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第一話 目覚める女神と 1

そんなわけで、ガチファンタジー物です。剣とか魔法とかそんなのが出ちゃう話です。



 幼い頃はこの洞穴がひどく大きく、深く見えた。たった一人で、この先に何が待ち構えているかわからない故の恐怖もあった。今ではその恐怖感は欠片もない。少年、エギルは旧友の家を訪ねるような感覚でその洞穴へと入っていく。成長したため狭くなってしまった横穴を這って進む。今ではもう、どう体を捻り、どこに手を伸ばして進んでいけば良いのか手に取るようにわかる。光のない暗闇の中を進んでいるのだから同じことだが、目を閉じていながらでも動きを止めることなく進めるだろう。過去、頭から滑るように落ちてしまっていた道も、体の向きを反転させ足から降りる。

 そうして慣れ親しんだ動作と行程をこなし、エギルは目的地へとたどり着いた。

「ごめん、また来ちゃった」

 光が差し込む開けた場所。エギルがまだ幼かった頃は立ち上がっても頭をぶつけることはなかったのだが、成長した今となっては背中を丸めなければゴツゴツした岩壁に頭をこすり付けることになる。エギルはその空間の中央、地上から漏れ出ている光が差す場所まで前かがみで近づき、腰を下ろす。

 エギルの白髪が洞穴の中だというのに風に揺れる。広場の中央から吹き上げる風がエギルの髪を揺らし、手のひらに収まる程の小さな石を吹き上げる。どこにでもある、それこそ道端にいくつも転がっているような、唯一性の欠片もない灰色の石を押し上げている。

「本当は君を連れて帰りたいんだけど、ずっと君を持っているわけにもいかないからね」

 吹き上げられる小石は、エギルにとっての唯一の話し相手であり、友人でもあった。物言わぬ小石でありながら、強い意志と力を持つもの。

 この世を治める神々だったもの、生石せいせき

 神のみならず、神に仕えていた神獣、使用されていた神器さえ。おとぎ話として伝えられる反転の女神はその在り様を根本から置き換えた。

 その一つが、今目の前で風に押し上げられて浮かんでいる。

「君が袋とか、とにかく入れ物に大人しく納まっていてくれればなぁ」

 大陸の南東に位置する農村。特産らしい特産もなく、交易も行っていない。そのため内向的な気質であり、全てが村の中で完結している。自給自足といえば聞こえはいいが、結局は世界から置いていかれて篭っているに過ぎない。そのため古めかしい慣習が残り、それが今もエギルを苦しめている。

 エギルの両親は生活苦のため、村の備蓄庫で盗みを働いた。それは直ちに村で露見されることとなり、エギルの一家は慣習に則りひどい罰を受けた。それに耐えかねたエギルの両親はまだ幼いエギルを残し村から逃げ出す。そして、未だ解消されない村人の鬱積は残された一人息子であるエギルにのみ向けられた。

 家は村から遠く離れた森の中に建ち、一切の援助はない。そのくせ村の警護や力仕事。その他様々の理不尽な雑務を押し付けられて生きてきた。

「ひどいんだよ。自警団の定例会に無断で欠席したからってうちの畑の作物全部持って行ったんだ。無断も何も、僕には詳しい日程を教えてもいないのにさ」

 エギルも唯一の友人の前ではひどく饒舌になる。本来の明るさと優しさはこの場所でしか発揮出来ないのだ。物言わぬ、灰色の小石に向けてにしか。

 エギルは、この生石のことを村人から隠していた。元は神。手のひらに収まる程の小ささであろうともその秘めたる力は秤知れない。首都ユグリルの騎士団はそれぞれ一つずつの生石を持ち、人外の力を振るう最強の騎士団として他国からも恐れられている。そのため生石は高額で取引され、今では広大な大地から生石を探し出す「神狩り」なる生業もある程だ。

 もしこの、何も売りに出すものもない村から見つかった、しかも村の掟により侵入が拒まれていた洞穴から見つかった生石の存在を知られたら、間違いなく村人は売りに出すだろう。エギルの、唯一気の許せる物言わぬ友人を、有無も言わさず。それだけは、気の弱い少年にも受け入れることは出来ない。

 初めてこの場所に来て、初めてこの生石を見た時。エギルは確かに言葉を交わしたのだ。

 おかえり。そして、ただいまと。

 たった一往復の短い会話であろうとも、エギルの心の中に深く残り、今でも色褪せることはない程強い光彩を放っている。もう今は手の届かない程遠くにいる二人の友達以外の、自分を受け入れてくれた他の存在。それを失うことなど出来るわけがないのだ。

「……あれ以来、一言も話してくれないんだけどね」

 初めての対話から数年経った今、浮かぶ生石がエギルの言葉に応答したことは一度もない。本来生石とは文字通り生きた石ではあるが、持ち主と会話を図り、親交を深めようとする意思を持つことなどありえないとエギルも知っている。だがエギルも、あの対話は自分の勘違いなのかもしれないと思いながらも、村の掟を破りこの場所まで来て、生石に語りかけることはやめられない。

 村の嫌われ者は、物言わぬ石にさえ応えられることはないと知りながら。

 一度あったかもしれない、虚構に彩られていたかもしれない繋がりしか支えがないと知っているから。

 いつだってエギルの双眸は涙で濡れている。過去に、今に、未来に悲観して。それでも、その涙を流したことはなかった。声を上げて嘆いたことも、言われもない中傷と嘲笑の末の慟哭を上げたこともない。


「うわあああーーーーーん!!」


 こんな風に、恥も外聞もなく泣き声を上げたことなど、一度もなかった。

「……え?」

 初めてこの場所で風と自分の立てる以外の音を聞いた。あまりにもこの荘厳な空間に似合わぬ、ひどく間抜けな声。

「泣き声? しかも女の子?」

 エギルの脳内に先程まであった感傷を軒並み吹き飛ばすような泣き声。少女特有の甲高い泣き声は岩壁に反射してひどくやかましく耳に入る。姿は見えない、無骨な凹凸を持つ岩壁の奥から聞こえてきた。突然すぎる展開にエギルの思考は疑問符で一杯になっている。疑問が先立ち、戸惑いが頭を渦巻く。

『やっと起きたか』

 懐かしい声が聞こえ、今度こそエギルの頭は真っ白になった。

「……君、今、喋って」

 勘違いでも錯覚でもなかった。今確かに、エギルには聞こえていた。

『ずいぶん長いこと待たされた。ようやく、ようやくだ』

 音としてではない。生石から放たれているであろう言葉は空気を震わせることなく直接、エギルの頭の中で反響する。

『ついに始まった。出来ることならいつまでも眠っていて欲しかったが。このおてんばにそれは望めないだろう』

 今まで風の吹き荒れる音しかなかった空間に、少女の泣き声と待ち望んでいた友の声が響いている。片方はずっと望んでいたとはいえ、突拍子もなさ過ぎて二の句が告げない。

『おまえが背負ってもいいと思うなら、頼む。開けて、彼女を助けてくれ。私を手に、な』

 それきり、言葉は続かなかった。残響もなく、風の音と少女の鳴き声だけが残り、空間を震わせる。

「頼む、って」

 ようやくエギルの思考が追いついてきた。ずっと呼びかけて待っていたのに。ようやく応えてくれたかと思えば一方的に訳のわからないことを言って黙る。それも、今の今まで人の気配など皆無だった洞穴の中、岩壁の向こうから聞こえる泣き声の主を助けれくれなどと頼んで。

「……まぁ、一方的なことなんて慣れてるよ」

 振り返るまでもなく、君と出会えた由縁も、一方的に与えられたものなのだから。

 エギルは吹き上げられる生石を手に取る。強い風に当てられていた小石は冷たく感じるが、そこに意志があることをエギルはもう知っている。

 その意志に反する真似は、したくない。

 岩壁の前に立つ。泣き声は未だ止まない。距離は然程ないが、眼前には分厚い岩壁がある。辺りを見回しても通じる道があるとは思えない。

 生石を前方にかざし、歩を進める。生石を摘んだ指先を岩壁に近づけ、触れさせる、刹那。

 岩が擦れ、崩れながらも。岩壁が、分かれた。

「……これがあるから、君を持っていけないんだよなぁ」

 生石が触れる刹那、岩壁はまるで触れることを拒絶するかのように、そういう意思があるかのようにその身をくねらせ分かれる。この岩壁だけではなく、木も石も地面も、そしておそらく、生き物でさえ。この生石は万物を拒絶し触れさせない。袋に入れることも、加工して装飾品として付けて生活することも出来ない。この洞穴で、風という形のないものに浮かされる以外は、常時エギルが手に握り締めておかなければならない。しかし、そんなことがいつまでも出来るわけがない。そしてもし誤って手放してしまえば、この友は大地さえも拒絶して、どこまで落ちてしまうのか。これが、友を仄暗い洞穴に置いていく理由だった。

 泣き声は……まだ遠い。エギルは指先に摘んだ生石を、泣き声のする方の岩壁に当てていく。地響きと共に穴が開かれていく。だが、やり過ぎると洞穴自体が崩れてしまいそうだ。慎重に、気をつけながら進んでいく。

 泣き声は近づく。えんえんとまるで赤子のような泣き声。細々とした頼りない光しか差し込まない空間の中、縋るように、助けを求めるように。

 そう、まるで、今この場所において産まれ落ちた生命のように。

「君は……」

「え?」

 無骨な岩壁に覆われた、大人がやっと一人入れる程の狭い空間に、少女がいた。

 まず最初に目に飛び込んだのは、仄かに暗い空間の中故に映える、蒼穹を思わせる透き通った蒼白の髪。座り込んで泣く少女を包める程に長く、絹のような美しさ。蒼い瞳からは、突然見知らぬ男が岩を割って現れたことによる驚きからか、止まった涙で潤んでいる。目を強くこすったためか白い肌が痛ましい赤みを帯びていた。

「……ひ」

 突然の来訪者であるエギルを呆けた表情で見つめ―――

「人だぁ~~~~!!」

 ―――ていたと思ったら満面の笑みを浮かべてエギルへと勢いつけて飛びついた。「え?」という漏れた疑問の吐息もそのまま斜めに落ちていき、エギルの後頭部は重力と少女の勢いによって地面へと吸い込まれる。ゴン、と鈍い音を立てて。

「~~~~っ!!」

「人だ人だ人だぁ~~人がいるよぉ~!」

 後頭部に強く残留する痛みに悶えているエギルの胸板に、少女は笑顔のまま顔を擦り付ける。まるで自分の匂いをつけようとする子犬のようだ。勢いのついたマーキングである。

 何とか痛みと折り合いをつけ、エギルは気を取り直して少女を見る。見た目、言動共に子供であることは確か。整った顔立ちに浮かべる満面の笑みも、その幼児性を裏付けている。

 だが、纏う空気だけは、どこまでも荘厳。

「やったやった! ちゃんと出来てるっ。失敗しなかったよフェヴニル!」

「ええと……」

 バタ足して全身で喜びを表現する少女に面を食らい、エギルは疑問の一言も口に出来ない。言いたいことも聞きたいこともある。例えば、さっきから君の膝が僕の腿に刺さるように当たって痛いとか。

 けれど、エギルは何も言えない。この少女の喜びを邪魔することは出来ない。それだけは、僕はやっていけないと、心の奥から囁きかけられていて。

 一頻り歓喜した後、少女は疲れたのか、満足したのか。段々と歓喜の声色は薄れていき、少女はエギルに覆い被さったまま瞳を閉じる。

「えへへ……できた、できたよぉ……」

 そのまま、眠ってしまった。

「……なんだろう、これ」

 状況がまったく飲み込めないエギルは、少女を乗せたまま一人呟く。エギルの疑問に答える者は当然ながらいない。風の吹きぬける音の反響だけが耳に入る。

 物言わぬ友は何も言葉を発してくれない。けれどエギルには、友は今必死に笑いを堪えているようにも思えた。

 その友が、少女の腰に当てられていることに気付くのは、まだ時間がかかるようだった。



 玉座の前に跪く青年と少女は、揃って今聞こえた勅命を受け入れられず顔を上げる。

「い、今なんと……」

 少女は思わず、玉座に座る人物に向けそう問いかける。肩まで伸びた赤茶色の髪を後頭部で結い、軽装の鎧に身を包んだ王国騎士の一人、シルファ・スキール。王との謁見であるが故、礼装に近い恰好を選んできたつもりだろうが、緊張によりガチガチに固まった肢体のせいでまったく意味を成してない。本来ならば彼女は玉座の前に出てくることなどない程度の階級なのだ。未だこの場にいることを夢か幻とさえ思っているぐらいに冷静さを失っている。

「失礼を承知で申し上げます。今何とおっしゃられましたか」

 そんな彼女よりも一つ前に進み出て、青年、イングナル・レンバーが引き続き王に問う。シルファと同じように、普段の薄汚れた鎧ではなく磨き上げられた鎧に身を包んだ青年は緊張を押し殺し王に黒い瞳を向ける。

「そう緊張せずともよい。もっと楽にしたらどうだ」

 あまりにも余裕のない二人の姿に王は声を上げて笑う。その笑い声を聞いても二人の緊張は然程薄れない。ぎこちない苦笑いを浮かべ、その出来の悪さを咎められるのではないかと無駄な心配を一つ増やす始末だ。

「そなたたちを呼んだのは他でもない。ただ単に、我が国が誇る騎士団内にて適切であったからだ」

「……適切、ですか」

 青年がそう呟く。なる程、確かに自分たちが一番適任であろう。先程王が口にした勅命が真実ならば。

 ……だが、何のための任務だと言うのだろうか。

「そう。そしてそなたら新人であろうと出来る幼子のお使い程度のことだ」

 王が次の言葉を口にする前に、少女も青年も気を取り持つ。もう一度、今度は聞き逃し、自信に受け入れられるように。

「そなたらの故郷から、女神を連れてまいれ。なるべく早急に、な」

 どちらにしろ、その真偽はわからなかった。



 この世界は一度滅んでいる。神々は互いが互いの私欲に走り、神々同士の醜い戦いが起きた。大地は灼熱の炎に包まれ、その熱は海さえも干上がらせた。天には雷鳴が轟き、優しき陽の光は地上に降り注ぐこともない。生きとし生ける者は全て息絶え、後には一切の意志を持たない、物体のみが存在する世界になる。

 はず、だった。

「神々の中にある特別な力を持った女神がいた。滅び逝く世界を嘆いた彼女は、己の命を賭してこの世界の有り様を反転させた」

 生きる者を生きぬ物に。生きぬ物を生きる者に。

 故に、反転の女神。

「草木、石、砂。その他あらゆる物体は我々人間や動植物に。そして、私欲に溺れ世界を滅ぼしかけた神々は物言わぬ物体へと姿を変えた」

 神は地に、水に、草木に、花に。そして元より存在したそれらの物は、人や動物、意識ある存在へと。

 イングナルは足具の留め金をバチリとはめながら言葉を切る。シルファも御前では外していた短刀を腰のベルトに装着し、嘆息しながら言葉を返す。

「そして数百年の後、あたしたち人類が統治するこの大陸が生まれた。とまぁそんなこんなで、反転の女神はあたしたちの英雄であるとして今も語り継がれている、でしょ? もう何度聞いたかわからないわよ」

 王からの勅命を受けた二人は納得は出来ないものの、着々と出立の準備を進めていた。装いを遠征用に直し、食料などの必需品を荷物としてまとめていく。

「そう、昔から聞かされてきたおとぎ話だ」

 創世神話とも称されるおとぎ話。この大陸においては子供を寝かしつける際の寝物語としても用いられる程に広く普及されている。

 荷物をまとめて入れ込んだ袋の紐を締め、イングナルは立ち上がった。

「だが、例えおとぎ話が元であろうと俺たちがやることは変わらない」

「わかってるってば」

 シルファも荷物をまとめて立ち上がり、答えた。二人とも荷物を肩にかけ歩き出す。

「でもねぇ。その女神様がいる場所が、あたしたちの故郷だっていうのがまた、嘘臭さを倍増させているというか」

 彼らの故郷は村は何の変哲もない村だった。特産もなく、内だけで完結していて外にも開かない。そのため、古い慣習は今も尚残り。

 そのために、苦しんでいる友人がいる、ただの村。

「……女神が本当にいるのかも、仮にいたとしてどうして俺たちの故郷に現れたかも、どうでもいい」

 こんなにも早く騎士としてあの村に帰られることになるとは思わなかった。不審な点はいくつもあるが、僥倖だと割り切ってしまう。イングナルは一度首を振り、意識を切り替える。自分がどうして騎士となったか。その理由を再度心に問い、答える。

「やるべきことをやるだけだ。そうだろう?」

 そして同じ志を持つ彼女に向けて問いかける。

「あったりまえじゃない」

 シルファも同じ志を胸にそう答える。

「そのために頑張ってきて、手に入れた力なんだから」

 彼女はそう言って、胸に下げていたペンダントを強く握り締める。白い紐に繋がれた灰色の小石。歪で球体とは言えないその小石を指で撫で、シルファは肩に荷物を担ぎ直す。

「もう出るのか、若造二匹よ」

 野太い声が背後から聞こえてきた瞬間。二人の背筋はピンと伸び上がる。表情は否応なく引き締まり、すぐさま背後へ反転して直立した。

「うむ、良い反応だ。儂の扱きが体に残っているようでなりよりじゃ」

 かっかっかと笑う恰幅の広い老人が、二人の前に立っていた。人懐っこい笑みを皺の多い顔に浮かべている。相対してるのは見た目はただの好々爺でしかないというのに、二人は体の中から緊張を抜けない。

「ご、ご無沙汰しております。バルサルク騎士団長」

 イングナルがやっと挨拶の言葉を口に出来る。シルファは未だ、あうあうと開いた口が閉まらずに現実を直視出来ていない。

 それも無理のない話だ。目の前にいるのは生きる伝説。最強を誇るユグリル騎士団の総司令であり団長、バルサルク・レインフォード。そして、イングナルとシルファの教育指南役でもあった最古参の一人。

 そして、大陸唯一の『同調者』。

「そう硬くならんともよいと何度も言ったろうに。こんな老いぼれの爺に遅れを取るようじゃまだまだじゃのう」

 どの口が言うか、と二人の心境が一寸違わず一致する。前線からは退いたとしても、纏う空気は歴戦の狂戦士そのものだ。その雰囲気のまま人懐っこく接触を図ろうとするのだから手に負えない。大陸最強を誇る騎士団の唯一の恐怖の対象と言っても過言ではなかった。

「話は聞いておる。これから任務に出るのだろう。どうじゃ、準備の程は」

「は、はい。万全であります」

 シルファもようやく声が出たが、少々焦り声も裏返っていてしまった。

「かっかっか。そんなに緊張せずともよいだろうに」

 任務の緊張じゃありませんあなたと相対する故の緊張です。と口にできたら気楽になれるだろうか、などという想像も出会った当初であるならば不可能だっただろう。少しは慣れこそすれ、平常にいれることは一生ないと断言出来てしまう二人だった。

「お主らの任務はただのお使いのようなものじゃ。客人を丁重にお出迎えしてこればそれでいい。任務に成功もすればかなりの報酬を確約しよう」

「……それは、どのようなことでも良いのでしょうか。例えば、人を一人、住める家を用意してもらえるとか」

「そんなもの容やすいだろうな。それどころか豪邸でも何でも用意してくれるだろう」

 シルファは思わず拳を握る。目標が、あまりにも近くに見えた。

「団長は、反転の女神をご存知なのですか」

 イングナルの質問に、同調者であるバルサルクは笑みを消し沈黙する。一瞬で更に重くなる空気に、二人は思わず息を呑んだ。

 同調者とは、生石と同調した者。神と同調した者を指す。神代の時代に神々自身が得た知識、能力、その他ありとあらゆるもの全てを同調する。それは最早、人から神へ「成り上がる」ことを意味する。

 つまり、目の前にいる人物は神代の時代を生きた、神話の世界を生きる神そのものなのである。そのような人物と相対して、緊張せずに平気な顔をしている方がおかしな話だ。

「……さぁな。儂もよく覚えておらぬよ。ただ、慈愛に満ちた、母を思わせる優しさを持っていた」

 文字通り昔を懐かしむバルサルクの表情はどこか物憂げで、彼のそのような表情を見たことなどなかった二人は少々面を食らう。意を決して、イングナルは口を開いた。

「どうして、その女神が我が国に必要なのでしょうか」

 確かに反転の女神は人間にとって英雄であり、偉人でもある。それが復活したというのであれば、諸手を挙げて国に招き入れて歓待するべきであろう。

 だが何故、秘密裏に、しかも少人数で迎えようとするのだろうか。それも、まだ新米もいいとこの二人を使って。

「……お主らの任務はなんだ?」

「はっ、復活したとされる反転の女神をわが国に招くことであります」

「そうだ。お主らの任務はそれだけであろう。ならばそれだけに励め。疑問を持つことなどあるまい」

「……はい、失礼しました」

 明らかにはぐらかされた。疑問を払拭することさえ許されない任務。そこに、何らかの意図があるかのように思えて、二人は体を震わせる。

 いったい、何をさせられているというのだろうか。

「かっかっか、そう気負わずともよい。気楽に、少々早い里帰りとでも思えばいい」

 バルサルクはすれ違い様、二人の肩を掴み、笑う。その力は予想外に強く、そこに言外の意志があるように思えて。

「お互い、王には逆らえぬ身であるからな」

 含みのある言葉を残して、かっかっかといつもの笑い声を反響さえながら、騎士団長はその場を去った。二人も視線のみで意思の疎通を図り、城門へと向かった。始めからやることは一つ。迷う暇などなかったのだ。

 友が待つ、あの故郷に帰る。

(やっと、ここまで来たんだ)

 望んだ未来。その希望に、ようやく手が届く。

「それじゃ、帰るとしますか」

 イングナルは静かに頷き、二人は歩き始める。

 助けるために置き去りにした友がいる、自分たちの故郷へ。



「よ、っと。後はここだけかな」

 エギルは修理道具一式を持ったまま、器用に屋根の上を歩く。降り続いた長雨のせいで屋根の木材は腐食を起こしてしまっていた。このままでは腐り落ちて駄目になってしまうということで、エギルはわざわざ屋根に登り、修理をしていた。

 自分の家の屋根ではなく、村の備蓄庫の屋根を、だ。

「今回は何の罰だったかなぁ。別に、罰じゃなくてもこれぐらいやるのに」

 独り言がすっかり癖になってしまっている。会話をすること自体、一日の回数を指折り数えることが出来てしまえる程のエギルには、こうして独り言であろうとも言葉を口にしなければいざという時に舌が回らなくなってしまうのだ。同居人が増えた今となっても、その癖は中々抜け切らない。

 それと同じぐらい習慣となってしまっている修繕作業も難なくこなし、エギルは屋根から飛び降りた。

「終わったか」

 ちょうどその時、村の男たちがゾロゾロと連れ立ってやってきた。エギルは道具を下ろし、わざわざ正面に向き直ってから答える。

「ええ、終わりました。次は何をすればいいのですか」

「もう頼むことはない。とっとと家に帰れ」

 頼むではなく、やらせる、だろう。と思ったがもちろん声には出さない。下手なことを言って反感を買い、これ以上仕事を押し付けられることが目に見えているからだ。エギルは恭しく頭を下げ、道具を手に取り歩き出した。

 エギルの家は村外れの多少開けた森の中にある。その近くに隣接するように建てられた備蓄庫からのんびり歩いて帰ってもたいした時間はかからない。そもそも大きな村でもないのだ。

「……大方、その方が疑いやすいからだろうけど」

 家が備蓄庫に一番近く、盗みを働いた両親の息子。たったそれだけの状況を作り出すためにわざわざエギルの家の近くに備蓄庫を建てたのだから徹底している。エギルは一つ嘆息し、自宅までの短い道のりを歩いた。

「ただいま」

 家というよりも、小屋に近い形状の自宅の扉を開けて帰宅の挨拶を口にする。ついこの間まではただの一方的な報告に過ぎなかったそれも、今ではしっかりと答えてくれる存在がいる。

「あっ、エギルおかえりー!」

「うん、ただいま、リヴ」

 リヴと呼ばれた少女は、花が咲いたかのような笑顔でエギルを出迎える。それだけで少々荒んでいた気持ちが落ち着きを見せるのだから、エギルも大概気楽である。

「ちゃんと良い子にしてた?」

「してたしてたー。ほら、ボクちゃんとお仕事もしたよっ」

 誇らしげに胸を張りながらリヴが指差す方向に目を向けると、卓の上には確かに仕事の成果があった。

「……う、うん。ちゃんと出来てるね。偉い偉い」

 引きつった笑みのままリヴの頭を撫でる。褒められた喜びを「えへへー」と表しながら笑うリヴ。彼女の言う仕事の成果をさてどう片付けたものかと、エギルは思わず頭を抱えたくなる。

(芋を磨り潰すよう頼んだつもりだったけど、まさか卓一杯に芋のすり身がぶちまけられる結果になるなんて……)

 まぁ、こういう面倒の方がよっぽどいいや。と苦笑いで軽い嘆息を吐いてエギルは笑う。悪意のない、全て善意で構成されているものは純粋に嬉しい。たとえそれが面倒を呼ぼうとも。僕にはそれさえ数少ないものだし、と結論付けて。

「それじゃ、ちょっと後片付けをして、ご飯にしようか」

「うんっ、ボクもたくさん手伝うー」

「……うん、程々にね」

 けれどまぁ、未然に防ごうとはすることはしてもいいだろう。

 立ち入り禁止の洞穴でリヴを見つけてから一週間が経つ。洞穴の中、生石を用いなければたどり着けない場所にいた少女。そして、元は神である生石が助けてやってくれと頼んできた。

 村から出たことのない世間知らずのエギルであろうと、さすがにこれが普通の事態だとは思わない。そして、このことを村の人間に知られるわけにもいかないと理解出来ていた。説明するにしても誰もエギルの話を信じてくれるとは思えないし、何よりそれを証明するためには生石の存在を教えなければならない。エギルの、今ではたった一人の友人を。それはあまりにもリスクの高い行動に思えた。

 結果、エギルは自宅にリヴを匿うように世話をしている。これはこれで、事実が露見した場合更なる面倒が待ち受けてそうだが、他に頼りになるような人脈を、そもそも人脈を一つも持たないエギルにとってはこれしか道がなかったとも言える。

 それに、物言わぬ友人から託された少女を、助けてやってくれと頼まれたのは自分なのだ。それを放棄するような真似は絶対にしたくない。

 これまで誰にも頼らず、頼られずに生きてきた自分だからこそ。頼まれた願いを裏切るような真似はしたくなかった。

 と、心に決めたのはよかったが。それに伴い降りかかる苦労はあるもので。

 まるで赤子のような知識。目に映る全ての物に全力の興味を注ぐリヴの面倒を見るのは最早子育てに近いものだった。本来子育てであるならば目を離さず付きっ切りで面倒を見る方が良いのだが、村の雑用がそれを許してくれない。だが他に頼れるような人もいない。そのためリヴを一人家に残していかなければならないのだが。

(雑用、家の畑仕事の後は、家の中の雑用と後片付けか……)

 だが、それでもエギルの意志は決して折れない。自分が望んでもいないのに起こる面倒と、自分で望んだ故に起きた面倒では心持ちが段違いだ。頑張ろうという気概が湧き、エギルのとって久しく感じていない高揚感のおかげで苦しくもあるが楽しい生活を送れていた。

「エギルエギルー」

 晩御飯の後片付けをしていると、リヴがトテトテと歩いて近づいてきた。まるで親に懐く子犬の様だ。その様子が微笑ましくてエギルも思わず笑ってしまう。

「どうしたの?」

「つかれたー」

 包帯でグルグル巻きにされた小さな手をグイと突き出して、リヴが不満気に言う。

「ああ、そうだね。そろそろ代わろうか」

 きつく巻かれた包帯を解き、エギルは手を差し出すと、リヴはその手のひらに小石を置く。触れるだけで万物を分かれさせる、どこにでもあるような見た目をした生石。

(落としたら、どこまで落ちていくかわからないもんな……)

 触れる瞬間万物を分断させる生石。言い換えれば、万物に触れられない生石は管理がひどく難しい。洞穴にあった時のように、常時風で吹き上げさせることなど出来やしない。ならば他の物に触れさせないようエギルが手に持っていなければならなかったのだが。

「エギルエギルー、これおいしいねぇ。ボクがお芋磨り潰したんだよ!」

「う、うん。そうだね。知ってるからフォーク振り回さないで。しっかり刺してるのに飛んじゃうから。ただでさえ量少ないのに」

 何故か、元々あった芋の量の七割近くを無駄にしたリヴにはこの生石の力は適用されなかった。本来なら触れた時点でそれが何であろうが分かれさせるはずの力はリヴには効かず、エギルのように手で触れ持ち歩くことができたのだ。

(不思議なこともあるもんだなぁ……)

 明らかに何らかの理由があるにしても、エギルは「不思議」の一言で思考を止めてしまう。この物事を深く考えない性格であるが故、手ひどい仕打ちを受ける生活に耐えていけていることにも本人は気づいてない。不思議ではあるが、そのおかげで友人を自宅に招くことが出来ているのだからそれだけで本人は大満足なのだ。

 生石は今はエギルの手のひらに収まっていた。決して取りこぼすことのないように包帯できつく巻かれている。片手の食事となり少々無作法だがそれを注意する人間もいない。そもそもリヴの方が両手を使っているというのに食べ方がぞんざいなのだからそれ以前の問題なのだが。

「ねぇエギル。明日は何するの?」

「そうだね……今のところ明日の仕事は何も言われてないから。家の掃除や畑仕事を一緒にやろうか」

「畑!? ボク外に出てもいいの!?」

 リヴの笑顔が更に輝きを増す。蒼白の髪に質素な外観ながらも良い素材を用いているであろうドレスという姿のリヴはこの村では異常に目立つ。そのためこの一週間ずっと家の中での仕事をお願いし、外には出ないようにしてもらっていたのだが。

「うん、たぶん明日は誰もこっちには来ないだろうし」

 毎日毎日村の人間もエギルに仕事を言いつけにくる程暇ではない。自分たちの畑や家畜の世話をエギルにやらせるわけにはいかず、おそらく明日はそれらの仕事に追われエギルの家までは来ないだろう。それ以外の細々とした雑用は容赦なくエギルに押し付けていくが。

「じゃあじゃあ! ボクお芋掘りしたい!」

「いいよ。それ以外にも明日は色々と手伝ってもらうからね」

 エギルの言葉にリヴはまた更に笑顔を輝かせることで応える。見た目どおりの純朴さは見ていて心地が良い。エギルはこの一週間で、昔少なからず感じていた心の安息を思い出していた。



「ねぇエギルエギルー! このひょろひょろしたのお芋ー!?」

「ううん、ミミズだよ。お芋は昨日食べたでしょ? 可哀想だから放してあげようね」

 翌日、エギルは約束通りリヴを連れて家近くの畑に来ていた。村からの支給など望むべくもない彼は、村はずれの位置である利点を生かして広大な畑を作っていた。当然、人手は自分一人だけなので管理がひどく難しいが、そこは慣れである。質よりも量の精神でとにかくいくつもの穀物や野菜を植えていた。管理が届かなく、出来栄えは雑な物もあるが、食べるだけなら問題ない。それに、見た目の悪い物は村人も好んで持っていかないことを今までの経験から掴んでいる。まぁ、だからといって率先して出来栄えの悪い物を作ろうとは思ってもいないが。

「エギルエギルー! じゃあこれは?」

「それもミミズだよ。形とか見た目も一緒でしょ?」

「だって、大きさ違うよー?」

「それは、さっきのは成長しているからだよ」

「せいちょー?」

「……成長って、知らない?」

「うんっ」

 必要ない程に、リヴは元気良く頷いてみせた。

 リヴの持つ知識の偏りはひどく極端だ。基本的な生活の知識、食べるや寝るなどといった本当に基本的な知識は理解出来ているが。その逆、生活する上で必要としない事柄全てはまるで記憶していない。そのため、見たことのない動植物や少しでも不思議なことを見かければ何でもエギルエギルー、と二回名前を呼んで聞いてくる。

「成長っていうのはね、育つことをいうんだよ。栄養をたくさん取って、大きくなるってこと」

「へー」

 真っ白な手を土で汚したまま、素手でミミズを持ちグニグニと触っている。そのまま口に運んでしまいそうで不安になるが、さすがにその見た目から食べ物だとは判別しなかったようで、そっと優しく土に帰してあげていた。

(成長を知らないだなんて、まるで神様みたいだな)

 生まれた瞬間から完成している神には、成長するという生命の機能がなかったと言い伝えられている。そのため人間を作った反転の女神は、同じ過ちを犯さないよう、成長というシステムを持った人間を作り出したと町の学者は訴えている、というのをエギルは聴いたことがある。だがこれも、昔いた友達から聞いたものだったので、今となっては正しい情報か定かではないが。

 両手を使い、楽しそうに畑仕事に精を出すリヴには生石を持たせられず、エギルは片手に生石を持ち包帯で巻いていた。おかげで片手一本で作業をすることになっているが、嬉しそうに作業を手伝っているリヴを見るとそれも仕方ないことだと思える。誰かと仕事を共にする機会がまるでないエギルには、今この瞬間の作業がとても心地よいものに思える。

 ……日も高くなり、昼の休憩を取っていると遠くから人の気配を感じた。元々人気の少ない場所であると同時に、もし動物であれば靴が砂を削る音もしないだろう。

「ごめんリヴ。畑仕事はお終いっ」

「えー、もう?」

 爪の間に溜まった土を穿り出していたリヴが、不満げに声を上げる。

「ごめんね、また今度一緒にやろう。ほら、早く家に入って」

 エギルは慌ててリヴを家へと入れる。リヴの姿をもし村の人間に見られたらどうなるか。まともに事情を説明出来ない以上、人攫いだと思われてもおかしくない。とにかく、これまでの生活が送れなくなるのは確かだ。

 家の戸をバタンと閉めた瞬間、いつもエギルに仕事を押し付ける村の男の姿が見えた。

「何をしている」

「い、いえ何も」

 戸を背にしてエギルが苦笑いを浮かべる。その笑顔が癇に障ったのか、男は苛立たしげに唾を吐いた。

「おまえ、その手はどうした」

 エギルは慌てて包帯を巻かれた左手を背に隠した。リヴを見られるのもまずいが、手のひらにある生石を見られるのもまずい。

「ちょっと、怪我をしてしまいまして……」

「ま、怪我しようが関係ないがな」

 また乾いた笑いをして反感を買うが、事が露見するよりはずっといい。「はい」と短く返事をしてエギルは姿勢を正した。

「それで、いったい何の御用でしょうか。また何か修理をすれば……」

「ちげぇよ。いいから来い」

 吐き捨てるように口にして男は反転し、来た道を戻っていく。エギルは後ろ髪を引かれる思いで家に目をやるが、仕方がなく男に続き歩き出した。どうか僕が戻るまでじっとしててくれ、と心の中で思いながら男の後に続く。無言のまま歩き続け、村の中央部にまで連れて来られた。エギルを連れた男は村の集会所の扉を開ける。自警団や村での取り決め、その他様々な用事で村の者が集まる時は大方この集会所が使われる。エギルは数える程しか入ったことはない。形式上村の外れに住むものとして警護を任され、自警団の一員として数えられているが、例会には一度も呼ばれたことはなかった。

 集会所の卓にはすでにいくつかの者が席に着いている。全て村の若者であり、自警団の団員だった。そして、それを隠れ蓑にエギルに対して無理難題を吹っかける者たち。エギルが扉をくぐった瞬間に悪意や嘲笑に彩られた視線をぶつけられるが、エギルにとってはそれが日常でしかない。無言で、ただ真顔のまま頭を下げる。

「全員集まったか」

 エギルが一番端の席に着いた途端、奥の部屋から枯れたような声と共に、老体が姿を現す。

「欠席の者は? ふん、外れ者もおるではないか」

 視線だけではなく嘲りの言葉も乗せて老体、村長が笑う。同じ白髪でもエギルの髪と老人の髪では色の質がまるで違う。くすんだ白髪を胸まで垂らし、その間から淀んだ瞳がエギルを睨みつけていた。

 外れ者、という言葉に特に深い意味はない。村外れに住む者。村の掟から外れた者。村の中でエギルにしか用いられない、侮蔑の言葉。

「爺さん、今日はいったい何の用事だよ。早いとこ済ませてこのくっせぇ奴から離れたいんだが」

 エギルに近い席に着いていた男がわざわざ指差しながら言う。彼の言葉にゲラゲラと下卑た笑い声をあげて席に着く男たちが全員笑う。事実ではない。家の近くに流れる川という天然の浴場を持つエギルの体臭など何ら問題ないはずなのに。リヴという同居人が増えてからは特に気を使っているというのに。今この場に置いて、その事実は意味を成さない。歪められ、都合よく捻じ曲げてしまう。


「相変わらず、腐った性根の集まりで安心したわ」


 嘲笑の声がピタリと止まる。部屋の外から聞こえた声と共に、赤茶色の髪を持つ少女が姿を現した。

「お陰で、あたしたちのやってきたことが無駄にならずに済みそうよ」

 勝気な声色に爛と光る瞳。赤茶色の髪を後頭部で結った活発な少女が部屋にいた一同を見渡す。そして呆れたようにあからさまなため息を吐き、腰に手を当て首を振った。

「あーあ。ほんっと何も変わってない。いつまで経ってもガキみたいな連中なのね、あんたら。村から出ない田舎者連中はこれだから……」

「早々に喧嘩を売るな、馬鹿者」

「あだっ」

 状況を飲み込めない一同に好き勝手口にするシルファの頭を、続けて現れた青年が小突く。

「お久しぶりです、村長。王国騎士団団員、イングナル・レンバー、並びにシルファ・スキール。王より伝令を持ち、ただいま帰郷しました」

 必要最低限の鎧を身に纏った青年が騎士団の様式に従い、胸に手を当て報告をする。室内にいた村長を除く全員は、突然の事態に開いた口が塞がらない。

「シルファ……それに、イングナル……?」

 唖然とする者の中で、一番早くエギルが声をあげる。

 イングナル・レンバー。シルファ・スキール。

 もう二度と会うことのないと思っていた。過去に失った、エギルにとってたった二人の大切な友人が今目の前に存在していた。

「あっ……エギルッ!」

 エギルの呟くような声量に目ざとく反応したシルファは、エギルの姿を見た瞬間、一瞬花が咲いたかのような笑顔を浮かべる。が、またもは一瞬で消え、今度は憤怒に満ちた怒りの表情を浮かべる。

「あんたが一番変わってないじゃないのよ!! 何こんな馬鹿どもの好き勝手言われてるのよ馬鹿じゃないの!? 背丈とかなんか妙に立派になってるから一瞬びっくりしたけど、中身が昔とまんま同じじゃないのよ!! 少しはもっとちゃんとした大人になりなさいよこの馬鹿エギル!」

「あ、う、うん。ご、ごめん……とりあえず久しぶり……」

 変わってないのは、そっちも一緒じゃないかなぁ……と内心で強く思うが、もちろん口には出さないし、出せない。苦笑いを浮かべながら横目でイングナルを見やるが、彼も昔と変わらず、口にはしないが視線だけで盛大にエギルを責めているようだった。

「……二人とも、よく帰ってきた」

 目元の皺をより濃くさせて村長が口を開く。その呟くような声量はどこか苦々しく聞こえる。

「思ってもいないことを口にせずとも結構です。こちらも、要件以外は極力口にするつもりはありませんので」

「……イングナル、あんた口調丁寧なだけであたしより喧嘩売ってない?」

「気のせいだ。それに、この連中と会話をする必要性などないだろう」

「ずいぶんと言うようになったではないか。レンバーの小僧」

 声色に怒りがにじみ出ているような声で村長が二人に視線をぶつける。その視線を平然と受け止めイングナルが口を開く。

「ええ。少なくとも、この村で生活し続けている者よりはずっと有意義な生活をさせてもらいました」

 村長の顔の皺がより濃くなり、口元があからさまに苦渋で歪む。

「なんだ、騎士になるといって村を飛び出した青二才が、力を得た途端にえらく強気になって戻って来おって。王国の後ろ盾があればこんな田舎では何をしてもかまわないとでも思っておるのか?」

「先程から何を言っているのか理解出来ません。俺たちは、王の伝令を伝えに来ただけですが?」

「あ、あはは……」

 あからさまな感情表現をするシルファ、それとは逆にたぎる怒りを内面に隠すイングナル。姿形は変わろうとも、内面が全く変わっていない友人を見て、エギルは思わず笑みをこぼす。

「小僧供が、調子に乗りおって……」

 枯れながらも力強い声を絞り出し、思わず笑ってしまったエギルを村長は睨みつけ、奥歯を噛みながら「それで」と話を戻そうとする。

「王からの伝令とはなんだ? わざわざこんな田舎村に大陸最強と名高い騎士を二人寄こしてまでの伝令とはいったいなんだと?」

 自虐と皮肉を織り交ぜた問いをシルファは鼻で笑い、イングナルは一切反応せずにただ問いにだけ答える。

「この村に、反転の女神がいるはずだ。この世の英雄を王都に迎えいれるべく、協力しろ時代遅れの田舎者ども……と、王は仰られた」

 ……だいぶ意訳されていることに気付くのは、始めから一緒に伝令を聞いていたシルファと、彼の性格を知っていたエギルぐらいだろう。



 反転の女神の知名度は、たとえ何の世間とも交流のない農村であろうと高い。むしろ、そういった閉鎖している土地こそ、神話はより固定化され受け継がれ、普及していることがある。それは、この農村においても例外ではなかった。

 イングナルの物言いに腸が煮えたぎるような反感を覚えた村の男たちも、反転の女神を発見し、騎士に報告をした者には王より様々な褒美が送られる、という情報を聞いた瞬間には怒りを忘れ集会所を飛び出していた。すでに王からの伝令は村全体に伝わり、日が沈む頃には村人が総動員で反転の女神の捜索に当たっていた。森に囲まれた農村では、夜に森の中を捜索することは自殺行為でしかなく、村人は全員、必ず反転の女神を探し出し褒美を手にするという心意気を燻らせながら各々家へと帰った。

 エギルも捜索に借り出されていた。もう使われていない古井戸の底や、森に点在する小さな洞穴などの厄介な場所の捜索を命じられ心身ともに疲れきっていた。すでに反転の女神に心当たりがある、というのも、心労を増やす要因の一つになっていたのだろう。

「た、ただいま……」

 一日中畑仕事に精を出す以上に薄汚れた姿のまま、エギルはようやく家の扉を開けると。

「あっ、エギルお帰りー!」

「ぐふぅっ」

 リヴの飛びつき癖をすっかり忘れてしまっていたエギルの、これまで飲まず食わずで意味の感じられない捜索作業をしていた空きっ腹に、リヴの頭部が突き刺さる。

「リヴねー、すっごく退屈だったー! そんでもってお腹空いたー! あととっても眠いのー!」

「……うん、最後は僕がいなくても自分で解決出来るよね」

 スリスリと初めて出会った時のような、勢いのついたマーキングをするリヴの頭を優しく撫でる。言っても止めそうにないのでしがみつかれた状態のままエギルは家に入り、木製の質素やベットの上に横たわる。もちろんリヴを下にせず、仰向けで。そうして、エギルはリヴの手から包帯を解き、生石を預かる。左手で握り締め、解いた包帯を今度は自分のその左手に強く巻きつける。

「ねぇねぇ。今日はなにをしてたの? 明日はまた畑で遊べる?」

 がっしりとしがみついた両手の力は緩めず、リヴは上目遣いでエギルの顔を見ていた。

「うーん。今日はみんなで探しものをしてたんだ。たぶん明日もやるだろうから、ごめんね。あと、畑で遊んでるんじゃないんだからね? 仕事をしてるんだからね?」

「じゃあじゃあ、ボクも探しもの手伝うー! だから一緒に遊ぼうよー!」

「い、いや。無理、じゃないかなぁ。あと、遊びじゃないんだって」

 笑顔のままバタ足をするリヴの膝がエギルの腿を叩くが、どうせ言っても間をおいて再開するだけなのでいっそ受け入れている。

「えー、ボクも探しものしたいー。ねぇねぇ、なに探してるのかだけでもおしえてよー」

「……ごめん、それも、言えないんだ」

 たぶん、君だよ。その言葉を飲み込んで、エギルは苦笑いを浮かべた。

 この村で目覚めたと言われる、反転の女神。村に古くから伝わる掟により入ることが禁じられた洞穴の奥深く。そこにあった、存在するだけで強い力を放つ生石を用いなければたどり着けない位置で泣いていた、見た目だけなら清廉な少女。

 証拠は、揃い過ぎている。ならば、報告するべきなのだろう。反転の女神を見つけました、と。


(おまえが背負ってもいいと思うなら、頼む。開けて、彼女を助けてくれ。私を手に、な)


 だが、物言わぬ友人の言葉が頭を過ぎると、その考えはなくなる。助けてくれと言われた。私を手に、触れるだけで何もかも分かれさせる、一切のものを触れさせない生石を手にして。

(きっと、僕は何かを託された。それはきっと、この子をあの二人に渡せば終わるなんて、簡単な話じゃない……)

 ただの勘違いかもしれない。間違っているのは自分で、リヴを王の下へと連れて行くことが正しいのかもしれない。

「……ねぇ、リヴ」

「んー、なぁにー」

 横になり眠くなってきたのか、瞼を閉じかけているリヴの長い髪を撫でながら、エギルは口を開く。

「君は、どうすればいいと思う?」

「どうって、なにが?」

「えっと、このままここで暮らすか。もっと良い暮らしが出来る、毎日遊んで好きなものをお腹一杯食べられるような場所で暮らすか」

 言った後で、答えは一つしかない問いだったと悔いる。ロクに構ってあげられない、自由に外に出してあげることも出来ない。食べるものも少ない何もかも不便な生活よりも、もっと―――

「ここー!」

「……え?」

「ここでー、エギルと一緒にくらすー」

「な、なんで? 毎日好きなことが出来るんだよ? おいしい物も一杯食べれるし、頼めばきっと、好きなところに行けるのに」

 自分でもわからない。どうしてこんなにも焦って説明をしているのだろうか。ここよりずっと良い暮らし出来て、幸せなはずなのに。どうして、そんな生活よりもここの生活を優先する?

「うーん。ねぇ、そっちにエギルはいるー?」

「え? い、いや、いないと思うけど……」

 王は褒美を取らせる、としか言わなかったらしい。神話で語られる英雄と共に暮らす権利など、きっと授けられやしないだろう。

「ならこっちー。エギルといるー!」

 またスリスリと、顔をエギルの胸の位置に擦り付ける。土や泥で汚れた服であろうと。笑顔のまま、楽しそうに、嬉しそうに。

「エギルと一緒じゃないといやー。ボク、エギルと一緒にいるのが大好きなんだもん」

 エギルは、二の句が告げなかった。久しく感じることのなかった、純粋な、好意。一切の淀みのない、エギル自身に向けられた心から笑顔。

 それがただ、純粋に嬉しくて。


「あー、ようやく見つけた。まったく、わかりにくい位置に建てさせんじゃないわよあの陰険ども。エギル、いるー……」


 見覚えのある赤茶色の髪の少女が、ノックもせずに家へと入って来て、視線が合い、固まった。

「………………」

「………………」

「んー」

 さっきとは違った意味で、二の句が告げない。リヴは突然入ってきたシルファも気にせず顔をエギルの胸の位置に擦りつけることを止めない。昔と変わらず気さくに家に訪れてくれた友人の存在は、純粋に嬉しい。

 嬉しい、が。

「い、いや、あの、これは」

 どっと焦りが胸の内に生じる。リヴは僕と一緒にいたいと言ってくれた。物言わぬ友達も、僕に助けてくれと頼んだ。だから、何としてでも彼女を隠し通そうとたった今心に決めたばかりなのに。こんなに早く、事が露見してしまうなんて。

「シルファ、騎士になった君にこんなことを言うのは駄目なんだってわかってる。けど、この子は僕が守るって決めたんだ、だから――――」

「……そこまで」

「え?」

 わなわなと肩を震わすシルファは、肩に下げていた荷物を振りかぶって。

「そこまで大人になれなんて言ってないわよ馬鹿ぁーーーー!!」



 鎧やら何やらの重みを勢い良く受けて痛めた首筋に手を当てながら、エギルは茶葉の入ったコップにお湯を注ぐ。品質は決して良くはないが、エギルはもちろん、リヴも味の良し悪しなど気にしない。久方ぶりの客人を迎えるためには相応しくないが、これしかないのだから文句を言われてもしょうがないと割り切っている。

「……話も聞かずに荷物をブン投げたことは悪かったと思ってるけどさ、誤解されてもしょうがないでしょ、あれは。いやまぁ、だからって投げる理由にはならないかもしれないけど……」

「怒ってないから気にしないでいいってば。はい、お茶」

 未だ納得いかずに唸るシルファの前にコップを置き、エギルも席についた。

「イ、イングナルはいいの?」

 エギルは、少し引きつった声色で壁に寄りかかって黙していたイングナルに聞く。イングナルは久々の旧友との再会に緊張している少年を一瞥して、すぐに目を逸らした。

「いらん。俺たちは客人として来たわけではない」

「あ、うん。そうだよね……」

 にべもないイングナルの態度に、エギルはそれ以上の何も言えずに口を噤む。シルファはそんな二人を見て、あからさまに嘆息をこぼした。

「イングナル、あんたお茶ぐらいもらいなさいよ。これから話もするっていうのに、そんな一人で離れた場所にいて」

「俺はここで構わない」

 あっそ、と同僚を傍に置くことを諦め、シルファはようやく目の前に置かれたコップに手を伸ばし、中に入った液体を口に含んで。

「ぶっ」

 危うく噴出しそうになったのを手で抑えた。

「え? え? 何これ、お茶?」

「近くの森に群生してる葉から作ったお茶だよ? 口に合わなかったかな」

「あ、あーうん。そう、ね。うん」

 卓に肘を置きシルファは頭を抱える。村外れの森近く、村人との交流もなく、村全体からは仲間はずれとされている小さな小屋。そこにまともな嗜好品があるわけないという事実を、今更ながら理解しているようだ。

「エギルのお茶好きー、いらないならボクもらうよー」

「ああ飲む、飲むわよ。ただ、えらく渋いだけで……」

 苦く渋い味わいに顔をしかめながらシルファはお茶を啜る。

「……話を戻しても構わないか?」

 壁に寄りかかり腕を組み黙していたイングナルが声を上げる。エギルも、イングナルの低い声を聞き身を引き締める。

「その少女が、女神か?」

 一切の回り道もせずに、真実のみを聞いてくる。あまりにも直球なその質問にエギルも一瞬言葉に詰まるが、喉を鳴らし、口を開く。

「……わからない。森を歩いていたら、たまたま見つけたんだ」

 洞穴の中で見つけたことは言えない。あの場所は、この村にとって禁句に近い意味を持つ。それにどうしてそのような掟で進入が禁じられた場所で入り込んだのか、その説明をしている内に今も尚手に握っている生石の存在も表に出かねない。だからと言って、素直にこの子が女神だと告げることは出来ない。可能性がある、というだけなのだ。実際にリヴが反転の女神だという根拠もない。

「深い森で、木の幹に寄りかかって意識を失っていた。捨てられたのかもしれないし、森を横切っていた商隊とはぐれたのかもしれない……見ての通り、ちょっと変わってて、詳しい話を聞いても何もわかってないんだ」

「あたしたちも、女神についての詳しい情報はわかってない。王からは、あたしたちの村で女神が目覚めたから連れてこいと言われただけ」

 目覚める、という表現がエギルの中でぴったりと当てはまる。岩壁を抜けた先にいた少女。生まれ落ちた生命のように、声を上げて泣いていた。エギルの見たその様は、目覚めるという言葉が相応しい。

 女神についての情報が少ない故に、少しでも可能性があるものは全て疑わなければならない。エギルが必死になって言葉を並べようとも、女神ではないという可能性を払拭出来ない限り、二人の騎士の意思は変えることは出来ないのだ。

「……この子を、連れて行くの?」

「それが命令だ」

 冷たく言い放つイングナル。エギルは場違いにも、変わっていないと安心してしまう。決めたことは必ず最後まで、意志を違えずに実行する。そういう強さを、羨ましく思っていた。

「ボクの話ー?」

 今更気づいたのか、人差し指を自分に向けてリヴが場違いに間の抜けた声を上げる。一瞬、空気が弛緩しかけるが、即座に気を取り直したイングナルがリヴに視線を向け、口を開く。

「ええ、あなたの話です。反転の女神」


「うん、ボク女神ー」


『……………………』

 今度こそ完全に、雰囲気が壊れた。エギルは口をあんぐりと開け、シルファはもう一度頭を抱えた。イングナルでさえ指先で眉間を揉み、必死になって言葉を探している。

「……マジ?」

 頭を抱えたままシルファが誰に問うでもなく口にする。可能性として、この娘が女神に違いないとは思っていた。けれど、伝説の英雄とされる反転の女神が間の抜けた舌足らずな声で「ボク女神ー」と自ら公言するとは予想出来なかった。 そもそも、予想出来るわけがない。

「そ、そうなの?」

「そだよー。ボク女神だよー」

 ようやく声を出せたエギルの質問にも笑顔で肯定するリヴ。とても嘘を吐いているようには見えなかった。聞かれたから答えただけ、と単純な図式が出来上がってしまっている。

「……ねぇ、どう思う?」

シルファは訝しげな表情のまま、イングナルに問いかける。対するイングナルも、渋面を崩さずに口を開く。

「本人がそうだと言っているんだ。これ以上の証拠はないだろう」

「それはそうなんだけど、あまりにもあっさりしすぎて、真実味がないというか……」

「ねぇねぇ。ボクどっか行くのー?」

 騎士たちの相談にもあっさりと割り込む自称女神。この場にいる全員、この少女がおとぎ話の主人公だとは思えない。言い伝えられた反転の女神は、聡明で、美しく、機知に富んでいたとされている。全員口にはしないが、何一つ掠ってなどいやしない。

「……あなたが本当に反転の女神だというのなら、我々は国王の命に従い王都へとお連れします」

「おうと? どこそれ」

「……さっき話した、良い暮らしが出来るところだよ」

 イングナルの言葉に予想通りの質問を返すリヴに、エギルが答える。

「おお、あそこかー」

 納得した、と手を叩くリヴ。明らかに理解出来ていないにも関わらず、何故そこまで自信ありげなのか。なんだかその光景さえもひどく間の抜けたもので、どんどん今まで培ってきた英雄像が目に見えて崩壊していくのがありありとわかる。

「さっきも言ったー。エギルがいないなら行かないもん」

「……それならば話が早い」

 イングナルは壁から背を離し、リヴの前で跪く。シルファも、すっかり雰囲気に呑まれてしまっていた思考を振り払い、自身の命を思い出し同様に跪いた。

「反転の女神よ。あなたの御身は王国騎士団団員、イングナル・レンバー並びに、シルファ・スキール。この身この命に代えましても、御前を王の下まで無事にお連れすることをここに誓います」

「ん? おおー、がんばれー」

 イングナルがどれだけ礼式に従い、厳かに事を取り成そうとしても、リヴの前では全てが無意味でしかなかった。いつもの渋面を更に渋らせ、イングナルが無言で頭を下げる。同様にシルファも頭を下げるが、その肩は小刻みに震えていた。

「そういうことだからエギル、あんたも王都に来なさい」

「えっと、いいの、かな……?」

「いいも何も、女神様のお望みを叶えつつ、無事に王都まで送りつけるのがあたしたちの任務よ」

 あまりにも事が拍子良く進んでいくので、凝り固まったエギルの思考では中々事態に追いつくことが出来ない。

 僕が、王都へ? この村を出て?

「今すぐにでも出発したいところだが、今日はもう遅い。出発は明日にする。異論はあるか?」

 本当に、僕も連れて行ってくれるの?

「……ううん、大丈夫」

 質問を飲み込んで、エギルは首を振った。

「村には俺たちが伝えておく。おまえは、何食わぬ顔でその報告を聞いていればいい」

「その時、女神様はこの家にいてください。村の者の前にはあまり姿を見せずに、秘密裏に王都までお連れしますので」

「うん、ボクかくれんぼ得意だよー。今までずっとやってたー」

 騎士として屹然とした物言いでリヴに言ったシルファも、リヴの返答を聞き唇の端が引きつる。

「……ねぇ、なんか。敬語使うのが馬鹿らしくなってきたんだけど」

「俺もだが、使え。女神だぞ」

「一応とか自称とか、そんなのが頭につきそうだけどね……」

「ははは……」

 最近、よく笑うことになったけど、苦笑ばっかりだな。とエギルは内心で呟く。

 それでも、笑顔には変わりないし、笑えないよりはずっとよかった。



「うあー」

 赤茶色の髪をぐしゃぐしゃと掻き、腹の底からひねり出したような低音でシルファが唸る。年頃の女の子が出す声にしては、聞いていて些か気分の良いものではない。道の先を歩いていたイングナルも嘆息し、振り返った。

「みっともない声を出すな。いきなりどうした」

「だって、久々に会ったのにあたしってば怒ってばっかで。あーどうしよ、エギル呆れてないかな」

「呆れるも何も、昔から変わってないとしか思ってないんじゃないか」

「それって成長してないってことじゃないのよ。あーもう何を偉そうにもっと成長しなさいとか言ってるのよ、あたしが一番成長してないのに……」

 はあぁぁぁ、と重く沈んだ溜め息を吐く。仕舞いにはしゃがみこみ、健気に生きる雑草をぶちぶちと引き抜き始めてしまった。

「次会った時は必ず笑顔で優しいお姉さんでいようと思ったのに、一瞬でパーよ。今まで練習はいったいなんだったの……」

「……あれは、練習だったのか? 鏡に向かっていい子いい子などと言いながら頭を撫でる動作をしているのは」

「何見てるのよ踏み潰すわよあぁん?」

「悪かった、生石を掴むな」

 外しかけていたペンダントを戻し、シルファはまた短く溜め息を吐く。

「……ほんと、何でこんなに怒ってるんだろ。あの子、頑張ってたのに。こんな村で、一人っきりでさ」

 女神を王都へ連れて行くため。二人の任務はそれに尽きる。だが二人の目的は、こんな村からエギルを連れ出すこと以外にはなかった。理不尽で不条理な生活を強いられていた友人を連れ出すために、確かな地位を手に入れた。リヴ、反転の女神の要望は二人にとって渡りに船でしかなかった。任務を成功させて、王都へエギルを迎え入れて、これまでの生活などとは違う、まともで幸せな日々をあげるために。

 ここまでは順風満帆だった。それなのに、シルファはエギルの顔を見た瞬間、喜びや驚きよりも、怒りが勝った。怒るべきではないのに、胸の中に言いようもない怒りが満ちてしまった。理由もなく、胸がムカムカして罵倒が止まらなくなりそうになる。エギルの家で話しをしている最中でも、怒鳴り散らしたくてしょうがなかった。無理矢理にでもその怒りを静めようとするために、渋く苦いお茶を何杯おかわりしたかわからない。気に入ってくれたと勘違いして嬉々としてお茶を入れてくるエギルにさえ理不尽にも声を荒らげそうになって。

 これでは、村の人間と何が違うのか。

「はぁ、ごめん。自己嫌悪が止まらないや」

「別に、気にしなくてもいい。ただ……」

 言いよどむイングナルの姿を、シルファは久々に見た気がする。「何よ」と訝しげながら先を促した。

「……おまえは、怖くないのか?」

「はぁ? 怖い? 誰が?」

 まったく話が見えなく、シルファは困惑する。怖い? あたしが? エギルを? いやいや、そんな馬鹿な。

「怖いわけないじゃない。何言ってるのあんた」

 気が弱くて泣き虫で、そのくせ自分以外のこととになると馬鹿みたいに立派になって、ほんと、馬鹿じゃないの。どうして自分のことになるとてんでだらしなくなっちゃうのよ全く―――とまで考え、シルファは自分が何を考えていたか気づく。

「ってまた怒ってるー!」

 うがー! と今度こそ女性があげてはいけないような声で叫ぶシルファ。後ろで束ねた髪も解いてぐっしゃぐしゃにしてしまう程に、自己嫌悪が身を苛んでいるのだろう。

「……別に、そうでないのなら構わない」

「あっそ」

 話を終えるように、イングナルは歩みを再開する。乱れた髪のまま、ふらふらと危なっかしい様相でシルファも後に続いた。

 明日こそはちゃんと、笑顔でいれるようにしよう。とシルファは心に誓い髪に手櫛を入れる。



 部屋の中央に吊るされたランプの火を消すと、一瞬で室内は暗くなる。今日は月が雲に隠れているのか、夜においての唯一の光源である月明かりさえもない。目が暗闇に慣れるまで、部屋はただ暗い。

「暗いよー、エギルーどこー!」

「ごめんごめん、ここだよ」

 すでに夜も深い。眠気によりすでにベットに横になっていたリヴが暗闇に驚き声を上げる。エギルは慌ててベットに駆け寄り、リヴの手を握ってあげた。

 暗く狭い洞穴の閉ざされた空間にいたためか、リヴは暗闇を極度に怖がる。小さい手のひらを握り、擦ってあげると落ち着いてきたのか、エギルの手をギュっと握った。エギルも横になり、空いた手でリヴの蒼白の髪を撫でる。

「えへへー、エギルだー」

 手だけじゃ飽き足らず、リヴは両手を目一杯広げてエギルに抱きつく。年端もいかない少女ではあるが、もちろんその体は男のものとは違い、ひどく柔らかい。一瞬、その柔らかさにエギルの心臓が跳ねるが、抱きつき安心する少女の顔を見て、すぐに落ち着きを取り戻す。この少女の前では、いやらしさよりも父性のような感情や保護欲が先に生まれてくる。腰に回された腕と、胸板に押し付けられた頬。その姿は、どこか母親に縋る動物の子供のように思えた。

「ねぇ、ここで暮らすのって、今日で終わりなんだっけ」

「そうだよ。明日からはお城で良い暮らしが出来るよ」

「えへへ、もちろんエギルも一緒だよね」

 一緒だよ。と口にすることができなかった。確証なんてどこにもない。たぶん、いやきっとそんな未来は訪れないだろう。田舎村で迫害されてきた子供を、王が自身の城に招き、ずっと安寧の生活を約束してくれるとは思えない。復活した反転の女神。人類にとっての英雄であり、産みの親。その傍らに、僕のような人間が置かれていていいわけがない。そんな考えが、エギルの言葉を口にさせなかった。

「一緒じゃないの?」

「……もちろん、一緒だよ」

 リヴの不安げな表情を見ているのが辛くて、思わず吐いた嘘。

(きっと、僕がいなくても大丈夫だよね)

 刷り込みのようなものなのだろう。雛鳥が産まれて初めて見た者を親と思いこむように、最初に出会った人間がエギルだったから、だからこんなにも懐いているだけ。他に頼りになる人間は、もっとたくさんいる。それが僕である必要はない。そう、身勝手に結論付ける。

 これからも一緒にいる可能性は決して、0ではないけれど。どうしてもエギルには、未来を良く考えることができなかった。

 これまで辛く苦しかったから、これからは良いことがある。

 そんな確証が本当に存在していたら、これまでだってずっと幸せだった。

「約束だよ?」

「うん、約束」

 今にも泣き出しそうな瞳で見つめるリヴの頭を、エギルは優しく撫でた。その柔らかな蒼白の髪の感触を、これからも忘れないように。

 そして、リヴは目を閉じた。安心しきった笑顔で。回された腕の力は緩むことなく。次第に小さな寝息の音が聞こえてくる。

 一緒にいて。助ける。

(その二つの約束を守ることが、僕に出来るのだろうか)

 ようやく顔を出した月明かりに照らされ、輝く蒼白の髪の一房を手に取り、エギルも目を閉じた。


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