.32 嘘から出た実
身体が、一枚の羽になったと思えるほど軽い。今ならどこへでも行けるし、何にでもなれそうだ。
でも、ここから離れたくない。何かあるわけでもないのに、暖かくて居心地がいい。
――誰かが手を、握っている。
温かく慈愛に満ちた手。不思議とその手に触れていると、心が満たされていく。一体、誰だろうか。
……いや、多分知っている。
この手の正体を、僕は知っている。あの場所にいた時も、今と同じ気持ちで満たされていた。ずっと、そばにいてくれている。
――夢か、これ。
身体が徐々に重さを取り戻していく。どうやら、夢から覚めるようだ。
握られていた手は、いつの間にか消えていた。それでも、あの温かさは僕の手に残っている。大丈夫だ。
自身の手を強く握りしめ、眩い光が身体全体を包み込んでいく。改めて覚悟と、少しの寂しさを自覚すると共に、僕は目を覚ました。
今まで見たことのないほど豪華な天井。よくわからない模様と大きいシャンデリア、それに雲の上にいるかのようなフカフカのベット。
どこだ、ここ。教団の三人を倒した後、どうなったっけ。記憶が曖昧だ。
「痛っ」
身体を起こそうとして、激痛が走る。
駄目だ、全く力が入らない。首から下が別人のように言うことを聞かない。
ガチャ
扉が……開く音?
コッ…コッ…とした足音が、少しずつ大きくなっていく。足音が近付くにつれ、果物の甘い香りが鼻を通り抜ける。
「おや、目を覚ましていたのかい」
心臓が、大きく跳ねたのを感じた。同時に油汗のようなものも全身にまとわりつく。
「ルインジュディ、男爵」
どうしてここに男爵が。あの時別れたはず……。
朧げだった記憶が次第に晴れていき、忘れていた記憶を取り戻す。
そうだ、男爵が都合よく僕の前に現れた。その後、急に意識を失って……と言うことは、ここは男爵の宿舎?運び込まれたのか。
頭の中では活発に行動出来ているのに、実際の肉体は指一本動かない状態で、思考にノイズが走る。
捉えた教団三人の行方、僕の装備、体の手当て、聞きたいことが山ほどある。
「果物を切って持ってきた。食べると良い、美味しいよ」
「……」
何を考えているんだ、この人は。
顔の横に置いてこられた果物より、男爵の表情を見ていた。そんな視線を察したのか、「やれやれ」とでも言いたげな顔で、椅子に腰をかけ話しだす。
「随分と、疑われてしまっているね。とても悲しいよ」
「本当にあの時は、ただ散歩をしていただけなんだ。君に何かしようとしてたら、倒れた時点で見捨ててる筈だろ?」
いや、それは無い。この人は僕を見捨てない。見捨てたら、地下都市モルに潜入出来る人間がいなくなる――話を逸らしたな。
「あのタイミングで、あの場所に来られたのは何故ですか」
「それは運命というやつだろう、神様のお導き?私は無神論者だから、よくはわからないがね」
話を戻しても、要領の得ない回答ばかり。
今ここで疑って敵対するようなことがあれば、僕は無抵抗に殺されてしまうかもしれない。それだけは避けないと。
心の中で深呼吸をする。
「そうですね、運というのもあるのかもしれないです。二度にわたり助けてくれて、ありがとうございます」
「……」
男爵は世辞に対して何も言わない。
僕は彼の表情を見ることができなかった。表情を見て、目を見て話したら、見透かされるような気がしたから。
「分かってもらえて嬉しいよ」
少しだけ沈黙が続いた。場が凍りついたような冷たい沈黙。寝心地の良さと居心地の悪さが共存した、不可解な空間に変わる。
口火を切ったのは僕でも男爵でもなく、この宿舎の使用人である男性が、扉の前から声をかけた。
「ルインジュディ男爵、お手紙が届いております」
「手紙?誰からだろう」
思い当たる節が無い面持ちで、使用人から手紙を受け取る男爵。その場で便箋を読み、しばらくすると「フフッ」という笑い声が聞こえた。
この空気を変えるほどの、何か面白いことが書かれているらしい。
「気にしないでくれ、私の妻からだった」
奥さんがいたのか。貴族だからいてもおかしくはないと思っていたが、実際にそうだったとは。どうあれ、あの空気感を変えてくれたのはありがたい。
「ところでルインジュディ男爵、僕が捕まえてた三人の男女についてですが」
「あぁ、それなら隣の部屋でまだ寝ているよ」
ホッと胸を撫で下ろす。
逃げられたり、逃したりしている訳じゃなくて良かった。とりあえずこれで情報は聞ける。
「それとすいません、僕が持ってたバックの中から、銀色の小さなケースとってもらっても良いですか」
「銀色のケース……ちょっと待っててくれ」
バックの中身を確認し、「これかい?」と提示された物が望みの物だったので軽く頷いた。
「その中の物を僕の口に」
「中の物、なんだいコレ?」
「治療丸です」
指先で摘める程の小さな黒い玉。魔術の治癒より効果は薄いが、飲めば今よりは動けるはずだ。
男爵は不思議そうに治療丸を見つめ、そのまま僕の口に運んだ。噛んだ瞬間、口の中で広がる刺激的な苦味に顔を歪める。
分泌される唾液すら苦くなりながらも、なんとか飲み込み、思わずため息が溢れた。
「それで治ったのかい?」
「いえ、流石に。ただ――」
さっきまで動かなかった首より下に力が入ることに気づき、ベットから身体を起こす。
「これで、少しは動けるようになると思います」
「おぉ〜凄い即効性。魔力のいらない治癒魔術みたいだ」
驚愕している男爵を横目に、手や足を軽く動かす。
痺れや痛みはあるが、尋問くらいならできるだろう。問題はこの人をどうするか。
しばらく考えたのち、結論を出した。
「ルインジュディ男爵、今からあの三人を尋問します。ついてきてください」
「え、私もかい?」
「はい。彼らは聖使者教団の者達で、魔力を持たない人もいました。この街で魔力が無いのに住めるところと言えば」
「……地下都市モル。そうか、モルについて何か聞き出せるかもしれないね」
軽く頷く。彼が聖使者教団と繋がっているかどうかも、ここで見極めときたい。
歩くたびに筋肉が裂けそうになる痛みを表には出さず、三人のいる部屋へと向かった。
「おやおや、気品溢れる貴族殿に我々を負かした子どもではありませんか」
隣の部屋は僕が眠っていた場所とは大分変わり、物置のような少し埃を被った部屋だった。
三人は纏めて『オートロープ』で拘束されたまま座り、そのうちのヒゲが特徴的なお喋りな男が目を覚ましていた。
「しかしビックリしましたよ、まさかここまで強いとは……彼女までやられてしまうなんて」
まだ気を失っている女の方へと視線を移す。
「どうして、僕を襲った」
「それは言ったでしょう。ラヴ様のご命令だったからです」
どうして僕を引き入れたいのか、そのラヴって人に直接聞くしかないようだ。この人が嘘をついていなければ、だが。
「そのラヴ様とやらは、君たちの教祖様のような人かい?」
「いえいえ、彼女は使者なのです。神のお導きを我々に伝え、広めてくださるお方」
澄んだ目、訴えかけるような声、心酔しているトロンとした顔。ただの教徒とは立場が違うのが目に見えてわかる。
それでも別に教祖がいる、か。
「随分と素直に答えてくれるんですね」
「勿論です!我々は敵対しているわけではない、分かり合いたいのです!グランハムも何か言ってやりなさい」
いつの間にか起きていたもう一人の男に相槌を求めたが、表情は暗く落ち込み、聞いている様子は無かった。
そろそろ本題に入ろう。
「あんた達は地下で暮らしているな。地下都市モルへの入り口を教えろ」
「至る所にありますよ、探してみてはいかがかな?」
「冗談に付き合うつもりはない。もう一度気絶させても良いんだぞ」
「まあ一旦落ち着こう」
殺伐とした空気に、男爵が割って入る。
何をこんなにイラついているんだ僕は。どうしてかこの人達を見ていると、吐き気を催すほどの気持ち悪さが胸を占める。
どことなく、魔王に心酔していた人を思い出す。
「ちょっと良いかな」
「どうしました」
男爵が部屋の隅へと向かい、ヒソヒソと僕に小声で話し始めた。
「彼らの尋問、私に任せてくれないか?」
「え?」
思わず喉が緩み小声ではなくなってしまった。
何を言ってるんだこの人。僕にとってはあなたも十分怪しいんだ。まだ教団との繋がりだって払拭しきれたわけじゃない。
「こう見えて、聞き上手と言われているんだ」
親指を立て白い歯をキラつかせる。
なんだか、考え過ぎな気がしてきた。
「それに君、まだ無理してるだろ。立ってるのだって辛いはずだよ」
――どうしてこうも見透かせるんだ。バレないよう確実に隠しているはずなのに。もしかして、こういう気づきで話題を引き出せるのかも。
悩んだ挙句、
「わかりました……」
「よろしい、少しあっちの部屋で待っててくれ」
僕はフカフカのベットに腰掛け、男爵が尋問を終わらせるのを待った。
十数分が経った頃、男爵が部屋から出てきた。軽快な足取りで、指で丸を作った。
「モルへの入り口、ちゃんと聞き出せたよ」
「ほんとですか」
「本当に入り口は何個かあるらしい。その内の一つは、この宿舎近くの配管下にあって、直通で地下都市へと行けると聞いたよ」
たった十分ちょっとでそこまで聞き出せたのか。
「他に何か聞けましたか」
「残念ながら、それ以外は駄目だった。神様だの使徒だのの一点張りだよ」
大きなため息をつき、やれやれと首を振った。
入り口の場所が分かっただけでも良しとしよう。
「ところで、彼らはどうする?もう聞き出せるような情報は無いと思うけど」
「そうですね……」
ここで放置しておくのも良くない、それに『オートロープ』も地下都市に行く前には回収したい。
どうするか考えていると、男爵が一つの提案をあげた。
「そうしたら、然るべき機関に引き渡そうか」
「機関って、兵隊ってことですか」
「そう。不法滞在、傷害、拉致未遂、色々と問題を起こしている人達だからね」
野放しや放置に比べたら遥かにマシか。
「わかりました、じゃあ早速――痛っ」
今までの無茶がたたったのか、身体に軽度の痙攣と感覚の麻痺が襲った。
力が入らない、意識もぼんやりとしてきた。
ベットが音を立て、身体が沈み込む。
「ゆっくりしていたまえ、彼らは私が引き渡しておこう」
男爵がベットを整え、毛布の暖かさが身体をジワリと包む。ゆっくりと瞼が下がっていき、抗えない眠気が意識を支配した。
***
「どういうことですかな、貴族殿」
夜風が心地よく肌をなぞり、月明かりが私たち四人を照らしている。周りに人はいない。
目の前にいるのは、先ほどまで汚い部屋で縛られていた三人の教団員。
「何がだい?」
本当は分かっているけど、あえて聞いてみる。
「どうして我々三人の拘束を解いたのか、と聞いています」
怒っているというよりは、困惑の方が強いかな。いや、ちょっとした恐怖も感じているね。
「なんとなく――かな」
別に君たちに言う必要も無いし、理由なんてどうでも良かったりする。
「とぼけないでいただきたい。先ほど部屋に一人で残られた際も、何も聞かず、何も言わずにただ立っていた」
おや、少し恐怖が勝ってきたな。良い兆候だ。
「意味なんて無いよ、演出みたいなものさ」
演出、キャスティング、ロケーション。たまたま揃っていたから、そうしただけ。
「君たちには頑張ってほしいんだよね、色々と」
私と彼の為にもね。
「……」
男は黙り、何か考え込んでいる様子。
「行きますよグランハム」
未だ気を失い続けている女の子を抱え、夜のパミストラへと消えていった。なんだか虫みたいだ。
「それにしても、今夜は月明かりが綺麗だね」
どれ、嘘から出た実。本当に散歩でもしてみるかな。




