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出会いベンチ③

葉月さんが、これまで歩んできた境遇は想像に難くない。それでも、こうして明るくポジティブに日常生活を送ることができるのは、彼女の人柄の良さと、同年代の一般家庭で生活する人間には到底育むことのできない、不退転の覚悟がそこにはあるからなのだろう。

2年生に進級して、再びクラスメイトとなった僕から見た葉月さんは、変わらずの雰囲気でみんなを包んでいる。ここで、さらに彼女を取り巻く環境がより好転したことがある。それは、葉月さんの親友と思われる、軽音部の小出さんがクラスメイトになったことである。2年になってからは教室では、二人で一緒にいるところを多く見かける。1年の初めの頃、葉月さんがしばしば3組を訪れていたのは、小出さんに会うためであった。そのため、現在教室で見る葉月さんは本当に楽しそうで、幸せそうであると僕は感じている。

それに小出さんだけでなく、大久保君が再びクラスメイトであることと、喜多川グループのうち、四谷さん以外の3人が別クラスになったことも本当に大きい。新学期が始まってまだ半月ではあるが、葉月さんの普段の様子に、思わず僕が面映くなるくらい日常の彼女は気分が上々である。

 そんな彼女が、今日という日に、僕に話しかけてきたのは本当に驚きであった。話していくうちに僕自身も楽しくなったし、何よりも望外であったのは、彼女の口から僕のことを「楽しい」「面白い」jと言ってくれたことだ。

このことは僕を、小説の世界とは違う別の世界にいざなわれる気分にしてくれた。それだけ今日の出来事は、普段の僕が人との会話において、楽しいや面白いを感じていないことが、ひしひしと伝わるきっかけになったのは、何とも言えないところではあるんだけど。


ミロのヴィーナス。

昨日までの僕の、葉月さんに対する賛辞を表す表現である。不完全ながら人々に強く印象付ける美しさを彼女は醸し出していた。

そんな見ることしかできない「物体」が、交わり接することのできる「人」に、今日から僕は彼女をそう認識するようになると思う。

そんなことを布団の中で考えていたら、いつしか時計の針は0時をまわっていた。

 

翌日、眠たさを誤魔化すために、眼をこすりながら僕は教室へ入る。普段誰とも挨拶することのない僕は、今日もいつものルーティンで真っ先に自分の机へ向かう、つもりであった。 

「川端くん、おはよう!」

挨拶されることに慣れていなかった僕は、急に目が覚めて、その声の主の方を振り返ると、笑みの溢れた葉月さんが、隣にいる小出さんらをお構いなしにして、こちらに向けて手を振っていた。

何だか恥ずかしくなってしまった僕は、葉月さんに向かって軽くを会釈をして、すぐさま席についた。

「みっちょん、川端くんに挨拶するなんて珍しいね」

葉月さんのことをあだ名でそう呼ぶ小出さんが、彼女に問いかけているのを僕は地獄耳で聞き取っている。正直なところ、葉月さんが僕のことを親友にどう話すのか気になっていた。

「うん。昨日偶然会ってね、そこで色々話したから」

「どうせみっちょんばかり喋ってたんでしょー」

「あれ?バレた?そうなんだよね〜。昨日の愚痴を川端くんについぶつけちゃって」

「やっぱり。一度火が付くと止まらないからなーみっちょんは」

とりあえず、葉月さんが僕と『出会いベンチ』で遭遇したことを話題に出さなかったため、僕は安堵した。知らなかったとはいえ、さすがにあのベンチに居座り続けたことは、僕にとって羞恥以外の何物でもないから。まだ4月だというのに、朝から汗をかいてしまったよ。冷や汗だけど。

その後は僕との一連のやりとりを話題にすることなく、葉月さんは小出さんや他のクラスメイトとの笑い話に夢中になっていた。


 2時間目が終わった後の休み時間。昨日購入した小説の続きを読もうと、その本をカバンから取り出す。昨日、自宅に帰ってからの僕は、葉月さんと邂逅したことによる回想で、この小説の存在を全く気にかけていなかった。あれほど読みたくて何駅も離れた書店へ出向いたというのに。

30ページあたりの、主人公の男の子がスパイを志すきっかけを知ろうと、僕はあちらの世界に手をかける。

「川端くーん。今日も本読んでるの?」

わずか10秒足らずで現実へ引き戻され、視線を本からそちらへ向けると、つい先ほど見た笑顔が今は1mくらいの場所まで近づいている。

「うん。昨日葉月さんのせいで読めなかった続きを読んでいるところだよ」

ちょっと素っ気なく返事をしてしまった僕を、葉月さんは申し訳なく思ったのか、

「だからごめんってば。仕方ないじゃん、川端くんがあんなところで本を読んでたんだから」

そう僕の耳元に声をよせる葉月さん。あんまり近づかれるとクラスメイトに訝しがられるよ。

「その件はどうもありがとうございました。それで、今日の僕も何か変な行動をとっているように見えるのかい?」

「ううん。今日は至って普通の、いつもの川端くんだよ」

「だったら何で・・・・・・」

珍しく周囲を意識しすぎてしまい、僕が言葉に詰まっていると葉月さんは、

「ただ単に昨日みたいに川端くんとお話ししたかったの」 

と、純真無垢な表情で僕にそう告げた。

「昨日の今日で何か話すことなんてあるの?」

「あーまたそういうこと言う。昨日は私ばっかりしゃべっちゃったから、今日は川端くんに話してもらうと思って」

そう言いながら葉月さんは、僕の前の席の椅子に横向きに座り、上半身だけを僕の方へ寄せた。思いっきり股を開いて椅子に座らない辺りに好感がもてる。さすがは葉月さんだ。

「・・・・・・何を話せばいいの?」

いつもなら人と話すことに億劫になってしまう僕ではあったが、少しだけ、ほんの少しだけ彼女と話をしても良いと思える自分がいる。

「じゃあ、今読んでる本について教えてくれない?」

「あれ?小説にあまり興味ないんじゃないの?」

僕の問いに、葉月さんは少し困ったような表情を浮かべる。

「うんとね、昨日帰ってから急に気になり出しちゃって。川端くんって面白いから、一体どんなジャンルの本を読んでるのかなって」

何だか少し面映ゆそうな表情を浮かべる葉月さんに対して、僕はどことなく違和感を覚えるが、正直に答えることにした。

「そうだな・・・・・・推理モノだったりSF系、恋愛といった王道モノは一通り読んでいるかな。あと、ライトノベルだったら異世界ファンタジー系も読むよ。あくまで、僕が面白人間になる一助にもなっていないけれどね」

「そうなんだぁ・・・・・・・」

『異世界』というフレーズに、葉月さんが少しポカンとしていることを切なく感じてしまう僕。『なろう系』ってワードを言わなくて本当に良かった。いや、もしかしたら、その後に言った発言に引いてしまったのか?

「今読んでいるこれは、身寄りの無い少年がスパイを志す話なんだ」

「へぇー。何だか面白そう。あっ、最近アニメで話題になっているスパイファミリーも面白いよね」

話を膨らまそうとしてくれる葉月さんの口ぶりが軽くなる。

「どちらかというとスパイ教室の方が近いかも」

「うーん。それはわかんない」

「ごめん。それで、その少年の生い立ちが今気になっているところで、それと彼が出会った少女も色々訳ありで、今後の展開が気になるんだ」

 僕があらすじの最初の方を語ると、葉月さんが目を輝かせて食いついてくる。握りしめた両の手を太ももに添えたまま。

「もしかしてその男の子と女の子って恋に落ちるのかなー?」

「さあ。僕もまだ導入部分しか読んでいないから何とも言えないけど。そんな流れになる気もする」

「絶対そうだよー。きっとその二人は禁断の関係に落ちるんだね」

すっかり考察を始めてしまった葉月さん。きっと彼女は恋愛モノが好きなのだろう。先ほどまで太ももにあったそれが、いつしか僕の机の上に置かれていた。カーディガンの袖を握っている彼女。

「随分と気になっている様子だね。読み終わったら貸そうか、この本」

「本当に?でも私、普段全く小説なんて読まないからいつ返せるかわからないよ?だったらさ、川端くんその本読み終わったら私に内容を教えてくれないかな?」

「うーん。それでもいいけど、お互いに共通の本を読んで感想を言い合える方が、僕にとっては新しい発見があるかもしれないし勉強になるんだよね。葉月さんも小説をすらすら読めるようになった方が、受験にも役立つと思うんだ」

この時の僕はすでに、葉月さんと感想戦を言い合えるような「友達」になれると思ってしまっていた。周囲の視線もいつしか気にならないくらいに、自分の思いの丈を彼女にぶつけていた。本当に後から思えば、自分勝手なくらいに。

「そ、そうだね。じゃあ読み終わったら貸してね」

そう言って、小出さんたちの方へ戻っていく葉月さん。その日の彼女はこれ以降、僕に話しかけることはなかった。

僕は彼女に言ったことを後になってとても後悔した。授業中や家に帰ってからも四六時中。

もし、葉月さんの提案を断らなかったら、明日も僕は彼女と話せるかもしれない。彼女と共有する時間が増えるかもしれない。

そんなことを思う僕は、もはや日課である読書よりも、彼女とのコミュニケーションを欲していた。だからこそ、今の僕は明日からの日常に少なからず不安を覚えることになる。

『葉月さん、しばらく僕に話しかけてこないのではないか・・・・・・』


そんな心配が杞憂に終わったのは、次の日の午前中のことだ。

「川端くーん!昨日の小説どこまで読んだ?」

2限終了後の休み時間。意気揚々と僕がいる席の一つ前の席の椅子に、まるで予定調和の如く、ごく自然に座る葉月さん。昨日と同様に横向きに座り、手を握りしめながら笑顔を浮かべて・・・・・・。

「うーん。実は昨日から全然進んでないんだ」

「そうなの?すごく読むの楽しんでたから、もう半分くらい読んだのかと思った。何か予定でもあった?」

「ま、まあね」

普段からぼっちの、僕の予定が埋まることなどほぼほぼない。そう、僕は葉月さんについ嘘をついたのだ。とても些細なことだが、今の自分には何故だか大きなものに感じるくらいの嘘を。

「そっかぁ。昨日の今日だけど、続きがちょっと気になってね、続きを聞こうと思ったの」

申し訳なさそうにそう話す葉月さんの表情に純然たる優しさが垣間見えたことで、僕の心はすっかり晴れきっていた。

「それは申し訳ないことをしました」

僕はただただ素直にそう口にした。すると葉月さんは、

「それはそうと川端くん。英語の予習はしてきた?」

と、今度は少し前屈みになりながら、僕に問いかけてきた。先ほどまでの恭しさとは対照的に、積極果敢な姿勢を見せている。

「一応やったけど・・・・・・」

僕が少し言葉に詰まったのは、予習内容である英語の和訳に全くもって自信がなかったからだ。

「ちょっと教科書見せてくれない?」

「う、うん」

僕が英語の教科書を開くと、葉月さんはより僕の方へ身を寄せて、不意に右手の人差し指をある英単語に向ける。

「このthatが指す単語がよくわからないんだよね」

「【あの】で訳したらいいんじゃないの?」

「うーん。そうなんだけどさ、どの単語のことなのかよくわからなくて、奏凛とかと話してたの。万が一、先生に質問されたら答えられるようにしておきたくて」

葉月さんは恐らく予習は万全にこなすのだろう。僕があまり気にしていなかったことをしっかり疑問を持って取り組んでいる。それに彼女の英語の発音は聞いていて心地良い。イントネーションまでしっかり把握してあるのが容易に想像できる。そんな彼女が苦戦しているこの文を僕がわかる訳がないと悟った。だけど、彼女の期待に応えたい自分もここにはいる。

「僕は何となくこの辺のことを言ってるんじゃないかと思うよ」

この発言に葉月さんは驚いた表情を浮かべて、

「えっ!?川端くんもそう思った?!私もその箇所を指してるんだと思うんだ!」

と、今度は椅子から立ち上がり、目を輝かせて僕の目を真っ直ぐに見ている。そんな彼女の表情に僕は一瞬憮然としてしまう。

「いや、僕の意見は当てにはならないと思うよ・・・・・・」

僕は葉月さんの目を見れずに少し視線をずらしてしまったのも束の間、いつの間にか彼女は僕の眼前から消えていた。

「かりーん!さっきの英文なんだけど、川端くんも私と同意見だったよー」

そう言いながら、葉月さんは再び小出さんたちの元へ帰っていった。彼女のためにも僕らの解答が多数派であることを願わずにはいられない。

正直この一連の会話中、僕はある一つのことに意識が囚われていて、あまり葉月さんとのやりとりを覚えていない。それには理由があった。


 間近で彼女の、葉月さんの「指」を初めて見たこと。その時に感じた感情に、僕は腹立たしさを覚え、後悔の念が込み上げていたからだ。


 女子高生は華奢な指をしているというのが僕の偏見であるのだが、彼女の指は一般的のそれとは到底かけ離れた大きさで不恰好というしかなかった。とてもじゃないが彼女にそれに関することは言えない。

『指4本で箸は使いづらくない?』とか。

いや、死んでも言えない。言ったら当然ながら葉月さんは傷つくだろうし、もう一生口を聞いてくれないかもしれない。

こんなことを思ってしまった自分を酷く軽蔑するし、ガキだと思う。この日の僕は自身の卑しさで気が狂いそうだった。

それと同時に、葉月さんがそんな指を、至近距離で見せてくれたことに少し胸が熱くなった。なってしまった。

過去に経験したことのないその感覚を思い出しながら、今日も僕は夜ふかしをする。


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