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08 前世から愛してる


 ロキはヴェルメリオ様は仕事で遅くなると私に言った。


 遅くなると言っただけ。

 こんな風になって帰って来るだなんて聞いてない。


 オムライス屋さんの閉店時間を過ぎた頃。

 待ちわびた自室のノックの音に跳ねるようにドアを開けると、神妙な表情のロキがいた。


 その表情を見た瞬間に感じたイヤな予感は的中した。


「説明は後にしよう。まずは見に行った方が良い」


 そう告げたロキに連れて行かれた騎士団営所は私が知っている場所ではなくなってしまっていた。


 広い廊下に広げられた大量の布。

 そこに寝かされる多くの人々と周囲で泣く者たち。


 沈んだ空気が流れる現場を騎士が慌ただしく駆け回っている。


 そして私が連れて行かれた先には布の上に寝かされたヴェルメリオ様がいた。


「生きてる、のよね?」


 ヴェルメリオ様のまぶたは堅く閉ざされている。

 緋色の睫毛がその頬に影を落としていた。


 血色の悪い顔色をしているけど、その口角は幸福そうにほほえんでいる。

 綺麗すぎる寝顔に思わず口にしてしまった疑問にロキは頷いた。


 安堵で全身の力が抜ける。

 ヴェルメリオ様の隣によろよろと座り込み、ロキを見上げた。


「一体なにがあったの?」


「街のすぐ外に大型魔物の群れが現れたんだ。それ自体は珍しいことじゃない。街にいた冒険者や騎士が対処していたところにヴェルが駆けつけて、あっという間にやっつけた。

そこまではいつも通り。違ったのはそのあと。魔物のうちの一体が、死に際に追憶の煙を大量に吐いたんだ」


「追憶の煙って、夢の中にとじこめられるっていうあの……?」


 追憶の煙については聞いたことがある。


 『魔王の目覚め』の際にも騎士や冒険者たちを苦しめた魔物が吐く煙。

 一定以上の量を吸い込んでしまうと、その人は永遠に眠りから覚めずに衰弱死してしまうんだと言う恐ろしい煙だ。


 ヴェルメリオ様は追憶の煙を吸って眠っている。

 それならもう二度と目覚めてはくれないの?


「……ヴェルメリオ様、なんで? 一緒にオムライス食べましょうって言ったのに。ケーキだって用意したのに。まだ好きだって、もっとたくさん伝えたかったのに。・・・・・・なんで?」


 はらはらと涙がこぼれ落ちる。


 震える手でヴェルメリオ様の頬に触れると、まだ暖かかった。

 この温もりがいずれ消えてしまうというの?

 そんな未来、私には耐えられない。


 周囲には私と同じ悲しみに暮れる人々がいる。

 もう目覚めることはない大切な人が衰弱して死んでいくのを見守ることしかできない絶望に嘆いている人々が。


 何かできることはないのか。

 考えたときに、自分は遠い過去にもこういう現場を見たことがある気がした。


「パノン。これを言ったらヴェルに怒られるかもしれないけど、ヴェルを救う方法がある」


 ハッと隣を見る。

 いつの間にか私の隣にひざまづいていたロキは迷いのある表情をしていた。


「ヴェルメリオ様は目覚めるの? なんでもするわ! どうしたらいいの?」


「パノンはスノウだった頃に里の神子だった。神子の仕事。それは追憶の煙で過去に閉じ込められた人を救うことだ」


「過去に? 夢の中に閉じ込められているんじゃないの?」


「それも間違いじゃない。正確には夢の中で、自分がもう一度経験したい過去を永遠に繰り返してる。

里の神子は追憶の煙で眠ってしまった人々の過去にギフトで潜って、帰ってこいって声をかける仕事だ」


 追憶の煙による被害者は魔物による負傷者よりも多いと聞く。

 目覚める者は稀で、ほとんどの者は死んでしまう。


 幸福そうな表情で死んでいくことだけが唯一の救いだとまで言われていたその被害者を私が救える?

 信じられない想いと希望が混ざって、眠るヴェルメリオ様を見た。


「私が目覚めさせられるの? でも私、ギフトを使っているときに声は出せなかったの。帰ってこいなんて言えるの?」


「追憶の煙で夢を見ている人間にはパノンの声が届く。待っている人がいるから帰ってこいと声をかけて、納得すればその人は帰ってくる」


 私にギフトを与えたのはロキだ。

 そのロキが言うのだから、私が前世に神子としてギフトを使って追憶の煙の被害者を救っていたのは事実なのだろう。


 私には眠っている人たちを目覚めさせる力がある。

 それが事実なら、迷いなんかない。


 眠っているヴェルメリオ様の額にかかる前髪をそっと耳にかける。

 

 幸せそうな寝顔。

 なんの過去を見ているのかと考えると胸がぎゅっと痛くなる。


 その痛みを振り払うように笑みをつくった。


「ヴェルメリオ様。少々お待ちくださいね。あなたの民を救って、私はヴェルメリオ様も助けてみせます」


 ヴェルメリオ様の頬を最後にもう一度撫でてから立ち上がる。


 振り返ると苦しそうな表情をしているロキと目が合った。


「パノン。わかってるかもしれないけど、ギフトは多量の魔力を使う。ここにいる全員を救ったらパノンだって無事じゃいられない」


「死ぬかもしれない?」


 私の率直な問いにロキはうつむく。

 無言の肯定だった。


 ギフトを使うとあんなに疲れるんだから、今ここにいる全員にギフトを使えば私は助からないかもしれない。

 そのことはきちんとわかって私はなすべきことをなそうとしていた。


「ヴェルだけをこっそり救えばいい。他の人たちにはバレやしないよ」


 苦々しい表情で呻くように言うロキは優しい。

 私を思って苦しんでくれているロキに私は微笑んだ。


 死ぬかもしれないことが怖くないわけじゃない。

 だけど恐怖を滲ませたらロキは悲しむだろう。

 だから、私は笑った。


「ありがとう、ロキ。でもそんなの英雄である緋色の悪魔の妻にふさわしくない所業でしょ? 私はヴェルメリオ様が好きだから、ヴェルメリオ様にふさわしい人間になりたい。

魔物の巣に飛び込む命知らずの真似を何度してでもヴェルメリオ様が守ってきた人々だもの。私も守ってみせるわ」


「……変わらないな、パノンは。前世のときもそんなこと言って死んだんだ。眠ってる里の連中を全員たたき起こしといて、自分だけ永遠の眠りについた」


 ロキはこれを言ったらヴェルメリオ様に怒られるかもしれないと言ってから、ギフトの役割を教えてくれた。


 スノウも今と同じ状況でギフトを使って死んだのなら、確かにヴェルメリオ様は怒るかもしれない。


 ロキも私を大事にしてくれてる。

 私が力を使い果たして死んでしまうかもしれないとわかっていて教えてくれたのはロキの勇気であり優しさだ。


「私にみんなを救う力があることを教えてくれてありがとう。ロキ、人生に一度だけ願い事を叶えてくれるのよね?」


「……いいよ。叶えよう」


 悔しげに唇を噛むロキに、私は笑顔で告げる。


 今ならヴェルメリオ様の気持ちが少しだけわかる。

 心から愛している人ならば姿形が変わっていても、再会できたその瞬間に涙が出てしまうだろう。


 初めてヴェルメリオ様に会ったとき。

 目が合ったヴェルメリオ様が驚くほど美しい涙を流したことを思い出した。


「ロキ。私は『生まれ変わったら、もう一度ヴェルメリオ様に会いたい』。

今ここでみんなを救って死んでしまっても、生まれ変わってまたヴェルメリオ様を愛したいの。それが一方的な想いでも構わない。ヴェルメリオ様のことを忘れたくない」


 ごめんなさい、ヴェルメリオ様。

 私は命を惜しまず民を救います。

 そしてあなたのことも、必ず救います。


 もう時刻は約束の日をまわっている。

 結婚するのかしないのか。

 私の返事は決まった。


 あなたにふさわしくあるために命を尽くすので、結婚はできません。


「その願い、必ず叶えるよ」


 ロキが言葉を胸に刻むように手を当てる。


 「ありがとう」と今までで一番明るい笑顔を見せて、まずひとりめの眠っている人の手をとり、ギフトを使った。

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