05 目指せ婚約破棄! 手に入れろ自由!
出会ったばかりの美青年が突如涙ぐんでいる。
しかも相手は最強と噂される『緋色の悪魔』。
衝撃を受けないわけがない。
固まっている私に、ヴェルメリオ様は震える唇を開いた。
「元気、だったか?」
ツ、とヴェルメリオ様の頬を涙が一粒転がる。
その光景は絵画のように美しかった。
「はい……?」
私が返事をすると、ヴェルメリオ様は慌てて私に背を向ける。
どうやら涙を拭っているらしい。
その様子を見て私は我に返った。
正直訳わかんないけど怯んでいる場合じゃない。
目指せ、婚約破棄。手に入れろ、自由。
しっかりするのよ、パノン!
「ヴェルメリオ様にお話がありますの。ふたりきりにしてくださいませ」
ロキは「承知しました」と礼をして部屋を去って行く。
私と同じく呆然としていたフィオルは、一瞬遅れて我に返ったらしい。
私に小さく親指を立てて出て行った。
フィオルからの無言の声援を受け、私はヴェルメリオ様に向き直る。
涙を拭い終えたらしいヴェルメリオ様は、その美しい眦を赤くしていた。
美形に怯んではダメよ。
なんで泣いたのかは分からないけど、とりあえず婚約破棄よ。
スッと胸を張る。
こちらを見るヴェルメリオ様が切なげな表情をしていて、罪悪感に胸が痛んだ。
「はじめまして、ヴェルメリオ様。パノン・ジマ・ゼメスタンです」
いきなり首を切り落とされては困るから、最低限の挨拶はしておく。
雑すぎるお辞儀は貴族令嬢としてあり得ないレベルのものだった。
これで第一印象は良くないはず。
自信を持って顔をあげた私は、再び驚くことになった。
ヴェルメリオ様がショックを受けた表情をしていたからだ。
「……はじめまして、か?」
「はい?」
もちろん、はじめまして。
ヴェルメリオ様と私は会ったことがない。
こんな綺麗な男性を見て、忘れるわけがない。
もしかして、お義姉様は夜会の警備をしていたヴェルメリオ様に一目惚れしたときにご挨拶でもしたの?
それでヴェルメリオ様はお義姉様が嫁に来ると思っていたのに、私だったから泣いたとか?
それなら好都合!
婚約破棄は楽勝かもしれないわ。
内心ガッツポーズを決めながらも、私は澄ました顔で答えた。
「はじまして、ですのよ。そんなことより、座っていいでしょうか? 長旅で疲れましたの」
「……そうか。かまわない。座れ」
何故かヴェルメリオ様はシュンとしてしまう。
お義姉様は『ゼメスタン伯爵家の宝石』と呼ばれる美貌の持ち主だ。
プラチナブロンドの美しい髪に、澄んだ空のような青い瞳、日の光を知らない肌。
ヴェルメリオ様が惚れていても不思議ではない。
けどそうなると疑問なのは、ヴェルメリオ様が出迎えに来なかったことだ。
ヴェルメリオ様がお義姉様に惚れていて、お義姉様が嫁に来ると思っていたのならば、普通は玄関かホールで歓迎しているはず。
そこまで考えたら、シュンとしている理由も泣いた理由もいよいよわからなくなってしまった。
相手が『緋色の悪魔』だからか、わからなすぎると不気味に感じる。
緊張を表情に出さないように注意しながら、部屋の端にあった応接セットのソファーに腰掛けた。
こじんまりと腰掛けてしまってから、気付く。
こんな普通の座り方ではダメだわ!
きっと、嫌な女はもっと嫌な座り方をするはずよ!
思い直したところで腕を組み、足を組む。
ツンと顎を上げてヴェルメリオ様を見やったところで、彼が奇人でも見ているみたいな妙な表情をしていることに気がついた。
かつて緋色の悪魔にこんな態度をとった人間はいないだろう。
もしかしたら、今ここで切り捨てられるかもしれない。
ドキドキしていたけど、ヴェルメリオ様は剣を抜かず、私の向かいのソファーに座った。
とにかく足が長い。かっこいい。
「話とは、なんだ?」
こちらの態度を責めることもなく、ヴェルメリオ様は居住まいを正す。
意外なほどにちゃんと話を聞こうとしてくれる彼の姿に驚いた。
もちろんそんな驚きは表情に出さず、心底つまらなそうに唇を開く。
心臓は破裂しそうだったけど、頭は緊張で冷えていた。
「わたくし他に好きな人がいるんですの。だから、あなたとは結婚したくありませんわっ」
用意していた台詞を告げた瞬間、大きな窓に稲妻が走った。
部屋を白く染めた稲光と共に、城塞全体を震わせるような雷鳴が響き渡る。
お願い。どうか殺さないでください!
そして、婚約破棄してください!
婚約破棄さえしてもらえれば、ゼメスタン伯爵家と縁を切ることができる。
そうなれば、晴れて自由の身!
自由の身になったら、まずは仕事を探そう。
お金を稼いで小さな家を借りるの。
そこで休日には散歩をして、硬いベッドで眠って、自分で選んだ仕事にでかけたい。
誰にも振り回されることなく、自分の決めたままに生きる。
祈る私を見下ろすヴェルメリオ様が、私には審判を下す神のように見えた。
緋色の瞳が細められる。
彼の唇がゆっくりと開くのと同時に、再び雷が落ちた。
「断る」




