02 絶対に惚れたりなんかしない
ヴェルメリオ様のお屋敷の使用人は少数精鋭。
昨日ロキが言っていたことは嘘ではなかったらしい。
広々とした食堂の長すぎるにも程があるテーブルについた私の目の前に現れたのは、びっくりするほどおいしそうな朝食だった。
見るからにふかふかの白いパン。
瑞々しいサラダ。
空腹を煽る香りがするミネストローネ。
給仕をしてくれた使用人が目の前でしぼってくれたジュース。
調理人の腕がいいのが、においだけでわかる。
ここに来られたことに対して、ちょっとだけ良かったという気持ちがわいてしまった。
「……プリンは好きか?」
あまりにも食欲をそそる朝食に目を輝かせていると、隣から低い声がする。
顔を上げると、ヴェルメリオ様の緋色の瞳がこちらを見ていた。
食堂のテーブルは本当に長い。
私としてはその端と端に座って朝食をとっても良かった。
なのに、ヴェルメリオ様ときたら私が食堂についた時に使用人に「こことここで食べる」と私の座席まで指定していたところだったのだ。
その結果、長いテーブルの端と端ではなくて、隣同士に座って朝食をとる羽目になっている。
こんなだだっ広いテーブルを狭く使う意味って一体なんなのか。
不満だ。
でも、プリンは好きだ。
食べたい。
なので、ヴェルメリオ様の問いにはふてぶてしくうなずいた。
「ええ。好きですの」
「そうか。デザートに出る」
ヴェルメリオ様は、ぽそりと言って口角をあげる。
ちょっと話しただけなのに頬を赤らめて喜んでいる様子のヴェルメリオ様を見ていると、むずがゆくて仕方がない。
ぼんやりしかけてしまった頭を振って、婚約破棄を目指すモードに切り替える。
ピッと食事を行儀悪く指さす。
「もう食べてもいいんですの? おなかぺこぺこで死にそうですわ」
「ああ。構わん。いただきます」
「いただきます」
パンを一口かじる。
その瞬間、ふんわりとしたミルクの甘さが口内いっぱいに広がった。
口の中でパンがほどけていく。
甘みがとろけていく。
こんなにおいしいパンを食べるのは人生で初めてのことだ。
「お、おいしいっ」
「よかった」
思わず感激の声をあげてしまって、ハッとヴェルメリオ様を見やる。
ヴェルメリオ様は一口も食べずに、私をとろんとした目で見ていた。
嬉しそうに口角をあげる姿なんて、緋色の悪魔という二つ名をどこに置いてきたんだいう雰囲気だ。
カッと頬が熱くなる。
なんだか気恥ずかしくなってしまった気持ちを誤魔化すように、私は眉を寄せた。
「レディが食べる姿をじろじろ見るなんて、マナー違反ではありませんの?」
「そうか。すまなかった」
ヴェルメリオ様は情けなく眉を下げる。
食事をはじめた彼の横顔は美しい。
思わず見惚れかけてしまったけど、ごほんと咳払いをして気を取り直した。
後ろの壁にくっついてフィオルが見ている。
恥ずかしい姿は見せられないもの。
背筋をただして、黙々とおいしい食事を堪能していると、ヴェルメリオ様が「パノン」と小さな声で話しかけてきた。
ヴェルメリオ様はずっと私の機嫌を窺うみたいに話しかけてくるから、なんだか居心地が悪い。
「なんですの」
「昨日もそのドレスを着ていたな。気に入っているのか?」
冷たい声で返事をしたのに、ヴェルメリオ様の声は優しい。
じろじろ見ることを指摘したからか、こちらには視線を向けてこないヴェルメリオ様の横顔を確認する。
残念ながら、私のドレスが昨日と同じことを不快には思っていないらしい。
「別に気に入ってませんわ。これしかないんですの」
実家からドレスも持ってこなかっただらしない女と思われたならラッキー。
でも私がこのドレスしか持っていないのは事実だ。
私には今までドレスがいらなかった。
パーティーに出たこともなかったからだ。
このドレスはお義姉様がいらないからと譲ってくれた唯一のもの。
お気に入りというわけではない。
どうよ、このおしゃれ無精っぷり。
これで好感度は下がるに違いない。
自信満々にヴェルメリオ様を見ると、彼はまん丸にした目をこちらに向けていた。
ドン引きしてるに違いない。
「これしかない? パノンはゼメスタン伯爵令嬢だったはずだな?」
「ええ」
「なぜ持っていない?」
あれ、おかしい。
引いてるというよりは、怒ってる……?
ヴェルメリオ様の沸点がわからなくて、思わずおどおどしてしまう。
しかも緋色の悪魔の二つ名は伊達じゃなく、怒ると圧が強くて怖すぎる。
焦った私は首をひねって、思わず本当のことを言ってしまった。
「か、買ってもらえなかったから?」
なんか余計なこと言った気がする!
そう思ったのも後の祭り。
ヴェルメリオ様の顔がどんどん歪む。
なんで怒られてるのか、よくわからない。
「なんで怒るんですか! 私はドレスを買ってもらえなかっただけじゃないですか!」
「パノンには怒っていない。ゼメスタン伯爵家に怒っている。なぜパノンにドレスを買い与えない! 宝の持ち腐れだ!」
「……へ?」
やけになってヴェルメリオ様が怒っていることに怒った結果、よくわからないことを言われてしまった。
眉を寄せたままヴェルメリオ様はさっきまでの口数の少なさからは考えられないくらい、ぺらぺらとしゃべり続ける。
なにかのスイッチが入ったらしい。
「桃色がかったプラチナの髪。アメジストをミルクと混ぜたような美しく柔らかな光をたたえる瞳。鼻と唇はツンと小さくて、目は影のさす長い睫に覆われている。こんな美少女を飾らずに、他に一体何を飾ると言うんだ」
「え、あの……」
「俺はパノンほどに美しく愛らしい女を、この時代には知らない。君を飾るドレスがこの一着しか無いなんて現実は、正さなければならない」
「はあ」
「ロキ!」
ヴェルメリオ様は食べるのが速い。
最後の一口をヴェルメリオ様が食べ終わると同時に、呼ばれたロキが駆けてきた。
ヴェルメリオ様は颯爽と立ち上がると、勇ましい瞳で私を見下ろす。
「夕方に君の部屋に行く。それまで自由に過ごせ。食後だけ少しロキに付き合ってほしい。いいだろうか?」
「は、い」
ヴェルメリオ様のテキパキとした行動に、頷くしかなかった。
ロキに何やら耳打ちしてヴェルメリオ様が去って行くと、ロキの笑顔が私に向く。
嫌な予感しかしない。
「パノン様。ヴェルメリオ様がドレスを贈りたいそうです。食後はフィオル様とで構いませんので、全身の採寸をしていただいてもよろしいですか?」
「いらないって言ったら……?」
「採寸を拒否されるようでしたら、このロキの目測で作らせて頂くことになります」
微笑むロキが片目をつぶって、お茶目に言う。
味方のはずのフィオルが背後で「ドレス……!」と、色めき立っているのがわかって、うなだれるしかなかった。




