11 幸せをめざして
ハッと目が覚める。
夢であってほしいと願ったのに、全身の魔力が抜かれているというこの状況はどうしようもなく現実だった。
相変わらず幌馬車に乗せられているようだけど、さっきとは中の様子が違うから乗り換えたのだろう。
見える限りは幌馬車の中には誰もいない。
御者台の方から談笑する声が聞こえるから、魔力を奪われ続けていずれ衰弱死する私は放置でいいという判断になったのだろう。
確かに私の魔力はほぼ底をつきかけている。
全身のだるさと頭痛がひどい。
それでも私はヴェルメリオ様の元へ帰るのだ。
仮面の男が油断しているのなら、今がチャンスだ。
身を起こした私は、いつもなら胸元に流れてくる髪がないことに気がつく。
そして同時にドレスがズタズタに引き裂かれていることにも。
身体に違和感はないから襲われたということは、きっとない。
何かの工作のために私の髪とドレスは使われてしまったのだろう。
「……結婚式までもう少しなのに。許さないんだから」
結婚式までに最高の状態に仕上げようと、私はフィオルと一緒に髪の手入れをがんばってきた。
この深紅のドレスだってお気に入りで結婚式後の夜会で着用しようと思っていたくらいなのだ。
それを全てボロボロにされた怒りは私に力を与える。
視界に入った木箱から釘が飛び出しているのを発見した私は手首を縛る麻縄をこすりつけた。
麻縄をほぐすように動かすと、時間はかかったが手首が解放される。
魔力が削られている状態はきつかったが、これ以上魔力を垂れ流しにされている状態では本当に命が危ない。
魔力を放出してしまうと言っていた首につけられたリングに手をかける。
力強く引っ張ってもとれる気配のないそれは、私のうなじにこすれて痛みを生むだけだ。
この輪の過去を見て、解除方法さえわかれば助かるかもしれない。
ギフトを使えば、一か八かで魔力を使い果たしてしまう可能性があったが使わないわけにはいかなかった。
「保ってね、私の魔力……!」
祈るような思いで首輪を握った手に意識を集中する。
見えた光景は仮面の男が怪しげな人間から、この首輪を受け取り説明を受けている姿だった。
「鍵はなくしたら困るだろう。今時は数字を組み合わせて鍵を解除するんだ」
怪しげな人間が、その数字を口にする。
現実に意識を戻した私が、怪しげな人間がやっていたようにリングに触れると空中に数字を入力する画面が現れた。
入力しようとあげた手が震える。
魔力切れがすぐそこまで迫っている。
視界がぼやけ、震える手でなんとか入力するとリングが外れて派手な音を立てて床に落ちた。
「起きたのか?」
身体が重くて、落下するリングをキャッチできなかったのは失敗だった。
落下音に気がついた御者台に乗っていた男が振り返る。
仮面の中の瞳と目が合った。
「やるなあ、パノン様。でも逃がさねぇよ。――馬車の速度あげろ。全速力だ」
仮面の男が言った瞬間、馬のいななきが聞こえ幌馬車が激しく揺れる。
立ち上がった私はただでさえ魔力不足で足下がおぼつかない。
幌馬車の激しい揺れに耐えきれず、床にたたきつけられように転倒した。
そうしている間にも仮面の男は御者台から、こちらへと移り、じりじりと距離を詰めてくる。
床に手をつき必死に上半身を持ち上げた私は這うように後ろへ後ろへと下がった。
「あんまり下がると危ないぞ。この速度で落下したら、助からねぇ。パノン様は大事な金づるなんだ。大人しくしといてくれねぇかな」
幌馬車の後ろ。
落ちる寸前のところまで来た私はなんとか立ち上がる。
幌をつかみ、なんとか立っている状態の私はふんと鼻を鳴らした。
「ゼメスタン伯爵領に戻る気はないの。私はもうクロムズ公爵夫人になることを決めた身。ゼメスタン伯爵領に戻るというのなら、今ここで身投げして大けがをしてでも生き残る方に賭けた方が良いわ」
幌馬車から飛び降りたら、周囲の森に飛び込む。
これだけの速度が出ている馬車だ。
馬も興奮しているだろうから急には止まれない。
止まりそうになったら馬に小石でも投げてやればいい。
もう日は落ちて真っ暗だから、夜の森の闇は深い。
魔物に遭遇する確率も高いけど、今ここで死ぬよりもずっと生存率が高いことは間違いない。
足が震える。
それでもヴェルメリオ様に会いたいのだという願いが、私に勇気をくれた。
「では、ごきげんよう」
綺麗な微笑みを浮かべて、仮面の男に背を向ける。
制止も聞かずに暗い街道へと身を投げた。
地面にぶつかる前に身を丸めれば、衝撃は最低限に抑えられるはず。
そう思って身を丸める前に、私は何かにぶつかった。
痛みはほとんどなく、何者かに身体を包まれる。
爽やかで甘い匂い。
会いたかったその香りに私は顔を上げた。
「ヴェルメリオ様!」
「無茶をするな。間に合わないかと思ったぞ」
暗闇に隠れて幌馬車を追いかけてくれていたのだろう。
馬に乗ったヴェルメリオ様は私を片腕で抱きとめてくれていた。
「追っ手だと……!? 速度あげろ!」
「これ以上は無理ですよ!」
私を安堵したような笑みで私を見つめたヴェルメリオ様は、そのまま私を馬の前に乗せる。
背後から私を支えて、ヴェルメリオ様は馬の手綱を私に握らせた。
「無事だったか? 怪我は?」
「してないです。ちょっと魔力を奪われてふらふらするだけで……」
「大事なくてよかった。落ちないように、このまま手綱を握っていてくれ。俺は馬車を止める」
耳元で囁いたヴェルメリオ様にうなずき、手綱を握る。
ヴェルメリオ様の馬はとても良い子で、私が何もせずとも幌馬車を追い続けた。
「パノンを苦しめた者を俺が逃がすはずがないだろう。罰をくだす」
よく響く低い声で言ったヴェルメリオ様は鞘から抜いた剣を真っ直ぐに投げた。
その剣は的確な軌道を描いて、幌馬車を引く馬の眼前をかすめる。
突然目の前を剣にかすめられた馬は驚いて幌馬車ごと転倒した。
仮面の男と御者が外へと投げ出される。
馬を止めたヴェルメリオ様はすぐに降りていくと、ふたりをあっという間に縛り上げてしまった。
「パノン!」
馬の上からすべてを見ていた私をヴェルメリオ様が振り返る。
泣きそうな顔をしたヴェルメリオ様は私を馬から下ろすと、そのまま力強く抱きしめた。
「よかった。よかった、本当に。すまなかったパノン。俺がきみをひとりにしてしまったからだ」
「いえ、私が油断していたからです。ご心配おかけして、すみませんでした」
ヴェルメリオ様の胸に頬を寄せると、それだけで身体のだるさがほどけていくようだった。
それでも、胸の奥はチリチリと痛む。
長かった髪の毛は肩程までに切り落とされてしまっていた。
「結婚式では髪を綺麗に結い上げてもらうつもりだったのに。こんなにみっともない姿を見せてしまって情けないです」
「そんなことない。パノンはどんな髪型でも化粧でもずっと美しい。どんな姿になろうとも、俺の一番はパノンだけだ」
照れくさい言葉が今はとても嬉しい。
ヴェルメリオ様の胸に顔を埋めて小さく頷くと、遠くの方から馬の蹄の音が聞こえてきた。
「ここの後処理は部下に任せる。屋敷へ戻って休んだ方が良い」
「いえ、屋敷には戻りますが休めません。私には話をつけなければならない人がいます」
この全てを仕組んだのはマウラ様だ。
私からヴェルメリオ様を奪うために、マウラ様はこんな悪どい工作をした。
もう二度と私から大切な者を奪うことがないよう、マウラ様とは話をつけなければならない。
「帰りましょう、ヴェルメリオ様。身支度を整えなければなりません」




