ブルーベリー・ナイツ(1)
滝川駅の待合室で座りながら、僕たちは帰りのバスを待つ。
美琴は滝川市に住んでるから、正確には僕がバスに乗るまでの間、付き合ってもらっているという方が正しい。
夕暮れ時で、さすがにこの時間帯ともなれば、駅にもそれなりに人はいた。
先から美琴と二人で話していると、若者を中心にチクチクと視線を感じる。
付き合っているのだとしたら、明らかに顔面的な意味で釣り合えていない僕だ。
悪目立ちしてしまうのも仕方ないか。
そう縮こまる僕を見て、美琴は申し訳なさそうに訊いてくる。
「……私、もう少し離れようか?」
「いや、余計な気遣いはいらないって言ったばかりだろ。それに、どうせ二人でいるのに妙な距離があったら、それこそ変に見えるぞ」
「それもそうね」
美琴は頷くと、僕の側に寄ってくる。いや、別に近づけとは言ってない。
「今日はありがとね」
僕の顔を覗きながら、美琴が言った。
「僕はボランティアに来たわけじゃないからな。借りはちゃんと返せよ」
「うん、わかってる」
「や、冗談だし」
両手の拳を持ち上げて応えようとする美琴だったが、僕はそれを制止する。
「実際今日は暇してたから、誘ってくれた時点で十分僕としてはありがたかった。これ以上はいらない」
「へえ。私に恩を売れるなんて滅多にないことなのに、みすみす逃しちまっていいのかな?」
後悔しても知らないぞ、と言いたげに笑う。
「普段のお前は恩を売る側だからな。……確かに貴重な機会ではあるのか」
そう言われると、少しばかり惜しい気もするが。
「それでも、十分だよ。お前には普段から世話になってるしな」
「そっか」
吐息して、少し間を持たせてから面白くなさそうな顔をする美琴。
「ちぇ~、つまんね。せっかく一緒に夜ご飯行ってやろうかと思ってたのに。私と二人で食事なんて、皆既日食くらいレアなことなんだよ?」
「なら好きな奴と行ってやれよ。……つか、言うの遅いし。駅来ちゃったじゃねぇかよ」
もっと早く言ってくれれば、考えるくらいはしてやったのに。マイペースな美琴はいつも提案がワンテンポ遅い。
「まだバスには乗ってないじゃん。瞬くんが行く気あるなら、行ってあげてもいいよ?」
なんで上から目線なんだよ。お前誘ってる側だろ。
「ないな。悪いけど、淳に飯作ってやんないといけないし」
「お母さんじゃん」
くすっと美琴は笑う。うるせえな。そのお母さんがいないんだから仕方ないだろ。
「夏休み中は? ずっと暇なの?」
次に美琴はそう尋ねる。
「いや、すぐ明日にカラオケサークルでBBQ大会やるけど」
「え、私そんなの聞いてない!」
椅子から立ち上がりざまに声を荒げる美琴。
まばらに感じていた視線がこちらへ一気に集中して、恥ずかしそうに座り直す。
サークルLINEで参加者確認してたはずだけどな。サークル自体に関心の薄い美琴なら見てなくて当然か。
「幽霊だからだろ。もっと顔出せ」
「それは嫌」
即答で返される。
我がままなやつ。人への気遣いは一級品なのに、変なところで強情だな、こいつ。
「いいな、いいなぁー」
そして子供が駄々をこねるテンション感で言う美琴。
「来るか?」
「え、いいの?」
「一応メンバーだし、いいんじゃないか? 気まずいだろうけど」
僕なら肉だけ食べに来たやつだと思われたくないし行かない。
しかし知名度のある美琴なら幽霊であっても歓迎されるだろうからな。
美琴は思案顔になって、
「んー、ゼミあるから終わってからでいいなら行けるかも」
「ゼミ? 夏休み中もあるのか?」
「うん。ゼミ合宿があるから、その段取りを決めなきゃいけなくて」
「サボればいいだろそんなん」
「合宿出ないと単位もらえないんだよー。外れゼミ引いた」
泣き言を吐きながら、椅子に座って浮いた足をバタつかせる。
夏休みまで勉強させられてざまあ、と笑ってやりたいが、僕も夏休み中には公務員試験の対策講座がある。結局学生の休みは休みじゃない。
「とりあえずわかった。部長には伝えておく」
「うん、ありがとう」
話がまとまったところで、芦別駅前行きのバスが到着した。
僕たちは駅舎を出て、バス停前まで向かう。
「じゃ、また明日になるのか」
「うん、また明日」
停車していたバスの扉が、「ぷしゅー」と開いて僕を呼ぶ。
美琴はバスに乗り込む僕を、手を振りながら見送った。
「ばいばい」
*****
バスに乗った僕は、赤平市の文京町というバス停で降りる。
ここが僕が二十年間住み続けている街だ。もう長いこと住み続けたせいか、どんな街よりもこっちの方が心地がいい。住めば都とはこのことだ。
慣れ親しんだものにはそれだけ愛着が湧くというもの。
降りてすぐのところにセブンイレブンがあるので、僕はそこで寄り道をしてアイスのファミリーパックを一つと、個人的にお気に入りなA字フライを購入する。
A字フライとは、アルファベットの形をしたビスケット菓子のことで、程よい塩っ気と甘さがクセになる旭川市発祥のソウルフードだ。
幼いころに僕のおばあちゃんが好きで、よく僕にも分けてくれていた。毎日食べていたら、いつの間にか口が寂しいときに自分から買いに行くようになって、今では好物と言えば一番にこれが挙がる。
A字フライを口に放り込みながら空知川にかかるゆたか橋を渡り、そこからさらに進んで行くと、橙色の日差しが道脇の草花を照らして、伸びた木々の隙間からは温かな木漏れ日が降り注ぐ。
それはもう幻想的な風景で、そこから聞こえてくる虫の羽が擦れる音、キジバトの独特な鳴き声、そのどれもが心地いい。
天にまで届きそうな山々の織り成す稜線は、いつもと変わらず壮大で、平穏な田舎町をいつだって見守ってくれている。豊かな自然と、そこに身を預ける簡素な住宅地。
懐旧止まない古ぼけた景色の、一番端っこの方にひっそりと建つ一軒家が僕の家だ。
「ただいまー」
そう言って家に入ると、二階からドタドタと騒がしい足音が降りてくる。
家の鍵は開いてたから、帰っているとは思ったが、その音の主が玄関に立つ僕の前にひょこっと顔を出してきた。
「おかえり、兄ちゃん。早かったね」
「飯作らないといけないだろ。お前もいるし」
「たまには遅くまで遊んできても大丈夫だって。俺だってもう子供じゃないんだし」
「たまにって、この間も祭りに行ったばかりだろ」
「俺もついて行ってたし、困ってないもーん」
弟の淳はそう言ってくれるが、こいつは料理ができない。僕が作らないと、冷凍食品やカップラーメンはあまり食べさせたくはないし、外食だと食費がかさむ。夜ご飯前に帰れるのなら帰った方が節約にもなる。
「世の中な、金なんだよ。祭りのせいでお財布事情がひっ迫してんだ。少しは自炊しないと……」
「金より大事なものもあるよ。俺という存在がね」
「金がねえとその俺を守れないんだよ」
ちなみに青木家は三人家族で、父と長男の僕と弟の淳で構成されている。
母は僕がまだ幼いころに家を出て行ってしまった。父は現在札幌に出張中で、毎月月末になると家に帰ってきて食材や生活用品なんかを買い溜めしてくれるが、基本的には今は僕と淳の二人暮らしという感じに落ち着いている。
「おい、子供じゃないならもう少し家事手伝ってくれ」
リビングに入るなり現れた散らかり尽くした空間を見て僕は言う。
「洗濯はやってるじゃん」
「洗濯『だけ』な」
もちろん干すのとアイロンと収納担当は僕です。
「今から飯作るから、机の上だけでも片しておけよ」
「あーい」
美琴の言う通りだな。これでは僕は本当にお母さんだ。
*****
さっと今日はオムライスを作った。
キャベツのサラダと、余ったウインナーや玉ねぎで作ったコンソメスープも一緒に食卓に並べる。
「「いただきます」」
二人揃って手を合わせ、いつも通りの食事の時間が訪れた。
ただでさえ身近に親がいない複雑な家庭だ。せめて夕食の時くらいはなるべく二人で揃って食べようというのが僕たちのルールで、特別用事がない限りはひとりで食事をすることはない。
思春期真っ盛りの淳はもう少し気楽にしてもいいと思っているようだが。
「兄ちゃん、今日どこ行ってたの?」
ケチャップを手に取った淳は、フタを開けながら訊いてきた。
「大学に行ってた。その後は少しカラオケ行って、そのまま帰り」
「お~、兄ちゃんにしてはそこそこマトモな大学生してる」
「マトモな大学生ってなんなんだ」
「酒・タバコ・パチンコ?」
「マトモの意味知ってる?」
オムライスにケチャップをかけ、それだけに狙いを定めて淡々と食べ続ける。
メイン、副菜、汁物の順に食べていくのが淳のマイルールらしく、そのせいでいつもみそ汁やスープは冷めがちだ。
まあ、美味しい物から順に片づけていきたい気持ちもわからなくはないが。こいつは昔から一度選んだものには一直線に進んでいく性格で、好きな趣味やテレビ番組、服装の系統も全く変わらない。
口を赤に汚した淳は笑った。
「へへ。俺みたいなやつ」
「お前だけは違うな」
僕はそんな淳にティッシュを取ってやった。
「お前こそ、今日はどこ行ってたんだよ」
「瑞穂のとこ。勉強教わりに」
「休み明けはテストだもんな。今回は大丈夫そうなのか?」
「んー、たぶん? クラスで中間くらいを目標にしてる」
目標低いな。こいつの場合は滝希高校の理数科で、僕よりもずっと頭がいいから、そんなことを言えた義理ではないが。
僕としては、学校全体で上位を取り続けていてほしいと思っている。こんなんでも、将来は医者志望らしいからな。
「そういやさ、今日瑞穂の奴からこれ貰ったんだけど」
「ん、なんだこれ」
淳がズボンのポケットから引っ張り出してきたのは、滝希高校吹奏楽局の定期演奏会の招待チケットだった。
「吹局のチケット。二枚あるんだけどさ、兄ちゃん行く気ない?」
「余ってるなら行ってもいいけど……お前高校に友達いないの?」
少しだけ哀れみを込めた瞳を作って言ってやる。
「い、いるよ‼ でもほら……瑞穂の演奏見たいんだって思われたらさ、嫌じゃん?」
はーーん。なるほどね。
「青春してんな、お前も。高校生らしい理由で安心した」
「ばっ……‼ そんなんじゃ、ねぇよ」
否定しながら、淳はそっぽを向いて頬を赤らめる。
友達と行って馬鹿にされたくはないが、一人だと恥ずかしい。
そんな透けて見える淳の考えがとても可愛らしくて、僕は無意識にニヤけてしまった。
可哀想な弟のために、一肌脱いでやりますか。
「それで、いつ開催なんだ?」
「九月の末くらい。どう、空いてる?」
「ああ。ぎりぎり夏休み中かもしれない。おそらくは大丈夫だ」
芸術の秋とも言うからな。久しぶりに吹奏楽を聴くというのも悪くない。
まだまだ先の話ではあるが、母校にも行けることが嬉しくて、思いがけずにとても楽しみな用事ができたな。