03 幸せをめざして
「結論から言って、俺は式にパノンの義父と義姉を呼びたいとは思わない」
今日の夕飯はシチュー。
よく煮込まれた野菜のうまみが出たおいしいシチューをひとくち食べたところで握っていたスプーンを落としかけた。
ヴェルメリオ様は公爵家だ。
貴族様なのだ。
伯爵であるお義父様と伯爵令嬢であるお義姉様を結婚式に呼ばないなんて勝手は許されないはずだろう。
少しの間呆気にとられていた私はどうにか言葉を紡いだ。
「それは、無理じゃないでしょうか? 養子とはいえ私は一応ゼメスタン伯爵令嬢なわけですし……」
一度も伯爵令嬢として扱われたことはないけど肩書き上そうなのだから仕方が無い。
おずおずとヴェルメリオ様の意見に反論すると、ヴェルメリオ様はシチューを飲み込んで酷薄そうに笑った。
「パノンはゼメスタン伯爵家とは縁を切ってしまえばいいだろう。元はそのつもりでこの城に来たのだしな」
「へっ!? でもそれは私がヴェルメリオ様に婚約破棄された場合というお話でした」
ヴェルメリオ様の言うとおり。
私はこの城にはゼメスタン伯爵家との縁を切るためにやってきた。
お義姉様のわがままに散々付き合わされてきた人生から逃れるために、ヴェルメリオ様との婚約をなきものにすることでゼメスタン伯爵家と縁を切ろうとしていた。
すべては自由を得るために。
でも私は思っていた手順ではなかったけど、今は自由を手に入れることができている。
「私は今ヴェルメリオ様のおかげで自由に過ごしています。自分で決めて自分のわがままで生きることができているんです。望みが叶っている状況なのに、わざわざ波風を立てることもないんじゃないでしょうか?」
私がゼメスタン伯爵家を嫌う気持ちは変わらない。
もう二度とあの家の人と関わりたくないという思いがないと言ったら嘘になる。
だけどヴェルメリオ様の公爵としての立場に何か影響があるくらいなら、親戚付き合いくらいはこなしてみせるつもりだった。
私の意見は間違っていないと思う。
社交界に出ていないから貴族社会のことはよくわかっていないことも多いけど、縁を切ろうとしたら波風が立つことくらいはわかる。
でもヴェルメリオ様は首を横に振った。
「波風をたててでも縁は切るべきだ。俺とパノンの結婚により公爵家と縁を結べば、ゼメスタン伯爵家は力をつける。今まで不当な扱いをしていたパノンを政略結婚の道具として力をつけるんだ。それは許せない」
「……でもそれは貴族社会ではよくあることなのではないですか?」
「よくあることだからといって苦痛を許容する必要があるのか? 波風をたてることではねのけられる苦痛ならば、いくらでもたててやればいい。こちらから絶縁状をたたきつけてやろう。苦痛からは逃げても良いんだ」
ヴェルメリオ様の凜とした緋色の瞳の力強さに目を奪われる。
養子である私から絶縁状をたたきつけるだなんて非常識にもほどがある。
でもヴェルメリオ様の言葉は正しいように思えた。
「パノンはどうしたい?」
ヴェルメリオ様がさっきまで凜々しかった眼を優しく細めて聞いてくれる。
私は迷って、迷って、うなずいた。
「私は、できることならゼメスタン伯爵家とは縁を切りたいです」
着飾ってお茶会に行くお義姉様を横目に、私は穴の空いたワンピースを繕って、這いつくばってお義姉様の部屋の床を拭いていた。
お義父様は必要なとき以外は私が見えていないかのようだった。
あんな人たちを、私は家族と呼びたくはなかった。
迷った末の私の決断に、ヴェルメリオ様は静かにうなずく。
そして背後に控えていたロキを呼んだ。
「実はもう書類は用意してある。これをゼメスタン伯爵家に送りつけてやれば良い」
「はいこれ、絶縁状ね。これにサインしてくれたら、あとはやっとくよ」
ヴェルメリオ様の説明の後にロキが差し出してくれた書状は、ゼメスタン伯爵家へ私から絶縁をたたきつける書状だった。
決意はしたけど、あとは私がサインするだけの絶縁状を見ると緊張してしまう。
抱えている不安を残したくなくて、私はロキを見上げた。
「私がゼメスタン伯爵家と絶縁することで、ヴェルメリオ様の公爵としての地位が脅かされることはないの?」
「ないね。クロムズ公爵家はその騎士としての実力を評価されてる。ちょっと変わったことしたって許されるよ。そもそもヴェルは社交界にだって全く顔出さないんだから、その時点で変わり者。ゼメスタン伯爵家と絶縁して一般人になったパノンと結婚したところで評価が変わることはないよ」
「むしろ評価は上昇するくらいだ。パノンは街でなんと呼ばれているか知ってるか?」
ヴェルメリオ様がなぜか得意げに首を傾げる。
おかしなあだ名で呼ばれていたらどうしようかとドキドキしながら「知らないです」と答えると、ヴェルメリオ様は笑って教えてくれた。
「『聖女様』だそうだ。『緋色の悪魔』と『聖女』の結婚だと街では話題らしいぞ」
「聖女!? なんでですか!?」
聖女っていうと神話とかで人々を救った女性をさす言葉だ。
私みたいななんでもない人間には最も似合わない言葉のひとつだろう。
声を裏返して驚いていると、ロキが「そんなの決まってるでしょ」と呆れたように言う。
「こないだ追憶の煙で眠っちゃった人たちを命懸けで助けたじゃん。その後ドラマチックなプロポーズからのキス。そんなの話題にならないわけないよ」
肩をすくめるロキに顔に熱が集まるのを感じる。
人前でドラマチックなプロポーズからのキスを演じたことはどうか忘れてください!
頬に手を当てて「言わないでよ」と少々羞恥心と戦ってから、私は背筋を正してヴェルメリオ様に向き直る。
挙動不審な私をヴェルメリオ様はおかしそうに見守っていたけど、私の表情を見てちゃんと話を聞く姿勢をとってくれた。
「パノン。周りのことなんか心配する必要はない。どんな困難も俺が打ち払ってやる。だからパノンは望むままに生きれば良いんだ」
「私はゼメスタン伯爵家とは縁を切りたいです。もうあの人たちの家族ではいたくない」
告げた唇が震える。
ひどい扱いを受けてきたと思う。
それでも食事も寝る場所も与えてくれた人たちに働く不義理に胸が痛んだ。
サインをしようとペンを取った手がうまく動かない。
紙にペン先を載せたはいいもののその先が動かせずにインクがたまってしまった。
顔をあげてヴェルメリオ様を見る。
ヴェルメリオ様は優しい表情で私を見ていてくれた。
「愛を与えてくれなかった者たちに無理をして愛を与える必要はない」
私はお義姉様とお義父様を愛したかったんだと思う。
孤児だった私にできた初めての家族だったから。
だから私はお義姉様のわがままに従い、無視をするお義父様に毎日挨拶をしてきた。
それをしなくてもいいんだと言われた瞬間、全身の力が抜けたような思いがした。
手に入っていた余計な力が抜ける。
そのあとはサインはあっさりと書けてしまった。
書き上がった絶縁状を眺める。
これがゼメスタン伯爵家に届いたらどうなってしまうんだろうという思いと、これでやっと終われるんだという開放感で複雑な思いがした。
「できました」
そっと書状を手に取って、ロキに渡す。
ロキは私のサインをチェックしてから懐にしまった。
「じゃあこれは確実に送り届けてもらうよ。2、3日もせずに届けられるはずだよ」
「……わかった」
書状が届いたらお義姉様とお義父様はなんらかの行動をとるはずだ。
私がヴェルメリオ様と結婚するというのに、公爵家との縁をつくれないだなんてことになったら黙ってはいないだろう。
それでも私はヴェルメリオ様と一緒に困難を乗り越えると決めたのだから後悔はない。
戦う覚悟を決め、とりあえずはこのおいしい夕飯を食べてしまおうと小麦色のパンに手を伸ばす。
そこでロキが「そうだ、もうひとつ」と声をかけてきた。
「パノンにお願いがあるんだ」
「なに? 私で力になれること?」
「いや、パノンは何もしなくていい。僕にパノンの出生を調べさせてほしいってお願い」
自分の出生については調べてみたいと思っていた。
だけどゼメスタン伯爵家に居た頃は外に出たことさえなかったのだ。
ロキのお願いは、私からもお願いしたいくらいのことだ。
でも、なぜ今なのだろうという疑問はある。
「私の両親を調べてくれるってことよね? 物心ついた頃には孤児院にいたから、ずっと知りたいと思ってたの。けど、どうして今なの?」
「パノンがゼメスタン伯爵家と縁を切って一般人になっても、ヴェルとの結婚に支障はない。でもパノンの血に犯罪者の血が混ざっていたりしたら、話は違ってくるかもしれない。どこの誰ともわからない奴と結婚したとかいって後ろ指さされたらうっとうしいからね。どこの誰かくらいは調べておきたいと思って」
「それはそうよね」
確かに私の薄紫の瞳と桃色がかったプラチナブロンドは、この国でも珍しい淡い色合いだ。
もしかしたら外国の血が入っているのかもしれないと自分でも思ったことがあるくらいなのだから、周囲の貴族様たちから何か言われないとも限らない。
本当に大罪人の血が入っていたりしたらヴェルメリオ様と結婚できなくなっちゃうかもしれないという不安はあったけど、調べた方が安心だろう。
神妙に頷く私に、ロキはへらりと笑った。
「まあ安心してよ。なんとなく見たことある瞳の色だとは思ってたんだ」
「心当たりがあるの?」
「大罪人とかではないから大丈夫。確信が持てたら伝えるよ」
にこりと笑ったロキは「じゃあ行ってくるから」と告げて出て行ってしまう。
ゼメスタン伯爵家との絶縁。
そして私の出生の調査。
急に動き出した展開に内心ドキドキしている私の頭をぽふぽふとヴェルメリオ様が撫でた。
「大丈夫だ。幸せになろう」
ふっと微笑んだヴェルメリオ様の表情を見ていると、心の奥がほぐれていく気がする。
「はい」と頷いた私の顔は緩みきっていたと思う。




