第2話
気が付けば、僕は呟くように語り出していた。
「……たぶん、じぶんになにもないから、死にたくなったんだ」
「なにもない?」
足元を見つめたまま、頷く。
「じぶんで言うのもなんだけど、僕はふつうの人間だと思う。学校でハブられてるわけでもないし、家族もべつにふつうだし。勉強も、特別優秀ではないけど、できないわけじゃない」
「……なら、どうして?」
ぎゅっと手を握り込む。
「……だって、ぜんぶ、ニセモノだから」
「ニセモノ?」
「……本当はね、僕も小学生のときいじめられてたんだ」
小学二年生の秋、いじめは唐突に始まった。
クラスのガキ大将的な男子に目をつけられたのだ。
いじめが始まった理由は、厳密にはよく知らない。
でもたぶん、僕が周りより小さくて、痩せていて、言い返せない内向的な性格で、いじめやすかったからだと思う。
変なあだ名を付けられて、無視をされて、影でありもしない噂を流されて、悪口を囁かれた。殴られたり暗い教室に閉じ込められたり、時にはお金をせびられたこともある。
先生はきっと気づいていただろうけれど、助けてはくれなかった。
おかげでいじめは日に日に悪化し、僕はどんどん追い詰められていった。
ひとと喋れなくなり、通学路に出ただけで吐き気がして倒れることが何度かあって、それでようやく、両親はいじめに気付いたらしい。
らしい、というのは、僕には記憶が曖昧なところがあるからだ。いじめのショックか、よく分からないけれど。
とにかくいじめられているという事実を、僕はじぶんから両親に打ち明けることはできなかった。
じぶんが学校に溶け込めない人間だと、弱い人間なのだと認めるのがいやだったのだ。
あの頃は学校に行きたくなくて、あの環境から逃げたくて、毎日死にたいと思っていた。
信号待ちの交差点で、何度道路に飛び出そうとしたか分からない。
毎朝の登校も、休み明けの学校も、僕にとっては命懸けだった。
でも結局、勇気がなくて死ぬことはできなかった。
いじめられても、死ぬことすらできない臆病者なのだと痛感した。
親がいじめに気付いてからは、さすがに先生も見て見ぬふりをすることはできなくなり、保護者会が開かれてちょっとした騒ぎになった。
おかげであからさまないじめは落ち着いたが、今度は先生がよそよそしくなった。
大人たちにとって僕は面倒ごとの象徴。
廊下を歩くだけでひとの視線に晒されているような気分になる。
影でくすくすと笑われているような気がしてしまう。
僕は、ますます学校が恐ろしくなった。
その後、なんとか小学校を卒業した僕は、両親のすすめで中学は知り合いがいない私立校を受験した。
中学ではいじめられないように、キャラを変えた。
無理して明るくおちゃらけたふうを装い、いじられキャラとしてクラスに溶け込んだ。
おかげで、中学以降はいじめられることはなくなった。
全力で演技をすることで、僕はじぶんを守ってきた。
「でも、ふと気付いたんだ。いじめられないために、これからもずっとこんなふうに演じていかなきゃならないのかなって。この六年間、必死に居場所を作って守ってきたけど、これからもこうして生きていかなきゃならないのかなって……」
努力しなきゃ守ることができないこれが、僕の居場所?
これからもいじめられずに生きるためには、僕はこの居場所を努力して守っていかなければならないの?
それなら僕は、素のじぶんでは、一生だれにも受け入れてもらえないのか。
その現実に気づいた瞬間、絶望したのだ。
「……情けないだろ。いいよ、笑っても」
彼女はしばらく僕を見つめたあとで、そっかと呟いた。
「……君にとっての居場所は、命の重さと同じくらいに大きな存在だったんだね」
「……命と、同じ……」
彼女が放った言葉は、僕の胸の深いところにすっと落ちた。
「……そうだよ。だって居場所がなかったら、またいじめられる。くだらないかもしれないけど、僕にとって居場所はすごく重要なものなんだよ……」
気が付いたら、僕の両目からほろほろと涙が落ちていた。
「……くだらなくなんかないよ」
胸の琴線を優しく撫でるような、しんとした声だった。