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02 幸せをめざして


「採寸は疲れたんじゃないか?」


 ヴェルメリオ様のスムーズなエスコートで自室に辿り着いた私たちは窓際のティーテーブルを囲んでいた。


 騎士服姿のヴェルメリオ様は何度見てもかっこいい。

 胸元の詰まった襟のボタンをひとつ外して緩める姿が色っぽくてクラクラした。


 ふたりきりの部屋でヴェルメリオ様を直視していたら、私の心臓が保たないかもしれない。

 危機感でヴェルメリオ様からは目をそらした。


「疲れましたけど、楽しい方が大きかったですよ」


「それならいいが無理はしないでほしい。もうパノンを失うかもしれないなんて恐怖は二度と味わいたくない」


 苦しげな声に思わずそらしていた視線をヴェルメリオ様に向ける。


 私もヴェルメリオ様がいなくなってしまうかもと思うと怖くてたまらなかった。

 同じ恐怖をヴェルメリオ様に与えてしまっていたのだと思うと胸が痛む。


 改めて婚約を結んでから先、バタバタしていた私はヴェルメリオ様にあのときのことを謝罪できないままでいた。


「あのときは不安にさせてごめんなさい」


「帰ってきてくれたんだから、それでいいんだ。一生にひとつの願いをあそこで使ったことに後悔はないんだが、ひとつ残念なのは来世で俺がパノンのことを覚えていられないということだな」


 ヴェルメリオ様が眉を下げで笑う。


「俺は今世でも、死に際に『生まれ変わったらもう一度パノンに会わせてくれ』とロキに頼む予定だった。きみと結婚できても、できなくてもだ」


「その願いは叶いますよ。私がロキにお願いしましたから」


 私も仕返しとばかりに目を細める。

 ヴェルメリオ様はきょとんとした。


「ロキに、願ったのか?」


「はい。『生まれ変わったもう一度ヴェルメリオ様に会わせてください』とお願いしました。今度は私がヴェルメリオ様に忘れられちゃう番ですね」


 ふふっと小さく笑うと、ヴェルメリオ様は脱力したように笑う。

 小さなティーテーブルを挟んではいるけど、ヴェルメリオ様が腕を伸ばせば簡単に私に触れられる。


 ヴェルメリオ様はそっと私の頬を撫でて瞳を覗きこんできた。


「忘れられるというのもなかなか大変だぞ? 無理をしたお嬢様言葉で距離をとられたりするからな」


「大丈夫です。来世のヴェルメリオ様に愛されなかろうと、絶対に幸せにしますから」


 来世で愛されても愛されなくても構わない。

 ただ私は来世でもヴェルメリオ様の幸せを見守りたい。

 死ぬかもしれないと思ったときに、私はそう願ったのだ。


 柔らかく笑むとヴェルメリオ様は私の顎に手を滑らせる。

 顎下を軽くくすぐる指先に首をすくめると、そのまま顎をすくわれ上を向かされた。


「キスしたい」


 ヴェルメリオ様の緋色の瞳が熱く潤んでいる。

 

 さっきから早鐘を打っていた心臓が破裂しそうなほどに暴れ出した。


 ヴェルメリオ様がティーテーブルに手をついて、こちらに身を乗り出してくる。

 美しい顔をそっと近づけてくるヴェルメリオ様の唇に――手を押しつけた。


「ま、待って待って待ってください!」


「なんだ」


 私に手のひらを唇に押しつけられたまま、ヴェルメリオ様がもごもごしゃべる。

 手のひらに唇の動きを感じてしまって、ばっと手を引くとヴェルメリオ様はむっとした表情を浮かべた。


「人前じゃないんだからキスくらいしてもいいだろう。俺たちは夫婦になるんだ」


「そう、なんですけどっ。でも恥ずかしいので、ステップを踏んでほしいです! いきなり、キスは無理です!」


 プロポーズされたときは勢いに任せてキスを受け入れてしまった。

 ヴェルメリオ様の柔らかい唇の感触は、ふとした瞬間に思いだしてしまうほどに鮮明に覚えている。


 正直、幸福感しかなかった。 

 キスってこんなにも幸せなものなんだと、胸が熱くなった。

 だけどあんな恥ずかしいことを、冷静な頭でできるほど私はまだ強くはなかった。


 私の訴えにヴェルメリオ様は腕を組んで鼻からふうっと息を吐く。

 怒らせてしまっただろうかと見ていると、ヴェルメリオ様は少し考えた様子で口を開いた。


「ステップか。なら、ハグから練習しよう」


「ハグ、ですか」


「そうだ。結婚式では誓いのキスもする。練習しておかなければ本番で困るだろう。だからまずはハグからだ。……当然俺はキスの先も望むからな。がんばってもらいたい」


 キスの先。

 学校にも行かせてもらえなかった身ではあるけど、そういった知識がまるでないわけじゃない。


 ボンッと爆発する勢いで赤くなる私にヴェルメリオ様は小さく咳払いをした。


「今すぐに多くは望んでいない。今望んでいるのは、ハグだ。そのくらいは許してほしい。パノンに触れたいんだ」


 きゅっと眉を寄せた切なげな表情で大好きな男の人に望まれたとき、拒否できる女の子なんているんだろうか。


 私がこくんと頷くと、ヴェルメリオ様は席から立った。

 椅子に座っている私の手を取り立ち上がらせたヴェルメリオ様は、そのままゆっくりと私を抱きしめる。


 身重差があるから、私の頬はヴェルメリオ様の胸にくっついた。

 大きなヴェルメリオ様の身体が私を包んでいる。


 恥ずかしいけど安心感があって心地良い。


 ヴェルメリオ様は頭をもたげて私の肩に額を押し当てた。

 緋色の髪が頬にあたってくすぐったい。

 すりすりと頬を寄せてくる姿が愛しくて、私も破裂しそうな心臓を抱えてヴェルメリオ様の背に手を伸ばした。


「……ヴェルメリオ様って甘えんぼですね」


「パノンにだけだ」


「今日来たご婦人方はヴェルメリオ様は話してみたら印象が違ったって言ってましたよ。『緋色の悪魔』なんて呼ばれないように、もっと穏やかな表情でいた方が領民も親しみやすいんじゃないですか?」


「仏頂面をしていたつもりはない。……だがパノンが横に居てくれれば表情筋が緩むかもしれないな」


 くっくと耳元でヴェルメリオ様が笑う。


 恥ずかしい思いはあったけど、それより何より幸福感で胸がいっぱいだ。


「しばらくこのままでもいいか?」


 掠れたヴェルメリオ様の声にこくんと頷いて、その胸に頬を寄せる。


 耳を澄ませると、ドキドキ鳴るヴェルメリオ様の心音も速いことに気がついた。

 鼓動だけでヴェルメリオ様が私を愛してくれているということが伝わってくる。


 暖かい気持ちでヴェルメリオ様の腕に包まれていたところに、ノックが聞こえた。


「ッはい!」


「パノン様。お食事の準備ができたようですよ。……お取り込み中すみません」


 廊下から申し訳なさげなフィオルの声が聞こえてくる。


 ノックの音に反射でヴェルメリオ様の胸を押して距離をとった私をヴェルメリオ様がじとりとした目で見下ろしていた。


「早く次のステップにいけるよう、ハグの練習はしていこう。……それにしても今日は夕飯が早くないか?」


「いつも通りの時間だと思いますよ」


 ぶつぶつと言うヴェルメリオ様と一緒に食事をとるために食堂へと向かう。


 その道中、思いだしたようにヴェルメリオ様が私に声をかけた。


「大事な話をし忘れていた。パノンの実家について、食事をとりながら話させてほしい」


「はい」


 実家――ゼメスタン伯爵家については結婚を決めてから、ずっと不安に思っていた。

 結婚式を挙げるとなればお義姉様とお義父様を招かないわけにはいかない。


 あのふたりが私の幸福を奪おうとはしないだろうか。

 そんな私の不安をヴェルメリオ様も感じてくれていたのだろう。

 先程までとは打って変わってヴェルメリオ様は深刻な表情をしていた。

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