.6 心の痛さ
パンッ!という軽快な音が、部屋中に響いた。耳がキーンとして、頬に微かな痛みがはしる。
目の前には、今にも泣きそうな、怒りを含んだ表情をした母が立っていた。
「ごめんなさい、お母さん」
黒皮を纏う獣と死闘を繰り広げた後、僕はその足で帰路についた。前回のように何日も寝込むような怪我はしていなかったが、十分重症ではあった。
自宅の扉を開け、ボロボロになった僕を見て母は、血相を変え駆け寄り、僕の頬を叩いた。心が、痛くなった。
「今すぐ治療できる人を呼ぶから、大人しくしてなさい」
「うん…」
母の冷たい声が、心の奥底まで響いて聞こえた。僕のした事は、魔術師としては正しかったかもしれないけど、子供のセージとしては良くない事だと、この時理解した。
治療ができる人が到着するまでの間、僕と母に会話は無かった。ズキズキと痛むはずの身体よりも、チクッとした心のトゲの方が気になった。
治療を終えてから、父が帰宅してきた。父は一瞬驚いた様子を見せたが、僕と母の空気感を察して、特に言及するような事はしなかった。
夕食の最中、母との会話は無かった。
「ごちそうさま」
「…」
夕食を食べ終え、逃げるように自室へと向かう。母とどういう顔で接していいか分からない。今は距離を置いておこう。
「セージ、ちょっといいか」
「お父さん」
父が部屋に入ってきて、僕の隣に腰掛けた。
「その傷、また何かやったのか?」
「うん…ちょっとね」
「はぁ……ったく」
コツン、と軽く頭を叩かれる。呆れたような、物言いたそうな表情を向けていた。
「あまり親を心配させるんじゃない」
「ごめんなさい」
怒気はこもっていなかったが、心からの言葉だと言い方で分かった。
「それで、お前は何をしていたんだ?」
「え?」
「父さんの壊れた道具使って何してんたんだ?気づいてないと思ったのか?」
秘密にしていた訳ではない。余計な心配をかけたくなかったから、父と母には魔術道具の改造の事は秘密にしていた。
だが、父のこの言い方からして、かなり前からバレていたんだろうな。
「いつから、気づいてたの?」
「んー二年前かな。お前が初めて壊れた魔術道具くれって言った時からだな」
そんな最初からか…父さんの勘は鋭いな。
「そっか」
秘密にしてもしょうがない。父には全て話す事にした。転生してきたという事実以外の、これまでの話を全てした。魔術の知識がある事、魔術道具を分解していた事、黒皮を纏う獣を倒した事全てを。
一通り父に話し終えた後の反応は、意外にもあっさりしていた。
「そうか」
「驚かないの?」
「驚いたけど、何となく分かってたからな。セージは何か、他の子とは違うんだろうなって」
この事実を知ったのに、父はどこか安心したような、ホッとしたような表情を浮かべていた。
「母さんとは仲直りできたのか?」
「まだ…」
なんて話していいか分からないんだ。そんな気持ちが表情に出ていたらしく、父は笑って僕の肩に触れる。
「全部は伝えなくていい。気持ちを、想いを伝えろ。母さんはそれをちゃんと汲み取ってくれる」
気持ちや想い、か――
「わかった。ありがとうお父さん」
自室を出て、母のいる部屋へ向かう。まだ何を言えば良いのか分からない。けど、僕の正直な気持ちを伝えよう。
「お母さん」
「…」
母に返事は無い。それでも、後ろ姿に話を続けた。
「森に近づいてごめん。約束破って…」
「…」
「それに、またこんな怪我もしちゃって、本当にごめんなさい」
「…っ」
背中が、震えていた。それでも――伝えないと、自分の気持ちを
「僕は、お母さんとお父さんが大事だよ。周りの人もそうだけど、二人は特に大切に思ってる」
「でも、やらなきゃいけない事があるんだ。二人を、大切な人達を守るために」
僕がどういう存在だとか、そういう事じゃない。善良な両親や周りの人達、僕はそれを守りたい。それが、今の本当の気持ちだ。
「…それは、セージがやらなきゃいけないの」
声が震えていた。少し、掠れてもいた。
「うん」
「そんなにボロボロになってまで、やらなきゃいけない事なの!?」
母の表情は、怒りよりも悲しさの方が強かった。目元は赤く、痛々しい程気持ちが伝わってきた。
「うん。僕がやらなきゃ駄目なんだ」
「だって…セージ…あなた、まだ…子どもじゃない…なのに」
――うん。これが僕の気持ちだよ、お母さん
母を真っ直ぐと見つめる。涙を浮かべつつも、僕の気持ちを理解してくれたのか、近くに寄り抱擁をしてきた。
「さっきは叩いちゃってごめんね、セージ」
「大丈夫だよ」
か弱く抱かれるその力に応えるよう、僕も抱擁を返した。
全てを理解してくれた訳ではないと思う。それでも、こうして母と心から話したのは、僕にとって大切な事だったと思ってる。
***
最近、噂になっている子がいる。なんでも、七歳にして魔物である黒皮を纏う獣と対峙し、あまつさえ倒してしまったというのだ。
にわかには信じられない。だが、それが本当なら是非とも勧誘したいものだが――
その前に、その子の情報を集めねばならないな。うーむ、どこからあたろうか…近くの人に聞いてみるか。
「すいません、お尋ねしたい事があるのですが」
「どうしました?」
見たところ木売のようだが、流石に知っているとは思えないな。いやいや、見た目で判断してはいけない。
「最近ここら辺で噂になってるんですよ。なんでも、子供が魔物を倒したとか」
「あー、黒皮を纏う獣の事ですか?」
な、何!?魔物の名前を知っているのか!この人、もしかして何か知っているんじゃ…
「そ、そうなんですよ。魔物の名前まで知ってるなんて、よくご存知なんですね」
「えぇ、まぁ。倒したのうちの息子なんで」
「!?」
なんて言った!?うちの息子?倒した?じゃあ噂は本当なのか!?
いやいや、待て待て。この人が嘘をついているという可能性も無くはないだろう。大体こういうのは顔を見れば一発で…
「?」
あ、これは嘘ついてない顔だ。目の前で私が動揺し過ぎてちょっと引いてる。
しかしラッキーだ。まさか一人目で関係者に出会えるなんて。
「是非とも息子さんに合わせていただけないでしょうか!」
「えっ!」
見てくれ、この九十度に折り畳まれた体勢を。ここはお願いするしかない。
「そう言われても…第一、あなたどちら様ですか?」
ん?あ、すっかり自己紹介を忘れてしまってた。
「失礼いたしました。私《魔術知識専門校舎》で教員をやっております」
「魔術知識専門校舎?」
「えぇ。是非とも息子さんに、校舎の生徒になって頂きたい!」
優秀な魔術師になってくれるかもしれませんからね!!




