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小さな翼②

 普段一人で買い物に来る時は、たとえ小説といった文庫本でも、そそくさと対象物を選んでは早急に家路に向かうのだが、今日に限っては慎重に事を進めていた。

 こうして葉月さんと本を選ぶ時間を大切にしているのもそうだし、彼女が選ぶ作品に興味を抱いていたからだ。

 小説を詮索し始めてから数十分が経ち、葉月さんが僕に声をかける。思ったよりも真剣に選んでくれているんだな、と僕は素直に思っていた。

「川端くん。ちょっと気になる小説があったんだけど、どうかな?」

 彼女から手渡された本。僕はその本の導入部分も見ずにこう告げる。

「葉月さん、これ・・・・・・実は持っているんだ」 

「そうなの!?」

 少なからず驚きの表情を浮かべる葉月さんに、僕はこの小説を購入した経緯を伝えることにした。

「この小説、タグにも書いてあるように僕らと同じ高校生が執筆したものなんだよ」

「そうそう!だから私、気になっちゃって川端くんに勧めてみたんだぁ。恋愛小説みたいだしね」

「うん。葉月さんの言うように、同年代の高校生が心情であったり風景だったり、どんな描写を表現するのか気になったんだ」

 やはり、今時の女子高生は恋愛モノが好きなのかな、と思いつつ僕の知る作品を葉月さんが選んでくれたことに対して、素直に嬉しいと感じた。

「そうなんだね。でもちょっと意外だったな」

「???何が?」

「川端くんも恋愛モノ読むんだなって」

 葉月さんから見た僕は、推理モノであったりSFを好む高校生だという認識なのだろうか。この世に恋愛小説、元より青春ラブコメはジャンルとして数多くの作品を輩出している。読書愛好家と言ってもいい僕にとっては当然、避けては通れないジャンルだ。フィクションとノンフィクション。異なる世界ではあるが同年代を生きる者として、興味のある世界線ではある。多くの著者は成人をとうに過ぎているのだが。

「うん。以前にも軽く言ったけど、読むよ。恋愛に興味ないと思った?」

「何となくね・・・・・・気に障ったのならごめん」

「ううん、気にしてないよ。まあ1年の頃の僕を見ていれば、そう思うのも仕方ないよ」

 この3月まで一人で机に向かい続けた僕は、クラスメイトからは変人だと思われても当然だった。高校入学当初から、女子カーストのトップに君臨していた喜多川たちを執拗に責め立てたり、お互いに唾棄しあっていたのだから。当然、葉月さんのためだとは言わなかった。彼女に変な十字架を背負わせることは、僕の意志に反するものだから。

 そう思っていると、葉月さんからゆかりなく言葉が飛んでくる。

「でも、何だか嬉しいな。川端くんが読んだ小説を私が勧めるなんて」

 確かにこれほどある小説の中から、僕の知る作品を引き当てるなんて思ってもみなかった。

「共鳴しあっていたのならすごいことだけど、恐らく偶然だと思うよ」

 『運命』という言葉を使って、葉月さんに嫌悪感を抱かせることを恐れた僕は、それでも『共鳴』とう語句を用いて彼女の反応を伺った。結局恥ずかしくなって否定したのだけれど。

「また川端くん語録が飛んできたー。でも偶然とか言わないでよ。きっと、こうした出来事も偶然ではないんだから」

「じゃあ必然ということにしようか?」

 ついおざなりな結論に導いてしまった僕に対して、葉月さんは少しぶすっとしながら、

「えーっ、なんか適当だなー」

と、僕の結論に納得がいっていない様子。正直、『必然』という言葉も僕にとっては、少し恥ずかしい単語であったが、偶然の対義語ということで良しとしよう。彼女の表情に軽く胸を痛めるが。

「丁度良い塩梅で『適当』という意味なのだから、了承してくれるってことだよね?」

「もー。このままだと埒が開かないから、それでオッケーだよ。じゃあまた探してくるね」

 そう言って葉月さんは、こちらに掌を向けて僕の手にあるこの小説を受け取ろうとする。僕は平静を装いながら渡すことにした。


 やはり、今でも僕は彼女の手を無碍に見ることはできない。少なからず目を背けてしまうことがある。葉月さんのその、不揃いな指たちを意識せずに見ることは、いつか叶うのだろうか。

 こうして二人きりでいる時も、このように穢らわしい感情を抱いている自分に対して、心底虫唾が走る。

 

「川端くん。どう?いい本、見つかった?」

 僕がとある小説の導入部分を読んでいる時に、そう伺ってきた葉月さんに対して、視線を合わせることなく、

「うん。ちょっとこの小説が気になってて・・・・・・」

と返答した後に、僕は葉月さんの視線が気になって、そちらを向くと、彼女が一冊の本を手にしていることに気づいた。

「それってライトノベル?」

「そうだよ。よくわかったね」

「カバーに〇〇文庫って書いてあるから」

 ライトノベルの出版社はそれなりに把握している。葉月さんの手にしているものは有名な出版社の物だ。それに表紙の人物絵が、こちらも有名イラストレーターのそれであることはすぐに気づいた。連載作品でないとすると大賞であったり何か受賞された作品であると想像がつく。

「そうなんだぁ」

「その小説、葉月さんの興味でも引いたの?」

「うん。主人公の女の子が、ある出来事をきっかけに彼女の生命線とも言えるバイオリンが弾けなくなる話なんだ。でも恋愛することで少しずつ弾く感覚を取り戻す話」

 葉月さんはその小説の概要を事細かく話す。そのことに疑問を持った僕は、

「この短時間でよく結末あたりまで理解できたね?」

 と、投げかけると罰が悪そうに彼女はこう言った。

「・・・・・・実はスマホで調べちゃって・・・・・・ごめんなさい」

やはりそうかと思いつつ、盛大にネタバレしてしまった葉月さんを僕は別に責めるつもりはない。むしろ詳細までこまめに調べてくれたことに感謝していた。

「いいよ全然。でも意外だったな、葉月さんがライトノベルを勧めてくるなんて。読んだことないでしょ?」

「うん、ないよ。でも、中学校の時の友達が読んでたから、つい気になっちゃって。それに、この表紙の女の子のイラストが、すごく可愛くてちょっと読んでみようかなって」

 表紙絵に興味を抱くのは、本を購入する要素としては大切な着眼点だ。ライトノベルというものは、それだけで読者を引き込む力も持つ。

「だったらさ、葉月さん。そのラノベを買って全部読んでみたら」

「えっ・・・・・・」

「僕はこの小説を買ってお互いに読み終わったら交換しようよ。ちなみにこれも甘々な恋愛モノだから、葉月さんもきっと好みだと思うよ」

 そんな僕の提案に戸惑っている様子の葉月さん。普段、ギター練習で忙しいのはわかっている。以前に貸したスパイを養成する小説も、未だ半分も読み終わっていないらしい。それでも、自分勝手だと言われようと、これらの小説の世界観を共有してみたくなった。単純に感想戦を話したいという本音を隠しつつも。

「だって私、この前川端くんに借りた小説、もろくに読んでないんだよ?それなのに、これまで買ったら、いつ貸してあげられるかわからないかも・・・・・・」

「全然急がないから大丈夫。葉月さんのペースで読み進めていったらいいから」

「・・・・・・わかった。読んでみる」

 こうして、お互いに小説を持ってレジに向かうところで、僕が葉月さんの小説も買おうとすると、

「いいよ。これは私が買うから。ついにラノベデビューかー」

 心なしか彼女の表情が晴れやかなことに僕はホッとした。意味は違うが『処女作を強要してごめんね』とは口が裂けても言えない。

「川端くんの買う小説のタイトルって何?」 

「『世界で一番澄みきった物語』っていう本」

「何それー。すごく気になるー」

「そう言うと思った。だから葉月さんにも読んでもらおうと思ったんだ」

「なんか川端くんにしてやられたなぁー」

 少し不満げな表情を見せる葉月さんではあったが、僕の隣を歩く歩様はとても弾んで見えた。

 ちょうど一年前に、クラスメイトたちに見せていた、形作られた、というか寂しい笑顔は、今僕の目の前の彼女からは微塵も見られない。むしろ自然体であろう彼女の全てを僕に見せつけているようだ。

 まるでデートしているかのような僕らの様相を、周囲はどう見ているのだろう、ふとそう感じてしまった僕は様々な感情に揺さぶられていた。


 お互いに目的を達成し、お昼ご飯にしようと駅ナカを出た僕たちは、駅前の大通りをしばらく行き、抜けた先の裏路地へと歩を進めた。

 普段の僕ならば到底辿り着かないであろう閑静なビル街を、葉月さんオススメの喫茶店があるということで向かっている。

 一分ほど歩き、更に小道へと進路をとると、ウッドデッキが配置されたテラス席が何とも幻想的、ジブリ的な雰囲気で、周囲とは異彩を放つ木造による佇まいによって大変穏やかさを醸し出す建物が現れた。

 すると、小走りでテラス席へ向かい、外から店内を見渡す葉月さん。

「このカフェはどう?思ったよりも空いてるし」

「いいんじゃないかな。そもそも僕は葉月さんのセンスを信じてここまで来ているのだし、その考えに変わりはないよ」

「またそうやってー。じゃあ入るよ?」

「うん」

 責任転嫁というよりは完全委任、補完的依存の赴くままに葉月さんに釣られてきたのだが、ここまで言ってしまうと、彼女のご機嫌を損ねてしまうことは定期なので、黙って賛同することだけを選んだ。

 店内へ入ると、思いのほか空席があることに僕は安堵した。久しぶりの長距離移動で(僕にとっては)、とにかく限界突破するのではと思うくらい、僕の脚は悲鳴をあげていたからだ。そしてこちらも存外、気分が上昇するくらい晴天で、心地良い気温の割には、テラス席に空きがあることで入る前から大丈夫だと思っていた。

「ゴールデンウィークなのに思ったより空いてるね」

「そうだね。世間はみな海外旅行であったり、国内にしても遠方へ出かけているということなのかな。実にリッチな国なんだね、ここは」

「軽く日本人を馬鹿にしてるでしょ、それ」

 決して非国民的に日本人をディスっていたわけではないのだが、しっかりとツッコみを入れてくる葉月さん。

「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」

 僕らより少し年上の女性店員が話しかけてくる。学生のアルバイトなのかそうでないかは判別がつかない。

「はい」

「ソファー席でしたらすぐにご案内できますがどういたしますか?」

「大丈夫です。ねっ?」

 いや大丈夫も何もソファー席って何のこと?と考える間もなく、言われるがままにソファーが二つ向き合った席に案内されることに。各々が一つのソファーに座ることに違和感を覚えつつも隣同士だと変に緊張してしまうと感じた僕は、疲労感と隣り合わせに安心感を覚えていた。

「いらっしゃいませー」 

 この喫茶店の雰囲気には似つかわしくない、といっては失礼ではあるが恰幅のよい四、五十代くらいの女性店員が、僕たちの席にお冷を届けにきたことに対して、

「ありがとうございます」

 と、こちらも愛想良く丁寧にお礼する葉月さん。彼女の人となりの良さがここでも存分に発揮されている。

「川端くん、今更だけどソファーの席で良かった?」

「えっ?どうして?」

「いや、なんかソワソワしてるから」

 ニヤニヤしながらそう話す葉月さん。彼女の洞察力に感銘を受ける余裕もなく、僕はどうにか平静を装おうとする。

「まあ・・・・・・初めてだから、こういうところ。でも別に居心地が悪いわけではないよ」

「そう?ならよかった」

 葉月さんはこういうお洒落な喫茶店に耐性というか、通い慣れているのだろう。足を組んでメニュー表を見ている様子が大変様になっている。足を組む際に微妙にパンツが見えそうになったことは触れないでおこう。ソファーだとそういうラッキースケベが存在するんだな。

「基本ランチメニューから選ぶんだけど大丈夫?」

「了解」

 葉月さんから渡されたメニュー表を、僕は一通り見渡すことに。どうやら、この喫茶店の名物はカレーのようだ。それは、入店時に薄々感じてはいた。その他にもハンバーグやパスタもランチに含まれている。

「カレーだとどれがオススメ?」

「そうだなー・・・・・・このゴロゴロ野菜と若鶏のチキンカレーを私はよく頼むよ」

「・・・・・・どのカレーも辛口って書いてあるけど、結構辛い?」

 別にそこまで辛いのが苦手ではないのだが、もしものために、一応葉月さんに確認することに。

「うーん・・・・・・そこまで辛くはないと思うけど心配なら甘口にもできるよ。まあ私は辛口全然いける口だけどね」

 そう言いながら、僕の方を見てドヤ顔を決め込んでくる葉月さん。更に、

「川端くん普段辛口発言なのに、まさか辛い食べ物が苦手なんてねー」

 嘲笑、というかからかい始める葉月さん。ここで一気に、何かしらのマウントでもとりたい様子だ。

「苦手なんて一言も言ってないんだけど。じゃあ僕も辛口のチキンカレーで」

「オッケー。じゃあ定員さん呼ぶね。すみませーん」

 こうして同じメニューを頼むことにした僕と葉月さん。さて、折角だからこれまでの疲労を解消しようとこのソファーに背を乗っけようとすると、葉月さんから間髪を入れずに言葉が飛んでくる。

「この後どうしよっか?」

「えっ・・・・・・用も済んだし帰ろうっかなって・・・・・・」

「えー。折角だし、もうちょっと買い物していこうよぉ」

 まだまだ体力十分、テンションアゲアゲの葉月さん。普段インドアの僕からしたら、そろそろ活動限界が近づいているのだが、彼女と一緒にいたい気持ちもあるにはある。 

「・・・・・・何処か行く当てはあるの?」

「そうだなー・・・・・・母の日のプレゼントとか見に行こうかな。今、お母さんとは一緒に住んでないけど、こういう時くらいしか会いに行く口実が見つからないし・・・・・・」

「・・・・・・」

 折角のランチタイムだというのに、オシャレカフェが重苦しい雰囲気になりかけている。それにどの受け答えが正解なのか、皆目見当付かない僕は黙っていることしかできなかった。割とすぐに来たサラダとスープを食すこともせずに。

 それでも少し疑問に思ったことを僕は口にすることにした。その解答が地雷である可能性を顧みずに。

「今はお父さんと暮らしてるの?」

「うん。お父さんと二人暮らしだよ。私が中学生になる頃におじいちゃんが亡くなって、一年くらいまでおばあちゃんもいたけど、今はいなくなっちゃって・・・・・・」

「そっか・・・・・・」

 外の澄んだ空気と満天の青空とは対照的に、どんよりさが増す店内。まあそう感じているのは僕だけかもしれないのだけれど。

「まあお父さんは夜勤も多くて、週に一、二回しかまともに会わないけどね。それはそうと、川端くんは母の日に何か贈らないの?」

「うん。小学校の高学年の頃から送ってないかも」

 葉月さんの言葉によって、胸の奥に止め処なく痛みが生じる。僕は母親に後ろめたい気持ちなんてないと思っていたはずなのに、それでもこのような痛みが生じるのは何故なのだろう。むこうだって全くと言っていいほど、僕に興味なんて持っていないというのに。もはや、母の日に何かしらの物を贈るというのは法律的な義務であるという認識が、僕の脳裏に焼き付いているのだろうか。

「そっかぁ・・・・・・じゃあさ、今使ってるギターの予備の弦が欲しいから馴染みの楽器屋について来てくれないかな?」

「・・・・・・うん。いいよ」

 葉月さんが言うには、先日エレキギターの弦が切れて予備の弦と交換したそうだ。弦というは使用頻度で切れるわけではなく、替えたばかりの弦でも、すぐにプツンと切れることもざらにあるらしい。そのため、予備を持っておくことは不可欠なのである。単純に彼女の真面目さも相まっているのかもしれないが。

「そういえばさ、川端くんって部活入ってないよね?」

「・・・・・・そうだけど」

「中学生の頃は何かしてなかったの?」

 予定調和というか、自然の流れで僕の過去について尋ねてきた葉月さん。早く料理が来てほしいと願ったものの、周囲の様子からは来る気配はまだない。

「・・・・・・一応、体操部に所属していたけど」

「えっ、そうなの!?じゃあバク転とかバク宙できたりするの?」

「・・・・・・まあ」

「すごーい!」

 想定通りではあったが、思った以上に目をキラキラさせている葉月さんに対して、僕は申し訳ない気持ちが生じていた。体操部所属とはいえ、始めたのは中学生からであったし、後方二回宙返り一回ひねり、いわゆる「ムーンサルト」といった大技なんて勿論できるわけがなかった。それに部員の同級生と折が合わずに、中学二年の秋頃からは半ば幽霊部員と化していた事実もある。

「高校は入らなかったの?確か体操部あったよね?」

「僕には全くもって合わなかったから入部しなかったよ。むしろ帰宅部の方が似合ってるしね」

「またそんなこと言ってー。まあ人間、向き不向きがあるから仕方ないけどね」

 意外にもすんなり納得している葉月さん。正直、僕なんかよりも明らかにハンデのある彼女の方が、向かないであろうギター演奏に日々尽力していることに、僕自身自戒の念を抱いてしまう。そう、あの頃の僕は自分でも理解していたくらい、全くと言っていいほど努力なんてしていなかったのだから。

 しばらくして、念願のカレーが運ばれて来る。料理を見た瞬間、あれっと思ったがどうやらこのお店のカレーはスープカレーが定番のようだ。正直、カレー状のスープが来てびっくりしちゃったよ。これまでの僕の人生に「スープカレーを食す」という行為はなかったのだから。

「いただきまーす」

 さて、ここからの食事の時間は、ただ黙々とご飯にカレーをかけては食べ、再びかけては食べるの繰り返しになるのだろうと思っていると、

「川端くん、どう?カレー辛くない?」

 と、ニヤニヤしながら尋ねる葉月さん。

「別に。普通に食べれるよ」

 至って普通、もはや無表情で食べる僕を、マジマジと見てくる葉月さん。一瞬でも僕が苦悶の表情を浮かべることを期待していたのだろうか。残念ながら、これくらいの辛さはどうってことない。ここからタバスコなんかをかけられたら厳しいかもしれないけどね。

 無心に食らい続ける僕を見ることに飽きたのか、葉月さんも淡々と箸を進め始めた。それでも沈黙が嫌いなのか、時折世間話を挟む彼女に「うん、そうだね」と軽く合いの手を入れる僕。

「奏凛って足速いから、いつも電車がギリギリの時のダッシュ、付いていくのが大変なんだよー」

 いつしか葉月さんの親友であるクラスメイトの小出奏凛さんとの話が始まる。彼女が言うに小出さんは中学時代に陸上の中距離を走っていたらしく、電車の発車時刻が迫っている時は、葉月さんも一緒に、いつも全力疾走を余儀なくされるようだ。

 その葉月さんは中学生の頃は、吹奏楽部に所属していたらしく、ギターのような弦楽器ではなく、マリンバという打楽器を演奏していたそうだ。確かに思いっきりハンデを背負って、ブラスバンドメンバーという大所帯に迷惑をかけてまで弦楽器に挑戦はしなかったみたいで、空気を読むというか優しい葉月さんならではの結論だ。それでもやはり音楽が好きな彼女は部活と並行して、ギター練習も続けていたらしい。

 今の葉月さんの成果は、正に努力の賜物、継続は力なりという言葉は、彼女の専売特許と言っても過言ではない。それくらい彼女の演奏、歌声には聴く人の心に響くものがある。

「私も運動部入っておけばよかったなー」

 ふと葉月さんがそう吐露したことに対して僕は、つい無意識にこう言った。

「・・・・・・そうかな」

「・・・・・・えっ?」

 カレーを食す葉月さんのスプーンの動きが止まる。そして、僕の方をじっと見ていることに気づいていながらも、僕は知らないフリを決め込み、口に入れていたたスープカレーを飲み込んで、

「あの時の、教室でギターを弾いた時の葉月さんは、他のどのクラスメイトよりも輝いていたよ」

「・・・・・・」

「だから、そんなに過去の事を後悔するような事は、しなくていいんじゃないかな・・・・・・」

 ふと、こんな何様な台詞を羅列してから僕は、自分の発言に恥ずかしくなってしまった。

「ふっ、ふはは。今日の川端くん、いつにも増して面白いね。大丈夫だよ。後悔なんてしてないから。今こうしてギターを弾いてるのは吹奏楽部に入ったからだし、今、こうして川端くんとここにいるのもそのおかげだと思っているから」

「・・・・・・」

「あれ?今の発言、突っ込むところだったのに。川端くんらしくないなー」

 彼女の言葉に反応できる余裕は僕にはなかった。そのくらい僕の心の奥底に響いてしまっていたし、表しようのない愉悦がそこに広がっていた。

 その余韻に浸りたいと思っていたが、何も答えないのもアレだから僕は返答した。

「いや、なんとも形容しがたいことを葉月さんが言うものだから、言葉を失ってしまったよ」

「・・・・・・なんかごめん」

「・・・・・・大丈夫」

 ここからしばらく言葉を交わさずに、お互いに黙々と食事を摂った。この空気感の方が形容しがたいことに少なくとも僕自身は感じていた。


 食事を終えた僕たちは、葉月さんの勧めでデザートのプディングに舌鼓を打つことになり、濃厚満点のそれに心を奪われた。こうして喫茶店で食べるデザートもなかなか良いものである。この時間、この空間を堪能するにはソファーの居心地の良さも相まって、十分すぎる気持ちにさせてくれた。

「それじゃあ、行こっか」 

 葉月さんに促され、後ろ髪ひかれる思いではあったがレジの方へ向かう。

「ありがとうございます。お会計は別々になさいますか?」

 入店時に接客してくれた女性が対応してくれたことに対して、葉月さんは迷わず一言。

「はい。別々でお願いします」

 背負っていたリュックを肩がけにし、そこからそそくさと財布を取り出す葉月さん。

「お願いします」

 高校生のランチ代としてはおそらく高いであろう1580円に対して、葉月さんは2000円をトレーにのせる。

「420円のお返しになります」

 店員の小銭を掴んだ指が、葉月さんの手のひらに向かった瞬間、僕は後悔という衝動に駆られることになる。

 彼女の不揃いの指が、店員におそらく見られたからだ。

 この時の僕は、自分から率先して会計を行い、後から葉月さんにお金をもらうという考えには到底至らなかった。至るはずもなかった。

 いくらセルフレジが増えた時代とはいえ、彼女が普段、他人にハンディキャップを晒していることに、僕はこの時初めて知ったのだ。

 日常生活における彼女の様子を想像するだけで居た堪れない気持ちになる。こんなことを思っている時点で、今の僕は、まだ彼女と易々と行動を共にしてはいけないと思わずにはいられない。

「ありがとうございます」

 丁寧に言葉を交わした葉月さんが、スッと後ろへ下がり僕の会計を誘導してくれた。

 そんな彼女に心惹かれながらも平静を装いながら会計を済ませた。


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