memory4
施設を出て。木々が両側に生い茂る道を車が走る。
サヤは通り過ぎていく外の風景を、何も考えず見ている。
一晩かけて解いていたせいか、まだ体が眠りを求めているようで瞼が重い。車の揺れが心地よい。
ゆらゆらとサヤは眠りの中へ落ちて行った。
眠りに落ちたサヤは、1つの扉を通り抜ける。
目を開けると私は大樹の前に立っていた。
他の木々は大樹から離れた場所に円を描くように並んでいて、広い空間が作られている。
上から葉の間をぬって光が降り注いでくる。青々と生い茂る葉や枝を見上げる。
さわさわと風に揺られて葉が鳴るのを見て聞く。
私はただ、そこにいる。
どのくらいそうしていただろうか。遠くからそれまで聞こえていた音とは違う音を私は聞いた。その音に引かれる様に、私は視線を動かす。
一か所、木がなく開けている場所がある。そこから人がこちらへ歩いて来ている。その人を見た私は自然と笑顔になった。
「ここにいたのか。探したよ」
「どうかしされたのですか?」
「セスティアが明日の祭について聞きたい事があると君を探していた」
「あの子が?・・・もう、呼んでくれれば良いのに」
「俺に気を使ってくれたんじゃないか?最近なかなか2人きりになれなかったから」
その言葉に私は顔が熱くなる。
「貴方は皆に好かれていますから」
「君ほどではないよ」
「そうですか?」
「君が皆に好かれているのは分かっていたんだけどな。あれほどとは思わなかった」
「まあ」
彼の言葉に私は笑う。困った表情を作っていた彼も、笑う。
好いた人と一緒に過ごす時間。時は有限だけれども、彼と共に過ごす時間が多くあれば良いのに。私はそう思った。
そう思った瞬間、私は引きあげられる。
何か夢の様なものを見ていた気がするが、思い出せない。
サヤは意識をはっきりさせようと、頭を振る。
「起きたか、サヤ」
「うん」
優しく問いかけてきたアオトに、サヤは寝起きが分かる声音で答える。
外の景色を見ると、木々の代わりに建物が多く立っており車が行き交っている。もうすぐ学校に着く様だ。サヤは外の景色をただ見つめる。
ふと、サヤは食堂でのリーナの言葉を思い出した。
「兄さん、最近忙しいの?」
バックミラー越しに、兄の顔を見る。アオトの表情に変化はない。
「サヤに話していなかったか?施設で働くことが決まって、その準備で少しごたついているんだ」
「卒業まで、まだ大分あるのに?」
「学生と言っても、ほぼ授業はないから」
「無理しないでね」
「大丈夫。俺よりも体調に気を使ってくれる人がいるから」
アオトは笑いながらバックミラー越しにサヤを見る。彼の明るい表情に、サヤは少し安心した。
「さ、着いた」
車は学校の敷地内にある駐車場に入った。
車が完全に止まったところで、サヤは車から降りる。
「送ってくれてありがとう、兄さん」
「どういたしまして」
サヤは車の扉を閉め、生徒玄関へ向かう人混みの中に紛れて行った。
玄関で内履きに履き替え、自分の教室がある最上階まで上がっていく。既に校舎の中は登校した学生が多くおり、ショートホームルームが始まるまでの時間を思い思いに過ごしている。教室に入り、自分の席に着く。鞄を机の上に置き、授業で使う道具を鞄の中から取り出して机の中に入れていく。その最中にサヤのもとに中学生の頃から親しい友人である杉原絢子やって来た。
「おはよう、サヤちゃん」
やって来た少女を見て、サヤは笑みを浮かべる。
「おはよう、アヤ」
「ねえ、今日は放課後空いてる?」
首を傾げて問いかけてくる絢子を見て、サヤは可愛いなと思う。彼女は本当に女の子らしく、彼女が笑うだけで周りが温かい空気に包まれるのを感じる。
絢子の問いに今日一日の予定を思い出してみるが、特に予定は入っていなかったはずだ。
「今のところ空いているけど」
「今日の放課後買い物に付き合ってもらえないかな?」
「良いけど、部活は?」
放課後にあるはずの部活動はどうするのかと聞くと、彼女は苦笑した。
「昨日で必要な画材を使いきっちゃって。それを買い足しに行こうと思ってるの」
「了解。画材買いに行くならクレープ屋さんにも寄って行かない?」
画材を売っている店の近くにクレープを販売している店がある。良くサヤ達が通っている学校の生徒がよく利用しており、安いが美味しいとの評判である。サヤ達もたびたび利用しており、お気に入りの店である。
「うん!あ、そろそろホームルームが始まる時間。それじゃあね」
黒板の上に設置されている時計を確認してみるともうすぐ8時半になる。手を振る絢子にサヤも振り返し、彼女を見送る。程なくして担任の教師が教室に入って来た。まだ席を立っていた生徒も一斉に自分の席へ座っていく。
サヤは昨日までと変わらない日常が始まった事に安堵した。
午前中の授業が終了し、昼休みに入った。
ようやく長時間の休憩に入れる。サヤは固くなっていた体から、重りがするりと落ちていく感覚を覚えた。
「サヤちゃん、お昼食べよう」
こり固まった筋肉をほぐすため首を回していたサヤのもとに、絢子がやって来て提案する。それを了承し、サヤも鞄に入っている弁当箱を取り出す。サヤの前の席の人は毎回自分の席ではなく他の場所で友人と食事をしているので、その人の席を絢子は借りて食べるのが常になっている。
弁当箱を開き、食べる準備を終えてから、2人で手を合わせて食事を開始する。弁当を食べようといたところでサヤはふっと顔を上げ窓の外を見る。
「雲が多いけれど、夕方に雨、降るかな」
2時間目が終わる頃から空のほとんどが雲に覆われている。出来れば家に帰るまで雨は降ってほしくない。
「朝に見た天気予報だと今日一杯晴れるって言っていたけれど」
サヤにつられる様に窓の外を見ながら、絢子が言う。
「そういえば、今日ニュース見忘れた」
ぽつりとサヤが言う。
「あれ、最近多いね。どうしたの?」
絢子の言葉にサヤは肯いた。
「夜遅くまで起きているから、朝、ギリギリまで寝てるの」
サヤの言った言葉は半分真実で、半分嘘である。
本当には施設で朝を迎えたからなのだが、そのような事を教えられるはずがない。
嘘を告げることに心が痛まない。たいした嘘ではないが、嘘を平然とつけるようになった自分。そんな自分を冷めた目で見つめている時は、心がとても静かだ。誰も、乱されることがない。
だが、次の瞬間彼女の心を守る厚い壁が大きく震えた。心臓が大きく脈打ち、次に背中を冷たいものが通った様な悪寒を感じ、身を震わせた。
サヤは無意識のうちに、原因と思われる方を見る。すると、教室の出入口に1人の男子生徒が立っていた。 男子生徒もサヤの方を見ている。
先程感じた悪寒など忘れ、サヤは彼の真っ黒な瞳を見る。その中に引き込まれるような感覚を覚える。引き込まれて、落ちていく。そうして一番底まで辿り着いたとき、私は浮かぶことが出来るのだろうか?
ああ、そうだ。だから惹かれるのか。
あの瞳はあの人に似ている。
私の愛しい大切なあの人に…。
次の瞬間、サヤは血がサーっと引いて行くのを感じた。あの人とはいったい誰なのか。そのような人物は思い当たらない。だが、目線を逸らしたいのに逸らせないほど、真っ黒な瞳はサヤを惹きつけてやまない。それは彼女に恐怖を与える程に、彼女を捕えて離さない。
「サヤちゃん?」
すぐ近くから聞こえて来た絢子の声に、サヤは現実へと引き戻された。
「え…?あ、どうかした?」
「それはこっちのセリフです。ボーっとして、どうしたの?」
額に手を当てて少し頭を振る。
「教室の入り口にいた人を見ていたみたいだけれど、サヤちゃんの知り合い?」
絢子の言葉に恐る恐る、先程見ていた方向へ再び視線を動かす。だが、既に教室の出入口には誰もいなかった。
「知らない」
それだけ言うとサヤは無言で食事を始めた。サヤは言葉では言い表せられない感情をどう発散させればいいのか分からず、少し不機嫌になる。
なんとなく絢子はサヤの変化に気づいていた。
「さっき入口にいた人、気になる?」
「別に」
素気ないサヤの返答に絢子は苦笑する。
「別にって答えるという事は、少なからず気になるんだ」
「全く知らないのに、どういう感情を持てるというの」
「でも、少し気になったんでしょう?じゃなきゃ、サヤちゃんがあんな風に人に注意を向けるとは思えない」
絢子の言葉に、サヤは観念した。
「ほんの少しだけ気になった」
先程の感覚を思い出し、サヤは怖くなった。
「そう、分かった」
それだけ言うと、絢子は中断していた食事を再開する。サヤもそれにつられて自分の弁当の中身をつつく。
「サヤちゃん、これ好きだよね。はい」
絢子が自分の弁当の中からコロッケを取り、サヤの弁当箱の空いている空間に置く。
サヤは驚いて絢子を見る。絢子は優しく笑っていた。
「ありがとう」
絢子がくれたコロッケを箸で取り、食べる。コロッケはサヤの大好物であるクリームコロッケだった。大好きなクリームコロッケを食べたサヤは自然と笑う。
先程までの暗い表情が払拭された。