序章 -1.風吹く春-
ある春の日、私は魔法使いと出会った。今日も今日とてその魔法使いは人々を笑顔にするために自転車を漕ぐ。
これは彼女と、頭痛持ちの友人と平凡な私のささやかな物語である。
入学式とはなんと退屈なものなのか。今も昔も校長先生の話ってのは面白くないものだ。こんなところで私は3年間を過ごすのか。
そんなことを考えているうちに体育館に響くマイクの音声は時折、その音を割りながらもようやく終盤に差し掛かっていた。入学を祝ってくれる体の3年生を中心に入学したての新入生が決して歌うことのできない校歌を斉唱しつつ、地味でかくも荘厳な入学式は幕を閉じた。
指定された教室を目指す。
まだ誰とも会話なんてしていないし、中学校時代の友人はみな違うクラスになっていた。
入学式前のクラス分けで孤独感に苛まれたことは言うまでもない。同じ中学校卒業者が30人いてその内、友人は8人ほど。
決して多いとは言えないものの、見事にその友人たちとは違うクラスになった。
こんなこともあるのか。逆に笑える。
同じクラスに顔見知りは二人いるもののいずれも男子であり、全然接点がないから話すこともなかった。その彼らも接点がないようでぎこちない会話で互いに距離を探っていることがうかがえる。これなら一人でいたほうがよほどマシである。
ブレザーのポケットに手を突っ込み、教室までの長い廊下を歩く。窓の外はすでに散った桜の木が青々と茂っている。葉桜は4月の風に揺れてなんとも気持ちよさそうだ。
すでに入学式から解放された新三年生たちが着崩した制服姿で自分たちのクラスへと戻っていく。彼らは彼らですでに出来上がったコミュニティがあり、自分たちのテリトリーがあるわけだ。新入生はもちろんそれを今から作り上げていく必要がある。
私が通うことになるこの高校、県立敷浪高等学校はアホみたいに人の多い高校だ。かくいう私はそこに入学したわけだが、勉強も普通。運動もそれなり。という特徴がないことが特徴と自分でも感じているわけだ。つまり、この学校を選ん理由はなんてあってないようなものだ。距離的に通いやすく、学力的にも入りやすかったからだ。
1の4。これが私にあてがわれた最初のコミュニティだ。教室に入ると古臭いものの、机は整然と並べられていた。その机の上には簡単な冊子がおかれている。名前の順で最初は配席が決まっているので、私は教室前方の黒板に記されているであろう自分の名前を探す。
どこだろうか。
えーっと。コマキ、コマキチナツ、小牧千夏は……ああ、あった。前から二番目の席だ。最前列ではなくてよかった。
私は新品の通学かばんを机に置いて、木製の椅子に座った。すでに周りの何人かは会話が弾んでいる。
ただ、会話の内容はほとんど中学時代のものだ。これは古くからの仲だろうし、私には今のところは縁がない。
ふと左手に目をやると廊下を歩いていたときに葉桜となったソメイヨシノが見えた。それにしても最近は年々桜が咲くのが早まっている気がしてならない。最近本当に開花が早すぎないか?卒業式を祝うのもいいけど、入学式も祝ってほしいものだ。こんな退屈な3年間を過ごすのにせめてもの情けがほしい。
開け放たれた窓からは春の匂いを通り越して、初夏の香りすら感じてしまう。今年の夏も暑いんだろうなあ。私は7月後半に生まれたから千夏。安直な名前であるが、わかりやすい自分の名前が嫌いではない。
一番前の席の人間はまだ来ていないか。どこで道草を食ってるのか。でもまだ、最初のホームルームまで10分以上あるし、お手洗いとかでも行ってるのかね。真後ろの生徒は突っ伏している。彼女もきっとまだこの環境に溶け込む前の一匹狼なのだろう。
私は入学式で凝り固まった体をほぐすように一度背伸びをした。
ああ、風が本当に気持ちい。最近は公立校でも冷暖房完備であるが、この時期は窓を開けて外気を取り入れている。この席、悪くないなあ。真夏と真冬はだめだけど、この時期は悪くない。机に置かれていた冊子に目を落とした。時間つぶしに読めということなのだろう。
ページをぱらぱらとめくっていく。校訓、校長のあいさつ、校歌の歌詞、全校生徒の人数、学科の説明……パンフレットと同じような内容ではないか。もうちょっと趣向を凝らせばいいものを。私がその冊子を閉じようとしたときだった。
はらりと桜の花弁が一枚舞い落ち、教室に吹き込んでいた風がやんだ。風がやんだはずなのに―
ん?校庭のソメイヨシノは全部散って、葉桜になっていたはずだけど。どこからきたんだ?
「おっとっと……今はちか……やる気を抑えなきゃ」
目の前にやってきた少女の肩からその花びらが舞い降りたのだと気づいた。なんだ?この娘はずいぶんと北から通学でもしてきているというのか。
少女の頬は桜色をしており、少し火照って見える。癖っけのあるショートヘアは漆黒で光を吸い込むほどに深い色だ。くっきりと大きな瞳にまつ毛も長い。同性の私から見てもなかなか可愛らしい少女でないか。
しかしこの最前列の少女は遅れた春とともにやってきたのか。それとも入学にテンションが上がりすぎて近所のまだ咲いてる桜の花を失敬してきたのか。そんなことをぼんやり考えながら私はその花びらに触れてみた。
指先でつまんだその花弁は淡いピンク色で春の訪れを告げていた。が、やや今は季節外れの気がするが。その刹那、花びらはまるで春の忘れ物だとでも言わんばかりに私の掌から風に巻かれて窓の外へと旅立っていった。
少女は真後ろの私に気づきニコッと笑う。その笑顔に私はなぜかドキッとした。あれ?同性にこんな心奪われるものか?
直後、始業の鐘が鳴り教壇にチャコールグレーのスーツに身を包んだ男性教諭が現れた。桜前線の少女は慌てて席に着き、正面を向いた。
すでに腰かけていた私はその少女の名前を配席図から見た。私の目の前だからなんともわかりやすいではないか。
-楠木悠。
うん。なんとも春らしいいい名前ではないか。まずは仲良くやっていこうではないか。彼女が東北から通っており、この高校に知り合いがまだいなのであれば。
この出会いが私の退屈な三年間に彩を与えてくれるのだと、まだ気づくことはなかった。




