ヴルカン
◇
学校の一室で制服姿の一人の男が足を組み、報告を聞いていた。
カタカタと足を揺らし、不満を隠そうともしない。
一之瀬を探していた時、代表して前に出てきていた男だった。
集団のトップではないにしろ、そこそこの発言権のある人物である。
一之瀬礼賛会――ふざけた名前だが、その実、無秩序に一之瀬へ群がる人々を制御・管理するためにできた組織である。
一時期、学校生活に支障をきたすレベルで人が集まり、行き過ぎたファンの暴走を止めた実績から、それなりに受け入れられている集団でもあった。
「――以上になります」
「次」
吐き捨てるように言うと、報告を行っていた男子生徒が逃げるようにして退出する。
続いて入室してきた眼鏡の男子生徒を見て、男の眉間の皺が一層深くなった。
「なぜお前がいる。部外者は去れ」
「相変わらずつれないねぇ、中曽根。ボクらは同じ、彼女を旗印にしているじゃあないか」
眼鏡の男子生徒はその縁をくいと押し上げた。
「要件はなんだ、大石」
ぶっきらぼうに言い放つ中曽根の様子を見て大石は肩を竦めた。
「例の君が気にしてた彼、大樹のところへ向かったよ」
中曽根がこぶしを机に叩きつけた。
「なぜそれをすぐに言わない!」
「言おうとしたさ。言わせて貰えなかったけどね」
中曽根は舌打ちをし、部屋を出ていこうとする。
「焦りすぎなんじゃない? 行ってどうするの」
「無理やりにでも引き離す」
「穏やかじゃないね」
中曽根が大石の肩を強く掴んだ。
「ならどうする」
重く響く声に大石の額に冷や汗が流れる。
「落ち着けよ、いつも通り一旦放置でいいだろ。今となっては見ている人も増えてきたし、そうおかしな真似はできないよ。告白合戦している奴らと変わらないさ」
「前回見かけた時、二人は知り合いらしかった。それにあまりにも距離感が近かったように感じた! 何かあってからでは遅いんだぞ! 現にこの間だってトラブルが起きたじゃないか!」
中曽根は一之瀬に好意を持っていた。それはある意味当然のことで、会に所属する男子であればもれなく同じ思いを抱いていることだろう。野望というにはいささかチープかもしれないが、彼自身にとっては彼女の隣に立つという目標が何にも代えがたいものとなっていた。
邪魔な男は排除したいのが本音だ。だが実際のところそうはいかない。だからこそ、一之瀬と接触した人物――特に男子に関しては注視していた。
中曽根は声を荒げながらも、ドアノブから手を放し元居た椅子に座る。悔しいが、中曽根自身、焦っている自覚はあった。
「こちら側に勧誘する。いや、そっちでもいい。とにかく、目の届く場所に置きたい」
囲ってしまうのが最も手っ取り早い。
ルールがあり、階級があり、管理がしやすい。
「いやー、ボクらの方はついさっき断られたよ」
「おま、お前なぁ! 絶対余計な事喋っただろう!?」
「語ったと言ってくれ」
「同じだ!」
「ちなみに大樹のこと教えたのもボク」
中曽根は頭を抱えた。大きなため息をつくと、話題を切り替えるためカレンダーのある一日を指し示す。
「……大石、わかってると思うが、今週末、例のトラブルを起こした奴が謹慎明けで出てくる」
「あぁー……確か彼女に粘着したあげく、フラれて、暴走して、乱闘騒ぎだっけか? ボクはその場にはいなかったけど、魔法も飛び交って何人か病院送りになった惨事だったって」
「そうだ。ああいう頭のネジの外れた奴はまた何かしでかす。警戒するに越したことはない。しばらく別室で補習だそうだが――」
中曽根は拳を固く握りしめる。怪我をした者の中には親しい人もいた。
その場に居なかったことが悔やまれる。
「あの二人がどういう関係なのかは知らん。だが本当に親しい間柄なのだとしたら――アイツと会わせるのは危険だ」
面倒ごとが増えそうだ、と中曽根は眉間を押さえる。
騒ぎを起こしたとはいえ、事情を知らない者も多い。それこそ、中曽根自身、相手の外見を見たことがない。
せめて名前くらいは、身内にだけでも共有した方がいいだろう。
ふと、中曽根は顔を上げる。その大事な情報が頭から抜けていることに気が付いたのだ。
「そういえば、名前は何だったか」
「おいおいそれ、忘れちゃダメだろぉ。アイツは――あれ?」
意気揚々と語ろうとした大石の口が閉じられる。
「どこの、誰だ……?」
名前だけではない。奴に関する一切の情報が抜けていることに気が付く。
この期に及んで情報収集をしていないなんてことがあるだろうか?
見た目も名前も所属も不明。すぐ近くまで迫った未知に、二人はどこか胸騒ぎを覚えるのだった。
◇
週末になり、祐は学校に備え付けられた施設の一室で一之瀬を待っていた。
天井と床を含む部屋の全面がモノトーンで構成され、同じ材質であることを想起させる。
実際、魔法の練習用に作られたシェルターのような部屋であり、ちょっとやそっと魔法をぶっぱなした程度では傷などつかない。
ふざけた生徒が壁に向かって魔法を放つこともあるが、今までそれによる修繕の話は聞いたことがなかった。
(人が少ない日とはいえ、個人で借りられるんだなぁ)
これも一之瀬の影響力の賜物だろうか。
味気ない部屋の片隅で壁を背に座る祐は、近くに転がっている鞄を手繰り寄せた。
焼け石に水と思いつつも、学校支給の教本などは一応持ってきている。手ぶらで、というのもなんだか申し訳なかったからだ。
ただし使うことはないだろう。そもそも今までやれそうなことはやってきたつもりだ。
一之瀬には悪いが、いくらなんでも昨日今日で魔法ができるとは到底思えなかった。
「すみません、遅くなりました……っ」
一之瀬はぱんぱんに膨れた鞄を肩に掛け、少しばかり息を切らしながら入室してきた。
時計を確認してみれば、ぴったり定刻である。
「全然、待ってないよ」
実際、祐が来てから5分と経っていない。
一之瀬が荷物を置いたのを見計らい、その中身について尋ねた。
「それは?」
「練習に使えそうなものを集めてきましたっ!」
鞄からは高級感のある杖や、紋様の描かれた紙、分厚い辞書のような本が覗いている。
中には明らかに子供向けの玩具もあった。
魔力を込めれば簡単に魔法が使える、というのが売り文句だったか。
「時間も勿体ないですし、早速始めましょうか。まずはオーソドックスに杖なんてどうでしょう?」
そう言って一之瀬は鞄から細長い棒を取り出した。
杖は魔力の流れを整理して、より効率的で効果的な魔法の使用を可能とする補助具だ。
市販のありふれたものなら数千円だが、高いものは桁がふたつみっつ変わることもある。
便利な反面、シンプルに邪魔だとか、腕輪のように装着したままでは魔力の流れに強い不快感がある、などの問題もある。
一之瀬の取り出した杖など装飾がてんこ盛りで、いかにも高いです、といった見た目である。
うっかり壊しでもしたら……考えたくもない。
一之瀬は杖を祐の前に持っていく。そんな祐の意図を知ってか知らずか、受け取るのを渋る右手にしっかり杖を握らせた。
「あまり気にせず好きに使ってくださいね。練習用に用意したものですから」
それに特別高いものでもありませんので、と一之瀬は笑った。
絶対嘘だ、と祐は心の中で叫んだ。
しかしここまでされてやっぱり止めますとは言えない。
祐は何度か深呼吸を重ねる。
いつになく緊張している自覚がある。会話なら緊張しないのに、と心で愚痴る。
落ち着けば大丈夫だ、と祐は念じ、震える小声で呪文を唱えた。
「【火焔】」
バキンッ!
甲高い破裂音を響かせ、高そうな杖が手の中で半分に折れた。
震えながら一之瀬を顧みる。
「これ、弁償できるかわかんない」
「……えっ、あっ大丈夫です、わたしの私物ですのでっ」
それはそれで中々心にくるものがある。
一之瀬は折れた杖を受け取ると、状態を確認していく。
「魔道具は一度に魔力を流し過ぎると、負荷に耐えきれず壊れてしまうことがあるんです。ですので、安い杖とかだと魔力の許容量が低くて、折れてしまうことはありますよ。この杖はそういった不良品だったのかもしれませんね」
さあ、と一之瀬はウキウキで次の魔道具を手に取る。
マジか、と祐は戦慄した。
「他のも試してみましょうっ!」
◇
そうして一通りの魔道具を使ってみたが――
「……他の物もみんな調子が良くないですね。しばらく使ってなかった所為でしょうか?」
今、祐が粉砕したもので最後だったらしく、一之瀬はしゅんとしてしまった。
スクラップの山となった魔道具を二人してガチャガチャとかき集め、ごみ袋に詰めていく。
とても心が痛かった。
「ごめんなさい、新しく買ってくるべきでした。いや、今からでも……?」
「いやいや、そこまでしてもらうわけには……!」
それは本当に勘弁してほしかった。
意図せず片っ端から人の私物を破壊していく者の身にもなってほしい。
それに、魔道具が使えない理由には心当たりがあった。新しく買ってきたとしても、結果は同じだったように思う。
「困りましたね、魔道具無しだとできることにも限界がありますし……」
「ありがとう。でももう、十分だから」
「……どうして、そんなこと言うんですか?」
手を止め、一之瀬は悲しそうに首を傾げる。
「僕は、魔力制御がうまくできない体質なんだ。だから魔道具は壊れるし、自力で魔法式の構築すらできない。その、【火焔】はできないって言ったけど……本当は、【火焔】も、できないが正しい」
自嘲しながら頬を掻き、祐は最後に壊れた玩具の魔道具を一之瀬に返却した。
「だから、壊れたのは道具の所為じゃない。僕が、壊してる。新品だったとしても、きっと壊してたと思う」
「――でも、それでもまだ他に方法はあるはずですっ! たとえば、えっと……」
一之瀬はいい案を絞り出そうと頭を抱える。
少ししてぱっと顔を明るくすると、両手を胸の前で合わせた。
「いいことを思いつきましたっ! 自力でできないのなら、わたしが魔法式を構築しますっ! 三上さんはわたしを媒介に魔力を通して――」
一之瀬が言い切る前に祐は口を挟んだ。
「駄目だ」
少し強い口調になってしまったと思う。しかしこれだけは譲れなかった。
「で、でも、ヒトは強力な魔力回路を持ってますから――」
「それでも駄目だ。物は壊れても買いなおせる。代わりがある。でも、一之瀬さんに代わりはいないから」
祐は目を閉じ、かつて自分が犯した過ちのひとつを思い返す。
あれは確か小学生の頃だったか。
「昔、美雪……よく一緒にいる友達と同じことをしたことがあるんだ。もっと間接的にだけど……全治2カ月の大怪我だった。美雪の魔力回路はボロボロになって、あと一歩で一生魔法が使えなくなるところだった。さらにもう一歩行ってたら、死んでた」
そして一之瀬の目を見て、もう一度だけ言った。
「だから、絶対駄目」
黙って聞いていた一之瀬は、重い口を開ける。
「わたしの……私のどんなところが、替えが利かないと思いますか?」
「そんなこと考えてもみなかったなあ。……まあ、全部かな? 思いつく限り全部だ」
月並みなことしか言えないが、これが全てである。
「当たり前のことだけどさ、一之瀬さんは一人しかいないからね」
そう、と一之瀬は目を伏せ一呼吸置いた。
「ねえ、三上さん。魔法はもう諦めますか?」
その言葉に祐は大きく頭を振った。
「まさか! せっかく魔法が学べる学校に入ったんだ。もう少し足掻いてみるよ」
それを聞き届けた一之瀬は穏やかな笑みを浮かべた。
「でしたら最後にひとつだけ。精霊魔法をやってみませんか?」
精霊魔法。詳しくは知らないが、名前くらいは聞いたことがある。
非常にマイナーな手法だったと思う。
「この子たちにお願いして、この子たちが魔法を使う。わたしたちは一切魔法を使いません。が、起きる現象は魔法そのものです」
一之瀬の背後から3匹の精霊たちが光点となり現れ、その周りを旋回し始める。
「どうなるかは精霊の気分次第。望んだ結果が得られるとは限らない。だから、一般的には使い勝手が悪いと言われてしまうこともあります。……でも、そうじゃない。精霊は良き隣人で、道具じゃない」
飛び回る精霊を見守る一之瀬は穏やかな顔つきでありつつも、どこか悲しそうにも見える。
ああそうか、と祐は気がつく。
以前、一之瀬は『使役しているつもりはない』と言った。
それは謙遜していたのではなく、真の意味で使役していなかったということだ。
「……精霊が信頼する三上さんのことを、わたしは信用しています。だから三上さんも、この子たちを信頼してあげてください。その上で強く願ったなら、きっと言うことを聞いてくれますよ!」
周りを漂う3つの光点から、一之瀬は緑色の光を手のひらに乗せた。
「屋内ですし……後片付けも考えると、シルフがいいと思いますっ!」
シルフが祐の頭の上へと移動し、鶏として実体化する。やはりそこが定位置のようだ。
シルフは確か風を司るのだったか?
「さあ、どうぞっ!」
勝手も何もわからなかったが、とりあえず願ってみる。
風を起こしてほしい――
「ミドリ――」
「コッ!」
言い切る前にシルフが羽ばたくと、撫でるような柔風が真下から吹き上げた。
同時、一之瀬のスカートはふわりと翻る。
無防備な純白が露わとなる。一之瀬は慌てて裾を抑えるが、時すでに遅し。
羞恥に顔を染める一之瀬と一瞬視線が交錯する。
一之瀬は大きく口を開け、深く息を吸い込んだ。
直後、き、で始まる叫び声が祐の鼓膜をぶち抜いた。
◇
わたしは物心ついた頃には、既に天才と呼ばれていました。
年齢なんてものは関係なく、みんなわたしを特別なものとして扱い、畏怖し、憧れと期待に満ちた眼差しを向けてきました。
わたしが誰なのかを知った途端、今までの関係は消えてしまう。
わたしと話すときはいつだって敬語になり、気づけばわたし自身、敬語が癖になっていました。
わたしが移動すればその後ろをついてくる。何かをすればそれを真似する。意見を言えばそれに同調する。
わたしが絶対といういつのまにかできたルールは、当時の未熟な心でさえも、優越感よりも違和感が勝るほどに大きくなっていったのでした。
それからずっと変わらないと思っていた、どこまでも異質で歪な関係。
彼女はそんな大多数に含まれない、例外でした。
単に彼女がまだ幼かったから? 何も知らなかったから? 細かいことを気にしない質だったから?
彼女のご両親は家を空けがちだったらしく、そういったタブーを教えてくれる敏感な大人が身近にいなかったというのもあるかもしれません。
それでも――彼女の存在は、わたしにとって、かけがえのない宝物なのでした。
◇
「――強く願えば、とは言いました。でも、ああいったお願いはよくないと思いますっ」
「いや願ってな――」
「言い訳はめっ、ですよっ!」
「はい……」
特に指示されたわけではないが、祐は正座でお叱りを受けていた。
だが一之瀬にとって怒りよりも羞恥が勝っていたのか、そこまで厳しく糾弾されてはいない。
原因であるシルフは何食わぬ顔で頭に鎮座し続けている。
もしかして嫌われてるのでは、と疑う一方で今度高い餌でも買ってやろうかとも思うのだった。
「三上さん」
「はい」
「目がいやらしいです」
「はい……」
(どうすればいい! 誰か教えて……!)
「……あの、その……本当はわざとじゃないのも分かってますから。シルフを勧めたのはわたしですし……」
一之瀬はまだ頬を染めながらも、切り替えるように軽く咳ばらいをする。
祐がずっと正座のままでいるのが居心地悪かったのだろう。
祐は一之瀬に手を引かれ立ち上がる。
「えっと、それでですけど……間接的とはいえ、魔法を使えましたね!」
自分から特別なアクションを起こしてないので、実感は湧かなかったが、一応は成功らしい。
「納得いきませんか?」
「まあ、ね」
「確かに、魔力を使っていないですし、指向性を持たせているわけでもありません。いつでも使えるわけでもないです」
今回の役目を終えたと悟ったのか、頭上のシルフは再び光点へと姿を変える。
「でも、精霊という超常の力は三上さんに力を貸したんです。三上さんの意思で、風を起こしたんです!」
立ち上がる時に繋いだままだった手を、一之瀬は祈るように両手で包み込んだ。
「だから、誇っていいんです。喜んでいいんです。三上さんは、魔法を使ったんですよ!」
そう言って一之瀬は口元を綻ばせた。
当人よりも嬉しそうな姿が微笑ましく、祐も頬を緩めた。
それを喜んでいると受け取ったのか、一之瀬はより一層上機嫌になるのだった。
まあ、しかし――
「こういうのも、悪くないか」
「はいっ!」
こうして、祐は初めての魔法を成し得たのだった。
「あーっ、そういえば、ヴルカンさんを探すの、忘れてました……っ!」
「僕が【火焔】を使ったら……みたいな話だっけ?」
時計を見ると時刻は17時を周っていた。この時期ならもう日は沈み、街灯が夜道を照らしている頃だ。
いつもは帰宅する時間である。
「三上さん、もう少しだけ、お時間いただけますか?」
帰ろうかと提案するつもりであったが、一之瀬にとって精霊が如何に大切かを僅かながらでも知ってしまった以上、断るのも忍びない。
祐自身は単身上京してきているので、帰宅時間は最悪一之瀬の都合に合わせれば問題ない。
そう判断し、祐は頷いた。
「いいよ」
「ありがとうございますっ! とりあえず、外に出ましょうかっ」
一之瀬に連れられ、屋上へと出る。
てっきり学校からは出るものだと思っていただけに、ここでどう探すのだろうという疑問が湧いてくる。
ただ、冷めきった風の吹きつける屋上に長居はしたくないと思った。
そんな祐の思いを感じたのか、一之瀬のそばに控えていたシルフが放つ薄緑の光が輝きを増す。
すると吹きつけていた風は弱まり、先ほどより幾分か寒さが和らいだ。風がないだけでこうも違うものなのかと感心する。
凍える心配がなくなったところで辺りをぐるりと見まわす。
「おぉ……」
思わず声が漏れる。
街の煌びやかな灯かりが学校を取り囲み、取り残されたように光のない屋上は上映前の映画館のようだった。
見上げれば、雲の無い澄んだ空に、無数の星々が輝いている。街灯のある場所ではこうはいかなかっただろう。
近くを漂う精霊たちの灯かりを頼りに歩みを進める。
前を先行していた一之瀬が中央付近で立ち止まり、くるりと振り返る。
「さて、あまり長く外に居ては冷えてしまいますし、ヴルカンさんを呼んでみましょうか!」
「でも、結局僕は【火焔】使えないままだよ?」
たしか、祐が【火焔】を使えば寄ってくるかも、という話だったはずだ。
「ふふっ……何も魔法である必要なんて、どこにもないんですよっ!」
そう言ってどや顔で取り出したのは楽し気なイラストがプリントされた大袋だった。
「じゃーんっ! 花火ですっ! これも火ですからっ!」
「今冬だよ?」
「はいっ!」
ニコニコで言われてしまうと、まあそれでいいか、とも思う。
ただ、花火をすることが本当にヴルカンを呼ぶことにつながるのだろうか?
一之瀬がニンフ、と呼びかけると、青い光点が光を強め、無重力空間の水のようにぶよぶよと浮かぶ塊をいくつも生み出す。
別で用意していたのであろう、容器にそれらを集め、その横に立てたろうそくへ魔法で火を灯した。
これで準備は万端といった感じだった。
学校に許可も取ってありますよ、言いながら、一之瀬は袋を開封しススキのように長く垂れる花火を手に取った。
「三上さんも、どうぞっ」
一之瀬から花火を一本渡される。寒空の下、風情のかけらもないそれに祐が微妙な顔を浮かべている間に、一之瀬は自身の手に持つ花火へ火を点けた。
シューと音をたて、激しくオレンジの火花が噴き出す。
「わっ、わっ、こんなに勢いありましたっけ……!?」
慌てた一之瀬は腕を伸ばし火から遠ざかろうとする。しかし、手に持っている以上あまり変わっていない。
そのままゆっくりと後ろに下がりながら、花火に照らされた一之瀬は楽しそうに笑っていた。
祐も先端を火に翳す。祐の花火は緑色の火花を噴いた。
しゃがんだ姿勢のまま火を眺めていると、頭の上で何かが動く。この感じはおそらくシルフだろう。
どうやら緑色とは縁があるらしい。
「うっかり焼き鳥になるなよ」
「コッ」
そんなシルフの様子にふと思い出す。
「そういえば」
一度落として以降、上着のポケットにしまいこんだままだった懐中時計を引っ張り出した。
花火の光を受けてキラキラと輝く。他に前と変わった点は見受けられなかった。
「結局、これって何なんだろう」
どう思う、と頭上のシルフに問いかける。返事は無い。
「お前とニンフは欲しそうにしてたよね。精霊が好む石とか、そういうのがあるのかな?」
だとしたら、これを持っていればヴルカンもやってくるのだろうか。
シルフの前まで懐中時計を持っていくと、咥えようとくちばしを突き出す。盗られる前に懐中時計を遠ざけると、シルフは祐から降り、その手の行く先を追いかけ始める。
猫をじゃらすように遊んでいると、一之瀬が祐の隣にしゃがみ込んだ。どうやら火には慣れたのか、一之瀬は両手に別々の花火を取る。
祐の視線が一瞬外れた隙を突き、シルフが懐中時計をがっちり咥えた。
「あっ」
祐から強奪に成功したシルフは、しかし前回と違い逃げることなくその場に座る。
勝負に勝って満足といった感じだろうか。
そんな祐とシルフの攻防を見ていたのだろう、一之瀬の視線が懐中時計へ向けられる。
「それって確か――」
「美雪がくれたんだ。何か……必要なくなったって」
一之瀬と関わりたくないからだとは流石に言えない。
シルフの咥えている懐中時計が緑色に煌めいているのを見て、もしかして、と祐は思い付く。
「ニンフと、ノームって、今呼べたりする?」
「できますよ?」
一之瀬が呼び掛けると、青と黄の光点が音もなく現れ、それぞれ水母と土竜の形を取る。
シルフから懐中時計を回収し、それぞれを懐中時計に触れさせると、青色と黄色に煌めいた。
祐と一之瀬は顔を見合わせた。
「「そういう石!?」」
ノームが懐中時計を拾ってくれた時、土の色だと思い込んでいたが、あれは黄色に変色していたのだと今では思う。
祐は懐中時計を掲げた。文字盤から少しずつ色が抜けていき、無色透明に近づいていく。最初に見せて貰ったときの色だ。
ただ、このまま自分が持っていても特に使い道は無いだろう。
祐は懐中時計を一之瀬に差し出した。
「これ、よければあげるよ。こんなガラクタいらないかもだけど」
「いや、えぇっ、もしかしたら、すごい価値のあるものかもしれないんですよ!?」
「貰い物で、拾い物だから。それにコイツもほら……気に入ってるみたいだし」
そろそろ返せと言わんばかりにシルフがその手に飛びつく。
「使い道のある人が持ってた方がいいかなって」
「うーん……そう、ですね……三上さんがそれでいいのなら」
再度咥えようとくちばしを突き出すシルフの横からニンフが懐中時計を掠め取る。
両手の塞がっている一之瀬の代わりにニンフがチェーンを掴み、彼女の首に掛けた。
懐中時計なので本来首に掛けるものではないのだが、中々にしっくりくるもので、胸元で光る赤色は一之瀬によく似合っていた。
「ん? 赤色?」
祐が違和感を口にすると、懐中時計の裏から赤い光点が立ち昇る。
「……あーっ!? ヴルカンさ、へくち……っ!」
一之瀬が体を震わせた。
よくよく一之瀬の格好を見てみれば、上着も羽織らずかなりの薄着である。
花火も相まって季節感が仕事をしていない。
ヴルカンは慌てたように反転し一之瀬にすり寄った。
「うう、あたたかいですぅ……」
「なるほど、ヴルカンが暖めてたのか」
一之瀬は鞄から上着を取り出し、いそいそと羽織った。
ほっと息を吐くと、赤の光点をちょんちょんと突く。すると、光点は真っ赤な火鼠へと姿を変えた。
「最近薄着でも寒くないと思ったら、すぐそばにいたんですねぇ」
ヴルカンは確かに小さかった。手を丸めれば中にすっぽり入ってしまいそうなほどである。
「灯台下暗し、ね」
しかし胸元からでてくるのは如何なものか。
そんな雑念を振り払うように祐が頭を動かすと、震えていると思ったのか一之瀬はヴルカンを差し出してくる。
「三上さんは寒くないです?」
「大丈夫。上着があるし、それにミドリが風を弱めてくれてるから」
抱え上げられたシルフはどこか胸を張っているようにも見えた。
祐は周囲を見回す。
鶏、水母、土竜、鼠の姿をした精霊4匹が集合していた。
「これで全員揃ったのかな?」
「はいっ、協力してくれてありがとうございますっ!」
一之瀬は実体化した4匹に囲まれ、今までで一番嬉しそうだった。
「せっかくなので残りの花火も使っちゃいましょう!」
精霊たちも好き勝手に花火で遊び始めている。
一之瀬が上着を着たことで傍にいる必要が無いと感じたのか、肩から降りたヴルカンはネズミ花火の後を追いかけていた。
祐も新たに花火を手にする。
おかしな出会いから始まり、気づけば場違いな遊びを一緒にしている。
一期一会。一生に一度の機会。
今日以降、関わることはなくなるのだろう。
それは、すごく惜しいなと思った。思ってしまった。
「また今度――」
「はい?」
「……いや」
真っ白な吐息が空へ昇り霧散していく。
もっと関わりを持ちたい。関わらない方がいい。
相反する気持ちに結論がでないまま、結局持ち込んだ花火を使い切るまで遊び、二人と4匹は帰路についたのだった。