だけで説明が済んでしまう程に。それが、エギルにとっての日常でしかなく、心は波立たない。ただ、二人の友人が顔をしかめ、今にも怒りを露わにしかねないことが申し訳なるぐらいだけだった。

「皆の者、落ち着きなさい」

 しわがれていても良く響く声がざわめきを一瞬で収まらせた。壇上近くに椅子を置き、座っていた村長が立ち上がる。

「のうエギルよ。おまえが女神を見つけたというのは本当か?」

「……はい」

 今更否定することも、なかったことにすることも出来ない。エギルは小さく首肯する。

「ふむ」

 頭髪と同じように、喉元まで伸びてくすんだ白い顎鬚を擦りながら、村長が口を開く。

「皆の者も知っての通り、エギルは自警団に属しておる。そして、昨日は自警団も総出をし捜索にあたっていた。ならば、エギルがその女神を見つけたことも自警団の手柄ということではないか?」

 まるで最良の折衷案を口にしたかのように、得意げな表情で村人に告げる。

「そりゃあいいや。それでいいだろ、エギル」

「同じ自警団だもんなぁ。俺たちだって、一緒に探してたしよ」

 エギルにとって理不尽であるのならば、村人たちには都合が良くなる。自警団はジリジリとエギルの周囲に集まり、選択を迫る。下卑た笑いは止むことはなく、エギルに向けた中傷の視線もなくならない。

 その理不尽な扱いに対して憤る心を、もうエギルは持ち合わせていない。

「……いい加減にしなさいよ、あんたら」

 だからこそ、昔から代わりに怒る者がいた。

 壇上から響いた低音に村人たちが視線を向けると、声の主である少女は自分の首元にぶら下がるペンダントを握り締める。その瞬間、シルファの周囲を淡い水色の光が浮かび上がる。


 ――Recall,Surifu.


 力任せに引き抜き、上空へと放り投げる。白い、真珠のような『石』は陽光を浴び煌き、それよりも強い輝きを自身より放つ。目も眩む程の光。誰もがその眩しさに目を覆う。その光が収まる頃には。


 一頭の巨大な馬が、シルファの横に顕現していた。


「あんたらとエギルが同等? そんなわけないでしょ笑わせるんじゃないわよ。次またおかしなことを言ったら、この子、スーリフがあんたらを踏み潰して回るわよ」

 スーリフと呼ばれた馬が嘶きを上げる。全長にして、普通の馬の三倍もあろう巨体から発せられた嘶きは空間を震わせ、辺りの梢を大きく揺らす。村人たちからは一切の表情が消え、ただ呆然とその巨躯を見上げる。

 神々に仕えていたとされる獣、神獣。その姿を見たものはこの農村において誰一人として存在しなかった。明らかに普通の馬とは違う体躯。家畜として飼っている馬はこの村にも何匹か存在するが、比べるまでもなくその在り様はまるで違う。大型動物特有の獣臭さも一切なく、むしろ人間である村人たちの方が、頭を下げてしまいそうになる程に神々しい。

 その姿を前にして、エギルへの嘲笑を続ける者は誰もいなかった。エギルでさえ、突然眼前に現れた神の従者の姿に意識を呑まれ、呆然と眺めている。

 ―――これが、生石。神代の時代を生きた、神そのもの。

「……不用意に生石を用いるな、馬鹿者」

「あら、ならあんたが今握っているのは何なのかしらねぇ」

 身の内に怒りを溜め込むタイプのイングナルは、自身の腕輪に当てていた手を、シルファの返答に鼻で笑いながら離す。たまたまシルファの方が早かった、というだけだ。

「別に脅しじゃないわよ。不満があるのなら口にして構わないわ。ただ、覚悟はしておくように」

 大陸最強を誇る、王国騎士団。騎士団員の全ては、一人一つずつ生石を所持しているという。最強たる由縁を垣間見た村人たちは、誰もが口を噤み沈黙していた。

 だからこそ、静寂の中に聞こえる音に気づいた者がいた。

「……どこか、燃えていないか?」

 バチバチと木材が爆ぜる音。その音に気づいた者が声を上げた。ざわめきは瞬時に広がり、その音源へと誰もが視線を走らせる。壇上に上がっていたシルファも、その傍に控えていたイングナルも異変に気づき、辺りを見渡す。

「おい、あれ、備蓄庫じゃないか……?」

 森を挟んだ道の先、木々の向こうには『二筋の』黒煙が濛々と立ち上っている。エギルにとって、慣れ親しんだ通り道。

 毎日、理不尽な雑務を押し付けられ、溜め息を吐きながら歩いたあの道の先にあるものはいったいなんだったろうか。

「―――リヴッ!」

 シルファが神馬に飛ぶ乗るよりも早く、立ち上る黒煙の傍に置いてきた少女の名を叫び、エギルは走り出した。



 森を抜けると、眼前には炎が広がっていた。火の手はすでに両方の小屋を覆っている。様々な形に揺らめきながら備蓄庫とエギルの小屋の全てを焼き尽くしていく。

「―――っ!」

「ちょ、ちょっと! やめなさいエギル!」

 燃え盛る小屋へと駆け出そうとしたエギルの肩を、シルファはしがみつくようにして止める。それは確かに優しさであろうと、今のエギルには受け入れることが出来ない。

「放してよっ! あの中にリヴがいるんだ!」

「わかってる! けどあんたが行ったってしょうがないでしょ!」

「水だっ、早くしろー!」

 遅れて到着した村人たちも、燃え盛る備蓄庫を見てざわめきだった。エギルの小屋に至っては、森の中にある。もし森の木々に火が燃え移ったら、この森は終わる。遅れてそれを理解した村人は、揃って慌てふためき出す。

 火勢は止まることなく、無常にも二つの小屋を焼き尽くすまで終わらないだろう。もちろん、小屋の中のものまでも。

 それが、物であろうとなかろうと。

「―――けどっ!」

 守ると誓った少女があの中にいるかもしれない。そう思うだけでエギルは心臓を突き刺されたように痛む。守るって、助けると誓ったのに、燃え盛る炎に阻まれて、何も出来ないなんて。

「……あたしが吹き飛ばす」

「駄目だ。小屋ごと吹き飛ばすだけだろう」

「だからって見てるだけにもいかないでしょ!? 女神様が燃え死ぬかどうかの問題なのよ!?」

 二人の問答の間にも、火は勢い良く燃え盛る。奥歯を噛み締め睨みつけようがそれは変わらない。

 そして、眼前の熱にも負けないぐらいの強い熱源を、エギルは左手から感じた。

「少し熱いぐらいなら我慢してくれるわよっ、スーリフ、行けるわね!?」

「……僕が行く」

 左手にきつく巻かれた包帯を解く。ゆっくりと開かれた手のひらには、灰色の石が一つあるだけ。そしてその小さな石は、ひどく、熱い。何も出来ないという、エギルの自責に呼応するように。

『ならば、私を使え』

 その意思を、伝えてきた。

「あんた、それ……」

 エギルの持つ石の存在に気づいたシルファが呟くように口にする。それに答えることなく、エギルは足を踏み出した。その疾駆は燃え盛る炎を目前にしても止まることなく、指先に摘んだ灰色の石を振りかざし。

「そこを、どけぇ!!」

 炎を、裂いた。

 指先の生石が触れる刹那、揺らめく炎は分散する。くねるように身を捩じらせ、本来ならばありえない軌道を描きながら遠ざかっていく。その炎の発する熱でさえ、指先の生石は遮断する。

「―――っ!」

 無我夢中で生石を振り回す。炎の逃げ場をなくすように。縦横無尽に振り回される生石はすでに炭化しきっていた家財でさえも分断した。炎も、家財も、壁も、熱さえも。生石は、触れるもの全てを分断していく。

「はぁ、は、ぁ…………リヴ?」

 息を切らし、荒い呼吸のまま辺りを見渡すエギルの傍には一条の炎もなく。

 ただ、炭化し細切れになった家財と、支柱を失った故に落ちてきた屋根が、炭化したままエギルの位置だけを避けるように広がっていた。



「賊に連れ去られた。そう考えるのが妥当だろうな」

 集会所には昨日と同じように、自警団の面々と村長。そしてエギルと二人の騎士がいた。イングナルは立ち上がり壁に寄りかかったまま言葉を続ける。

「おそらく全ての村人が一同に解することをどこかで掴んだのだろう。警備のいない時期を狙い、食料と、女神を奪って逃走した。火を点けたのは、逃げる時間を稼ぐためだろうな」

「ふむ、それならば早く追いかけなければな」

「周囲には馬の足跡もなかったし、たぶん自前の足だけ。なら私のスーリフがいればどこに逃げようが追いついてみせる。今はそれよりも」

 村長の言葉を取り消し、ダンッとシルファは両手を卓にぶつけた。

「自警団とは名ばかりの、管理の甘さについて話合おうじゃない」

「名ばかりとは失礼な。この者達はしっかりと日頃鍛錬に励み村の警護を」

「たち? 違うでしょ? 自警団だなんて言いながら結局その責務を果たしてるのはエギル一人。他はみんな好き勝手に暮らしてるんじゃないの? その上、備蓄庫をエギルの家の傍にわざと配置させて全責任をエギルに押し付けようとしてる……あたしが言ってること、間違ってるかしら」

 誰も反論することが出来ない。そういう意図があったことは確かに事実でしかないからだ。

「……誰から聞き出した、小娘」

「あらら、本当にそうなのね。吹っかけてみただけ。誰からも聞いてないわよ」

 わざとらしく肩をすくませるシルファの態度に、自警団も村長も顔を歪ませるが、誰もその感情を口にすることが出来ない。今も尚シルファの首元にある生石は、この場において何よりの抑止力となっていた。

「これから俺たちは賊の討伐に向かう。もし明日の正午までに戻ってこなかったら、王都に使いの者を出してもらいたい」

 そう言って、イングナルは壁から背を離した。そのまま出口の戸へと向かう時、エギルを横目で一瞥して外へ出る。シルファも、卓についている面々を睨みつけながら、ふんと鼻を鳴らしてイングナルに続いて外へと出た。

「ま、待って」

 エギルは立ち上がり、慌てて二人の後を追った。すでにシルファはペンダントを首元から外し、巨大な体躯を持つ神馬、スーリフを生石から本来の姿へと変えさせている。

 大きく息を吸い、吐き出す。そして視線をまっすぐ二人の騎士に向けてエギルは口を開いた。

「僕も、連れて行ってほしい」

「駄目だ」

 考える素振りもなく、イングナルは冷たく断る。

「お願いだ。足手まといにはならない」

 それでもエギルは頼みを止めない。イングナルを見据え、願いを口にする。

「今この瞬間がすでに足手まといだ。そもそも、おまえに何が出来る」

「今まで一人で生きてきたんだ。狩りでも何でも一人でやってきた。剣だって、自警団に入ってから毎日練習している」

 そう言ってエギルは、腰に帯剣している剣に触れた。自警団の団員が用いる刀身の幅が厚い両刃の剣だ。イングナルはその剣を一瞥して、すぐに鼻で笑う。

「所詮自己流だろう。そんなもので、俺たちと肩を並べるつもりか?」

 冷たいだけの視線ではない。刺すような拒絶の意思を込めて、イングナルの双眸はエギルを睨みつける。長い年月、騎士として生きてきた者の敵意。ゾッとするような寒気を、エギルは唇を噛んで堪えた。

「……僕も、生石は持ってる」

「舐めるなよ。ただ持ってるだけで、生石を扱った気になるな」

 イングナルの怒気に同意するように、スーリフが嘶きを上げ、分厚く鉄のような蹄を大地にぶつけた。ズドンという衝撃が村の家屋や周囲の木々を揺らす。ただの足踏みでありながら、その衝撃は地面に皹を走らせた。

「生石の力は強大だからこそ、扱いが難しい。初心者を連れて賊を討伐出来る程、あたしたちも万能じゃないわ」

「……でも」

 足踏み一つで、大地を揺るがす。生石とは、神とはそれ程の力を持つ存在だということを、エギルは思い知る。エギルの持つ生石でも恐らく、似たようなことが出来るだろう。試したことはなくても理解できた。おそらく、ただなぞらせるだけで大地を分断させてしまえる。

(……もし、賊との戦いに生石を用いて、誤って落としてしまったら?)

 考えるまでもない。左手にある生石はどんなものでも分断させる。一度この手から離せば、際限なく落ちていくだろう。

 その行き先がどこであろうと。少なくとも、もう二度と手には出来なくなる。

「あんたは、今まで頑張ったでしょ? こんなふざけた村で、たった一人で生きてきたじゃない。だから、これからはあたしたちが頑張る番」

「……必ず女神は助け出してくる」

 俯き悔しがるエギルに、イングナルは溜め息交じりでそう告げた。シルファがスーリフの体を軽く叩く。その動作だけでスーリフは二人が乗りやすいように足を折り、しゃがみこんだ。そして二人が跨り乗り込んだところで、スーリフは立ち上がる。鞍もなく手綱もない。それでも二人の姿勢は崩れず、安定していた。

 その一連の動作を、人よりも上位の力を持つ神獣に行わせるのがどれ程難しいか。今に至るまでの努力を、二人は目の前の親友のために何年もしてきた。

「おまえはただ待っていればいい。荒事は全部、俺たちが引き受ける」

「あんたたち、エギルに何かしたらこの子が踏み潰すからね。覚えておきなさいよ」

 各々頼もしい言葉を最後に、スーリフが疾走を開始する。一足踏み出すだけで大地は揺らぎ、突風が吹き荒れて目も開けられず。次に目を開いた時には、すでに二人の姿はどこにもなかった。遠くの森から、野鳥の鳴き声や梢のざわめきが聞こえてくる。

「化け物だ……」

 自警団の一人がそう呟いた。その言葉に、神に対して何たる言い草だ、と詰る者はいない。自警団はおろか、村長も、エギルでさえも生石の持つ力に圧倒されて声を出せずにいた。

(あれが、生石……僕が今、持っているもの……)

 左手に包まれている物体が、ふいにひどく重く感じた。

 でも、それでも。交わされた約束が、エギルの背を押していた。

「エギルよ、おまえが持っている生石を、こちらに渡せ」

「……嫌です」

 きっぱりと、エギルは村長の言葉を拒絶する。

「おまえには過ぎた力であろう。おまえが持つ必要が、どこにある」

「……僕も、女神を助けに行きます」

 エギルのその宣言に、自警団はどっと沸いた。肩を震わせるもの、口元を手で抑える者。嘲るように、村人はエギルの決意を笑った。その嘲笑さえも、エギルは睨みつけて声を上げる。

「馬を貸してください。あの二人に追いつくために」

「阿呆、死に行く奴に馬を貸せるか。奴らの話しを聞いていなかったのか?」

「聞いています。その言葉の意味も理解してる。それでも、僕は助けに行きたい」

 その言葉を皮切りに自警団の面々は口汚くエギルを罵り始めた。騎士二人がいなくなった今、エギルへの罵倒に憤る者もいない。

 身の程をわきまえろ。調子に乗るな。エギルのくせに。外れ者に何が出来る。怯えて逃げろ雑魚。

 そんな聞き慣れた暴言を浴びながらも、エギルの視線はぶれない。

「そもそも、その生石はどこで手に入れた」

「……今はそんなこと、関係ないでしょう」

 立ち止まっている暇なんてないのに。一刻も早く、エギルはリヴの元へ辿り着きたかった。

 何の陰りもない笑顔で、一緒にいたいと言ってくれた少女。嬉しそうに手を握って、笑いかけてくれた。愛や恋なんて綺麗な感情ではない。受け入れてくれた、その優しさに報いたい。笑顔を返してくれた、それだけで良かった。

 ずっと一緒にいるという約束。その約束は守れないかもしれない。自分にはどうしようもない大きな力が障害となり、その約束は破られてしまうことも十分あり得る。

 そんなことは、エギルだって良くわかっていた。

(けど、それでも。今、目の前にあるものは、障害なんかじゃない)

 罵られようが貶されようが、この村を出ることはなかった。両親が盗みを働き、その末で逃亡したから、残されたエギルを責める。だから甘んじて受け止めてきた。理不尽でも、不条理でも、受けるべき罰があることだけは確かな事実だ。それはもういい。今更、エギルにはそれに憤る気概は湧かない。

 けれど、だからこそ、今この場においてエギルは気を強く持つ。自分のすべき行いが見えた今、エギルの瞳には一切の怯えも、躊躇もない。

 周囲が拒絶するからこそ、受け入れてくれたものを、大切にしたい。

 そんな単純な衝動が、エギルを突き動かす。

「これは、お願いじゃありません」

 エギルのその態度に違和感を覚え、今更身構える者たちに向け、エギルは抜いた剣の先を向ける。

「馬を、貸せ。じゃないとここで全員、切り伏せる」

 守るべきものはすでに明白だ。ならばそのために切り捨てるものもまた同じように、明白。

「……何のつもりだ、小僧。おまえは、今自分がしたことをわかっているのか」

 村長の枯れた声が低く響く。その怒気さえも孕んだ声色に、エギルは戸惑うことなく返答する。

「わかってる。その上で僕は、こうしている」

 彼らにとって、エギルは下位の者でしかなかった。歯向かうことなどありえない。敵に対して逃げるか、従順するしか出来ない野兎のような。それが今や、刃を手に敵対を宣言している。そのことが何故か、体が震え上がる程恐ろしい。

「……餓鬼が、力を手に入れた途端、粋がりおって」

「生石がなくても、僕は同じことをしてみせる」

 友とリヴとの約束だけが、エギルを突き動かしているのではない。もう二人の、かけがえのない友人の力になりたい。昔、泣き虫で弱虫だった自分を叱咤し、支えてくれた友に対して、今だからこそ出来る恩返し。

 そのために、自分などどうなっても構わないという、自己犠牲に似た、自暴自棄を振りかざす。

「……ならば、馬は貸してやろう。だが生石は置いていけ」

「村長っ」

「馬一頭と生石一つ。どちらがより価値があるか、わからないわけではなかろう」

 自警団はその言葉に静かに頷いた。一斉に向けられた視線はエギルの左手を見つめている。

「……わかりました」

(ごめん。けど、必ず取り返すから)

 左手に巻かれた包帯を解く。左手を開くと、灰色の小石が姿を現した。

「これが、生石?」

「ただの石ころじゃねぇか」

「早く取って下さい」

 エギルが急かすと、自警団の一人がニタニタと笑いながら歩み出た。下卑た笑みを浮かべたまま、エギルの手からひったくるように生石を奪おうとして。

 その手首を、生石に触れる直前に折り曲げた。

「あれ?」

「おい、何やってんだよ」

「あ、ああ」

 男は首を傾げながらもう一度生石に手を伸ばす。指先が触れようとする刹那。

「あ、あれ? なんだ、これ」

 奇妙な光景だった。男の指先は後ほんの少し位置を下げるだけで生石に触れるというのに、そこから一切下げることが出来ない。

(いったい、どうなってるんだろう)

 エギルにも、目の前に広がる光景が理解出来なかった。エギルは何もしていない。ただ素直に従い、生石を差し出しているだけだ。

「いつまでふざけてるんだよ」

「いや、ふざけてなんかいねぇよ。これ以上、指が動かねぇんだ」

「は、何言ってんだ」

 痺れを切らした自警団の一人が、生石を目前にしてピクリとも動かない男の腕を掴む。そして、力を込める。

「ほれ、早く掴めっての」

「やめ、やめろって。違うんだ、わざとじゃないんだって、やめ――――」

 押される力と、重力に従い。男の指先は次第に生石へと近づいていき。


 生石に触れる瞬間、男の伸ばした指先は上に『跳ねた』。


「ぎゃあああぁぁぁ!!」

 搾り出したような叫び声が上がった。腕を引っ込め、胸に抱き、男は激痛にのた打ち回る。指先は第一関節から逆に折れ曲がり、触れようとした指の爪は剥がれ飛び、ドクドクと鮮血を垂れ流している。

 まるで、男の指先そのものが、生石に触れることを拒んだような、ありえない事象。

 呻きながら横たわる男に、自警団の面々は駆け寄る。そして、折れ曲がり爪の剥がれた指先を見て息を飲んだ。

「てめぇ、何しやがった!?」

(今のは、いったい……生石が、触れるのを拒んだ?)

(……いや、違う)

 生石は、ただ在るだけではそこいらに転がる石ころと変わらない。その生石、元の神との何らかの共通性を持つ人間、適応者の手に渡ることで初めてその力は行使される。だが、この生石は始めから触れるものを分断する力を行使していた。洞穴では、実体のない風に追い上げられるという形で置かれていたように。

 それなのに、エギルにはその力は行使されず。こうして、手のひらに静かに乗っている。

(僕と君との共通点なんて、一つしかない) 

 エギルは生石を指先で摘み、床へと近づけた。木で作られた床は生石が触れる刹那、『穴』を開けた。ひとりでに、ただの変哲もない森に生えた木から作られた床が。

 まるで、生石に触れることを恐れ、嫌い、拒むように。

(ああそうか。君は、僕と同じで―――)

「エギルよ、おかしな真似をするな。何もせずに、その生石をさっさと渡せ」

「……無理、だと思います」

 指先から生石を手のひらに転がし、掴む。微かに感じる温かさ。更に強く力を込め、握り締める。

「これは、僕じゃないと持てない。僕じゃないと、触れられない」

 同じ共通点を持つ、適応者にしか。

 嫌われ、疎まれ、触れることさえ許されず、存在すら拒絶される者しか。

 この神は、受け入れない。

「もう一度言います」

 左手を握り締め、拳を前へと突き出す。

「馬を、貸せ。じゃないと、この村の全てを、バラバラにしてやる」



「あーもー!! さっきから邪魔ねえ! バラバラに生えてんじゃないわよこの木っ!」

 大自然に対し理不尽な怒りをぶつけながら、スーリフの強靭な体躯をぶつけて二人の騎士は森の中を疾走する。余程の大木でもない限り、シルファは速度を優先し回避行動をスーリフに取らせずにいた。そのため、スーリフの通った後は獣道と称するには無理がある。根元を残して折れた樹木もあれば、根っこから抜けて無残に横たわるものもあった。

「お、おい。もう少し速度を緩めてもいいだろう」

「これでも緩めてる方よ。もし全力で走らせてもいいなら、間違いなくあんたは振り落とされるわね。それに」

 言葉を切って、シルファは自分がスーリフに走らせてきた道を振り返る。

「これぐらいあからさまな方が、エギルもあたしたちを追いやすいでしょ」

「……来ると思うか?」

「ええ。間違いなくね。今頃村の奴ら脅して馬を奪おうとしてるんじゃないかしら」

 その光景を想像してみて、シルファは思わず笑ってしまう。いつもの気弱そうな表情とは打って変わって、言葉に覇気を滲ませて村人に声を荒げる姿。

「覚えてる? ほら、あたしたちがエギルと一緒にいることを馬鹿にされた時のエギルの表情」

「ああ、覚えている。どこの鬼神だと思ったぐらいだ」

 自分のことは何を言われても一切無頓着で、どんな理不尽でも受け入れてしまう程気弱で意志薄弱なくせに。自分が大切だと決めた人が馬鹿にされると、烈火のごとく怒れ狂う。

「自分のことだと怒ることさえないくせに、誰かが関わると途端に頼もしくなるのよね」

 エギルの内面に秘めた強さが、二人は好きだった。守っていたつもりなのに、気づけば自分が守られている。それが情けなくもあり、嬉しくもあった。

「きっと今頃、エギルは村を出てるわ。だからこそ、あたしたちは急がないと」

 荒事は自分たちの領域だとイングナルは言ったように、賊の討伐などエギルの仕事ではない。騎士である自分たちの領域だ。心優しい彼に、必要以上に誰かを傷つけさせることはさせたくない。

 と、柔和な笑顔を浮かべて話すシルファを乗せたスーリフは、依然大砲のような速度と威力を持って前方にある木々を粉砕、あるいは圧し折ってどんどん進んでいく。自然破壊と母性を感じる笑顔の存在は本来ならば相容れないはずだが、この場においては両方とも存在していた。

「いいか、間違っても誰一人殺すなよ」

「わかってるわよ。極力命を奪わずに鎮圧する。それを難なく遂行するために生石が各団員に支給されてるって言うんでしょ? それも何度聞いたかわからないわよ」

「もちろんそれもある。だが、今回の件は不可解な点が多すぎる」

「不可解な点?」

 シルファの問いかけに、イングナルは無言で頷く。

「まず初めに、どこから俺たちが村人を一箇所にまとめるかという情報を得たのか。次に、どうして女神を連れ去ったのか」

「うーん、最初のはともかく。女神を連れ去ったのは別に女神ってだけじゃなくて、見た目が良かったからじゃないの? ドレスも上物だったし、見た目だって良いでしょ。育てば相当な美人さんよ、あの子」

「たしかに、連れ去った理由などいくらでも作れるだろう。だが一番不可解なのは、備蓄庫とエギルの家に火を点けていったことだ」

「それは、あんた自分で言ってたじゃない。消火させて、逃げる時間を稼ぐためだって」

「あの時はそう言っておけば村の馬鹿共が納得するから言っただけだ。そもそも、もし火が点けられていなかったら、俺たちは賊の存在に気づけたか?」

「あ……」

 シルファもようやく、この件に関する不可解な事象に気づいた。みるみる内に、表情に真剣味が増していく。

「もし最初から何らかの情報を得て、村人が全員一箇所に固まっている時間を狙ったのならば、火など点けずに静かに女神を連れ去ってしまえばいい。どうしてわざわざ火を点けて、俺たちに存在を知らせたのか」

 まるで、あの黒煙は自分たちの存在を知らせる狼煙のような……。

「……まぁ、そんなの。女神様を助け出してから直接聞くとしましょうか」

 人間らしき姿が前方に見え始める。それを睨みつけながら、シルファはスーリフの長く伸びた首をぽんぽんと叩き、指示を出す。

「とりあえず、力一杯突っ込みなさい!」

「……おまえ、本当に殺す気ないんだろうな」



「村長、どうしてあんな脅しに屈したんですか」

「そうですよ。俺らが全員束になって掛かれば力づくで生石を奪えたってのに」

 すでに集会所にはエギルの姿はなかった。残っているのは今更になってエギルに対して怯えていたことを悔しがる自警団の面々と、杖を床に突きながら黙って椅子に腰掛ける村長だけだ。皆、思い思いにエギルの脅しに屈した村長に不満をぶつける。

「無駄だろうな。おまえらが束になって掛かろうとも、奴の家のようにバラバラにされて終いだったろう」

「そんな馬鹿な。あのエギルですよ? いくら生石を持っているからって」

「あの生石だって、絶対エギルが何かしていたんだ。奴から離せば、後はどうとでも」

「生石の有無に関係なく、だ」

「……なんですか、もしかして村長は俺たちを馬鹿にしてるんですか?」

 あのエギルよりも弱い。言外にもそう言われた者たちの心中は穏やかではいられない。彼らにとっては下位の存在でしかなかったエギル。そのエギルよりも下に見られたとなっては、いくら目上の村長であろうと彼らは怒りを隠さずに老体を睨みつけた。

「馬鹿になどしておらぬ。だがな、おまえらが奴のことを甘く見すぎておるだけだ。おいそこの、おまえがついこないだ、あの外れ者の家から奪ってきた肉。あれが何の肉か知っておるのか?」

「え? 何の、って。鹿か猪じゃないですか? 上物そうに見えたし、量もあったからごっそり奪ってきたんですが」

「馬鹿者。あれは大熊の肉じゃ」

「ま、まさか……」

 あはは、と馬鹿者呼ばわりされた若者は乾いた笑いを浮かべる。この時期の大熊は産後が多く、子を守るために気性が荒い。その上餌も多量に捕るようになるため動くものであらば何でもその鋭く尖った爪で襲いかかる。故に、この時期の森では単独行動を厳禁とし、多分に警戒をしていないといけない。その大熊を、たった一人で仕留めたと? 自警団の全員がまさかと首を振り信じようとしない。

「信じられんことも無理はない。だが、事実だ。奴は一人で大熊を仕留めることが出来る。しかも無傷でだ。おそらく、剣の鍛錬も動物相手にだろう。狩りも兼ねて、な」

 自警団の一人がごくりと喉を鳴らした。村長は考えも古く、冗談の一つも言わない。特に毛嫌いしているエギルのことを良く言うこと自体がおかしい。そのことが、今村長が口にした言葉の信憑性を高めていた。

「……どうして、そんな奴が今まで俺たちの言いなりになってたんですか?」

「償いのつもりなのだろう。だから、不満も口にせずにここまでこの村で生きておった」

 自分の所為ではない。だが、親が盗みを働くなど、子に物を与える以外の理由があると思えない。

「備蓄庫が燃えたのは、これで二回目だということを知っておるか?」

「ああ、はい。大分前ですよね。あいつの親が盗みを働いた時に、ランタンを倒してそのまま、とか」

 焦っていたのだろう。深夜、月明かりもない暗闇の中、ランタンの明かりのみで備蓄庫に忍び込み、不注意でランタンを倒し、小屋に火を点けたしまった。そしてそのまま、エギルの両親は子供を置いて、『この世から』逃げ出した。

 その事実を知る者は少ない。今、この場においては村長しかいない。当事者であるエギルでさえ、その事実を知りはしない。今頃両親は、自分を置いてどこかで暮らしているのだろう、と考えてさえいるかもしれない。

 誰が悪いのか。もちろん、盗みを働いたエギルの両親だ。だが、その償いは、これ以上ない形ですでに済んでいる。けれど、その事実を知らない者にとっては、まだ償いが終わっていないことと、同義。

 苛立たしげに杖を床に突き、村長は天井を見上げる。

「この世にはな、そこに在るだけで嫌われなければならぬ者もおるのだよ」

「はぁ……」

「そう、ですか……」

 急に語り始めた老体に対し、自警団の面々は曖昧な相槌を返すしかなかった。

 村長は、これ以上何かを聞かれることすら億劫だと思い、目を閉じた。



「わかりやすいけど……」

 当然ながらスーリフよりもずっと小さい馬に跨り、エギルは前方を見て声を上げる。

「……通りにくいよ」

 一応、道らしき道は出来ている。が、その道には木々が乱雑に横たわり、その都度馬を跳ねらせなければ先に進めない。普通に走るだけでも相当な距離があるというのに、跳躍を強制にしてくるこの道では馬への負担が相当なものとなる。

「けど、ごめんね。急いでもらわないと、困るんだ」

 馬の首を右手で擦り、その後同じ手で手綱を握る。触れるだけで全てを分断させる生石は左手に握り締められているため、片手で馬を操らなければならない。

(僕にどれだけの手助けが出来るかわからない。けれど、行かなきゃ)

 二人の無事を祈り、無傷でリヴを取り返してくることを祈るだけなど、誰だって出来る。誰だって出来るからこそ、エギルはそれだけでは満足出来ない。

 手綱で馬の背を叩き、エギルは疾走を開始した。



「観念してお縄についた方がいいわよ。そうすれば少なくとも死ぬことはないわ」

 スーリフに跨り、高みから見下ろす形でシルファが賊の群れに告げる。数は肉眼で確認出来るだけで十人程。イングナルは素早くも注意して辺りを見渡すが、どうやら伏兵の存在はないようだ。

「……女神がいない」

 周囲には粗末な服で身を包んだ賊の姿しか見えない。蒼白の髪を持つ少女の姿はいくら目を凝らそうとも見当たらない。

「どういうこと?」

「女神を連れた部隊は先に……いや、そもそも罠だという可能性もある」

 あまりにも巨大な、少なくとも普通の馬ではないスーリフの姿を見ても賊たちは一切動揺もしない。互いに目で意思の疎通を図り、各々の武器を抜いて身構えた。

(少なくとも、ただの賊ではないことは確かだな)

「シルファ、先に行け。俺はこいつらを片付けてから行く」

 そう言ってイングナルはスーリフから飛び降りた。常軌を超えた巨体のため、飛び降り着地した時にはズシンと重い音が響く。

 追いかけるならば、機動力に優れたスーリフを操るシルファの方が適任だ。それがわかっているからこそ、シルファは何も言わずただ頷く。

「殺すなよ」

「そっちこそ」

 それだけの会話で、シルファはイングナルから視線を外し、スーリフに指示を送り疾走を再開した。突風が吹き荒れ思わずこの場にいる賊たちは目を腕で覆う。

 その隙を逃さず、イングナルは左腕に装着するガントレットにはめ込まれた赤い宝石に手を当てる。瞬間、浮かび上がる赤色の光。


 ――Recall,Grinsbr.


 眩い光が形成した、両刃の『長槍』を賊の一人に向けて薙ぎ払う。

「ぐっ」

 ただの賊であるならば反応するどころか、受け止めることさえできなかったであろう一撃を、賊の一人は咄嗟の反応で手にしていた短刀で受け止める。長槍の刃は甲高く耳障りな金属音を上げた。その威力を受け止めた賊は顔を顰めながらも、短刀で抑える。

 ――が。

「はぁっ!!」

 イングナルの裂帛の声と同時に、長槍の刃に描かれた紋様が光を帯びる。

「がぁっ!」

 突如発生した衝撃が、受け止めた短刀を圧し折り、その勢いを残したまま持ち主に襲い掛かる。横から馬に跳ねられたように、賊の一人は吹き飛び、木の幹に背をぶつけ、そのまま気を失った。

「受け止めただけで終わると思わない方がいい。このグリンスブルはその防御すら貫く」

 神々の武器、神器グリンスブル。刃に描かれた紋様は神々に伝わりし呪術、古代呪によるもの。描かれた紋様に対応した、様々な現象を起こす。現代に伝わりし神の御業。

 攻めに転じた一人がイングナルの首元に向け斬撃を放つ。その衝撃を、イングナルは長槍の柄で受け止め、『吸収』する。

「耐えろよ? 自分の攻撃だ」

 再度イングナルが放つ斬撃と共に、賊の持つ剣が『跳ね返る』。その返った切っ先は自身の肩に食い込み、肉を切り裂いた。濁った呻き声を上げて、傷を受けた賊が地に伏した。

 イングナルの持つ長槍、グリンスブルの刃に描かれた紋様の持つ意味。それは吸収と解放。イングナル自身が放った衝撃、相手の攻撃を受け止めた際の衝撃。それら全てを吸収し、解放させる。『再現』の意味を持つ古代呪。

「一応言っておく。大人しく投降するのならばこれ以上の危害は加えない」

 イングナルなりの優しさの提言を挑発と受け取った賊たちは、無言で再度各々の獲物を構え直す。

「……期待はしてなかったがな」

 溜め息を吐き、イングナルも長槍の切っ先を地面に叩きつける。刃に描かれた紋様が薄く発光を繰り返す。

「王国騎士団員、イングナル・レンバー。参る」

 宣言した後、一足踏み出し長槍を振りかざす。その切っ先を、一人の賊が持つ獲物に狙い定め振り下ろした。



「……見つけた!」

 烈風のごとき進行を見せるスーリフの背に跨るシルファの目に、森を歩く三つの人間の姿が見えた。シルファはスーリフの首に、しがみつくような前傾姿勢を取る。

「スーリフ! 全力で走りなさい! なんだったら一人ぐらい引いちゃってもかまわないから!!」

 イングナルがいたら頭を叩かれそうな叫びを上げる。その叫びに呼応するかのようにスーリフは嘶きを上灼熱の火炎、我が手にげ、砲弾のごとき速度を持って前方の薄いローブを頭まで纏った人影に突進する。

 だが、その人影は慌てることなく右手を掲げる。その右手に握られた赤褐色の小石は淡く光り、人影の周囲に奇怪な紋様を浮かび上がらせる。光にローブの中が照らされ、男のニヤリと笑う口元が見えたその瞬間、シルファはスーリフの足を止めさせる。

(嘘、古代呪!?)

 ―――灼熱の火炎、我が手に集い形を成せ。

 男の放つ言葉に沿うように、浮かび上がった奇怪な紋様が光を放つ。

「スーリフ曲がって!」

 ギュルンと速度を落とさずにスーリフの首が傾き、進行方向を変える。その瞬間、シルファの横顔近くを高温度の火球が通り抜けていく。

(今の低級だけど古代呪よね。まさか生石保持者!?)

 生石にはいくつも種類がある。スーリフのような神獣、イングナルの持つ長槍のような神器。そして、神そのものが生石となったもの。それら全ては、保持するだけではただの石と変わらない。生活、境遇、見た目、その他様々な要因が重なる者、適応者が用いなかればどんな強力な力を持つ生石でも何の力も発揮されない。

 その上適応者の中でも位がある。一段階では生石の形のままでの力の行使、今の突然現れた火球のように、神々の知識のみを生石から掬い出し古代呪や能力を行使したりすること。第二段階は神代の時代の形を成させること。そして第三段階では、神々の完全な状態での顕現、つまり同調すること。大まかに分けてその三段階となっている。

(適応するだけなら偶然でもありうるけど、古代呪を使うなんてただの偶然じゃない)

 適応に至ってはそれこそ『運』の要素を多分に含んでおり、手にした瞬間に能力を行使出来るものもいるが、古代呪に至ってはそうはいかない。イングナルの持つ長槍のように最初から行使する古代呪の紋様が描かれているものならまだしも、適応により呼び出した古代文字によって描かれる紋様。それを読み解き、唱える。自身の口頭での詠唱を必要とする古代呪の行使は数年の鍛錬を要する。

(絶対、ただの賊なんかじゃない。それどころか、あたしたち王国騎士団と同じ規模の集団の人間……)

 シルファが考えを巡らせる間にも二撃目の火球を創造する詠唱が始まる。

(同じことさせるかっての!)

「スーリフ! 飛ばして!!」

 指示と共シルファは右腕に装着されたガントレットに左手をやり、『武器』を展開する。そして続けざまに腰に付けていた筒から矢を取り出し、右腕に展開された武器に装填。相手の火球の創造が終了するよりも早く、高速に加速した馬上の上で素早く狙いを定め。

「お先っ!」

 射出した。

「ぐっ」

 ローブを纏った男は、突如走った激痛に濁った声を上げる。右腕のガントレットに展開されたボウガンから射出された矢は狙い違わず、火球を生み出し続ける側の腕に突き刺さったのだ。

「おおー、痛い痛い……」

 その光景をボケッと見ていた女神、リヴが間の抜けた声で腕を打たれた者の代弁していた。

「女神さまっ!!」

 ようやく視界に捉えた女神の姿を見て、シルファは安堵の声を上げた。その声に反応したリヴは高速で駆け寄ってくるシルファを見て「おおー」とまた間の抜けた声で驚く。

「あーシルファだー。ん、あれ? シルファ?……お馬さんに乗ってるけどシルファだ。うわーお馬さんおっきーむぐぐ」

「ちっ」

 もう一人の賊がシルファを指差して笑うリヴの口を手で塞ぎ、脇に抱え込んで走り出す。

「ちょ、こらっ! 待ちなさい! ていうか女の子をそんな風に乱雑に持つんじゃないわよ!! いやそもそも持つなっ! 置いてけーっ!!」

 ギャーギャーと喚くシルファに、合計三個もの火球が襲い掛かる。一つ、二つと身を躱し、三つ目がスーリフの尾に当たって爆ぜた。スーリフの嘶きが響き、蹄が大地に皹を入れる。

「どうどうどうっ、痛かったねよしよし」

 神獣であるが故か、そもそもスーリフが頑丈なのか、火球の一つがまともに当たってもその毛並みは火傷一つ負わずに綺麗なままだ。だが痛みはするのか、蹄を大地に何度もぶつけ苛立ちを表現する。シルファは子供をあやすようによしよしと首筋を擦った。

「……あんた、うちの子に痛い思いさせといて、ただで済むと思うんじゃないわよ」

 腕を押さえシルファを睨む男の周囲に幾筋もの炎が灯る。それは次第に収束し、遂には巨大な火球へと変じた。

「……いいわよ。やってやろうじゃない」

 獰猛な笑みを浮かべたまま、シルファは右腕のボウガンに矢を装填する。

「ていうか、こんな森の中で火の古代呪なんか使うんじゃないわよ。その辺りの常識から叩き込んであげるわ」



「ねぇねぇおじさん。ボクどこまで連れて行かれるのー?」

「黙っていろ」

 リヴを脇に抱えたままだというのに、男は森の中を素早く駆けていく。木々が乱立し、枝葉が生い茂り、木の根が大地を割り顔を出している、もはや道とは呼べない場所でさえ足の動きは止まることない。

「楽しいけど、ちょっと痛くなってきたよ。おじさん、下ろしてー」

「黙って、いろ」

「ええー」

 脇に抱えた少女の間の抜けた非難に、男は自分でもどうしてこんなことをしているのか、一瞬わからなくなってしまった。ここいら一帯を根城にした賊の長である男は、仲間の安否を気遣いながらも、足を止めることなく森の中を疾駆する。

(話が違うじゃねぇか、くそっ。何が女を一人連れてくるだけの依頼だ、王国騎士が出てくるなんて聞いてねぇぞ……!)

 仕事の補佐としてやってきた古代呪師も王国騎士の一人の足止めをしてくれているが、それもいつまで持つかわからない。常識外れの大きさの馬が、本来ならこちらの利点となるはずの木々を物ともせずに追いかけてこられたら、まず足だけでは逃げられない。迎え撃つことも出来ないわけではないが、負うべきリスクは少なくありたい。今の内に距離を離し、隠れ家に逃げ込み依頼主を待つ。仮に仲間が全て捕らえられたとしても、殺されることはないだろう。むしろ更生としては実に良い機会ではないか。そうすれば報酬は自分一人で受け取れる、などと打算的な考えを巡らせている。

「ねぇねぇおじさん、エギルはどこにいるの? そろそろボク、お腹空いたー」

「黙ってろつってんだろっ! アジトに行きゃ飯ぐらいあるから我慢しろっ」

 奥歯をミシミシと軋む程に苛立ちを噛み締め、男はとにかく道を急いだ。自分たちのアジト、洞穴の中に作られた隠れ家が見えてきて、男はようやく安堵の息を吐いた。アジトの入り口に立ち、周囲を予断無く見回してからリヴを抱えたまま洞穴へと入り。


「おかえりなさい」


 誰もいないはずの洞穴から、出迎えを受けた。

「っ!?」

 洞穴の暗闇からぬるりと現れた銀色の光を、賊長は咄嗟の反応で避ける。首筋を狙った袈裟切りはそこで止まらず、返す刃で更に振り下ろすような追撃が襲い掛かる。

「くっ」

「いたっ」

 脇に少女を抱えたまま避けられるわけがなく、賊長はリヴを放り投げた。当然ぼけっとしたリヴに受身など取れるわけもなく、リヴは地面に背中から落ちて痛みに声を上げた。

「――っ!」

 その瞬間、追撃の勢いが格段も鋭く、力強くなる。襲い掛かってくる相手の姿は見えてはいるが、目前で振り回される剣から目を離すこともできずに、賊長は後ずさりを繰り返し、ついには足をもつらせて後ろに転がった。リヴのように地面に背中から落ち、その衝撃で肺から呼気が抜ける。その隙が逃されるわけがなく、仰向けに横たわる賊長の耳の傍に、剣がダンッと突き立てられた。

「勝手に入り込んでてすみません、先回りさせてもらいました」

「くっ」

 顔のすぐ傍に突き立てられた剣のひんやりとした冷たさにゾッと寒気を覚えながらも、賊長は襲撃者の顔を睨み上げる。

 剣を右手に掴み、左手は包帯で巻かれた襲撃者は、その視線を真正面から受け止めた。

「あ、おー、エギルー!」

「リヴ、怪我はない?」

「うん、平気ー。鬼ごっこ楽しかったー!」

「そ、そう。それは、何よりだよ」

「て、てめぇ……!」

 自分を組み伏せながらも、苦笑いでリヴに応じるエギルの姿に苛立ち、賊長は声を上げる。

「どうして、この場所がわかった……?」

「この辺りの森は、僕も狩りでよく来るんです。あなたたちのアジトの存在も知っていました。なので、先回りを」

「……てめぇも、王国騎士か?」

「いいえ、僕は あなた方に家を焼かれた 、ただの村人です」

「……そうかい」

 賊長はにやりと、獰猛な肉食獣を思わせる笑顔を浮かべ。

「なら、おまえは俺には勝てねぇな」

 素早く自分の懐に手を入れ、何かを取り出す。男の周囲には、シルファが生石を用いた時のような、強い光が放たれる。


 ――Recall,Isard!


 目に直接突き刺さるような発光とほぼ同時に、エギルの足元が『陥没』した。

「――え?」

 足場を失い、エギルは体勢を崩す。野生動物との狩りで培われた危険感知を最大限に利用し、無意識の内に後方へ幾度も跳び、距離を離す。

(今、何をした? あの発光は、生石? それに、あの地面は……)

 つい数瞬前にはエギルが賊長を組み伏せていたはずの地面は、大きく深く陥没していた。エギルは見たことがないが、隕石が落ちてできたクレーターのごとき窪みが賊長がいた位置を中心として存在していた。

「へっ、すげぇなおい。これが生石かよ……」

 砂埃を起こしながら、賊長がゆっくり体を起こした。賊長の半身を隠し切る程深いクレーターから、砂を蹴る音をさせながら賊長が歩み出てくる。

 賊長の手には、小さな槌が握られていた。小型の金槌のような様相に、見たこともない紋様が幾筋も描かれている。武器としてはあまりにも小型なそれからは、何故か冷や汗が流れる程の迫力を感じ、エギルは思わず一歩退く。

「たまたま適応してたからって渡されたが、凄まじいじゃねぇか。これがあれば、あの王国騎士から逃げ回ることもなかったぜ。ほらガキが、逃げた方がいいんじゃねぇか? これに一度でも当たれば、皮一枚までぺちゃんこになるぞ」

 へらへらと気味の悪い笑みを浮かべながら、賊長は一歩一歩エギルへと近づいてくる。右手に持った剣を強く握りなおし、エギルは身構えた。

(あれも生石、だっていうのか)

 神器をこの目で見ることは初めてだった。シルファの持つ生石、スーリフとは違い、見る限り武器そのものに意思があるようには思えない。けれど、武器は他人を害するための物。それ故に神獣と相対するよりも覚える恐怖が大きく、強い。

「エギルー? 大丈夫ー? ケンカはよくないよー」

「……ケンカじゃないよ。リヴはそこから動かないでね」

 自分一人だけの危機なら、ここまでの恐怖を感じることはなかっただろうと、エギルは冷静に分析する。

(もし僕が負けたら、リヴは連れて行かれてしまう。それだけは、絶対に嫌だ)

(立ち向かいはする。だが、勝とうとは思わない。負けることも出来ない。時間を稼ぎさえできれば、きっと二人が来てくれる)

 最終的には二人の力を借りると思うと情けなくもなるが、そうでもしなければ守れないものがあると思えば割り切れる。

(とにかく、当たらないように。けれど、逃げないで、意識を僕に向けさせる)

「おい来ないのか? それならこっちから――」

「――っ!」

 人外の力を手に入れ、気を大きくした賊長の言葉を遮るかのように、エギルは疾駆を開始する。不意を取る形で瞬時に賊長に肉薄し、迷いのない太刀筋で斬りかかった。

「うおっ」

 殺すつもりのない牽制の斬撃であろうと、刃物が迫る以上体は回避の行動を取らざる負えない。賊長は首筋に伸びた切っ先を首の筋を痛める程の無理な動きを持って回避し。

「てめぇ!!」

 怒り任せに、手に持った槌を振り下ろした。強烈な発光とともに、槌に触れた地面がそれを中心に、文字通り凹む。だというのに、一切の衝撃がない。地面を陥没させる程の一撃だというのに、だ。

(力で陥没させてるんじゃない……? 何か、もっと別の)

「おらおらぁ! 立ち止まってるんじゃねぇ!!」

 分析させる暇を与えないためか、もしくは追い詰めるためにか。賊長は縦横無尽に槌を振り回す。エギルは、それを紙一重で躱し続ける。

「もっとしっかり逃げやがれぇ!」

 唾を撒き散らしながら、大振りに槌を振るう。その軌道を目で追い、肉薄したままエギルはその猛威を避け続けた。そして、隙あらば剣を振る。切っ先は賊長の鼻先を霞め、針を刺すような小さな痛みを生む。

「てめぇ……!」

「あなたみたいなタイプ、慣れてるんです」

(大熊の爪だって、一度当たればお終いだった)

 産後の興奮した大熊と対峙した時を思い出す。人とは違う、圧倒的な筋力と鋭利な爪が振るわれ、掠りでもしたらそれだけで肉は削がれ骨は砕ける。当たればお終いなのは、大熊も今も変わらない。

それどころか、大熊の凶器が両手に対し、この賊長は片手に持つ槌を振り回すことしかしない。大熊よりも、ずっと容易ですらあった。

「糞がぁ!!」

 怒りを露わにし、更に大振りに槌を振り回す。そのため更に大きくなった隙をエギルは見逃さず、回避ではなく攻撃へと転ずる。

(相手は熊じゃない。同じ、人間だ)

 自分と同じ人間に剣を向けることは初めてでも、エギルの剣を持つ手に込められた力は少しも緩まない。

(怯えてなんて、いられない!)

 熊は、生きるためにエギルと対峙した。そしてエギルも、生きるために熊と対峙し、その結果この手で命を絶った。

 今だって何も変わらない。エギルはリヴを守るために、約束を違えないために剣を振るい、猛威を避ける。その結果、命を絶たれようとも。この場を逃げてリヴを守れないのならば同じことだ。もう二度と、まともに生きていけると思えない。

 自分にとって正しいことを。それだけが、今のエギルを突き動かす原動力。

(怖くても、辛くても。それだけは、間違えちゃいけない!)

「おおぉ!!」

 裂帛の気合と共に掲げた剣を振り下ろす。その一寸の切っ先は賊長の額を確かに捕らえ、肉を裂いた。

「――があぁぁあ!」

 切り裂かれた額から血が飛び散る。傷は浅いが、頭部の出血は勢いが良く、エギルの視界を一瞬でも遮る。

 痛みに取り乱した賊長が振るった槌が見えなくなる程の、一瞬。

 咄嗟に剣の腹で防ぐも、その一撃は大地を陥没させる程の何かを秘めたもの。当然、そんな姿勢も正しくない咄嗟の防御で受け切れるわけはなく。

「ぐぁっ!!」

 剣は受けた部分から圧し折れ、吹き飛ばされる前に刃はエギルの右肩を裂いていった。剣を掴んでいた右手も、圧倒的な衝撃を一身に受け、一切の感覚を失ってしまう。

「て、めぇ……くそっ、ふざけやがって。いてぇ、いてぇぇ……!」

 額から流れ出した血で視界が塞がれたのか、闇雲に槌を振り回す。エギルは、血がダラダラと溢れる右肩を包帯の巻かれた左手で抑える。真っ白だった包帯はすぐに赤く染め上げ、地面へと流れていく。

「エギルっ! エギルーー!!」

「来るなっ!」

 痛みを堪え、今にも駆け出しそうになっていたリヴを止める。拭っても拭っても伝う血に苛立ちが増し、血に塞がれたまま槌を振り回す賊長。まるで鬼神のごとき者の傍に、リヴを近寄らせるわけにはいかない。

「大丈夫だから、ね? リヴは、そこで待ってて」

「エ、エギル……」

 リヴに心配かけさえないように無理矢理浮かべた笑顔も、全く意味がなく。リヴはその蒼い双眸に一杯の涙を浮かべる。

(くそ、泣かせてる。なんて、情けない……!)

 自身の不甲斐なさと、肩に走る激痛に作り笑いさえ瓦解する。その苦渋に滲んだエギルの顔を見たリヴは、とうとう声を上げて泣き出した。

「なんで、なんでエギルが痛そうにしてるの、なんで、やだよ……!」

 蒼い瞳を滲ませ、何度も拭う。溢れ出る涙は止まることなく、いくつもの筋をリヴの端麗な顔立ちに走らせる。蒼白の髪を振り乱し、癇癪を上げた子供のように。納得の出来ないことを声を上げて糾弾する。

「ボクのせいなら、謝るからっ。ごめんなさい、ごめん、ごめんなさいぃ!」

「……そこかぁ」

 視力の判断を止め、聴覚のみで判断をする。傷の痛みが強く、気がふれた賊長は槌を振りかざし、声のする方へ足を進める。

「や、やめ、ろ……!」

 奥歯を噛み締め痛みをねじ伏せ、エギルは立ち上がる。折れた剣を右手で拾おうとしても、力の抜けた指先が言うことを聞いてくれない。無理矢理掴み、持ち上げようとしたところで肩の痛みが更に熱く走り、思わず剣を取りこぼす。

「やめろ、止まれよ……僕を放っておいていいのか、あんたを、殺すぞ……」

 エギルの声は賊長には聞こえていない。この場において、しゃくりあげて泣くリヴの涙交じりの謝罪より大きな音はなく。賊長の耳にはそれしか届かない。

「おまえ、うるせぇ。依頼なんでどうでもよくなってくるだろうが……殺すぞ……」

「ごめんなさい。もう間違えないから、今度はちゃんとやるからぁ!」

「おいっ、聞け! リヴに手を出すなっ、その子に近づくなぁっ!!」

 賊長が槌を振り上げる。その振り下ろされる先にいるのは、今のエギルにとって、何よりも大切な。

「やめろぉぉ!!」


「ちゃんとやるから、だから、もう意地悪しないでっ、フェヴニル!!」


 その嘆願を受けた者は、静かに声を上げる。

『名を呼べ』

 懐かしい、友の声がした。

『名を呼べば、力を貸す。だが、もう二度と逃げられはしない。まともな生活などない、誰からも拒絶される日々が永劫と続くかもしれない』

 頭の中で、心の中で、直接語りかけてくるような。

『全てに嫌われ、全てに疎まれる。拒絶され、忌み嫌われ、野を這うように生きていく。おまえは、その日々を耐えられるか?』

「……そんなの」

 拳を強く握る。血に染まった真っ赤な包帯が巻かれ、最愛の親友を掴んだ左手を強く握り締める。

 誰からも拒絶される日々? 嫌われて、疎まれて、傷つけられて。

「そんなの、今までだってそうだった!!」

『……そうだった、な』

 鼻で笑うような嘆息の後、親友は何も語らず。ただその身から眩い光を放つ。

『さぁ、名前を呼べ。おまえはすでに、その名を知っている』


 ――Recall,Fevnir!!


 目も眩む程の光。その光は、確かな質量を成し、次第に収束を始める。左手に巻かれた包帯を裂き、光は形を成す。


 それは、あまりにも真っ直ぐな、拒絶の証。


「生石、だと……?」

 強い光は血で塞がれた視界さえも貫き、怒り狂った賊長にも届いた。振り返った彼の前には、左手に『剣』を持つ少年が一人。

 華美な装飾など一つも無い。特筆すべき点などないただの剣。さっきまで少年が手にしていた剣との差異を見つける方が難しい程の、どこにでもありふれた物。

 だというのに、どうして自分はこれ程までの恐怖を感じている?

「……リヴから、離れろ」

 砂を削る音と共に、少年の体躯が近づく。それは同時に、手に持つ剣も近づくということ。

 その事実が、あまりにも怖い。

「ひ、く、あ」

「離れろって言ってるんだ」

 嗚咽にも似た吐息が賊長の口から漏れる。槌を持った手がどうしてかガクガクと震える。さっきまで圧倒していたのは自分の方だというのに。見た目は、さっきまでの少年と何も変わらないというのに。

 何故、こんなにも恐怖を覚えるのか。

「ひ、い、あああぁぁぁぁーーー!!」

 悲痛の叫びにも似た声を上げ、賊長は神器を振り下ろす。

「っ!」

 エギルは腰を落とし、左手に掴んだ剣を切り上げる。槌と剣。その両方が触れる刹那。

 神器イサルダは、その在り様を変えるがごとく。『自ら斬り開かれ』、形を崩した。

「うああぁぁ!!」

 武器を失った賊長は無様に叫び転げる。怒りや恐怖が入り混じったような叫びは、エギルの持つ剣の切っ先が鼻先に向けられることでピタリと止まった。

「二度と、僕たちに関わるな」

「あ、ああっ、もちろん。関わらない、や、約束する。だから、た、助けてくれ」

 上ずった嘆願はエギルを見ずに、エギルの持つ剣の切っ先にだけ向けられている。後少しでも動かせば剣の切っ先は自分に触れる。その事実だけで、賊長は狂いそうな程の恐怖を覚えていた。

「他の者にも伝えておけ。あの子の生活を脅かすのなら、僕たちは手加減出来ない。全力で、おまえたちを拒絶してやる」

 嫌われ者なりの守り方を口にする。

「この世界が、僕たちの在り方を拒絶するなら。僕たちだって、この世界を拒絶してやる」



「……遅かったな」

 木の幹に寄りかかり、事の顛末を見ていたイングナルは背後からする蹄の音に向けて口を開いた。

「遅かったって、ねぇ。こっちは良くわからない古代呪使いを相手にしてたのよ。森の中だから動き辛いし、火球をバンバン飛ばしてくるから木に燃え移って大変だったんだから」

「そうか、それは大変だったな」

 澄ましたまま労うイングナルに少々イラつきながらも、シルファは口元を引くつかせるだけで抑える。昔からこうなのだから、言ったところで直すような殊勝な人間でないことはわかり切っている。

「あんたは何してるのよ。他の賊どもは?」

「全員寝かせて、縛り上げてある。後で回収するつもりだ。おまえは?」

「逃げられたわ。あいつ絶対賊なんかじゃないわよ。一人だけ身なり違ったし、生石持って、しかも古代呪を扱えるなんて」

「古代呪……そうか。まぁ、細かいことは王都に戻ってから調べ直すとしよう」

 木の幹から背を離し、イングナルは歩き出した。

「エギルと女神を頼む。俺は賊を回収してくる」

「は? ちょっと。あんたエギルに何も言ってかないの? あたしは見てないけど、あの子頑張ったんじゃないの?」

(頑張っていたさ。これ以上ない程に)

 背を向けたまま、イングナルはそう心の中で呟く。握り締めた拳は、意識しなければ解けそうにない程に強い。

「おまえが代わりに労ってくれ。俺には、出来そうにない」

 少しだけ振り返り、イングナルはエギルの姿を木々の間から見た。すでにあの剣はない。元の形に戻り、彼の手にひらに収まって入るだろう。生石を右手に持ち替え、左手で泣きはらし顔を真っ赤にした女神の頭を撫でている。

 その光景が、あまりにも恐ろしく見えた。

「……後は、頼む」

「イングナル?」

 気心の知れたパートナーに自身の身震いが見破られない内に、イングナルは森の中へと歩み出した。彼を呼び止める声も無視して、足を動かす。

(エギル……)

 心中で友の名を口にする。そう、友なのだ。彼を助けるために、ここまで努力と研鑽を重ねてきた。その気持ちに、決して嘘はないのに。

(おまえは、いったい何者なんだ……?)

 身を震わす程の恐怖は、消えることはなかった。


第一話はこれにて終了となります。全三話構成の物語ですが、最後までお付き合いくださると幸いです。


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