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小さな翼⑧

 その日の放課後、運動着に着替えた僕は葉月さんと大久保君の背を見ながら後を追うように練習場所へ向かった。今日は体育館脇で練習するらしい。

 到着すると、ある人物が真っ先に目に入った。喜多川だ。

「理人ぉー」 

 目に涙を浮かべながら大久保君の袖に抱きつく喜多川。慟哭するではないが、今までに見たことのない彼女の様子に僕は戸惑う。

 鬼の目にも涙。口が裂けても言えないが、僕はそういう感情が芽生えた。

 すると、すぐに喜多川の視線が鋭くなる。僕の存在が視界に入ったからだ。

「ごめんな、優。昨日の電話でも言ったけど、オレの怪我が完治は体育祭には間に合わないから優とは一緒に踊れない」

「・・・・・・」

「代わりに川端君が参加してくれることになったんだ。LINEでも言ったけどペアについてはこの後話し合おう」

 涙を拭った喜多川は軽く僕を睨め付ける。彼女にとっても僕のことは天敵であるのだから、そういう態度になるのは理解していた。その点においては真摯に受け止めることができる。

 しかし、問題点はそれだけではない。僕らのわだかまりのせいで周囲に迷惑をかけないかどうかが最も懸念であったのだ。

「わたし、これから部活なので、すみませんが行ってきます」

 その場から葉月さんが去ると、何だか僕は孤独感が湧いてきた。こういう気持ちになるのは久しぶりだ。

 部活のない生徒が次々に現れる。

 さあ、どうしたものか・・・・・・しばらくの沈黙の後、一人の女子が話しかけてきた。

「あれー?君が川端くん?」

 身長は170cmまでいかないだろうか、体操服をラフに着こなし長い茶髪を後ろに束ねた女子生徒。化粧も濃いめでアイラインもはっきり塗られている。

 この人が木村さんだとすぐに認識した。

「はい。2年○組の川端音哉です」

「はじめましてー。副団長の木村菫です。名前はすみれだけど全然謙虚じゃないから、そこんとこよろぉー」

「・・・・・・はい」

「あっ、ごめん。口ぽかーんだよね。すみれって花言葉で『謙虚、誠実、小さな幸せ』って意味なんだー。だけど謙虚さの欠けらはないってわけ」

 初対面の僕にフランクにそう話す木村さん。自己紹介にも彼女らしさがひしひしと伝わってくる。

「謙虚だけじゃなくて誠実さもねーけどな」

 そう木村さんをディスるのは、同じく副団長の3年男子の近藤先輩である。茶髪で陽キャな今時の男子高校生という印象だ。

「おい、失礼だぞ、近藤ー」と木村先輩の口調が厳しい。

「冗談だってー木村。そんなことより川端くん!バク転できるってマジ!」

 興味津々に訪ねてくる近藤先輩に対して、しばらくやっていないがバク転、バク宙くらいなら出来る旨を伝えたところ、

「よっしゃー。これでオレは血ヘド吐きながら練習することはなくなったー」

 と、一人歓喜している彼。バク転未経験によるこれからの練習地獄の日々を回避できたこで、その喜びを全身を使って表現している。確かに残り数週間でマスターするのは生半可な覚悟ではやれないからな。チャラい近藤先輩には相当酷な話だ。

「なに一人浮かれてんのよ。その分ダンス頑張んなさいよ」と木村先輩の檄が入る。

「わかってるよ。それよりも川端くん、ちょっとバク転やってみてよ」

「・・・・・・今ですか?」

 近藤先輩だけでなく他の生徒からも懇願され、僕はこめかみを掻きながら逡巡した。それでもこの場の空気に押され、致し方なくやることに。

 体育館脇のアスファルトということもあり、多少の恐怖心は芽生えたが、ふーっと呼吸を整えてスッと両腕を振り上げる。

「おおー」

 多少不恰好ではあったがそれなりに着地はまとまった。正直、バク転なんて2年ぶりであったので内心バクバクだった。

「バク転めっちゃキレイじゃん!何かやってた系?」と木村先輩。

「はい。中学時代に体操部だったので」

 多くの生徒が称賛してくれるなか、喜多川だけは眉根を寄せ僕を睨んでいる。一瞬は動揺したみたいだが。

 長い自己紹介の後、部活組が来る前の一部練習が始まった。

 やはり体操部であったことを告げるまでは良かったのだが、ダンス経験などほぼ皆無であった僕は、当然ながら一つ一つの動作を流れるようにこなせない。それでもまずは、断片的であってもしっかり身に付けようと必死に臨む。


 初練習から2時間、18時が過ぎようとした頃、部活組が続々と到着する。葉月さんも部活を早々に切り上げて参加に加わった。

 体育祭リーダーが全員集合し、団長である高城先輩が僕を紹介し、軽く挨拶を交わした後、再び練習を始める。ただ、僕を含め2年生はあることを決めなければならなかった。

 男女によるペアダンスの組み合わせである。応援合戦で行われる青軍のメインダンスには、何度か男女ペアで踊る箇所があるため、ペア決めは必然なのだ。

 そのペアは既に決まっていたのだが、負傷した大久保君の相手というのが喜多川だから、普通であれば喜多川の相手は僕ということになる。

 しかしながら、僕と彼女は犬猿の仲以上の間柄であるためそう易々とペアとなることはできない。当の喜多川は、目当てであった彼氏との最高の想い出がぶち壊されて、未だに不貞腐れている様子だ。

 そんな僕らのことは2年生の間では意外と周知の事実となっていたため、この二人がペアを組むことは周囲も望んでいなかった。ここは大久保君にペアのシャッフルを提案してもらいたいところである。みんなそれを望んでいるはずだ。

 すると、葉月さんが先んじてある提案をしてきた。

「あのさ、瀬戸くんには悪いんだけど・・・・・・わたし、同じクラスの川端くんとペアを組みたいんだけど、ダメかな?」

 葉月さんの発言に僕はびっくりする。まさか彼女から提案してくるなんて、喜多川への心証が悪くなるに違いないと僕は考えていたからだ。

「オレは大丈夫だけど、喜多川はどう?」

 葉月さんのペアであり喜多川とクラスメイトである瀬戸君が彼女に問いかける。そして、大久保君もそれに加勢する。

「クラスメイト同士だと個人練習もしやすいだろうし、どうかな?優」

「・・・・・・理人が言うんなら・・・・・・そうする」

「よし、じゃあ決まりだね。優のことよろしくね瀬戸君。オレも二人の練習はサポートするし、もちろん川端君と葉月さんのことも」

 大久保君の説得により、ひとまずペアは決まり、僕ら2年生も全体練習に加わることとなった。喜多川の溜飲が下がる様子は見て取れないが、大久保君がそばにいてくれればとりあえず安心だろう。

「よろしくね、川端くん」

「うん、こちらこそ。というか今日久しぶりにやってみて僕のダンスは酷い以外の何物でもないから、葉月さんにおんぶにだっこになるだろうけどご指導のほどお願いします」

「任せといて!ていうかいい加減、敬語やめない?こうしてダンスもペアになったんだし、言いたいこと言い合えなきゃ上達なんてできないんだし」

「・・・・・・善処するよ」

 葉月さんの、僕とペアを組みたいと言った意図が気になりつつも、とにかくダンス練習に邁進することが急務であり義務であるため、今はとりあえず考えないようにしておこう。

 体育祭まで3週間。僕にとっては過去に例もない壮大な学生生活が始まった。


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