10 前世から愛してる
追憶の煙を吸った者は自分がもう一度経験したい過去を夢の中で永遠に繰り返す。
だからヴェルメリオ様の夢の中は、前世でスノウと恋人として過ごすことができた1年間だとばかり思っていた。
なのにヴェルメリオ様の意識に潜った私の目の前に広がっているのは現代のクロムズ城の城下町。
ヴェルメリオ様は現世でそんなにも幸福な記憶があるっていうこと?
疑問を抱きながらも周囲を見回す。
人通りが多くてヴェルメリオ様の姿がなかなか見つけられないでいると、聞き慣れた声が耳に届いた。
「あそこは武器を売っているが、客が乱暴だ」
優しく響く低音が紡ぐ言葉は聞いたことがある台詞だった。
まさかと思って声の方へと視線を向ける。
そこにはヴェルメリオ様と私が歩いていた。
「冒険者ギルドもあるんですよね。この街ではやっぱりギルド関係のお仕事が盛んなんでしょうか?」
「そうだな。冒険者ギルドの受付は女性が多いから安心かもしれない」
ヴェルメリオ様が終始微笑みを浮かべながら隣を歩く私を見ている。
その光景を見ながら、私は呆然としていた。
追憶の煙を吸った者は自分がもう一度経験したい過去を夢の中で永遠に繰り返す。
それが事実ならヴェルメリオ様がもう一度経験したい過去は私とのデートということになる。
スノウではなくパノンである私との、だ。
じゃれ合うようにして歩くヴェルメリオ様と自分の姿を見つめていたら、涙が出る想いがした。
私は愛されていた。
想像よりもずっとずっと愛されていた。
今になってそんなことを理解してしまった。
(ヴェルメリオ様)
今まで眠っていた人々の夢の中でそうしていたように、ヴェルメリオ様に声をかける。
ふと立ち止まったヴェルメリオ様がこちらを振り返ると、夢の世界の時が止まった。
「……パノン?」
ギフトを使っているとき、私の意識は肉体から切り離されている。
だから今のヴェルメリオ様に、私の姿は見えない。
不思議そうに辺りを見回すヴェルメリオ様に祈るような想いで願った。
(ヴェルメリオ様、目を覚ましてください。ここは夢の世界。現実ではヴェルメリオ様を待っている人がいます)
「夢……? そうか、俺は追憶の煙を」
ヴェルメリオ様がハッとした様子を見せると、夢の世界が壊れ始めた。
街を歩いていた人々の姿はかき消え、城下町は遠くの方から音もなく崩れ落ちる。
ヴェルメリオ様が追憶の煙が見せる夢なのだと気づいたことで、この世界は形を保てなくなったのだ。
壊れる世界の真ん中で、ヴェルメリオ様は絶望染みた表情で見えない私を探していた。
「パノン。ギフトを使ったのか!? 煙を吸った人数は相当なものだっただろう!?」
ヴェルメリオ様には前世の記憶がある。
スノウだった頃の私が今みたいに眠っている人々を目覚めさせた結果死んでしまったことも知っているのだろう。
私はヴェルメリオ様の疑問には答えなかった。
悲しませてしまうだけだから。
その代わり、抱えていた想いを伝えることにした。
(ヴェルメリオ様。私はヴェルメリオ様が大好きです。自分の前世に嫉妬してしまうくらいに愛しています)
「俺もパノンを愛している! スノウのことを忘れることはできない。確かにスノウがいなければ俺はパノンのことを知ろうともしなかったかもしれない。でも前世がスノウだったからパノンを好きになったわけじゃない!」
崩れゆく世界でヴェルメリオ様が叫ぶ。
肉体のない私はそれを見つめながら、心で涙を流していた。
「パノンはいつも勇気を持って俺に向き合ってくれた。俺に嫌われようとしていたときからそうだ。本当は俺を傷つけることに一番傷ついていたのはパノンだったろう!? いつも尊大な態度をとっては俯いて少し困った顔をしていたパノンがかわいかった!」
ヴェルメリオ様の足下。
石畳の地面が崩れる。
ヴェルメリオ様は世界の終わりから逃れてよろけながら、なお叫び続けた。
「このデートでだってパノンが愛しくてたまらなかった! 知らないことを知ることができて楽しそうにするパノンを守りたいと思った。手を握られて恥ずかしそうにするパノンを抱きしめてやりたいと願った。パノンを心から愛してる! 俺はパノンと結婚したい! ずっと傍に居てくれ!」
ヴェルメリオ様が叫び終わると同時に夢の世界は完全に崩壊した。
崩れ落ちた街の後には真っ白な世界が残る。
居場所がなくなった私の意識がふうっと消えていくのがわかった。
(ヴェルメリオ様。愛してます。ありがとう、ごめんなさい。幸せになってください)
最期にヴェルメリオ様の想いを知ることができてよかった。
ヴェルメリオ様が守ってきた民を救うことができて、ヴェルメリオ様の目を覚ますこともできた。
私はなすべきことをなすことができた。
「パノン!」
夢の世界に響いたヴェルメリオ様の声。
それを最期に、私の意識はぷつりと消えてしまった。




