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第八話

 実家に帰るまでに武雄は幸へ三度ほど電話を掛けた。つながりはするが、一度も通話されることはなかった。

武雄は、着信履歴にある未登録の番号を電話帳の地元グループの部類に振り分けて登録した。登録名は、仮に、Aとした。武雄はその番号にリダイヤルしようか迷った挙句、できないでいた。

 おかしくなったといわれた良太であったが、正也の披露宴に関する仕事は、ほぼ順調にこなしていた。が、出席者の人数の把握が唯一うまくなされていなかった。良太たちは、披露宴の通知とはいえ、形式的な往復葉書で出欠の確認をするわけでもなく、実際は直接電話でその旨を話した際、意志を確認する方法を取っていた。その為その意思を留保されることが多く、結局は後日改めて確認をとるという二度手間を強いられ、武雄もその役目に負われることとなったのだった。

「亜紀の奴は披露宴の日取りも式場も知っているんだ。きっと来るだろうから、人数に入れとけや」

 難しい顔をしながら名簿を見つめ、智和は崇を一瞥した。良太の部屋の使い古したコタツに名簿を広げ、亜紀の名前の横に丸をつけると、崇は何事もなかったように次に書かれている名前を読んだ。難航した出欠の確認も名簿を一本化したこともあり、概ね済みつつあった。

「幸さんは? 幸さんは連絡ついたんでしたっけ?」

「…あいつ、まだ番号そのままだったのか?」

 崇の能天気な声を受け、智和は武雄に顔を向けた。

「まだ繋がりはするけど、やっぱり出てくれない。お前もしてみたか?」

 訊ねると、智和は曖昧に首を振った。

 

幸と智和は、同じ地区に家があり、いわゆる幼馴染だった。智和は、小学校に上がる前から、幸のことを想い続けてきた。それは周知の事実で、何度か告白もしたらしい。

 幸と智和が道を違えたのは、高校に進学したときだった。幸は女子高に、智和は男子校にそれぞれ進んだ。智和には、女ができた。幸にも男ができた。それでも彼は、彼女を思い続けていた。

 それを証明する出来事に、武雄は立ち会った。

経緯は詳しくないが、疎遠になりつつあった二人が、急接近していたのは事実だった。当時の溜まり場だった智和の家に、幸が遊びに来る回数が圧倒的に増えていた。

 集まっていた数人を帰し、智和は、家まで送るといって幸を引き止めたらしかった。武雄も気を利かせて早々に辞そうとしていたのだが、引き止められた。真夜中、賑やかな輩達がいなくなった部屋は、虫の鳴き声が聞こえるほど静かだった。夏から秋へ、季節の移り変わりの時期だった。

「三人ならもう少し、いてくれるって言うんだよ」

 智和は珍しく懇願していた。武雄の袖を引っ張って引き止めた。

「お前はいてくれるだけでいいから、後はおれがうまくやるから、な?」

 その言葉にひきづられて、武雄は部屋に残った。

 確かに智和はうまく話を進めていたと思う。夜が遅いから三人で眠ろう。電気がついていると、親が起きてくる。親に幸がいることが見つかったら、幸が二人の男と寝ているところがばれたらまずい。だから電気を消そう。

電気を消すことを渋っていた幸だったが、渋っている時間のうちに隣り合う部屋の誰かが起きるそぶりを感じた。そうして電気は消され、三人は布団に潜り込んだ。

 幸と智和は、間も無くいちゃつきだした。正確には、智和が半ば強引に幸に体を密着させ始めた。武雄は智和を押し、その手助けをした。智和が誘惑を囁き、幸は曖昧な抗いを呟いていた。

三人は川の字を描いて寝ていたが、武雄は、智和の興奮を感じ、妙に冷めてしまった自分を思い出した。結果的に抱き合う形になった幸と智和だったが、幸から伸ばされた手に、武雄の手が掴まれたことを覚えている。体は抱擁で揺れていたが、手は暫く繋がれたままだった。冷たい幸の指先が心地よかった。が、自分がここから一刻も早く出て行かなければならないと感じられ、手を離した。

 ジュースを買ってくるのを装い、自分はもう戻ってくるまいと思い、武雄は起き上がった。

「キスした。キスした」

 引き止められた武雄は、耳元でそう囁かれた。二人きりにしてやるという武雄の提案を智和は何故か蹴り、ちゃんと帰ってこいよ、と念を押すほどだった。

 智和の家から、一番近い自動販売機は、二十分ほどで往復できる距離にあった。家を出た武雄は、自転車に乗ると、どういうわけか、一刻も早く部屋に戻らなければという思いに駆られ、全速力でペダルを漕いだ。もし、智和に帰って来いと言われなければ、そのまま自分の家に帰るつもりだったのに、その時は理由もなく、必死にペダルを漕いだ。

 武雄が智和の部屋に戻るまで、十分もかかっていなかったはずだ。彼は自転車を降りると、乱れた息を強引に整え、部屋に入った。幸と智和は、武雄がいない間、大した動きもなかったようだった。

 夜の闇が薄まり始めた頃、智和は幸を家まで送っていった。部屋に戻ると、智和は武雄が買ってきた缶コーヒーを空け、

「お前、戻ってくんの早すぎ」

 と笑った後、

「お前は親友だよ」

 そう笑わずに告げた。


幸に電話を掛けようかどうかで迷っている智和の反応から、子供を生んだ幸が消息を絶った後の四年間、自分が彼女を独占していたのだと、改めて武雄は実感したのだった。罪悪感はなかった。自分は、正也や智和から幸を奪ったわけではない。幸のほうから自分を選んだ。自分は選ばれたのだという自負が、彼にはあった。がしかし、その自負の成れの果てが今のこの現状なのかと思うと、やりきれない気持ちが芽生えなくもなかった。今は単に、幸に会いたい。自分を認め、選んでくれた幸に会い、自分を支えうるだけの自負を手の内に戻したい。そう武雄は切に思うのであった。

「幸さん、今頃一体どこにいるんですかねぇ? 義人君がかわいそうじゃないんですかねぇ?」 

 崇は名簿を見て、無遠慮に幸に電話を掛けながらそう呟いた。

「噂は結構耳にするんですよ。東京でバリバリ働いているだとか、大阪に行って結婚しただとか。この前は、福島のどっかのスキー場で似たような人を見かけたって聞きましたよ」

 話している最中も、崇は電話を切ろうとしない。智和は不機嫌そうに、その噂話に聞き入っている。

「スキー場といえば、亜紀の奴、やっぱりあのボロいペンションに帰ったんですかね?」

 崇は何の気なしにそういった後、切り替わった留守番電話サービスにメッセージを入れ始めた。

「良太は、ペンションのほうに電話、掛けたって言っていたか?」

 智和に尋ねたが、彼は肩を上げ、首を振るだけだった。

「掛けてみた。でもあっちには行ってないみたいだ」

 披露宴の進行表を作るのに必要なマジックやカッターなどの文房具を取りに行っていた良太だったが、武雄の言葉が聞こえていたようだった。

「いなくなったって話したのか?」

「いや、この前のときのお礼ってことにしたんだ。あまり話せなかったけど、亜紀をよろしくって言われたからさ」

 女主人からの依頼を、武雄は一度も果たしていなかった。自分ではなく、良太から電話がかかってきたことを、彼女はどう捉えたのだろう。武雄は考えを巡らしながらも、良太から手渡されたマジックのキャップを抜き、ペン先に鼻を近づけ、放たれる香りを貪った。

「もしかして、ちゃっかり実家に戻ってたりして?」

 名簿を読み上げるのに飽きた崇は、安易にそんなことを口走った。

「それはない。あいつ、実家から追い出されたんだから、戻ろうとしても撥ねつけられるのが落ちだろう」

「じゃあやっぱり…」 

 意見を否定され、慌てた崇は、他の男、と口を滑らす寸でのところで良太の存在を意識した。

「やっぱり、なんだ?」

「―――やっぱり、じきにあのペンションか、ここに戻ってくるんだろうよ。なあ?」

 武雄のフォローに、崇はしぶしぶ肯いた。

 智和と崇は、出欠の確認をあらかた終えると、早々に良太の家を後にした。彼らには、次の日、朝早くからの仕事が待っていた。それは良太も同じだったので、唯一暇を持て余している武雄も、気を利かせて帰ろうと、コタツを抜け出した。

「なあ、亜紀は、まだ近くにいる気がするんだ」

 部屋の窓を空け、寒風に身を震わせた丁度その時、コタツに入ったままの良太が切り出した。

「亜紀は、あのペンションに行っていなけりゃ、他に行くところなんてどこにもないんだ」

 普段正也たちといるときの良太と、自分と二人きりのときの彼は、何処か違った雰囲気があると、武雄は気付いていた。武雄にはそれがうれしくもあった。良太の態度が変化するとき、小さくはあるが、選ばれたという自負が、彼の自尊心を満足させていた。

「あいつ、この部屋に初めてきた時、本当に震えて、行くところがないって、そう言ったんだよ」

 レッドウィングの紐を結び終わると、武雄は立ち上がり、振り向いた。良太は背筋を伸ばし、

「おれはあいつを探そうと思っている。探して連れ戻そうとは思っていないが、このまま行方知れずのままでは絶対いたくない」

 武雄を見据えてそういった。

「手伝ってやるよ。今はおれが一番暇なんだからな」

 良太の態度に満足し、武雄はドアに手を掛けた。

「お前は安心して仕事にいって来い。この町にいるなら、きっとすぐに見つかるだろうから」

 ゆっくりとドアをスライドさせながら、武雄は良太にありったけの笑顔を向けた。

          

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