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隣界のイルミナ  作者: 高級塩
1/8

出会い

 世の中にはわからないことが溢れています。

 人の心、世界の理、明日の出来事。

 わからないことを理解するために、色々な物差しをそれらに当てるのです。

 真か偽か。

 善か悪か。

 理か情か。

 でも、二極化した考えが正しいかすらわからない。

 これがおとぎ話のように、理想の結末だけを見ることができたら、どんなに楽だったでしょうか。

 あの日。大好きだったあの子が失踪した日。泣いているわたしの周りには、たくさんの大人がいました。

 ある人は事故だと言いました。ある人は引っ越したと言いました。

 でも、彼らは一様に、『あなたは悪くない』と言いました。

 仕方のないことだったと。彼女は役目を果たしたのだと。あなたとは不釣り合いだったのだと。関わるべきではなかったのだと。

 頭を撫でられ、可哀そうにと声を掛けられ、あの子の分も強く生きなさいと諭されても、理解ができませんでした。

 なぜあの子がいなくならなければいけないのか。

 大人たちにとって、あの子は既に死んだことになっていました。

 泣いてもいいんだよと涙を流す大人がいました。笑って前を向けと叱る大人がいました。

 わたしはその時、どんな顔をしていいのかわかりませんでした。

 世の中にはわからないことが溢れています。

 それでも、狂った世界で極光を見上げながら、わたしは思うのです。

 きっと、あの子を殺してしまったわたしは、どうしようもないほどに悪なのだと。


 ◇


 昨夜の雪で落ち葉は濡れ、土はぬかるみ、歩くたびにぱしゃぱしゃと水音を立てる。キンキンに冷えた天然水は残念なことに靴への侵略を完了させていた。

 人の手の入っていない林道は季節も相まって歩きにくい。大きくも寂しい姿となった広葉樹が周囲に立ち並び、方向感覚を狂わせる。

 公道から外れ、寂れた立ち入り禁止の看板を通り過ぎたのはいつ頃だったか。

 近くの痩せ木に手を置くと、表面のウッドチップが剥がれ落ちた。

 見慣れぬ森の中を進むことに不安を覚えた黒髪の少年――三上祐みかみたすくは、前方でピコピコと二つ結びのおさげを揺らす同年代の少女、兎塚美雪とつかみゆきに声をかけた。

「なぁ……本当に道あってるー!?」

「んー、多分?」

 美雪は生返事を返すが、その足取りはしっかりとしている。これは信用していいものだろうか?

 実は騙されているかもとか、やっぱりこんな誘いに乗るべきじゃなかっただとか、色々考えてしまう。

 本来であれば今日は図書館で調べものをする予定であったところを、急遽美雪に同行することとなったのである。

 そもそもの事の発端は数日前の美雪のある一言に始まる。

『ねぇ祐。未調査の虚空ホール、覗きたくない?』

 虚空ホール。こことは全く違う、別世界とを繋ぐ穴である。

 隣界と呼ばれる別世界と繋がる現象の際に入り口として生じ、その多くは時間とともに消え、閉じられる。

中では様々な未知の技術や生物などが見つかり、今の世界の発展に貢献してきた。同時に流入する未知が原因の環境の変化ももたらしている。

 良い面と悪い面、2つの顔を持つ虚空は、多くの人にとって、畏怖と希望の象徴でもあった。

 虚空の出現が確認されて間もない頃は、多くの個人、組織が挑み、そのほとんどが失敗し、この世界へ負の遺産を残してしまったという。

 中から現れる生物による生態系の破壊などもそうである。その歴史から、虚空への立ち入りは原則として禁じられている。

 そのため大抵の場合、虚空が出現すれば周囲に厳戒態勢がしかれ、遠目であろうが覗くことさえ許されない。

 祐は首元で揺れる小さな二枚のプレートに触れる。

 それは虚空内外での行動を国が認める調査員の証であった。とはいってもその階級は最下位であり、虚空の外での雑務をするボランティア程度の立ち位置である。未成年でも参加可能であり、調査員の中でも最多人数であるためか、安っぽい鈍色をしている。

 一枚は激しく損傷しており、名前は読み取れない。もう一枚には『三上祐』と書かれていた。

 二枚とも3年前から更新が止まっており、今となっては価値のないただの金属である。

 これを持っていたところで、虚空に近づけば一般人同様に追い返されてしまうだろう。

 ――ただそれも、厳戒態勢が布かれていれば、の話である。

 美雪曰く、近くの自然区(今、祐たちがいる場所である)に小規模な虚空が生じているらしい。調査員でもない美雪がどこからそんな情報を仕入れてくるのか、謎であるが、今までの経験上一定の信頼はある。

 危険は承知で、近づけなくなる前に虚空を調べたいというのは祐の紛れもない本心であった。

 あったのだが……

「もうすぐ着くって言ってから大分経つけど……ほんとにもうすぐなの!?」

「あーそうそう、もうすぐもうすぐ」

「帰る」

「あー! 待って待ってホントにもうすぐだから! ほんのちょっと道間違えただけだから!」

 やっぱり間違えてんじゃん、と祐は頭を掻く。

「急ごう、あんまり遅れると日が落ちる」

 まだ日没には時間があるが、空全体が薄い雲で覆われている。既に少し薄暗くも感じ、このままいけば今晩にも雪が降るだろう。

 視界と天候の不安から、祐は途中でも切り上げて帰るべきだと考えていた。

 その場合は残念だが……美雪のことだ、いずれまたどこかの虚空を見つけてくるに違いない。

 美雪は手元の端末で正しい道を探す。ふらふらと来た道を戻るが、視線を端末に落としたままだったためか、濡れた木の葉に足をとられつんのめってしまった。

「うぇ、やっば……!?」

 たたらを踏んだ美雪は体勢を立て直すこともできず、さらに勢いを増す。

 祐は咄嗟に受け止めようと一歩前へ出た。が、微妙にタイミングが合わず。

「ぷぎゅっ」

 奇妙な声を上げた美雪は祐に頭突きをして止まった。

 祐は鈍い痛みにうっ、と顔をしかめる。

「うぅ……は、鼻が……」

「気を付けてね、マジで……!」

 ちゃんと受け止めなさいよ、と文句を垂れる美雪はさておき、ぶつかった拍子に美雪が取り落とした端末を祐は拾い上げ、画面に映し出された地図を見る。

 それによると、実際に目標地点のそばまでは来ているようだった。

「このあたりにあるはずなのよ。あるはず、なんだけどぉ……」

 しかし、周りを見渡す限りではそれらしき穴などは見当たらない。

 美雪は祐から端末を受け取ると再び端末とにらめっこを始める。

「いっそ地面でも掘ってみようかしら」

「やめてくれ……」

 そう言って地面を足で小突いた美雪の顔が一瞬曇る。

 何かを察する祐。

「……美雪?」

「んー? なあに?」

 祐は美雪の軸足ではない方の足を軽く蹴った。

「ギャー‼ 何すんじゃコラー‼」

 美雪は殴りかかろうと拳を振り上げるも、よほど痛かったのかその場から動かず、悔しそうに歯嚙みする。

「覚えとけよ、たすくゥ……」

 小さく呟いた呪詛は聞こえなかったことに。

「その足……」

「……あー、さっきちょっとね、捻ったみたい」

 大丈夫よ、と美雪は笑って見せるが明らかに辛そうである。

「歩けるの?」

「当然! よゆーよこんな、痛っだい!」

 祐は半目で美雪を見つめる。

「……あっは☆」

 はぁ、と今日何度目かもわからないため息をつくと祐は背を向け美雪の前にしゃがんだ。

 無言で乗れと促す祐に美雪はバツが悪そうに頬を掻く。

「あー、ごめんネ?」

「慣れたよ」

「でもあたし的にはお姫様だっこがよかったり」

「置いてってもいい?」

 ちぇー、と美雪は口を尖らせる。

 昔馴染みの定めというべきか。美雪に振り回されるのは今までに数えきれない。

 やはり多少は申し訳ない気持ちがあるのか、美雪はおずおずと首に手をまわし祐の背に全ての体重を預けた。

 さすれば当然、女子特有の膨らみが背中に――

「ちっさ!」

「今すぐ生き埋めにしてやろうか?」

 ぐるる……と背中で唸り声がするが、サイズ感も相まって精々がチワワである。あまりにもミニチュア。大した脅威ではない。

 日頃の仕返しをしてやったと祐がほくそ笑むと、美雪は祐の耳元へ顔を寄せた。

「ネットにあることないこと書いて社会的にぶち殺してやる」

「……うーん現代人!」

 後で甘いものでも奢っておこう、と思うのだった。

 ◇

「これは……」

 しばらく歩くと森を抜け視界が開けた場所に出た。過去に地殻変動があったのか、深く切り立った渓谷がぱっくりと口を開けている。

 かつて使われていた旧道が近くを通っていたようで、渓谷を越えるための吊り橋が掛かっている。

 しかしそれはおおよそ吊り橋と呼ぶべきか怪しいものだった。ボロボロに朽ち、所々足場は抜け、ロープは今にも千切れそうである。

 いつの時代のものかもわからない。あからさまな危険を前に、ふたりは足を止めざるを得なかった。

「はぁ、駄目ねぇ、これじゃ落ちちゃう」

「仕方ないよ、他の道を探すには時間も遅いし……もう帰ろうか」

 うー、と美雪が背中で唸る。

「せっかくひいコラ言って歩いて来たってのに成果無しってどーゆーコトよ! 無駄足! 疲れた! クレープ食べたい!」

 終盤はずっと僕が歩いてたけどね、とは言わないでおく。

 だが、祐としてもかなり残念な結果となってしまった。いつの日かまた、こういった機会は訪れるだろうか。

 是非とも美雪には頑張ってもらいたい。

 背中の住人がぎゃあぎゃあと騒いでいると、すぐそばの草葉を掻き分ける音がした。

 反射的に美雪は口を抑え息を殺す。

 今いる場所は冬を目前にした大自然の真っただ中だ。冬眠前の獣などであれば逃げる必要がある。

 祐も腰を落とし足に力を入れ、恐る恐るといった様子で音のした方角を注視する。

 段々と音は近づいて来て――

「ッ……あ? 人……?」

 草むらから現れたその人は防寒着で全身モコモコに包まれており、一瞬野生動物にも思える。

 目元以外顔は見えないが、しかし確かに人である。

 その人はふたりに気がつくと歩く動作の途中で不自然に固まり、微妙な間を経て目を見開く。

「人がいますぅ!?」

 数歩後ずさりして、すてーんとその人はひっくり返る。

 まるで珍獣を見たかのような反応である。失敬な。

 その高い声音から女性であるとわかる。

「あ、あなたたち、こんなところで何をしてるんです? 一応、ここ立ち入り禁止だったと思うんですけど……」

「む、なによ! あんただっているじゃない!」

「そ、れは……確かに」

 聞き返されると想定していなかったのか、答えに困窮している。

 自然区の管理者とかリアル調査員とかだったら色々と問題だったがとりあえず一安心だ。この人も仲良く不法侵入者仲間である。

「ま、大方予想はついてるわ。あんたも"アレ"探してたんでしょ?」

「……? アレ、とは……?」

 ありゃ違ったか、と美雪は首を傾げる。

「え、じゃあ、何しに来たの?」

「えと……さ、散歩?」

「「そんなわけあるか!」」

 祐と美雪は思わず声が大きくなる。

 人里離れ、道は廃れ、見る物もないこんな辺鄙な場所を散歩など、よほどの酔狂でないと考えもしないだろう。

「ほ、本当に、何か目的らしい目的があったわけではないんです」

 どこからともなく表れた赤、青、緑、黄に淡く発光する何かが女性を囲む。

 音もなくふわふわと自由に飛び回るその四色の光は幻想的である。

「まさかそれ、精霊!?」

 美雪が祐の頭上で身を乗り出し叫ぶ。

「すごいすごい! 一度に4つ使役してるのは初めて見たわ!」

 一方の祐は首を傾げる。

「よ、よくわからん」

 頭上から美雪の呆れ声が聞こえてくる。

「精霊ってのは西方の魔術概念のひとつなの。意思を持つ自然現象とかいわれてて、扱いがめちゃくちゃ面倒なのよ」

 いつも授業寝てるからわかんないのよバァカ、と美雪は祐の頭を小突く。

「私としては使役してるつもりはないんですけどね……」

 女性は苦笑しながらも精霊たちを手の上で躍らせたりとしっかり使役できていた。

「この子たちがここに来たいって言ってたんです。全員が同じことを言うのは珍しかったので、何かあるのかなと」

「まあ、何かあるといえば……アレよね」

「アレだね」

「アレ、とは……?」

 祐は言っていいものかと逡巡するも、色々話して貰ったのに隠すものでもないと思い、ここに来た理由を話した。

「――虚空、ですか」

「そう。その様子だと見てないか」

 手がかりになればと思ったが、そううまくはいかないようだ。

 女性は少し思案した後、でも、と切り出す。

「ここが、終着点みたいですよ」

「終着点?」

「この子たち、ここから先を示してないんです。だから、もしこの子たちが虚空を目指していたなら、すぐそばにあるんじゃないでしょうか」

 すると美雪は何かに気がついたのか、べしべしと祐を叩いた。

「祐! あっち!」

「あっちって……落ちかけの吊り橋しかないよ?」

「いーから!」

 祐は言われるがまま吊り橋に近づく。

「もうちょい左、もうちょい崖に寄って!」

「これ以上は、危な――」

「うっさい、黙って従う!」

 美雪は祐から降りると崖際で膝立ちになる。身を乗り出し、崖下をのぞき込んだ。

「っ、あった……!」

「嘘!? 本当に!?」

「真下だったの! 崖の壁面に、何かある!」

 興奮を抑えきれない美雪がゆさゆさと祐を揺らす。

「馬鹿、危ない落ちる!」

「まだ、見えない……もう少し、あとチョット……!」

 どちらが先に言ったか、「あっ」という間抜けな声と同時、ふたりの重心が崩れる。

「やば――」

「ッ――!」

 ふたりして放り出される刹那、祐は振り向きざまに美雪を強引に突き飛ばす。

 美雪が大きく尻もちをついた時にはすでに反動で祐の足は完全に地面を離れてしまっていた。

「シルフっ!」

 切迫した声と同時、下から突き上げる突風が祐を押し上げる。

 しかし、バランスを崩した状態では少しの時を稼ぐだけにとどまった。

 ――時間にして一秒かそこらの事だった。

 重力に従い落下しながら崖の壁面に見たのは、絵画に別の絵を描き重ねたかのような大きな違和感。鏡の中の世界のような、あるはずのない光景が広がっていた。蒼い空と鮮やかな草原、あとは……わからない。

 惜しむように伸ばした手が届くことはなく、祐は谷底へと吸い込まれていった。


 ◇


「危なかったぁ、ナイス祐ぅ……」

「お、お友達! いいい今お友達、落ちて……!」

 一部始終を目撃してしまった女性は美雪と対称的にパニックに陥っていた。

 放っておくのも悪いと思い、美雪はひらひらと手を振りながら声をかける。

「あー、いいのいいの。大丈夫だから」

「だ、大丈夫って……あなたはよくても、彼、この高さ死ん――!」

「でないわよ」

 多分ネ、と美雪は小声で付け足した。

「……アイツ、引くほど頑丈だからさあ」

 女性は理解が追い付かず頭を抱えている。

(――まあ、生きてるでしょーね。怪我とかはしてるかもだけど)

 今までの経験からの推測であり、腐れ縁の美雪だからこそ、なんとなくわかっていた。

 あーあ、と美雪は遠くの空を見上げた。

「今晩は雪かしら?」

 口から零れた白い吐息は冬空の銀灰色に溶けていった。



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