memory9
後の誰もいない廊下を走る。
息が苦しくなってもサヤは廊下を走る。
廊下を走ってはいけないという、小学生のころ叩きこまれた先生の教えなど頭の中から綺麗さっぱり消し去って、彼女は何かから逃げる様に先を急ぐ。
何かに追いつかれないために。捕まらないために、サヤは走って逃げた。
目的地の教室の扉を勢いよく開けて入り、扉を閉める。
上がった息を整えつつ疲れた身体を扉に預けたが、力が抜けて行きずるずると身体が落ちていった。
身体を支えていた糸を切ってしまい、身体を動かせなくなってしまったようだ。
緊張という糸を、安心というハサミで、ぷつりと切ってしまった。そんな感じだと思った。
そしてそれと同時に先程の焦燥感に疑問を覚えた。
どうして、何かに追いかけられている様な気がしたのだろう。何故、それに捕まらないように必死で逃げてしまったのだろう。自分の後ろになど何もないと分かっていたのに、急き立てられる衝動を抑えることが出来なかった。
得体のしれないモノが自分を求め追いかけてくる。それに捕まったら深く暗い穴に引きずり込まれて二度とそこから出て来られなくなってしまう。そんな予感がした。
まだ少し息が上がっているが、先程よりも幾分か身体に力が入るようになったのでサヤは立ち上がり自分の席へ向かう。
椅子に座って深く息を吐いた。
誰もいない教室。
遠くから聞こえる部活動をしている人達の音。
サヤは日常に戻ったのだと思った。そして安堵も覚える。
長時間緊張していたような疲労感が身体に圧し掛かる。気だるさと眠気を感じ、サヤは机に突っ伏してしまう。腕の上に頭を乗せ、目を閉じる。
そしてすぐにサヤは眠りに落ちていった。
深く沈んでいく。
眠りの中へ、ではなく、記憶への道に向かって深く、深く。
ふわりと降り立ったそこにはいつもと違って扉が1つだけ。
何重にも鎖が巻きついている。
辛うじてそれが扉だと分かる程度しか扉の部分が見えない。
この光景を見たことがある。そしてこれに恐怖を覚えたことを覚えている。
でも、それから目を離せず、無意識のうちに足が動いて行く。やがて扉の前に立った。
開かないと分かっているのに、鎖の間にあるドアノブに手を伸ばす。開くのではないかという少しの希望を持って。
鎖の間から出ているドアノブをひねって前後に引いてみるが、やはりびくともしない。
少し息を吐く。緊張した。
ここが開いてしまったら今の自分が消えてしまいそうな恐怖を覚えつつ、この向こうに帰りたい思いもある。
この鎖が外れれば扉を開けて向こう側に行ける。
そう思い、鎖に触る。
すると触った所の鎖が一本、外れた。
外れた鎖を手の上に乗せて見つめる。
もしかしたら他の鎖も外れるのではと試してみたが、他はびくともしなかった。
今日はこの一本だけか、と手に握ったままの鎖を見る。じっと見つめていると、それはするりと手から滑り落ちて行った。
どんどんとそれは落ちて行き、やがて見えなくなった。
鎖を沈めてしまった。どうしようか。
焦る事も無く冷静に考えるが、あの鎖は無くなってしまったわけではないのだと思いだしたので、早々に考えることを止めた。
さて、今日はここまで
また今度
ゆっくりと意識が浮上する。
閉じていた目を開け少しぼんやりとしているうちに、霞みがかっていた思考がはっきりしてきた。
出てくる欠伸を噛み殺しながら身体を起こし、黒板の上の壁に掛けられている時計を確認する。まだ5時半だ。部活が終わるのが6時だからもう少し時間がある。
机に肘をつき、顎を手の上に乗せて窓の外を見る。
綺麗な夕焼けの光が教室に降り注ぎ、サヤを照らしている。
寝ていた時に何かを見ていた気がするのだが、どうにも思い出せない。
だが、眠っていた時の事を思い出そうとしたら、ほんのりと嬉しさが込み上げてくる。夢の内容は全く覚えていないが、何か良い事でも起こったのだろう。
時間は少ないが、気分が乗っているうちに今日出た宿題に手を付けておこう。
サヤは鞄から必要な物を机の上に出し、暖かな夕陽の光を浴びながら宿題を片付け始めた。
静かな教室の中にサヤがペンを紙に走らせる小さな音が響き渡り、時折紙をめくる音が加わる。人が多くいる昼間の教室よりも、朝や夕方の人がいない教室の方がサヤは過ごしやすいと感じていた。
あっという間に30分が過ぎ、サヤは荷物を鞄にまとめ、教室を出て美術室に向かった。そこで絢子と合流し、彼女たちは家路についた。