第3話
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数日前に日を跨いで降った雪が凍結し、でこぼこに固まった道路を、車は皆、低速で進んでいた。武雄は車の、溝の無いタイヤを滑らせながら、やっとの思いで良太の家まで辿り着いた。普段は住宅街の垣根に寄せてそのまま路上駐車してしまうのだが、その日は端に汚れた雪が積まれていて、結局近くの本屋に車を止めた。
本屋から良太の家までは歩いて五分とかからなかったのだが、その間にも武雄のつま先は感覚を無くすほど凍えあがった。
良太の部屋に入るなり、一目散にコタツへ足を入れた。最小クラスのコタツには、何対かの足が無理に押し込まれており、冷えた足に触れたそれらは悲鳴を上げたあと、武雄を一斉に非難した。
「お前いい加減、ヒーター買えよ」
それが冬になると決まって良太に向けられる言葉だった。六畳ほどの部屋は、コタツとオーディオ、テレビにベッドだけで、あとはそれらの隙間にしか足の踏み場が無かった。
室内にいても、吐く息が白かった。良太は黙々と遅い昼食を摂っていた。亜紀は雑誌を広げ、崇と自分を遮っていたのだが、下では不機嫌そうに、もぞもぞと体を捩っていた。崇は真顔で、亜紀の股間に足を入れて遊んでいた。ベッドの上でギターの練習をする智和も含め、全員が前傾姿勢でいた。
「いい加減やめてよ」
痺れを切らした亜紀が、雑誌を置き、冗談を捨て切れない睨みを崇に向けた。
「この前、真治と飲んだぞ」
亜紀の視線を真っ向から受け止め、逆に粘り気のある目を向けた崇は、武雄と良太の足の下から突き上げる攻撃をやめようとしなかった。亜紀は平気そうな顔で防御に徹していた。
「真治の奴、一人だけやけにハイペースでな。頼んでもいないのに、あっという間に出来上がっちまったんだよ」
唾を飛ばすくらいの大声で崇は話したが、誰も聞いているようすをしていなかった。武雄は良太の方を伺ってばかりいた。いつもなら何かが起こる前の雰囲気を察し、すかさず何らかのフォローをするはずなのだが。
「あいつ、勝手に話し始めたんだよ、お前とのこと」
「おれも一緒にいたけど、あいつは絡み酒なんだな?」
武雄は咄嗟にフォローを入れた。一瞬武雄に笑みを向けようとした亜紀であったが、結局自分の身を守ることに集中することになった。良太は残り三つになった黒豆を箸で摘まむことに集中しているようだ。
「騙された。そう言ってたよ、あいつ」
「男っていうのは、フラれると決まってそう感じるもんなんだよ」
「武雄さん、やめるよう言ってくれませんか?」
身を捩ったまま少し強い眼差しを向けられ、武雄は崇に視線を送った。殆ど面識の無い後輩であったが、武雄の合図に従い、ピタッとコタツの下の猛攻を停止した。
「利用されたって言ってたぞ?」
やめるよう合図を送ったのは、会話も同様だったのだが、崇には伝わっていなかったらしい。
「真治は、亜紀は何も悪くないとも言っていたよ」
「武雄さん、あいつと話したんですか?」
後輩と余り話さない武雄を知っている崇は、押し付けた声を向けた。
「ああ、お前と正也が潰れてから、少しな」
返答に崇は僅かに憮然とした表情を溢した。
「なんで真治と別れた?」
崇は唐突に訊ねた。
「おい、いい加減にしとけや」
練習後のチューニングを終えた智和が口を挟んだ。崇は従順に口を噤んだが、亜紀から目を離そうとはしなかった。
ギターを受け取り、武雄は智和と入れ替わる形でベッドの上に坐った。智和は良太が食事を終えると、結婚式を挙げないという正也の為に内々で披露パーティーを催そうと提案した。彼は良太にタウンページを持ってくるよう頼み、そこから適当なレストランを探すという。武雄はギターに夢中で話に参加せず、時折良太に同意を求められても、上の空の返事を返すだけだった。
炬燵上の話は盛り上がるだけ盛り上がり、終いには固定電話の子機が持ち出された。開かれたタウンページに置かれた子機を誰が使うのかを決めているらしかった。開かれたページには赤線が殆どの行に引かれており、亜紀が仕切りにその頭を指し、何かを訴えていた。
武雄は気にせずギターを引き続けた。アンプを繋げていないせいもあるが、智和たちは慣れたもので、その音を気にしているそぶりは見せなかった。
結局電話を掛けたのは崇だった。だがそれは間も無く良太に渡され、智和に渡された。長い間話す彼の言葉を炬燵の全員が見守った。電話が切られてもそれは変わらなかった。そして、不満顔のまま智和は唐突に立ち上がり、捲くし立てた後、部屋を後にした。全員がその後を追おうと慌ててコートなどを着始めたが、武雄は相変わらずギターを弾いていた。
「結局自分達の目で確かめにゃ決めらんないってことになったんだ」
最後に部屋を出ようとしていた良太が武雄にそう告げた。
「見てみないことには大きさも正確にはわからんしな。それに、仮に予約しても、その店、貸し切りに出来るの、三ヵ月後だなんていいやがったもんだがら、崇のやつが怒っちまって」
苦笑いを浮かべると、良太はそのまま部屋の窓を閉めた。外から砂利をける音が微かに聞こえてきた。きっと亜紀が、入らないブーツを押し込んでいるのだろう。
ギターに集中しかけていた武雄の憶測は裏切られ、すぐに部屋の窓が再び開けられた。
「どうしたんだ?」
驚いて、武雄は延々と続けていたピッキングを止めてしまった。
亜紀は何も言わずブーツを投げ捨て、コタツに足を差し入れた。一人で不貞腐れていた。武雄はなんだか、もう一度弾き始める気を失ってしまい、ギターを置き、自分もコタツに入り込んだ。
聞けば、智和の小さなスポーツカーに乗れるのは三人までで、自分は乗せてもらえなかったのだという。リアシートに縮こまりながらも、勝利の笑みを浮かべる崇の顔が目に浮かんだ。
「やつらを追いかけようか」
冷え切った指先をコタツに当て、揉みながら武雄は亜紀に自分の車のキーをとるよう促した。が、彼女は脹れさせていた頬の空気を抜き、そのまま着地するようにコタツにあごを乗せて見せた。
「あたしはここで待ってます。待ちましょ?」
首を傾げ、亜紀は武雄を見上げた。




