プロローグ
一つぐらいファンタジーを書いてみたい、と思い書き綴ったファンタジー物の作品です。キャラクターの名前などは北欧神話をベースにしてはいますが、設定的にはあまり関係ないです。たぶん。
プロローグ
初めから、約束なんて守られないとわかっていた。嘲るような笑顔で述べられた約束など、信じる方がどうかしている。少年はもちろん、そんな戯言を信じたわけではない。それでも少年は一人でここまで来た。近づいてはならない森深くの崩れかけた、小さな洞穴まで。
本来ならば青々とした葉を生い茂らせている木々も、日の光がなければただの黒にしか映らない。暗い森の中、風に吹かれた葉はただ不安を煽る音響装置に過ぎなかった。いつまでも響き続ける耳障りな音を体全体で受けながら、少年はようやく入り口に立つ。暗く、一切の光のない洞穴からは、突き上げるような風が吹き出し続けている。その風は冷たく鋭く、まるで何人も進ませないと威嚇してくるようだ。少年はその威嚇を受けながら、ここに至るまでの経緯を思い出す。
昔から、村の者たちから嫌われていた。親のいない孤児であることも原因の一つであっただろう。何せ、守ってくれる大人がいないのだ。周囲の子供の悪びれもない純粋な悪意、子どもに対して辛辣の過ぎる侮蔑を受け続けていた。
けれど彼はそれでもいいと思っていた。いや、それよりもそれ以外の境遇を思いつきさえもしなかった。嫌われた自分だからこそ、この生き方しか知らない。これが当たり前なのだと、そんな勘違いをしていた。
けれどそんな生活でも、悲しいことだらけではない。少年にも数少ないながら友達がいた。
いたからこそ、少年はここにいる。
「村の掟を破って、森深くの洞穴へ行け。でないとあいつらもおまえと同じ目に合わせてやる」
破ることは許されない決まり事。その中の最たるものが、森深くの洞穴に近づいてはならない、というもの。それはただ漫然と禁止されているだけで、「何故禁止されているのか」は村の長でさえ尤もらしい理由は知らない。それ程に古いの掟だ。だからこそ、それ故に恐怖は募り、掟を破ろうとした者は一人もいない。長い間、小さくも臓腑の底から恐怖を煽る黒い洞穴として存在してきた。
少年は震える足で踏み出す。吹き出る冷たい風と、それと共に内から湧き出る恐怖が一歩踏み出すごとに大きくなっていく。少年は生唾を飲み込み、体勢を低くして頭から光のない深い穴へと入り込む。視界には何も映らず、ただの黒色の何かから強く風が吹いてくる。開けていた瞳の水分がみるみる乾いていき、少年は何度も瞬きをした。
あの二人は、今の僕がしようとしていることを知ったらどう思うだろう、と。少年は二人の友人のことを考える。一人は、怒り狂うだろう。荒れ狂う波のような罵声を村の子供と、そのままの勢いで少年にも浴びせかけ、次第にそれが嗚咽混じりとなり、最後には言葉にもならず泣き続けるだろう。もう一人は……怒りもしないし、泣きもしないだろう。少なくとも、少年には。少年に無理難題を吹っかけた村の子供たちには、嗚咽も涙も混じらずにただ淡々と怒りをぶつけかねない。
優しく強いけれど、どこか変わっている二人だからこそ、僕と友達となってくれたんだろうなと、少年は今日初めての笑みを零した。その笑顔にも、暗く深い洞穴からは鋭く冷たい風が吹くが、少年の顔に灯った笑顔は消えることはない。
(僕でも、二人を守れるんだ。たとえ的外れで、どこかおかしな方法でも、守れるんだ)
そう心の中で唱え、確認し、身の内に勇気を奮わせて這うように前に進むと。
「え? うわっ」
突如少年の上下が反転し、岩壁を滑り落ちるように下へと向かった。
「い、いたた……」
落ちた距離はそう長くもない。だが硬く尖った岩壁は容易に少年の額を切り、背中や腕に裂傷を作った。切った額からトロリと血が流れ、頬を伝う。腕からも血が滲み、少年の汚れた服をさらに汚す。背中も同様に痛ましい傷が刻まれた。けれど生来生傷の絶えない少年にとっては慣れたものだ。これなら、森の中を追い掛け回され、誤って崖から落ちた時の方がひどかった。この程度の傷ならば今更騒ぐ程でもない。自分の怪我なら、いくらでも度外視出来てしまう。
少年はそのまま、手当てらしい手当てもせずに血を流したまま這って進む。今度は急に落ちるようなこともないよう、前方を確認しながら。
風は強く吹き続けている。きっとどこかに繋がっている。なら、進もう。
どれ程時間が経っただろうか。少年の瞳にようやく光が届く。その光に向かってさらに進んでいくと、少年が立ち上がれる程に天井が高い空間に出た。所々開いた穴から地上の光が漏れ、ひどく目に眩しい。この光に満ちた場所が、掟で立ち入りを禁じられる程の恐ろしい場所だとは思えなかった。
だが、目の前にある存在は、確かに異質と呼べるもので。
「石が、浮いてる……」
広場の中央に開いたひどく深い穴。そこからここいら一帯に吹き荒れる風が出ている。
その風に追い上げられるように、一つの石が浮かんでいた。手のひらに収まる程の小さな石。どこにでもある、それこそ道端にいくつも転がっているような、唯一性の欠片もない灰色の石。そんなありふれて存在する石を、風は必死で押し上げる。
まるで、落としてはいけないものかのように。
少年は黙って、その浮かぶ変哲もない石を見ていた。吹き荒れる風の音だけが場に響く。そして石も、少年を見ていた。互いが互いの存在を認識した。
この感覚はなんだろうか。ずっと探していたものが見つかったような。長年会えなかった大切な人と偶然出会ったような。少年の身の内に本人でもわかり得ない不思議な感覚が芽生える。まるで、自分の体には元々、この石がすっぽり収まる穴が空いていたかのような。
その感覚に突き動かされるように、少年は手を伸ばす。吹き上がる風を抜けて、冷たく硬い感触を指先が覚える。その感触を指先から手のひらまで滑らせる。そして、掴んだ。握り締められた手のひらの中。その存在の感触は、懐かしくさえ思えた。
拒まれなかった気がした。受け入れられた気がした。無機物と有機物が、互いが互いを受け入れた。
少年は一筋の涙を流す。自分では意味もわからず、けれどその不可思議さえも受け入れる。
これは邂逅なのだ、と。
「おかえり……ただいま」
少年は相反する二つの言葉を口にする。けれどそれはどちらも正しく、間違ってなどいなくて。
この日、少年はかけがえのない友を見つけた。
これが、約束の始まり。在り様を変えた者たちの精一杯の足掻きの始まり。
人々は見向きもしないだろう。けれども、それは確かに、これから存在する。
嫌われものなりの、世界の守り方。
全体の量としてはまぁ、一般的な文庫本サイズだとは思われます。
設定の矛盾やキャラクター性の違和感等々、どんなものでも構いませんので、何か感想をいただけると幸いです。
それでは、嫌われものなりの精一杯の物語を、どうかよろしくお願いします。