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夏の日、ズボラガールを破壊する。  作者: 北岡涼平
夏の日、ズボラガールを破壊する。
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ブルーベリー・ナイツ(2)

 夕食を片付け、淳もすっかり寝静まった午前零時ごろ。

 僕は不思議と眠れなくて、布団から出た。

 普段は朝方人間で、こんな風に夜に起きていられることは滅多にない。

 今日は熱帯夜なわけでもないのにな。なぜか布団に入っても眠くなるどころか、かえって眠気が引いていく気すらした。

 こんな日は無理に寝ようとするのではなく、再び眠気がやって来るのを静かに待つべきだろう。


 自室から出て淳を起こさないように慎重に階段を降り、キッチンまで移動した僕は、コップに水道水を注ぐ。それを飲むと、熱くも冷たくもない生温い水が口から食道を通り、胃にまで伝っていくのが感じられた。

 飲み干し、コップをすすいで水切りラックに置くと、僕はそのまま体をリビングのソファに預けた。

時間はまだ二分も経過していない。寝る以外にやることがないこの時間に起きてしまったからか、深夜に流れる時間はとてもゆったりとしたものに感じられた。


 久しぶりに吸う夜の空気も悪くないな。      

 人工的な光に頼らない、カーテンから漏れ出す月の光だけを浴びるというのも思ったより趣があって良い。


 僕はそのままの足で、家のほぼ目の前にある豊栄町公園にまで出て来てみる。

 月の明かりと共に夜風に吹かれていれば少しは眠くなるだろうと期待したがそんなことはなく、赤平市の手に余るほどの自然が作り出す空気は美味しすぎて、このままなんだか涼んでいたくなった。


 そして、こんな日には必ずあいつが現れる。

 僕は豊栄ほうえい町公園の中央にあるプリン山を登った。その名の通り、プリンを逆さにしたような少しだけ小高い丘のような場所だ。その周りには目立った遊具や街灯もないから、夜だと星がとても綺麗に見えるのだ。


 頂上の、平たい円状部分まで到達すると、予想通り先客がいた。


「やあ」


 まるで僕が来ることを知っていたみたいに、柔らかな微笑みを浮かべながら手を振る少女。


「やっぱり来たね。今日は会えると思ってたんだ」

「予想的中か。その根拠は何なんだ?」

「夜風が私を呼んだから。少し待っていたら、やっぱり瞬はここに来た」


 相変らず、叙情的なことを言う。


「奇遇だな。僕もお前がいると思ってここに来た」

「ふふ。せっかく出会えたんだし、少し話そうか。星空でも見ながらさ」


 少女は体育座りのまま、小さな顔を上に向ける。

 そして少し青みがかった白髪を夜風に沿わせながら、楽しそうに空に人差し指を突き上げた。


「ね、見て見て。あれベガだよ」


可愛いというより美しい。まるで夢の中から出てきたような現実味のない、不思議さを感じさせる少女。


こういうのを一般的にはミステリアスと言うのだろうが、生憎と僕はこいつのことをよく知っている。

今日みたいな夜の深い特別な日の、プリンの山のその上に、いつもこいつは座っている。

夜と公園とプリン山だけが僕らを繋ぎとめていて、僕が寂しくなったとき、この山のてっぺんには少女が待っていてくれる。


そして彼女と話すと、なんだか素の自分でいられるような気がして、しばしば僕の心を整理したいときに話す間柄になっていた。


「綺麗だな。眩しくて儚げで。まるで僕らの関係みたいだ」


僕は少女の隣に腰を下ろすと、そのままその場に寝転がった。

プリン山の芝生が僕の耳にふさふさと当たってくすぐったい。

夜空にはずっと昔に輝いていた星々の光が、今もまだ未練たらしく輝き続けている。

いつまでも変わらない星たちに「おかえり」なんて言われている気がして、だからこいつと星を見ていると心が温まり、満たされるような気にもなる。


少女は少し嬉しそうな表情を浮かべ、僕の顔を覗いた。


「へぇ、瞬ってまだそんなロマンチストな事を言えたんだね」

「時間と共に、人も変わっていくんだよ。……最近は特にそれを強く感じてる」


 言うと、少女も僕の隣に寝転がる。

 少女の方を向くと、懐かしい横顔がそこにあった。


「目に光が戻ったね。大学でいい友達と出会えたみたいで良かったよ、本当に」


 なら、どうしてお前はそんなに寂しい顔をするんだ。

 星に手をかざし、呟く。


「それもあるが、お前のおかげでもある」


 僕は今までに、何度こいつに救われたか。

 こいつがいなかったら、僕はとっくに――。


「馬鹿にしているのかな?」


 そんな胸の内を、少女の言葉が否定した。

 穏やかな表情と、穏やかな声音。でも、その裏にはささやかな怒りが隠れていて。


「私の存在に意味はない。瞬が立ち直れたのは、瞬自身のおかげなんだよ」

「それでも僕は……お前に感謝してるんだ」


 眼前に広がる星々は、あの頃と何も変わらない。

 だけど、あの頃の傷は、後悔は、哀しい程に癒えていく。

 そこに、確かな時間を感じていた。


「ねえ、覚えてる? 私たちが初めて話した日のこと」

「当たり前だろ。忘れるわけがない」


 忘れもしない。高校二年の春。地学の授業でフィールドワークをしたときだ。

 こいつとはそこで知り合い、それからはよく僕に星のことを教えてくれた。


「私たちの関係はもう白色矮星なの。切り替えて、前に進まなきゃ」

「でも僕は、まだ納得してない。お前から本当の言葉を聞けない限りは、完全には終われないぞ」


 白色矮星にだって、まだ温度は残っている。

 それが間もなく、消えてしまう存在でも。


「ごめん……それは伝えられない」


 終われない。終わりたくない。なのに、かつて輝いていた星の熱は、冷めて冷めて、日に日に平常へと向かっていく。


「……怖いんだ。辛かったことも忘れて、少しずつ元気になっていく自分が」

「大丈夫。君の傷が完全に癒えるまでは、私はずっとここにいるよ」

「僕には、まだお前が必要なんだ」


 そうやって少女の手を握ろうとして、夜風に触れた。

 あの日の僕の後悔を知っているのは、この少女だけ。

 暗い暗い凍えるような心の冬を、共有できるのはこの少女だけ。

 だけどこの少女が言うように、そんな僕に力をくれる人に出会えたことも事実だった。


「……なあ、ちゃんと出会えたよ。僕を壊してくれそうな人に」

「そうなんだ。……ちゃんと好きになれそう?」

「どうだろう。でも、尊敬はしてる。その人を知ったから、僕は決心ができた」


 僕は吐息する。


「これからちょっとずつ、僕の中でも区切りをつけることにしようと思う」


 言うと、少女は悲しそうに笑った。


「なら、良かった。幸せになってね」

「……お前もな」


 僕と少女の隙間を、冷たい風が通り抜けた。


「それ聞けて安心したよ。瞬もしっかり前に進めそうで」

「ああ。自信を持ってお前にそう言えるほどにはな」


安堵の表情を浮かべ、少女はふっと笑った。




少女の名前は、モモカという。



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