.28 無敵
女との距離は約十五メートル。依然動きを見せず、開いた瞳孔でじっとこちらを見続ける。
三十秒にも満たない睨み合いの末、先に動いたのは――僕の方だった。
「『圧縮空気砲』!」
狙ったのは本人ではなく、その足元。先ほどよりも濃い煙が、女の周りを取り囲む。
視界は奪った。ここから――
足先に力を入れ、『高速移動靴』で加速した。肌を突き刺すような、一瞬の風を身に受けながら、一歩目で煙の前まで跳躍し、視界一面が灰色になる。
煙を回り込むように、二歩目を外側へと踏み出す。
女にとっての側面位置。ここまで、一秒足らず。
そのまま腰を捻り、未だ煙の中にいる女に向けた最大火力のハイキックを、
「『高速移動靴/蹴』ッ!」
後頭部へと繰り出した。
蹴りと同時に煙が晴れ、視界がクリアになる。
ハイキックは後頭部を捉えていたが……。
「くそっ」
女は全く微動だにしていなかった。瞬き一つ、まぶたの揺れすら感じない。先の空気砲と同様、ダメージが入っている様子が、全くない。
なんだ、この異常なまでの硬さッ――
触れて初めてわかる、人を蹴った感触がしない。そしてなにより、冷たい。触れてる足先が、つま先から凍るみたいに、体温を奪われていく。
足を離し、体勢を整えようとした時、
「!」
女と目が合った。黒い泥を連想させる、深い闇。吸い込まれるとはまた違う、拒絶の眼。その目を見て、一瞬だけ身体が岩のように固まった。
恐怖、いや違う。
「――熱ッ」
足を掴まれ、ミシミシと音が鳴る。だが、痛みよりもまず、彼女の手のひらの熱さに意識が向いた。
その後、およそ女性の腕力とは思えない力で僕を持ち上げ、まるで棒切れを投げるかのように、片手で壁へと投げ飛ばした。
「ぐッ!」
受け身は、なんとか取れた。けど……。
壁には大きなクレーターが出来ていた。背中に電流が走ったような痛みが流れるが、それより問題なのは足だ。
――掴まれてた右足の感覚が無い。
ドクドクと心臓が脈打ち、聴覚を遮る。
心臓の音がうるさい、落ち着け。無闇に突撃したのは失敗だった。だが、得たものもある。
あの無敵には何か弱点がある。そうでないと、わざわざ男達を使って攻撃を仕掛けてきた意味がない。
常時発動――だったら、逃げ道を探さないと。
片足に重心を乗せ、立ち上がる。
少しでも時間が欲しい。魔術を解析する時間、それとあと一つ、何か突破口を開けるピースが一つあれば。口を動かせ、時間を稼げ。
「勧誘にしては、随分と強引すぎないか?僕の生死はどうでも良いって感じだな」
「そもそも、入る気のない人間を入れて、統率が取れるとは思えないけど」
女はいずれも反応しない。小声でぶつぶつと言ってるが、遠くて聞こえない。もう会話できる状態じゃないか。
――ふと、男達が言っていた言葉を思い出す。
「ラヴって人、そんなに凄い人じゃないな」
「――!」
食いついた。あんなに拒絶していたのに、“ラヴ”って単語には反応するようだ。
「だってそうだろ。魔力の無い僕を捉えようとして、出来てないんだから」
「…マ…」
「そんなのがトップにいるなら、聖使者教団も存外怖くないか――」
「ダァマァレェェェェッ!!!」
女の叫び声が、心臓の鼓動よりも大きな音で鼓膜を貫き、反射的に耳を塞ぐ。
この街に来てから、一番大きな音だッ!
「あの人は、あぁ、あの人は、私にっ、居場所と力をくれたっ……」
涙を流すほど、心酔しているのか。
人をここまで心酔させる人間に目をつけられたと思うと、血の気が引く。
「許さない、ラヴ様を侮辱するカスは許さない、許さない」
壊れた機械のように同じセリフを繰り返す。
時間は十分稼げた。後は、
「許さないッ――!」
「っ!」
僅か一歩の跳躍で、二十メートルはある距離を詰められる。瞬く間に視界が埋まり、身体を横に逸らす事しか出来なかった。
女が勢いよく壁と衝突し、その衝撃に吹き飛ばされる。
速さも尋常じゃない、次は避けれるか――
「なっ……」
女が衝突し、触れたであろう壁が、ドロドロに溶けていた。拳大の穴が空いており、息を切らして佇んでいる。
そんな中、僅かに当たる光が彼女を照らす。
――頬の擦り傷、あれはなんだ?
いつ出来たものだ?空気砲や蹴りで出来たものじゃない。自傷、はしていない。何かもっと、無作為にできたような……。
この戦いで得た情報が順々に頭を駆け巡り、少しずつピースがはまっていく。
そうか、わかった。
倒れた体勢のまま、空気砲を女へと向ける。息切れも治り、鋭くなった視線と目が合う。
ズドンッ!
空気砲は女に命中したが、勿論ダメージは無い。彫刻のように佇んで動きはない。
そのまま一定の間隔で空気砲を当て続け、その間に立ち上がる。
やはりそうか、その無敵、動きを止めてる間しか発動出来ない。
空気砲の反動が骨身に染み、筋肉が強張っていくが、止めずに撃ち続ける。
そして、無敵を使ってる間、お前の体温はどんどん下がっていく。触れた時、人間の体温を感じられなかったのが証拠だ。
「あぁ…あ"ぁ!」
十発撃ったところで、空気砲の魔力が切れ、攻撃が止まる。女はまるで、極寒の中にいるように震え、歯をガチガチと鳴らす。
「ラ、ラヴ様ァァァ!」
両の手のひらをこちらに向け跳躍し、触れられる寸でのところで、勢いを殺すように手を掴んだ。
「熱ッ――!」
熱い、痛い。グローブ越しから手が溶けていく。肉が焼けような焦げ臭さが鼻をつく。
下がった体温を戻すための熱の魔術。だが――
「!?」
『高速移動靴』の風により、僕と女はほんの数秒、宙に浮く。浮遊感が身体を占めるが、手の力だけは緩めない。
「無敵と熱、二つの魔術は一つじゃない。熱を使ってる最中は」
宙に浮いてるから、片足でも関係ない。
「無敵は使えないッ!」
「がはっ!」
――入った。
加速された膝蹴りが女の顎を捉えた。先ほどまで感じられなかった人の感触が、膝の痺れと共に伝わる。
空中でバランスを崩し、地面に倒れ込む形で着地した。
「……気絶してるな」
顔を確認すると、白目を向いて、顎の部分が少し腫れてる。
「終わった」
今頃、痛みがどんどん悪化してきた。手と足、ちゃんとついてるよな。男達の様子は、
――こんな星、綺麗だったのか。
力の抜けた身体で見る夜空は、いつかの青空を彷彿とさせ、痛みと達成感が心を満たしている。
身体は痛いはずなのに、妙に心地いい。しばらくこのまま寝転がってても良いか。
男二人と女一人をまとめて『オートロープ』で縛り、身体に巻き付け路地裏を出ようとしているのだが、
「重い……」
片足しか使えないし、手は火傷でボロボロ。なんとか壁に寄りかかりながら来てはいるものの、人目を避けて、奥まで来すぎたな。
息が上がり、汗が肌を何度も伝う。
三人とも気絶しているのが幸いした。暴れられでもしたら、引きずるのすら出来なかった。
二十分による移動の末、ようやく出口の明かりが見えてくる。
あと、少し……あと少し。
鉛のように重い身体に、最後の力を振り絞り、一歩ずつ歩く。やがて景色が近づき遂に――
「着い、たぁぁ……」
人目を気にせず地面に倒れ込み、踏みならされた地面へと汗が落ちる。
何人かの視線を感じるが、今は気にしない。もう、このまま寝たい。
「おや、君は」
目を閉じようとした時、この街で聴き馴染んだ声が僕に向けられ、身体を起こし声の方へと振り返る。
「ルインジュディ男爵……」
「そんなにボロボロになってどうしたんだい?どれ、よく見せて――」
「待ってください」
近づこうとする男爵を少し強めに止めた。
おかしい、明らかにタイミングが良すぎる。偶然なんてものじゃない。
「どうして、ここにいるんですか」
「そこが私の宿舎だからね」
指を差した場所には、一際大きく豪勢な建物が建っており、いかにも貴族御用達という雰囲気を醸し出していた。
「夜の散歩は私の日課なんだ。街に来る度、こうして歩き回っているのさ」
散歩や日課は、今は重要じゃない。何故、今このタイミングで、鉢合わせることが出来たのかが重要なんだ。どこかで監視していたとしか思えない。
「それよりも、私は君の方が気になるな」
「いえ、お気になさらず」
もしかして、教団と繋がりがある?断定はできないが、この三人を近づけるわけにはいかない。
指一本動かすのも激痛が走る身体を、無理やり立たせ気丈に振る舞う。
「それでは、また明日」
背を向け歩く。
とにかく、どこかで休める所を探して、この三人から情報を
「――っ!」
首筋に電流を感じたと同時、動かしていた身体から力が抜け、その場に倒れた。
――急に、力、が……
視界がどんどんとぼやけていき、次第に暗くなる。男爵のブーツが目の前にあるように見えたが、確認する力もなく、暗い沼の底へと沈んだ。




