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04 幸せをめざして


 実家に絶縁状を送り、ロキが私の出生について調査してくれている間も私とヴェルメリオ様は忙しく過ごしていた。


 結婚式の準備はとにかく大変だ。

 招待状のリスト作成、会場の装飾案、料理案と着々と準備を進める時間はめまぐるしく過ぎていく。


 それだけで済めばよかったのに、学のない私は最低限の公爵夫人としてのマナーを学びたいとヴェルメリオ様にお願いして講師にレッスンをしてもらっているのだから時間はいくらあっても足りない。


 今日ゆっくりできたのは食事時間くらいのもの。

 自室に戻ってきた私は持って帰ってきた本を抱えたまま、ぼふりとベッドに横になった。


「疲れた……」


 ヘトヘトだけど、まだやることがある。

 すべてが終わった自由時間に私が日課としていること。


 それは鑑定士になるための勉強だった。

 抱えているのは今日フィオルに街で買ってきてもらった教本だ。


 私は公爵夫人になる。

 だけど自分に与えられたギフトで、何か人々の役に立ちたいと思っていた。


 追憶の煙で眠らされた人々を救い、感謝を受けたとき、今までに無い達成感を覚えた。

 これが働くということなのだと身をもって感じることができた。


 私はせっかく与えられたギフトを誰かのために活かしたい。

 でも歴史を知らなければ、そのギフトで見ることができた過去がなんなのかを理解することができない。

 人々の抱える問題を解決することに役立てるために、私には過去の知識を豊富にもった鑑定士としての力が必要だった。


「でも覚えることが多すぎて頭がパンクしそうなのよね」


 鑑定士の試験は年に1度しかない。

 それまでに勉強もしなければいけないし、今は結婚式の招待客も覚えなきゃいけないしとやることが多すぎて本を開くだけで疲れてしまった。


 ゴロゴロしているとドアがたたかれる。

 フィオルが何かあって来たのかもしれない。


「はーい」


 気の抜けたゆるい返事をするとドアが開く。

 その開いた隙間から現れたのはフィオルではなく、ヴェルメリオ様だった。


 ベッドでだらしなくゴロゴロしていた私はハッとして身を起こしたけど、完全に見られたと思う!


 恥ずかしさで思わずベッドの上で正座をしたまま俯くと、ヴェルメリオ様のくっくと笑う声が聞こえた。


「今の『はーい』という返事はかわいかったな」


「か、からかわないでください。フィオルだと思ったんです! なにかご用ですか?」


 夕飯ももう終わっているこんな時間にヴェルメリオ様が来るなんて、なにかあったのかもしれない。

 赤い顔を誤魔化すように訊ねると、ヴェルメリオ様は「いや」と口ごもった。


「なにもないが、会いに来た。ダメだったか?」


 さっきまでの余裕はどこへ行ったのか。

 照れくさそうに視線を游がすヴェルメリオ様に、胸がキュンとしてしまった。

 クールな顔をしてこういう可愛いところがあるのだからズルすぎる。


「ダメじゃないですよ」


 ぼそっと答えた私は私で照れすぎだと思う。

 ふたりして照れてしばらくじっとしていたけど、ヴェルメリオ様が先に動いた。


「座ってもいいか?」


「あ、どうぞ」


 私が正座していたベッドの縁を指差して言うヴェルメリオ様に「どうぞどうぞ」と何度も頷く。


 促されてベッドに腰掛けたヴェルメリオ様は私の顔を覗き込んできた。


「……ハグは、してもいいか?」


 恥ずかしがる私を気遣うように聞いてくれるヴェルメリオ様に、小さく頷く。

 そっと両手を広げて待ちの姿勢をつくると、ヴェルメリオ様は安心したように微笑んで私を腕の中に閉じ込めてしまった。


 相変わらずヴェルメリオ様はあたたかい。

 あまりの心地よさに疲れていた私は眠ってしまいそうだった。


 とろんとしていると、顎をすくわれる。

 されるがままに上を向くと、ヴェルメリオ様に額をコツンと合わされた。


「かわいいな。眠いか?」


「ちょっとだけ」


「昼間忙しくしていて、夜はこんな勉強をしていたら疲れるだろう」


 ヴェルメリオ様の言葉に「ん?」と少し考える。

 そこで初めてヴェルメリオ様に鑑定士の教本を見られたことに気がついた。


 ばっと身を離して、今更ながら教本を背後に隠す。

 焦る私とは対照的にヴェルメリオ様はきょとんとしていた。


「なぜ隠す」


「……その、受かるか、わからないので」


 公爵夫人になるのに鑑定士を目指すというところをヴェルメリオ様が責めるとは思っていない。

 たとえ鑑定士試験を不合格になったとしても、ヴェルメリオ様は笑ったりしないだろう。


 わかってはいるけど、難関と言われる鑑定士試験を学校にも行ったことがない身の上で受けようとしていることが知られるのはなんとなく恥ずかしかった。


 ぼそぼそ言う私にヴェルメリオ様がベッドに手をついて迫ってくる。

 私の背後に隠した教本にヴェルメリオ様が手を伸ばしたとき、ヴェルメリオ様の身体は私の身体に覆い被さるようになった。


 甘く爽やかなにおいが胸いっぱいに広がる。

 ヴェルメリオ様の自分の魅力をわかりきっているかのような微笑が色っぽくてドキドキした。


「大丈夫だ。俺が講師になろう」


「へ?」


「なんたって俺は300年前の前世の記憶がある。その頃に関しては当事者だ。その上、現世では公爵として生まれてしまったから教育も受けている。パノンに歴史を教えることくらい訳ない」


 言いながらヴェルメリオ様は教本をめくる。

 「懐かしいことが書いてあるな」なんて呟くヴェルメリオ様を呆然と見ていると、ヴェルメリオ様はまぶしそうに眼を細めて私を手招いた。


「おいで。俺と覚えれば、きっと大丈夫だ」


 手招きされるがままヴェルメリオ様の隣に行くと、ヴェルメリオ様はおとぎ話でも語るかのように歴史について教えてくれた。


 心地よい中低音。

 ヴェルメリオ様の優しい香り。


 ヴェルメリオ様の言うとおり、ヴェルメリオ様が教えてくれたことはわかりやすくてよく覚えられた。

 でも疲れていた私の身体にはヴェルメリオ様の授業は心地よすぎて、気づけば私は眠ってしまっていた。


▽▽▽


「――パノン様。えっと、お取り込み中だったところにすみません」


 目が覚めるとフィオルがベッド脇に立っていた。

 照れくさそうにしているフィオルを不思議に思いつつ身を起こそうとして、起き上がれないことに気がつく。


 なにかが絡みついている。

 寝相が悪くて上掛けを身体に巻いてしまったのかと思って見やると、私はヴェルメリオ様に抱きしめられていた。


 背中からヴェルメリオ様が私を抱きしめて眠っている。

 心地よさそうな寝顔の美しさに一瞬目を奪われたけど、そんなことより今どうしてこんなことになっているのかと頭が混乱した。


「ん!? う゛ぇ、ヴェルメリオ様? 起きてください!」


「……ん? うん」


 ヴェルメリオ様が朝に弱いだなんて初めて知ったという新しいキュンを体験しているけど、そんな場合じゃない。


 慌てて私もヴェルメリオ様もきちんと服を着ていることを確認してから、ちょっとだけ落ち着いた。


「ヴェルメリオ様。フィオルが来てます」


「……夫婦の寝室に入るときは、気をつけろ」


「まだ夫婦じゃないです」


 掠れた声でヴェルメリオ様は「そうだった」とうめきながら私を解放する。


 目が覚めてきたら思いだしたけど、私はヴェルメリオ様の授業を受ける内に寝てしまったんだ。

 たぶん私がしがみつくかなにかしていて、ヴェルメリオ様は帰れずにここで寝たのだろう。

 なんとなくそんな記憶がある。


 疲れていたとはいえ、自分のしてしまったことの大胆さに大きなため息をついて、少しだけ悶絶してからフィオルに向き直った。


 フィオルはできる侍女なのだ。

 私がヴェルメリオ様と寝ているとわかった上で声をかけてきたのだから、よっぽどのことがあったんだろう。


「ごめんなさい、フィオル。落ち着いたわ。なにかあったの?」


「ありました」


 フィオルが深刻な表情でうなずく。


 ようやく目覚めたらしいヴェルメリオ様も私の隣で身を起こして鋭い目をしていた。


「――ディメイス様とマウラ様がいらっしゃっています。おふたりに話があるとのことです」


 ゼメスタン伯爵家に絶縁状を送ってから数日が経った。

 そろそろお義姉様とお義父様が来てもおかしくはないと思っていたところだ。


 一気にピンと張り詰めた空気の中、立ち上がったのはヴェルメリオ様だった。


「屋敷の応接室でもてなそう。用意をさせる」


「わかりました。フィオル、支度をしましょう」


 フィオルが力強く「はい!」と頷く。


 私たちには今日この日を迎えるために準備していたものがある。

 ヴェルメリオ様が部屋を出て行ったあと、お義父様とお義姉様を出迎えるための身支度をはじめた。

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