出会いベンチ②
クラスメイトの葉月さんに『出会いベンチ』で会ったこの日の僕は、なかなか寝つけずにいた。
出会いベンチ。〇〇駅から歩いて2、3分くらいのところにある公園の、このベンチのことはネットの検索ですぐにヒットした。
単純な出会いであったりパパ活といったりと、利用目的はさまざま。SNSであらかじめ連絡をとって待ち合わせするなんて事もざらにあるようだ、今日見たあの二人の知り合った経緯は分からないが、「出会い」目的であったことは明白なようだ。僕の知らない真実というか闇がこんなにも近くに存在しているんだな。葉月さん以外の女性に話しかけられなくて本当によかった。
葉月美千奏。
高校1、2年生とも同じクラスで授業を受ける、お互いにまともに話したことのない、ただそれだけの関係であった。まさか、彼女とこんなにも多くを話す日が来るなんて思っていなかった。
葉月さんの顔立ちは整っていて、率直に可愛いといえる。普段の、「今」の彼女は本当に明るくて、笑い声も度々聞き取れるくらい伝わってくる。それでいて鼻にかからない澄んだ声の持ち主。学業の方もクラス内で上位となかなかに優秀。軽音部の彼女は毎日、ギターかばんを背負って通学している。その姿に僕は好感を持っている。いや、姿というよりも生き方にである。それは、彼女が「ある」障害と共に生活しているから。
高校入学当初、彼女は周囲から冷ややかな目で見られていた。陰口を言われたり、時にはからかわれたり。いや、表現が甘いな。彼女は明確に馬鹿にされていた。
葉月さんは生まれつき左右の手の指が4本ずつなのである。そのことを彼女は、入学当初から自己紹介でクラスメイトに伝えた。障害を伝えるという行為自体辛いことであるはずなのに、彼女は持ち前の笑顔で教卓の前で話してくれた。この時から、僕は彼女に好感を持っていた。普段の振る舞いにしても特に気にはならなかった。むしろ葉月さんの醸し出す雰囲気は男子を中心に好まれていた。
一目見ただけではわからない障害。それでもそのことで軽蔑し、差別する輩は存在する。彼女に対する風向きが変わったのは、ギターケースを背負ってきたあの日からである。
***
授業中にメモを回し始める女子たち。メモを読む彼女らは笑いを堪えている。
すると、そのメモが僕のもとへと届く。隣の席の女子に渡してくれとのこと。折りたたまれたそのメモを、僕は開いて確認した。好奇心とはまた違う、読まなければいけないという義務感にも似た感情を持って。
『ユビナシ、ギターなんか持ってきてるけど、もしかして軽音部に入るつもり?さすがにキモいんですけどぉー。カッコイイ先輩がいるから入ろうと思ってたけど、入る気失せたわ』
その文の下には異なる字体で、
『どうせあの子もイケメンの先輩に好かれたいんじゃない?悲劇のヒロインを装って。うちのクラスの男子にも媚売ってる感じだし。麻耶(隣の席の女子の名前)はどう思う?』
邪な感情を持っているのはお前らの方だろ、と憤りを感じた僕はそのメモをくしゃくしゃに握りつぶして手の中に収めた。手紙を渡してきた女子の視線が多少は痛かったが、それよりも僕は、その時の感情を抑えるのに手一杯であったため、気にする余地はなかった。
とある日の朝。いつものようにギターケースを背負って登校してきた葉月さんに、いかにもクラスカーストの上位と思われる女子グループの一人が話しかけてきた。この前、メモに悪口を書いていた連中だ。
「おはよー葉月さん。今日もギター持ってきてるけど軽音部に入るの決定したの?」
「おはよう喜多川さん!うん。軽音部に入部決めたよ!」
いつもと変わらない明るい挨拶でそう答える葉月さん。
すると、バッチリ巻いてきたであろう、ふんわり縦ロールの髪の毛を指に巻きつけながらその女子は話しを続ける。
「そうなんだ。でもそのギターってただの飾りじゃないの?」
「えっ、どういうこと?」
その女子の発言の意図がわからない葉月さん。ギターは飾るものではなく弾くものだよ、ときっと言いたかったに違いない。
「だってその指でギターなんて弾けるわけないじゃん。だからそのギターを持って気になる先輩に近づきたいのかなって思って」
そう不躾な言葉を葉月さんにぶつけてきた彼女に対して、苦笑いを浮かべながらも葉月さんはそれに応える。
「ああ、そうだよね。弾けないと思うよね普通。でも私、それなりにギター弾けるんだよ。喜多川さんが聴いてみたいのなら弾いてみようか」
「・・・・・・じゃあ弾いてみて」
椅子に腰掛け足を組みその上にギターを置く葉月さん。その周りを4、5人の女子グループが囲む。
「へぇー。ギターも左でやるんだ?」
葉月さんは左利きで筆記は左手で行なっていた。食事もそうである。
「うん。譜面が逆になったりするけど、左手で弾く方がやっぱり馴染むんだよね」
笑顔でそう答える葉月さん。ギターに触れると自ずと笑みが溢れる様子だ。
「おっ、葉月さんギター弾くの?オレも聴いてみたい!」とクラスメイトの男子も近づいてきた。
好奇な視線を葉月さんへ向けるクラスメイトたち。それでも葉月さんは気にせずに演奏を始めた。
教室内に響き渡るアコースティックギターの音色。ギターに関する知識は無知である僕でも、この音色には心が弾んだ。
1、2分間であったが、他のクラスメイトもきっと同様の気持ちを気持ちを抱いたに違いない。自然と拍手の湧く教室内。
「おー。すげーな葉月さん。オレもギターやってみたくなったわ」「カッコイイな葉月さん!」
男子だけでなく、女子も葉月さんにより惹かれていく。それでもこれを良しとしない女子も少なからずいたのは相変わらずだが。
「とりあえずHRが始まるからこの辺でおしまいね」
そう言いながら、ギターを片付け始める葉月さん。すると、彼女を取り囲んでいた女子たちが刺々しい言葉を突きつける。
「そっかー。葉月さん可愛いから逆にその『障害』を武器にして、自分を売り出そうとしてるんじゃない?」
「それな。こんな子見たことないから、きっと注目浴びてメジャーデビューとか?」
女子二人が適当なことを言い始めたが、葉月さんは謙虚な姿勢でこう言い返す。
「いやいや。私なんて全然下手っぴだから、ギターでご飯食べていくなんて絶対無理だよ」
「そんなこと言ってー。障害のある子を集めてバンド組むつもりなんでしょー?絶対ウケるってそれ」
「おー。そうだとしたらとんだ策士だね、葉月さん!」
「・・・・・・」
思わず言葉を失う葉月さん。それでも、
「いやいや、そんな。障害のある子で音楽する子なんて、なかなか出会えないから無理だよー」
と頑張って輩どもに返答していた。
「いやいや、SNSで宣伝すればきっと集まるって」
教室内の雰囲気が悪くなり始めたところに、ちょうど始業のチャイムが鳴ったことで、ひとまずこの場は収まった。いや、これでいいのかよ、と思った生徒は僕含め少なからずいただろう。それでも葉月さんを擁護する言葉は誰の口からも出てこなかった。
その日からトップカースト女子らの、葉月さんへの嫌味や悪口を言う「醜態」は散見され続けることになった。やがてアルファ(リア充・カーストトップであろう男子)たちをも取り込んでいった彼女たちに、反論したり抗うクラスメイトはいなくなった。
「最近、休み時間にあの子、全然クラスにいないよねー」
「それなぁ」
「わたし3組で見たよ。同じ軽音部の女の子と喋ってた」
「ついに、私たちに怖気付いて逃げたんだねー」
執拗なまでに葉月さんにこだわり、嘲笑を繰り返す彼女たち。
「私、知り合いが3組にいるから行ってみよっか?」
「いいねー。あの子どんな顔するんだろぉ?楽しみー」
その言葉を聞いてついに僕の許容、臨界点への限界が来てしまう。
スッと席を立ち、彼女たちに近づいたオレはこう言い放った。
「あのさ、いい加減、ガキみたいなことするのやめたらどうですか?」
教室内の空気が瞬時に変わったことに僕は気づいた。すると、そのグループのリーダーであろう、縦ロールふんわり髪の喜多川優が、僕を睨みつけてきた。
「なに?別にちょっとからかいに行くだけじゃん?何か問題でも?」
一瞬眉間にシワを寄せた喜多川であったが、すぐに鼻にかかるその声で僕にそう言った。その雰囲気から、自分たちの行為に何ら問題はないという変な自信を、僕は感じ取れた。
「その行為がガキなんですよね。高校生にもなってもまだそんなことやってて、恥ずかしくないんですか?」
同級生ではあるが、よそよそしく敬語を使って喜多川を諭そうとする僕。
「はあ?別にあたしたちが何してようが、あんたには関係ないでしょ?」
「そうそう。私たち、葉月さんとコミュニケーションとりたいだけだしぃ」
「あの子可愛いしモテるから何か参考にでも、って私たち、一緒に話したいだけなんだよねぇ」
寄ってたかって喜多川たち3人は自らの正当性だけを僕にぶつけてくる。言葉は柔らかいが、何か違和感のあるそれを僕は酷く嫌った。ただ、その中にもう一人、四谷花音という、あくまで僕の主観ではあるが、このクラスで一番可愛い女子生徒だけは、何も言って来なかった。
「そんなにコミュニケーションとりたければ、この教室でしたらどう、ですか?3組の人たちに迷惑ですし」
「はあ?何が迷惑なのよ」
「だから、他クラスで跳梁跋扈するのはどうかと思うんですよ」
「へっ?なんて言ったの?意味がわからないんだけど?」
どうせ小説も読まない、新聞も読まない彼女たちには今の言葉は知る由もないだろう。というか敢えて知らない言葉で彼女たちを揶揄してみた僕。ちょっとだけ気が晴れる思いである。
「とにかく大勢で押し寄せるのは、うちのクラスの評判にも関わることだから、やめてもらえますか?」
「いや、私たちってそんなに迷惑、」
「まあまあ喜多川さん、川端くんの言いたいこともわかるから、葉月さんとのコミュニケーションはうちのクラスでしよう?」
救世主かの如く、クラスで1、2を争うイケメンの大久保理人が僕と喜多川の間に入ってくれた。
「えーっ、だってさ、大久保くん・・・・・・」
先ほどまでとは打って変わって、しおらしい表情に変わる喜多川優。
「喜多川さんたちみたいな可愛い子が大勢押し寄せちゃったら、3組の男子たちの視線の的になっちゃうよ。そうしたらそのクラスの女子たちは君たちのことを良い目で見なくなりそうだからさ、ね?」
とんでもないリップサービスを大久保君は喜多川らに与える。きっと僕が言えば、ただただ気持ち悪いだけのその台詞は、彼が言ったからこそ、抜群の効果がある。
「わかったよぉ。3組には行かないから。その代わりに大久保くん、お話しない?」
上目遣いをしながら大久保君にそう提案する喜多川。
「俺で良ければいいよ。川端くんは・・・・・・」
「僕は自分の席で小説でも読むから戻る」
「オッケー。喜多川さん、音楽とか聞く?」
僕に軽くアイコンタクトとってきた大久保君。本当に助かった。感謝してます。ただ後ろにいた喜多川の睨みには心折れそうになったが。
しかし次の日、とある用事で4組にいる中学校時代の同級生に会うために、廊下を歩いていたところ、いつも見かける美人4人組が立ち話をしていた。まさかとは思うが、こいつら葉月さんを待ち伏せしてるんじゃないだろうな。
そう思ったのも束の間、リーダー喜多川と目が合ってしまう。
「げっ、何でこんなところにいんのよアンタ」
こっちのセリフだよと思ったが、軽くいなすことにした僕は、
「4組の生徒に用があるんだよ。そっちこそ何でいるの?」と逆に質問する。
「別に立ち話してるだけよ、ねえ?」
「そうそう。世間話してるだけだしぃ」
まさか、とは思いつつもその場を立ち去ろうとしたが、不敵な笑みを浮かべる喜多川らに嫌悪感を覚えてしまった僕は、思わずこう言い放った。
「君たちさ、いい加減、こんなダサいことをするのはやめたらどうだい?」
なるべくオブラートに包むつもりであったが、それなりに鋭い言葉を彼女らに浴びせると、当然ながら気持ちを逆撫でてしまい、反撃を食らうことに。
「はあ?ダサいって何よ。そんなことしてないし!」
「そうよ。そっちこそ何かと私らに因縁つけてくるけど、一体どういうことよ?」
「まさか、葉月さんのことが好きなんじゃない?可愛いからねーあの子」
「なるほど〜絶対ありよりのありだよね。だからそんなに、私たちを敵視してるんだー」
「・・・・・・」
相変わらず四谷さん以外の3人が僕に口撃を与えてくる。そして、僕が葉月さんに気があるみたいなことを言ってきたことに、思わず言葉が出なくなってしまっていた。図星というわけではないが、葉月さんに対して、確かに多少の好意はあるのかもしれない。だからといって、そんなことを彼女らに言っても何の解決にもならないと感じていた僕は、何か打開策を考えずにはいられなかった。
このような感情は、やはり葉月さんへの好意の裏返しなのだろうか。
「わー、やっぱり図星だぁ」
「だったら私たちなんかに構ってないで、葉月さんの所へ行ったらどうなのよ?」
「それな」
喜多川たちの間で話が大きくなってきたところで、僕はある決断を下した。
「違うよ」
「いやいや絶対そうでしょ。なに照れてるのよ」
「・・・・・・僕が好きなのは、君だよ。喜多川さん」
その場の空気が一瞬にして、静寂の空気に包まれる。勿論、僕のこの発言は嘘である。この四人のなかでは、むしろ四谷さんが一番しおらしくて、可愛らしい。
「はぁ?なに言ってるの?そんなこと言われたって・・・・・・別にアンタのこと、興味ないんだけど」
僕の突然の告白に、先ほどまでの威勢のいい声色がトーンダウンしている喜多川。すると廊下で行われたこの発言を聞いていた3、4組の生徒数名が、クラスメイトに一部始終を伝えようとそそくさと教室へ入って行くのが確認できた。やはりここでの発言はマズかったと思ったが、僕はすぐに話を続ける決断をする。
「君は無くても僕にはある。クラスで一番綺麗な喜多川さんに」
「だ、だからぁ、あれだけ因縁つけてきたのに意味わかんないんだけどぉ」
意外にも喜多川の頬が少しずつ赤らんでいくのが目にとれる。これが羞恥なのか憤怒なのかは区別できない。声色的には前者っぽいが。
「わからない?じゃあ教えるけど、僕の好きな人が、教室で葉月さんのような人を見下したり唾棄するのを見ているのが耐えられないんだよ」
「な、なによそれ・・・・・・」
「とにかく、僕は喜多川さんにはもっと恭しく甲斐性あって欲しいんだ」
この全くの嘘、でっちあげをうそぶくことであたかも真実であるかのように、僕は喜多川の目をじっと見つめながら話し続ける。
「な、なに言ってるかわかんない!もう教室行こ、みんな!」
教室の窓やドアから観覧する野次馬らに居た堪れなくなったのか、喜多川らは教室へそそくさと戻っていった。
「川端、マジで喜多川さんに告ったのかよ!?」
翌日登校すると、僕が教室で話す数少ない友人である吉田にそう告げられる。早速ここまで知れ渡ったか。
「そうだよ。好きだから告った」
「いやいや絶対嘘だろ。お前、喜多川さんのことディスってたし」
「まあそうだけどさ、嫌よ嫌よも好きのうちというか、気になってたんだよ」
僕がそう言ってもなお、信じていない様子の吉田。
「お前本気で言ってんの?まあでも、フラれたんだからもう彼女たちに絡むのはやめとけよ」
「いや、フラれてないけど」
僕が真顔でそう答えると、吉田は右手を左右に振りながら、「いやいや、振られたんだろ」と信じない。まあ普通に考えればフラれたと思うんだろうが、正式に僕が喜多川にフラれたわけではない。
すると、教室に入ってきた喜多川と、一瞬目が合うが、すぐに逸らされてしまう。
「ほらやっぱりフラれてんじゃん」と吉田が言う。
「いや、照れくさいんだろ?」と僕は笑いながらそう答えた。
これで葉月さんに対する、喜多川たちの嫌がらせは終わるだろうと期待したのだが、そうは問屋が卸さなかった。
「葉月さん最近3組に入り浸ってるみたいだけど、そんなにこのクラスが気に入らないの?」
「本当だよねー。私たち、もっと仲良くなりたいのにー」
喜多川たち四人は、葉月さんに近づき、不平不満を言いたい放題口に出している。
「そんなことないよ。ただ話の合う子が出来たから遊びに行ってるだけだよ」
笑みを見せる葉月さんだが、彼女らの圧力に、当然ながら無理している感じも垣間見える。
「それってさ、間接的に私たちとは話が合わないって言ってるよね?」
「そうそう。その子って同じ部活の子でしょ?だったら部活の時とか放課後話せばいいじゃない?」
「これからクラス対抗戦だったりあるんだから、私たちみんなと仲良くなりたいんだよ?葉月さんをクラスメイトが避けてるなんて思われたら最悪だし、今からそんなんじゃこのクラスの空気どんどん悪くなっちゃうし」
変な言いがかりをつける喜多川たち。お前らの方が、よっぽどクラスの空気を悪くしてるってことに気づかないのか?みんなにそのような聞こえる声で話されると、こっちの気が滅入るんだよ。
それを胸の内に必死に抑えながら、僕は喜多川たちに近づいた。
「あのさ、この前僕が言ったこと、覚えてる?」
「さあ?何のこと?」
知らんぷりの喜多川。彼女たちの視線が鋭くて痛い。それでも、
「僕は喜多川さんに、そういうことを言ってほしくないんだよ。好きだからさ」
「だ、だから、みんなの前でなに言ってんのよ!私はアンタのことこれっぽっちも好きじゃないから!」
ついに正式にフラれてしまった僕。それでも、そんなことは関係なくて、彼女たちの意識を葉月さんから僕に向けることを僕は第一に考えていたため、全く辛くはない。いや、嘘とはいえ少しは堪えているかも。
「それでも僕は、好きな人にクラスメイトに対して、そういうこと言ってほしくないんだよ」
「だからさー・・・・・・あーっもう、アンタと話していると気が滅入ってくる」
僕の真剣な眼差しに嫌気がさしたのか、喜多川たちは自分の席の方へ戻っていった。
「あの・・・・・・川端くん」
葉月さんは僕にお礼を言おうと思ったのか話しかけてくる。それでも、
「あっ、変に気を遣わなくてもいいよ。僕がしたいからしているだけだし」
と葉月さんの言葉をきちんと受け取る前に、僕は自分の席へと戻った。今の僕と話すことは葉月さんにメリットがないというか、喜多川たちのリフレクション(反抗)を恐れているからだ。
そんな僕の思考を察してくれたのか、みなまで言わず、葉月さんは軽く会釈をしてくれた。それだけで彼女の思慮深さを感じとれる。
その後も喜多川たちの不審な言動を察知する度に、僕は彼女たちに近づいて一言告げる。
「また葉月さんにちょっかいだすつもり?」
「は?別に葉月さんのことなんて喋ってないんだけど!」
また来たよという目というか、いよいよもって、彼女らの蔑んでくる眼差しに僕は少なからず引け目を感じながらも話を続ける。
「僕の目をちゃんと見て、もう一回言ってみて」
もはや周囲から「狂人」「キチガイ」と呼ばれても仕方のない狂言を僕は言葉にした。
「だから言ってないってば!ていうか、マジでキモいんだけど!」
喜多川はそう言って、いつもの3人を連れて教室を出ていった。
次の日、葉月さんと喜多川らを教室内で見かけないことを訝しく思った僕は、3組の教室方面へと向かおうと自然と体が動いた。僕のクラスは8組のため階段を下りようとすると、階段の踊り場で喜多川たちを発見。
そこに葉月さんがいないことにホッとする僕。そして、喜多川たちと目が合った僕は、「こんなところで、何してるの?」と彼女らに尋ねた。
僕の質問を無視する喜多川たち。教室へ戻ろうかとも思ったが、変な嗜虐を思い立った僕はそのまま階段を降りて彼女たちに話しかける。
「ねえ、何でこんなところで喋ってるの?」
「・・・・・・」
僕に対して完全にだんまりを決め込んでいる喜多川たちに、僕はイラっとしながらも嘲けたい気持ちが芽生えていた。
『ドン!』
「!!!」
僕は喜多川の顔の横、わずか数センチのところの踊り場の壁を手を握りしめながら思いっきり叩きつけた。それに思わず驚いた喜多川は、思わず目を見開いて僕の方へ顔を向ける。恐怖心を携えて。
「やめてよ、そういうことするの・・・・・・」
喜多川の表情を見て、僕はふと我に返る。彼女の瞳に涙が溢れてくるのがわかった。普段見せる自尊心によって形作られた雰囲気、圧力を今の彼女には感じ取れない。
人間は何て弱い生き物なんだろう。この時の僕は自分勝手な思考に囚われていた。
すぐに教室へと戻っていった喜多川らであったが、きっと何かしらの行動をとってくるだろうと、僕はこの時に感じ取った。
「川端、何で呼ばれたのかわかっているな?」
「はい」
案の定、担任に呼ばれて話を聞くと、喜多川らによって、多くのクラスメイトから、僕が彼女に付きまとうストーカーに仕立て上げられていた。彼女らに対する言動が行き過ぎていると、彼は多方面から相談を受けたそうだ。
いや、多方面ってどこだよ。喜多川たち以外にいるとは考えてもいなかったが、やはりスクールカーストのトップ。きっと下の生徒たちにも何かしらの圧力があったに違いない。普通に教室内を客観的に見ていたら、僕がストーカーであることは明らかに不自然である。それでも僕が喜多川に告白したことは事実であるため自業自得なのだが、どうにも釈然としない。
「確かに僕の言動には、行き過ぎた点もあり反省しています。しかし、もとはといえば喜多川さんたちの葉月さんへの言動にも問題があったはずです。僕がそれを注意しても、一向に改善には至らなくて」
「だから好きとか言って、自分に矛先を向けさせようとしたのか?」
「まあ・・・・・・そういうことになりますね」
男性担任は、僕の意見にしっかりと耳を傾けてくれた。暫しの間考え込んだのち、重い口を開く。
「別に喜多川のこと好きでないんなら、彼女と話すよりも葉月さんに話しかけるのはどうだ?」
彼は自分が思う最善策を考えてくれていたが、僕はそれを良しとはしなかった。
「僕が葉月さんに張り付いたとしても、結局僕のいない隙に喜多川さんたちは彼女に何か仕掛けてくると思いますよ。そもそも葉月さんは、こんなキチガイな僕を受け入れてくれるとは思いませんけど」
「いや、考えすぎだぞ川端。きっと葉月は、お前のことを好意的に捉えているぞ」
「うーん。そういうものですか?」
「ああ」
「でもきっと上手くいかないです。葉月さんに悪いです。彼女の、あの雰囲気を僕は壊したくないんです」
僕は自分の気持ちを、正直に担任へ伝えた。彼女との距離感が、このままでの状態であり続けることを、僕は強く望んだ。
「そうか、わかったよ。葉月のこと、ちゃんと考えてくれて、お前、本当にいいやつだな」
「いえ、そんなことはありません」
「ただな川端。お前のクラス内での立場が相当に厳しくなるが、それでいいのか?先生心配だぞ」
心配そうに僕を見つめる担任教師。そんな彼を安心させるために僕は、彼にこう告げた。
「大丈夫です。そう言ってもらえるだけで十分です。それよりも先生の方から、喜多川さんたちに上手く言ってもらえますか?」
「わかった。でも辛かったら、いつでも先生に言えよ」
「ありがとうございます。それでは戻ります」
そう、僕は自分の立場については、そこまで気に留めてはいない。むしろ担任の対応について、僕は危惧していたが彼の様子からして、僕と喜多川たちの双方が苦渋を舐めることは無さそうだ。どこぞのサッカー日本代表監督のように、放置することはありそうだが、実に選手(生徒)思いである。それだけで、今の僕には十分であった。
その日以来、喜多川たちから葉月さん、僕から喜多川たちへの執拗な口撃は鳴りを潜めた。ただ、陰口、特に喜多川たちから僕へのそれは終わらない。その穢れはクラスメイトたちへ伝染していった。僕と会話する人間は誰もいなくなった。教室で最も話す吉田さえも。当然ながら僕の態度にも問題はあった。敢えて相手を突き放すような言動が数多くあった。僕を擁護するような態度のクラスメイトにも、敢えて無視したり嘲笑することで突き放し、僕との繋がりを断つことに徹した。
周辺でもそれなりの進学校であるこの学校の生徒に、他者を痛ぶり自分の立場を誇示する人間はほぼいなかった。
要するに周囲との空気感を重んじ、できるだけいざこざといった波風立てる奴らは、僕の通う高校にはほとんどいない。それ故に僕の今の居場所が失われることはなかった。だけど、どこか、主体性であったり積極性に乏しい彼らは、協調性という名の檻にしがみついているだけな気がしてならない。
何様だと言われるのはごもっともだが、それでも僕は、クラスメイトに嫌気が差している。葉月さんを助けてやれない、喜多川たちにNOとも言えない、そんな彼らを僕は、少なからず蔑んでいた。
僕は一人でいることを選んだ。
高校生活が始まって約2ヶ月後、休憩時間中の僕は、教室で一人、小説を読むことだけを欲する「ぼっち」となっていた。
コンクリートからの日差しの照り返しが強くなってきた6月初旬、僕はとある小説に執心してしまい、放課後になってもただ一人教室に残っていた。小説の内容が気になり過ぎたこともあるが、この時期の夕方の、頬に吹き付ける風が僕を、自身に起こる様々な感情に対して、常にフラットに戻してくれる、半永久的にこの空間に留まらせてくれるような感覚にさせてくれた。
そんな感覚は、教室前方の引き戸が開いたことで一瞬にして吹き飛ぶことになる。中に入ってきたのはクラスメイトの大久保君であった。
「やあ。まだ学校に残ってたんだね」
一瞬、驚いた様子の彼。それでもすぐに、普段と変わらぬ爽やかな笑みを彼は見せてくる。
「うん」
大久保君と会話をする気のなかった僕は、ただ一言そう答えた。
「数学の宿題があることをすっかり忘れていたから取りにきたんだ。帰る前に気づいてよかったよ」
「そっか」
自分の机の中に手を入れ、数学の教科書とノートを取り出す大久保君。僕は彼と目線を合わさず、読んでいた小説の文字をじっと見つめていた。彼がすぐに教室から出て行くことを、僕は望んでいた。
「いつもこんな時間まで教室に残ってるの?」
すぐには帰ろうとしない大久保君。僕と会話をしたいのだろうか?彼の視線が、時折クラスメイトから浴びるそれとは異なることに、僕は違和感を感じた。
「いや、今読んでいる小説が面白くて、つい居座っていたんだ」
「そうなんだ・・・・・・」
恐らく大久保君は『何の小説を読んでいるの?』と訊きたかったのだろう。ただ彼は普段小説を読まないため、会話が続かないと判断し、そうは言ってこなかった。完全に僕の憶測だけれども直感でそう判断した。
ほんの少し、時間にして5、6秒の沈黙の後、再び彼は口を開ける。
「川端、辛くないのか?」
僕は思わず大久保君の方へ顔を向けた。彼が僕のことを呼び捨てで呼んだこと、僕を心配する彼の発言に、そうせずにはいられなくなったからだ。
大久保君の表情が、とても悲しみに溢れていることに僕はすぐに気づいた。普段の彼からは想像できない、今までに見たことない表情に少なからず僕は動揺した。
それでもこの感情を押し殺した僕は平静を装うことを選んだ。
「うん?今のこのクラスでの、僕の立場のことを言ってるのかい?それなら心配無用だよ。休み時間はこうやって読書をしていれば周りは気にならないから。まあ体育の授業のペアを組むのは苦労するけど」
淡々と僕がそう答えると、それでも僕の身を案じたのか大久保君はこう言ってきた。
「葉月さんのためか?」
先ほどまで僕を憂いていたであろう彼の瞳が一変して、やけに熱く滾っているように見えた。
「まあ、それも一因にはあるけど」
僕がほんの少しの間言葉に詰まっていると、彼はあることを提案してきた。
「だったらさ、オレも葉月さんをフォローするからさ、一緒に葉月さんと話さないか?それなら喜多川さんたちも、変に寄ってこないだろうし」
僕にとって、というか葉月さんにとっても、あまり良くないであろうその提案を、僕は素直に拒んだ。
「それはどうかな?きっと喜多川さんたちは、葉月さんに嫉妬心を抱くと思うよ」
「えっ・・・・・・どういうこと?」
「大久保君はみんなから好かれているし、喜多川さんらにも気に入られている。そんな君が休み時間に葉月さんと会話を重ねていたら、彼女たちからの心無い言葉がきっと葉月さんに飛んでくると思うんだよ」
「そんなことになるかな」
きっと大丈夫だよと大久保君の表情が言っていることに、僕は多少なりとも腹立たしさを覚えた。
「十分ありえる。人間は欲深い生き物だから」
「随分とクラスメイトを、否定的に捉えてるんだな」
普段の大久保君からは決して聞かれない、僕を揶揄する言葉が胸に刺さる。
「・・・・・・僕だってこんな考え方は良くないと思っているよ・・・・・・だからこそ、この巡り巡って出会ったかもしれない、この1年8組の雰囲気がこれ以上悪くなるのは耐えられない。その結果、僕はクラスメイトと距離をとることを選んだ」
正義感ほとばしる僕の強い視線に、大久保君は圧倒されているようであった。
「とても自分勝手だということは重々承知しているんだけど、僕から大久保君にお願いがあるんだ」
「なに?」
「君はクラスのムードメーカーとして中立の立場、クラス内の秩序の均衡を保ってもらいたいんだ」
僕のこの、側から聞いたら奇天烈な発言に、大久保君はしっかりと耳を傾けてくれている。それが彼のひととなりの良さなのである。
「これまた随分と大役を任されてたもんだな、オレは。そんな大それた人間じゃないぞ」
「いや、君だからこそできることだよ。君の人柄の良さはクラスのみんながわかっていることだから。僕みたいに不器用ではないし、彼らに対して平等にうまく接してくれないかな・・・・・・あっ、ごめん。少し訂正するよ。出来れば喜多川さんたちには、その比重を大きめにとってもらえるとありがたいのだけれど。君とはやたらと話したがっている様子だし」
僕はひたすら一方的に、自分の意見や考えを話し続けた。この時々制御できなくなるところが、僕の悪いところである。それでも僕は彼に彼女たちの、葉月さんに対する妬みや嫉みを和らげてもらうことを強く望んだ。そして、大久保君はその意志を汲んでくれることを選んだ。
「わかったよ。上手くやれるかわからないけど、やってみるよ」
「ありがとう」
「あのさ、オレからも一つ提案してもいいかな?」
「なんだい?」
「教室内で、葉月さんが一人でいることをオレは望んでいないから、今後そういうことがあったら、オレはクラスメイトの女子に、葉月さんに話しかけてほしいと頼むけど問題ないかい?もちろん、喜多川さんたちにはお願いしないから」
「うん。そこは大久保君に一任するよ」
「ついでに君にも話しかけてもらおうかい?」
笑いながら僕をからかう大久保君に、つい相好を崩しかける僕。それでも平静さは失わなかった。
「あいにく僕は、こうして休み時間に小説を読むことを気に入っているから、そんな心配はご無用だよ。あっ、でも大久保君だけになら、お互い同じ本を読んだ後の感想戦を、喜んでお受けするよ」
「かんそうせん?ごめん。オレ、小説は読書感想文くらいでしか読まないんだよな。すまないね」
やっぱりな、と思うと同時に大久保君が感想戦を知らないことを残念がる自分がいた。
「全然いいよ。気にしないで」
「じゃあ、オレ帰るから。またな」
「うん。じゃあね」
この時の会話がこの1年間で一番長いものになるとは、この時の僕は当然ながら思ってもいなかった。
拝読を決め込み、ただ一人でいることを欲した僕とは対照的に、葉月さんの周りには少しずつクラスメイトが増えていく。彼女は頭も良いようで宿題を聞きにくる女子であったり、今流行りのバンドの話をするために男子が来たりすることが、度々見られるようになった。
僕がただの空気みたいに教室の一部と化している頃には、毎日葉月さんの笑声が聞こえるような空間が形成されていた。
これで良かったんだ、これが正解だったんだと僕は自分自身を肯定しながら、異なる世界に身を委ねることで自分の居場所を確保していた。
***