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出会いベンチ

人々の出会いと別れを見守ってきた桜の季節はとうに過ぎ、新たな環境にみんなが慣れ始めてきた4月の下旬、普段と何ら変わりなく、僕は一人教室を出て帰路に就く。

 高校2年生となってクラスも変わり、周囲の生徒たちは新しい環境に一喜一憂しているようだが、彼らとは違い、僕は今日も何事もない日常を送っていた。閑日月といえば聞こえはいいが、別にただボーっと暮らしているわけではない。

 僕には語彙力向上という目的のために、読書に日々勤しんでいるのだ。今日も気になる著者の新刊の発売日ということもあり、HR終了直後、一目散に教室を出ていった。僕に「バイバイ」「じゃあな」と話しかけてくるクラスメイトもいない。そう、それが今僕の置かれている現状である。

 僕には友達がいない。正確には半年前にはいたが、今はいない。ある出来事をきっかけに作ろうとも思わなくなった。同世代の人間たちの卑しい感情を僕は受け入れることが出来ない。彼らの妬み嫉みは見るに堪えない。そういう感情を抱くくらいならもっと物事を肯定的に捉えたらどうなんだ。もしくは、今日の僕みたいにこれから買いに行く本のことだけを考えていれば、そんな心が和らぐだろうに。

 そう、僕は今からある小説を購入するために急いでいるのだ。決して今のこの学校生活を疎んでいるわけではない。


 そんな思考を巡らせているつもりはなかったが、書店の新刊コーナーに到着した僕は、ついその場で睨め付けながら悪感情を表出させている。

 その書籍棚に目当ての小説が表立っていないのだ。

 本日が発売日であったはずだが、対象物は皆目見当たらない。仕方がないのでレジの店員に尋ねてみると、「申し訳ございませんが、明日の入荷となっております」と返答されてしまう。

「そうですか、わかりました」

 渋々行きつけの書店を後にし、これからについて思考を巡らせた結果、隣町のそれなりに大きな書店へ向かうことに決めた。やはり本日の最大目標である、あの新刊を手にするまでは帰るわけにはいかない。そのため今の僕に他の書店へ出向くという選択に逡巡の余地はなかった。

 そうと決まれば話は早い。足早に駅へと向かった僕は、駅構内の電光掲示板を軽く確認した後、本来帰宅に使用する電車のホームには向かわずに別のホームへ、そして別方向へ移動した。首の血管の脈動に違和感を感じながらも。


 20分後、高校の最寄駅から都会方面へ進んだ電車を降りた僕は、過去に二、三度出向いたことのある書店へ颯爽と向かった。

「なんだ。やっぱりあるじゃん」

 そう小さく呟きながら、僕は新刊を手にとる。この時、胸の鼓動が穏やかになっていくのを感じ取ったことで、僕は小さな自尊心が回復したのを確認できて安心していた。

 新刊を購入し書店を後にした僕の足取りは、十数分前とは違いのんびりというかでゆっくりしている。周囲の情景を見渡しながら軽やかに駅へと向かっていると、ふと公園に目線がいく。比較的大きな繁華街の、この街にしては珍しい閑静な様子のその場所に僕は無意識に入ろうとしていた。春の夕風が心地良かったのか、はたまた普段運動しない帰宅部の僕に神様がここで休みなさいとお声がけをいただいたからなのか見当もつかなかったが、今にしてみればこの行動は必然であったと思わずにはいられない。

公園に入ると街路樹を両脇に従えて、中央を緩く曲がりくねった道が通っている。その道と街路樹の空いた隙間には程よく刈り上げられた芝生が綺麗に敷き詰められていた。

 桜が儚く散ってしまった新緑の木々を見上げながら僕は、公園内の道の十箇所くらい、街路樹を背にして等間隔に並べられたベンチに腰を下ろすことに決めた。

 何故か駅のホームにもある一人用のベンチが二つ、対になって等間隔に存在することに違和感を覚えつつも、先ほど購入したばかりの小説を読みたい気持ちの方が勝っていた僕は、とりあえず現実とは異なる世界で陶酔することを選んだ。 

 

「あれ?川端くんじゃん!なんでこんなヤバいところに座ってるの?」


 とある世界に心酔していたところに聞き覚えが微かにあるその声が舞い降りてきたことで、僕はすっと現実に引き戻されてしまうことに。

 見上げるとはっきり見覚えのある同じクラスの女子が、僕の間近、おおよそ30cmないくらいの距離で、ギターかばんを背負った体を屈めながらこちらを見ている。 

「近い」

 僕が一言そう呟くと、笑いながら彼女は、

「ごめーん。ていうか、ちょっと離れたところから話しかけたんだよ私。それなのに川端くん全然気づいてくれないんだもん。だからこうして接近してみたの」

 と軽くへそを曲げたような態度で腕を組んでいる。

「葉月さんだっけ?気づかなくてごめん。だけど、僕だってこうして集中して本を読んでいたんだ。だから悪く思わないでくれよ」

 そう彼女に形だけの謝罪をする。一応クラスメイトであるためそれなりに体裁を整えるのが筋だろう。

「名前覚えてくれてたんだ!嬉しいな」

 頬に両の手を当てながら、何故だか彼女は喜んでいた。

「葉月美千奏さんだろ?珍しい名前だし、それに1年の頃も同じクラスだったから当然だよ」

 僕がそう答えると、彼女はフルネームを知っていたことを驚いたかのように目を見開いている。まあ覚えていたのは他にも理由があるからなのだが。

「下の名前も知ってたんだね。つい驚いちゃった」

「葉月さんだけじゃなくて、クラスメイトの名前はおおよそ覚えているよ。そういうの覚えるのが得意なんだ」

 普段休み時間も一人で読書にふけっている僕を、他人に興味がないのだろうと彼女もきっと思っているのだろう。それくらい高校生活における僕の行動はあの日以来地味になった。

「そうなんだ・・・・・・」

「それはそうと、何で君は僕のことをヤバいって言ったの?」

 つい睨みをきかせるというか目を細めながら僕はそう言った。多少なりとも小馬鹿にされたと感じてしまったからだ。

 そんな僕の問いに再び彼女は目を見開き、今度は顔をこちらに寄せてくる。そして、耳元に近づいてこう言った。

「だってここ、ていうかこのベンチ、『出会いベンチ』って言われてるんだよ?」

「出会いベンチ?」

「うん。あっち見て。サラリーマンの男の人がこんな夕暮れ時に一人で座ってるでしょ。仕事が終わってるはずなのに帰らないんだからきっと誰か求めてるんだよ」

 そんな眉唾な話があるかよと訝しんでいると、3、40代と思われるその男性のもとに一人、20代前半くらいの若い女性がやってきた。最初はどうせ知り合い同士の待ち合わせかと思ったが、目を凝らしていると、どうにも違和感を感じずにはいられなくなった。

 まず、男性の様子。目がニヤニヤしているのはその女性が綺麗であるため当然といえば当然なのだが、彼の方が明らかに年上なのに腰の低さが見てとれた。そんな彼がどうにも畏まっている様子に思えたのだ。

 そして、女性の方は何だか年上の男性に対して、慣れているというか仰々しい態度に感じた。身に纏うブランド物であろう洋服やバッグがそれを更に誇張させている。

 会話は一切聞こえていないためあくまで僕の推測でしかないのだが、女性の方から腕を組んでいく様子にカップルではないのだと感じ取れた。

「ほら、あの二人腕組んで歩いていったよ。カップル成立だね!」

 面白い光景を目の当たりにしてテンション上がってます、という心情が葉月さんの声色から伝わってくる。

「初対面の男女というのは疑わしいけど、これから一緒に何処かへ行くのは成立したようだね」

 僕が冷たくそう答えると、先ほど目の前にいたはずの葉月さんが視界から消えたことを感じ取ったのも束の間、右腕の方に何やら温もりが伝わってきた。

「じゃあ私たちはどこ行く?」

 ついドキっとしてしまった胸の内を知られないようにそっと横を向くと、不思議と虚無感を感じてしまった僕は、仕方なく彼女の方へ視線を向けると、あからさまにからかっているのがわかる、けれど何とも形容しがたい彼女の笑顔に一瞬で目を奪われてしまった。

 ほんの一瞬見つめ合った後、僕はスッと立ち上がった。

「どこに行くも何も僕は了承していないんだけど。それに暗くなってきたからもう帰るつもりだよ」

 素っ気なくそう答えると、彼女に後ろから制服の袖を掴まれ、

「つれないなぁ。もうちょっとこのベンチで喋って行こうよー」

 そう言ってもとの位置へ腰をかけさせられる僕。無理にでも帰ることは可能であったが、葉月さんの強引さ、もとよりこんな僕に話しかけるという行動力に屈して、大人しく彼女の話を聞き入れることにした。

シンメトリーではあるが頭からはみ出るその鞄を下ろした葉月さんが今日の出来事の愚痴を話し始める。まずは午前中。数学の問題を不意に解かされたこと。私の順番じゃないのに不意を疲れたよぉ、と葉月さんは話していたが黒板に向かって淡々とその問題を解く彼女の背中からはそのような焦りというか戸惑いは微塵も感じ取れなかった。

 次に昼休み。前の授業が定刻の数分前に終わったことで、売店にある人気のフルーツサンドが確実に買えると思った葉月さんは意気揚々と階段を降りて向かったそうだ。しかし、その先に見えたものは『本日臨時休業』の張り紙。彼女が人伝に聞いた話によると、売店の卸先であるパン屋の主人の身内に不幸があったそうだ。致し方ない理由なのだからあまり愚痴を言ってしまうと、葉月さんの方にもバチがあたりそうで心配になる。

 そして放課後。彼女の大事な活動拠点である軽音部の部室が、本日は新入生に向けた体験入部お茶会と化していたそうだ。どこぞの〇〇○ティータイム(○いおん!)だよと内心思っていると、

「『新入生へのおもてなしは私たち3年生がするから2年生は帰ってもいいよー。それとも一緒にお茶する?』って言われたもんだからもういいやって部室から出てきちゃった。せっかくメンバーと曲合わせしようと思ってたのに、先輩たちホントおっとりしすぎててこっちまで調子狂っちゃう。どこぞの○いおん!かよ」と僕の心を見透かすように愚痴る彼女。

「!!!」

 思わず吹き出しそうになった僕は、思わず彼女から顔を背けた。

「あー笑ったなー。私の不幸を笑ったなー」

 思いのほか気を悪くしたとは思わない、破顔した彼女の表情が僕に近づきながらポンポンと僕の二の腕を叩く。

「違うよ。葉月さんの愚痴がさ、面白くて」

「面白い話なんかしてない。愚痴だよ、愚痴」

 服の袖で覆った手のひらで僕の腕を叩くことをやめない葉月さん。

「まあいいや。そんな不幸な私がフラフラこの道を歩いていたら、何と公園に川端くんがいたもんだからつい話しかけたんだよ。絶対にこのベンチのことわかってないんだろうなって」

葉月さんの言う通りこのベンチのことは理解していなかった。仮に知らない女性に話しかけられたと思うとゾッとする。話しかけてくれたのが葉月さんで僕はある意味ツイていた。彼女とは違って。

「そうだったんだね。でもこんな僕に会うなんて、本当に今日の葉月さんはツイていないよ」

 すると、葉月さんはフルネームを呼ばれた時と同じように再び目を見開きながらこう言ってきた。


「なんで川端くんと会ってツイてないの、私?」


 純粋に不思議がっている葉月さんをはっきりと感じ取れる。そんな彼女の様子に僕は一瞬言葉を失った。

「えっ・・・・・・だってこんな隠キャにこうして出くわしたんだよ?」

「イヤイヤ。こうして、あまり話したことのないクラスメイトの君に、こうやって愚痴を言えたんだからついてないわけないじゃん。それにからかうこともできたし!」

 掌を左右に振りながらそう言った葉月さんの表情は明るい。確かに不幸な人の表情ではないな。

「からかっていたんだね、僕のこと。まあ人の役に立てたのなら良かったよ。僕みたいな人間でも」

 あくまでも謙虚なクラスメイトを装う僕。

「なんか川端くんって自分のこと卑下しすぎじゃない?」

「・・・・・・」

「何か言ってよぉ」

「いや、葉月さんの言葉から『卑下』って出てきたから意外で。君も小説か何か読んでるの?」

「ううん読んでないよ。漫画ならたまに読むけど。たまたま知ってただけだよ。ていうか高2なんだし知ってて当然じゃない?えっ、もしかして私って、川端くんからしたらそんなお馬鹿ちゃんに見えてるの?」

 ふてくされた様子で地面を蹴っている葉月さん。この時の僕は、『卑下』という言葉に彼女自身何か思い入れがあるのではと勝手に勘繰ってしまっていた。

「別にそんなこと思ってないよ。葉月さんも僕みたいに小説読むのかなって思っただけ」

「うーん。小説はちょっと苦手かな。文字が多くてなんか疲れちゃう」

 世の中の女子高生の大半が思っているであろう、小説が気難かしいものという偏見。彼女からも少なからずそう感じとられ、僕は少し失望というか残念な気持ちになっていた。

「確かに最初はそう感じるかもしれないけど、好きな分野から読み始めると意外に慣れていくものだよ」

「そういうものかぁ・・・・・・まあでも、やっぱりこうして他愛もない話してる方が楽しいな」

 楽しい・・・・・・いつぶりだろうか。誰かにそう言われたのは。そして、その言葉に少なからず胸が昂ぶる僕。

 茜色に染まっていく空にまるで呼応するかのように僕の頬も赤らんでいくのが僕自身感じとれていた。


「暗くなってきたね。そろそろ帰ろっか?」 

「そうだね」

「そういえば何で川端くん、こんな所にいたの?」

「所望の本を探しにほとんど降りたことのないこの駅に来たんだ。それで久しぶりにかなりの距離歩いたからここで休んでいたんだよ」

 僕がそう言うと、葉月さんはスッと立ち上がり、

「なんだぁー。『君に出会うためにここに来た』って言ってくれれば格好良かったのに」

 彼女は両腕を広げ背筋を伸ばす。夕日に照らされた後ろ髪が美しい。 

「今日の僕は、君にからかわれるためにここにいたのかもね」

 明朗な葉月さんに負けないように、いや彼女の期待に応えるべき言葉を投げかけると、葉月さんはこちらを向いて一言。

「ははは。やっぱり川端くんって面白いね」

 彼女に遅れて僕も立ち上がり、日が落ちきる前に僕と葉月さんは帰路に就くことにした。

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