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第ニ話

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「おまえ、覚えてるかぁ?」

 最近この言葉をよく耳にする。不機嫌さを隠そうとしない武雄にそう訊きながら、正也は後輩の崇と真治に昔話を聞かせているのだった。

「部活の先輩に、屋代ってやつがいただろ? いつか、俺達ゃそいつに呼び出されたんだ。あん時ゃ確か、良太も一緒じゃったのぉ。俺がまだまじめに部活動っちゅうもんにうちこんどった頃の話じゃ」

幼少時代の正也は、いわゆる天才児として扱われていた。生粋のサッカー小僧だった彼が部活動をサボりだした挙句、退部した理由は、武雄にとって未だに謎であった。

「あの頃ぁ先輩の言うことは絶対だったけぇ、いけすかねぇ奴の呼び出しでも、俺達ぁしょうがなく出向いたんだぁ? 特にその屋代ってのは始末に終えねぇやつでな。先輩ってことだけを傘に掛けて、何の用もねぇのに呼び出しやがるんだ」

「用もないのに、ですか?」

「おおよ。その日もやっぱし何で呼ばれたんかもわからんまま、気づいたらそいつんちの、そいつのきったねぇ布団の傍に三人しゃんと並んで正座させられとった」

自分の殻に閉じ困っている風を装っている武雄は、聞いていないようで、正也の話している情景を思い出していた。

屋代という先輩の顔は、一向に浮かんでこなかった。ただ、布団に片足を突っ込んだ男性の、未発達な上半身があらわになった情景だけが、鮮明に思い出されていた。自分達に背を向け、首まで布団に包まった先輩ごしに、これまでに聞いたこともないような女の声がした。

「―――ねえ、しちゃおうよ…なんて女が言いやがったのを、おれぁはっきり覚えとる。俺はそん時、始めて女の、本当の声を訊いた気がしたなぁ」

「それはやっぱし、喘ぎ声ってやつですか?」

 そういって、崇と正也が豪快に笑った。今思えば、あの時の先輩は、ふざけて後輩達の反応を楽しんでいただけなのかもしれない。ただ、布団一枚を挟んだところで、全く現実味のない行為が行われているのだという詮索が、後輩達を夢中にさせていたことだけは確かだった。

「これ見よがしにいちゃいちゃしくさってな? なんで俺たちぁこんなとこに折るんじゃって、おれぁそん時おもうとったな」

ベッドで大半のスペースが埋まった部屋の隅に三人正座して、先輩の恋人の声を聞く。確か、一番端に坐っていた武雄も、布団の中を覗こうと顔を延ばしたのだった。幼い恋人達は、不器用に唇を押し付けあっていた。それを見た武雄は、何処か違和感を覚え、無意味な嫉妬もあったせいか、妙に冷静でいたことを覚えている。

「あいつらぁ顔だけ出して、ブキッチョにチュ―して見せるんよ。今おもやぁひどくぎこちなかったなぁ。でもなぁ、そんなことにもおれぁ気づかんかった。無理もない。そんな光景、始めてみたんじゃから」

 奇妙な光景だった。冷静さを取り戻していた武雄は、面白半分に一個隣の正也と、二個隣の良太の股間を除いたのだった。予想通りそろって張っている股間を見て可笑しくなり、正也たちの鼻の下が伸びた表情を拝むつもりで顔を上げた。案の定、正也は充血した目を布団のほうへ向け、夢中になっていた。武雄はなんだかうれしくなって、良太を見た。底には、正也の股間に見入っていた良太がいた。武雄にはそう見えた。が、それを確かめる間も無く、良太は敏感に武雄の視線に気付き、目を合わせようとしながら、そうせず、彼から顔を背けたのだった。

「おう、武雄、聞いとるんか? あん時の八代の女、覚えてるか? 川野辺なんて珍しい名前じゃから、覚えとるじゃろ」

 上の空から引き戻された武雄は、自然に首を振っていた。

「実はそいつら、お前が東京者になっとる間に、結婚しくさったんじゃ」

 武雄は、あわてて正也の表情を確かめた。正也は、武雄の表情を見て笑った。

「あん時わしらぁ、要するに、夫婦の営みを見せ付けられとったんじゃなぁ」

 正也はそういうと、何かを期待した風に崇のほうを向き、笑い出した崇を見て、満足げに笑った。         

 正也と崇は考えなしに酒を煽り続けた。だが武雄は妙に酔いの回りを感じずにいた。それは、正也の介抱をする羽目になるとうすうす感付いていたからでもあり、面識の薄い後輩達と席を共にしていたからでもあった。

「―――あいつはおれを利用していたんですよ」 

 正也と崇は仲良く潰れていた。真治だけが悪酔いして、管を巻いていた。

「あいつって、亜紀のことか?」

 思わず訊ねたが、真治は答えず、乱暴に酒を注ぎ足した。

「…考えれば、あいつは何にも悪いことをしていないんですよ」

「何も悪いことをしていないのに、お前は利用されていたと思うのか?」

「あいつ、毎日のように泊まりにきて、確かに俺もそれだけで楽しかった。でも、男と女ですからね? 期待しないほうがおかしいでしょ? それにあいつ、時々本当に物欲しそうな目をこっちに向けてくるんですよ」

「何だお前たち、結局何も無かったのか?」

 意外に感じたまま訊いた。真治は酒を強引に咽喉の奥へと押し込むと、いじけた様子で首を振った。

「あったにはあったんですよ。…でも今考えれば、それは全部、俺が強引に求めたときだった気がしてならないんです」

「あっちからは言ってこなかったのか?」

「あいつ、いつもは笑って断るくせに、おれが強く出るとなんだか諦めたようになっちまって…。でもおれは納まりがつかなくなっているし、あいつは何も言わないけど、オーケーだしてくれたんだと思っているんですけど…」

 真治は武雄の問に肯くと、片手にコップを持ったままテーブルに突っ伏した。

「若いうちに男ががっつくのは当然だって」  

 真治の背中に浴びせたが、彼の耳にその言葉は届いていないようだった。

 どうして真治が亜紀に利用されていたと思い込んだのか。その理由は定かではないが、昨日の正也の言葉もあり、単に真治の悪態のように聞こえた中にも、武雄には、何か含みが感じられた気がした。


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