第3話
「好きなひとにふられていなくても、家族が仲良くても、不自由のまったくない生活をしていても……ふと死にたくなるときはある。……絶望の感じ方は、ひとそれぞれでしょ」
「……ひとそれぞれ……」
「そ。それにさ、絶望するってことは、それだけ真面目に人生を生きている証拠じゃん。それだけでじゅうぶん、えらいじゃん!」
遠くを眺めていた彼女が、不意に僕を見て笑う。
「だから、胸を張っていいんだよ」
胸を張る……。
「……自殺しようとしてるのに?」
「そもそも適当に生きてたら、自殺しようなんて思わないでしょ。だから君は、だれがなんて言おうと立派なの。それだけ真剣に生き方に悩んでるんだから」
ふっと胸につかえていたなにかが、落ちていったようだった。
「……そんなこと、初めて言われた」
ざざん、と崖下で白い飛沫が上がる。
「そう?」
宮野さんの長い髪が、風にさらわれる。この世のものとは思えないほど美しい光景だった。
僕は彼女を、じっと見つめた。
「だって……死にたいって言ったら、みんな大抵、明日はいいことあるよとか、そんなに思い詰めるなとか、もっと楽に生きればいいとか、どうせそんな気ないくせにとか、そういうことを言うのに」
「あぁ、よく聞くセリフだ」と、彼女は乾いた笑みを零した。
「でも思うんだけどさ、あれほどの暴言ってないよね。明日のことを考えられるならそもそも死のうとなんてしないし、何回もそう信じて裏切られてきたから、死を選ぼうとしてるのよ、死にたがりの人間は」
ちらりと宮野さんを見る。
暴言、か……。たしかに彼女の言うとおりだ。
「……たとえばだけど。映画の試写会ってあるじゃない?」
「映画?」
「あれってよく、試写会のあとのインタビューの感想とかをCMで流したりするじゃん。たぶん、あれと一緒だよ」
「一緒って……なにが?」
「観客は同じ一本の映画を見たはずなのに、みんな感想がバラバラなの。それと一緒。育ってきた環境がバラバラだから、同じものを見ても、感じ方もひとによってぜんぜん違う。……だからさ、たぶん、君が相談して、明日はいいことがあるよって言ったひとは、明日じぶんにとっての楽しみがあったんだと思う。どうせそんな気ないくせにって言ったひとは、君の話をいつもの冗談だと思ったんじゃないかな」
思いもよらない言葉だった。
「……じゃあ、みんな……僕をバカにしてたわけじゃないってこと……?」
宮野さんは困ったように笑う。
「たぶんね。まぁ、そうは言っても、結局のところ分からないけどさ。……大人はよく思いやりを持てとか、相手の気持ちを考えろとか言うけど……ぶっちゃけそんなのムリじゃん。相手が本当にしてほしいことなんて言われなきゃ分かんないし、じぶんがしてほしいことを相手にやったとしても、相手がそれを喜ぶとは限らないもん」
「たしかに……」
「要は、考えろってことじゃないかな」
戸惑う顔をする僕に、彼女は続ける。
「相手がくれた言葉とか、してくれたことの裏にある思いやりに気付けって言いたいんだと思う。結果じゃなくて」
「言葉の裏の思いやり……」
「うん。それで、その思いやりに気付くためには、たぶん、ひとと関わっていくしかないんだと思う」
ひとと関わる。
ひとと関わる……。
心の中で彼女の言葉を復唱する。
「……でも僕、だれかを前にすると、どうしても相手の顔色をうかがっちゃうし、話をするのも、ふざけてないと緊張するし……」
「……分かるよ。他人と話すのは気も遣うし、煩わしいことも多い。じぶんが望まない解釈をされることもあるしね。でも、他人は必ず、じぶんにはないなにかを持ってる」
と、宮野さんは強い口調で言い切った。
「ひとりは楽だよ。どう見られているか気にしなくていいし、自由だから。でも、君はそれがいやで悩んでるんでしょ?」
いや、なのだろうか。少し考えてみる。
「……ひとりはきらいじゃない。でも……ずっとひとりは、いやだ」
ちら、と宮野さんを見ると、彼女は小さく肩を揺らしていた。
「……今、わがままだって思ったでしょ」
「そんなことない。だって、みんなそうでしょ。人間だもん」
膝を抱えていた手を緩めて、顔を上げる。
「それもそっか……」