.5 黒皮を纏う獣《キラーベア》
「セージが一人で森に近づいてる?」
「えぇ、そうなのよ」
二年前、息子のセージが森で大怪我にあって以来、一人で近づける事は禁止していた。父と同伴に限り、森に入る事は許可していた。
でも最近、何やら父の壊れた魔術道具を持って何かしている様子。
「あなたからも何か言ってくれないかしら」
「セージの大怪我は二年前の話だろう?それに、俺と一緒に作業している時は、そんな危ない様子も無いぞ?」
「そうかもしれないけど…」
最近のセージは、何を考えているのか分からない。ここ一、ニ年のセージは何かを隠しているような、そんな気がする。
「心配し過ぎだよ。それに、あれくらいの年頃なら秘密の一つや二つできてもおかしくないだろ」
私の気持ちを見透かしたように彼は言う。
「見守っててやろう、あいつの成長をさ」
「…そうね」
彼の手が優しく私の手を包み込んだ。不安が無くなったわけではないけど、あの子の母親としてしっかりと見守ろう。この人と一緒に――
***
『魔術道具・一振りの斧』が完成してから、何度か使ってみたが、弱点も見えてきた。
斧を振るった後の反動、そして魔石の取り替えだ。反動は単純に筋肉不足、取り替えは、一振りする度に替えなければいけないからかなり隙ができる。
「少しずつ解決していくしかないか」
森の中、一人呟く声に反応はない。
そろそろ都心に行った父さんが帰ってくる頃合いだ。荷物をまとめて、帰路につく。
パキッ
少し離れた場所で、何かが木々を踏んだ音が聞こえた。僕は上体を落として屈み、荷物を確認する。
魔石の数は三つ。ポケットに入れ、カバンをその場に置き音のする方角を確認する。
長く自然に触れていると、音に敏感になる。自然に鳴る音とそうじゃない音の区別ができる程に。
――今の音は、誰かいるな
直感がそう言っている。なんとなくだが僕は、その正体が誰なのかわかる気がした。
一振りの斧を手に握りしめ、音の方角へと向かう。音を立てずに、なるべく慎重に。
――いた
二年前、女の子を襲おうとし、僕に怪我をおわせた張本人の怪物。色々とお前の事は調べたんだ。
《魔物・黒皮を纏う獣》
明確な殺意を持って人類を襲う存在、それが魔物だ。魔術師の頃、魔王を筆頭に様々な魔物と対峙したが、黒皮を纏う獣は見たことがなかった。新種か進化か、いずれにせよ人類に害を仇なす。
攻撃できる回数は三回。一つのミスが命取りだ。恐怖と緊張で高鳴る鼓動を、無理矢理意識の外に外す。
ブォォ
周囲を確認している。僕の存在には気づいているようだが、まだ場所までは分かってないな。ならチャンスだ、今のうちに…
黒皮を纏う獣、二メートルを超える巨体から繰り出されるパワーと、四足歩行特有のスピード。僕が一歩動く時、コイツなら五歩は動ける。
だが弱点もあって、まず知能。本能的な部分で動いている傾向が高く言葉も話せない。そして視覚。視野が極端に狭く、嗅覚と聴覚でカバーしている。付け入る隙はここにある。
黒皮を纏う獣を上から見下ろす。先程気づかれていないうちに木に登り、攻撃のチャンスを待つ。
狙うは首元。落とすつもりで本気で切る。
ブォ
背を向けた、今だ――!!
首元目掛けて飛び込み、思いきり斧を振る。
『一振りの斧』――!!
ブォォ!!
「なっ!」
一振りの斧と黒皮を纏う獣の頭部が衝突した。
コイツ――僅かに早く反応して振り返りやがった!!――クソッ!硬い!
ブォォォォ!!!
ガンッ!
弾…かれたッ!コイツの頭部は特に硬い!正面から戦うのは不利だ!
反動と返しで、磁石が反発するかのように引き離された。受け身をとり、体勢を整える。
背後には木があり、後ろを振り向いて逃げる事はできない。
「あと…二回…!」
まずは魔石を交換しないと。けど、この距離での交換は詰められて攻撃される可能性がある。
ブォォォ!!!!
ドス黒い殺意を込めた鳴き声を響かせながら、猛スピードで突進してくる。
だが、この距離なら――一歩は動ける!!
右足を横に出し、上体を右側へと反らす。
ドォン!!という音が辺り一体を覆う。黒皮を纏う獣の突進は、背後にあった木に直撃した。
「左足少しカスった…!でも、これで」
距離をとりつつ、持ち手の下の部分から魔石を取り出し、再度入れ直す。
よし、これでもう一度使える。ヤツはどうだ。
木との衝突が響いたのか、その場から動かず静止していた。
チャンスか?だが、横側から狙うのはリスクが高い。背後に回り込んで、少しでも反応を遅らせないと。
背後に回り込み、距離を保つ。この距離なら十分首元を狙える。
――いや、駄目だな
さっきの反応速度。生半可な不意打ちじゃ対応される。あと二回しか攻撃できないんだ。確実に当てられるタイミングで使わないと。だったら……
斧を持つ手に力が入る。
黒皮を纏う獣の背後に立つ。ヤツも僕に気づいたのか、こちらを向く。
ブォォォォォ!!!
鳴き声が耳を突き刺すが、一歩も引かない。ヤツの目を見て、僕の覚悟を知らしめる。
ブァァァ!!
黒皮を纏う獣が立ち上がり、前両足を広げ叫ぶ。あの時と同じように――狙い通りだ
立ち上がり、右前足の大振り。挙動も全てあの時と同じだ。
その攻撃、パワーもスピードもとてつもない。だが、弱点もある。それは
僕は全身の体重をうしろ側に預け、軽く跳んだ。
バリッ!
黒皮を纏う獣の攻撃は、僕の前側の衣服を爪で少し傷つけ、空振りした。
リーチが短い!軽く後ろに跳べば、攻撃は当たらない!
空振りをした事で、ヤツの体勢は完全に崩れ、首元が顕になる。
この近さと隙なら反応できない――『一振りの斧』!!
ザクッ!
斧が黒皮を纏う獣の首元に食い込んだ。
ブアァァァオオオ!!!
ヤツが叫ぶ、だが手は止めない!限界まで首元に押し付けろ!
ビチャビチャと首から血が溢れる。
――まずい!もうすぐ反動が来る!身体が飛ばされる!
斧を持つ手に徐々に力が入らなくなり、そしてついに
ブォォォォ!!!
「くっ!」
黒皮を纏う獣の咆哮と共に身体は飛ばされた。受け身が取れず、身体を強打した。
「うっ…ヤツは…」
ブォ…ブォォ…
見ると、首元からは血が溢れていた。だが、命を取るまでにはいかなかった。
仕留めきれなかった…!だが、ヤツもかなり消耗している。次の一撃で――
バキッ
不穏な音が手元から発せられる。視線を落とすと、持ち手の部分にヒビが入っていた。持ち手の部分だけでなく、刃先もボロッとかけていた。
しまった…耐久の事を忘れていた…!
当然と言えば当然だ。元々、一度に全ての魔力を使い切るほどのパワーに耐えられるよう設計されてはいない。
魔石を取り出そうとすると手が痛む。斧だけじゃなく、身体も限界に近い。
――どちらにせよ、残り一回だ。
あと一振りで、勝負が決まる。
「なぁ、黒皮を纏う獣。お前は守りたいものはあるか」
返事は出来ないのに、何故か言いたくなった。
「僕はある。僕の両親、それから周りの人々。その人達を守りたい」
魔石取り替えをする。黒皮を纏う獣は傷が痛むのか攻撃はしてこない。いや、僕の言葉を待っているようにも思えた。
「けど魔王が復活したらそうはいかない。きっとアイツは、今度こそ人類を滅ぼす」
「だから、復活した時アイツを倒す。その力も身につける。これは僕にとっての一歩目なんだ」
黒皮を纏う獣と正面を向き合い、斧を力強く構える。
「お前を倒せないようじゃ、魔王なんか倒せないよな?」
ブォォォ!!
咆哮と同時に素早い突進が来る。狙うは――
大きく踏み込み、力強く振られた斧は黒皮を纏う獣の右目と正面から衝突した。
――くっ…!頭蓋骨は硬くて攻撃できない!だが右目からなら、さっき与えた傷元まで抉れる!
ブォォァァァ!!
突進の威力は依然弱まらない。
「う、あぁぁぁぁぁ!!!!」
ザクッ!
一振りの斧が黒皮を纏う獣の右目から首元の傷まで抉りとったと同時に――
バキィン!
一振りの斧が耐久の限界を迎えた。
ブァァァ!!!
魔物の意地か、生物としてのプライドか。傷を抉りとっても突進の威力は弱まらず
ドンッ!
「ぐっ…!あぁ!」
僕はあの時と同じように吹っ飛ばされた。受け身を取れない程のダメージと威力。だが、あの時とは違う。
ブ…ォォ……ォ
ドスンッ
デカい地響きが、倒れた身体を振動させる。黒皮を纏う獣は、もう動かない。
「ハァ、ハァ、ハァ」
身体中の傷が痛む。でも前ほどじゃない。それにようやく、ここから始められる。
手には持ち手の部分だけが残った一振りの斧があった。軽くなってしまったそれを眺めながら予感する。
魔王を倒す道はここから始まるのだと――そう思った。




