04 前世から愛してる
「タップの指輪にかかっている魔法を見抜くことができたのは、指輪の過去を見たからです。指輪に魔法がかかっていると話している人が過去の光景にいたからわかりました。……信じてもらえますか?」
突拍子もない話をしているのはよくわかっている。
だけどヴェルメリオ様とロキの動揺の仕方は普通のものではなかった。
いつも冷静なふたりが目配せしあって、困惑した表情で私を見ている。
もしかして、クロムズ領ではギフトを持っている人間は罪になったりするのだろうか。
そう思ってしまうほどの空気感に緊張していると、ヴェルメリオ様が震える唇を開いた。
「スノウのことは、思いだしたのか」
「スノウ……?」
なぜヴェルメリオ様もロキも私にスノウのことを聞くのだろう。
しかも『知っているか』ではなく『思いだしたか』と。
知らないものは思いだしようがないし、何より私はヴェルメリオ様の口からスノウという名を聞きたくはなかった。
胸の底に冷たくて黒い水がどろりと広がった感覚がする。
モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、どうにか私はここ数日抱えていた疑問をヴェルメリオ様にぶつけた。
「スノウって、誰なんですか」
ヴェルメリオ様が途端にショックを受けたような表情を見せる。
スノウのことで感情を揺さぶられるヴェルメリオ様に何故かイライラしてしまう。
その苛立ちをうまく隠すことができない。
「私はこの屋敷に来てからギフトに目覚めました。まだうまく使いこなすことができないので、不意に誰かの過去を覗いてしまうことがあります。
ヴェルメリオ様の過去も偶然とはいえ見てしまいました。それは申し訳なかったと思っています。その過去の光景でヴェルメリオ様が会いたがっていた人物がスノウです。スノウについてはそれ以外は何も知りません」
「……その過去の光景はヴェルメリオとしての過去か」
「ヴェルメリオ様の過去なんですから当然です」
言ってから、おかしなことに気づく。
ヴェルメリオ様に触れて見える過去は、ヴェルメリオ様の過去でしかないはず。
なら、ヴェルメリオ様に初めて触れたときに見えてしまったあの過去の光景はなんだったんだろう。
里の近くの大木の下で、銀髪の少女を紺色の髪の少年が追いかけている光景。
緋色の髪の少年なんてあの光景の中にはどこにも居なかった。
「……ヴェルメリオ様には、ヴェルメリオ様として以外の過去がおありなんですか?」
混乱する頭で導き出した、よくわからない仮定はそれだ。
ヴェルメリオ様は、ヴェルメリオ様ではなかった頃があるのかもしれない。
そんな馬鹿らしい仮定を口にした私にヴェルメリオ様は少しの間身を固める。
驚くことにヴェルメリオ様はゆっくりと頷いて、その仮定を肯定した。
「俺にはヴェルメリオ・ロッソ・クロムズではない頃の記憶がある。前世の記憶だ。俺はゼヴェルという名の男だった」
ゼヴェル。
さっきロキから聞いた名だ。
ロキを見やると、ロキは真剣な表情でこちらを見ていた。
前世だなんて、そんな嘘みたいな話あるのかと疑ってしまう。
だけどヴェルメリオ様が冗談を言う人だとは思えなかった。
更にロキのこの真剣な表情。
過去に見えた紺色の髪の少年の光景も合わさって、私は信じるしかなかった。
「ゼヴェルというのは、紺色の髪の少年ですか?」
「それも見えたのか」
「ギフトが目覚めたきっかけはヴェルメリオ様に触れたことです。そのときに見えた光景で、紺色の髪の少年が銀髪の少女を追いかけていました」
「神の大樹の下でだろう。パノンが見た銀髪の少女がスノウだ」
スノウ。
あの子がそうだったのか。
ヴェルメリオ様が前世に出会っていた人物だったということに驚きを隠せない。
ヴェルメリオ様は生まれ変わってもスノウに会いたいと願っていたのか。
「俺たちの住む里は神を祀っていた。その神に仕える神子がスノウだ。俺は神子の教育係を務めていた。俺とスノウは幼い頃から共に過ごし、やがて恋人関係になった」
「こいびと、に」
「だが、恋人として過ごせたのはたった1年の間だけだ。スノウは死んだ。当時の『魔王の目覚め』から里を守るために、神子としての務めを果たして犠牲になったんだ」
「スノウが死んで、ヴェルメリオ様はどうしたんですか……?」
「スノウを思って生き続けた。里の神は生涯に願いを1つだけ叶えてくれる。俺の命はスノウが神に願って救ってくれたものだったからな。途中で投げ出すことはできなかった。
そして俺も死に際に神に願った。生まれ変わったら、もう一度スノウに会いたいと」
「……会えたんですか?」
「会えた。――パノン、きみがスノウだ」
目を見開く。
衝撃に目眩がする。
私がスノウ。
ヴェルメリオ様が前世から想い続けてきたスノウ。
ヴェルメリオ様が、血の海の中で会いたいと懇願していた相手。
わかる。
私の前世はきっとスノウなんだろう。
だっておかしな記憶の欠片が、私の中には確かにあったのだから。
私がスノウだと言われても、違和感はない。
だけど悲しみはあった。
ヴェルメリオ様は、私を『パノン』ではなく『スノウ』としてしか、見ていなかったんじゃないの……?
「ヴェルメリオ様。ヴェルメリオ様にとって、私は……何者ですか?」
声が震える。
「パノン? 大丈夫か? 驚かせてすまない」
「ヴェルメリオ様は、私に愛していると言いました。でもそれは、『パノン』にではなく、『スノウ』に向けた言葉だったということですか?」
心配そうに歩み寄ってきていたヴェルメリオ様の足が止まる。
何か言いかけたヴェルメリオ様の口は、そのまま何も言えずに閉じられてしまった。
「なにか、言ってください」
「……きみも、俺以外に好きな人がいるんだろう」
予想外の言葉にヴェルメリオ様を見上げる。
ヴェルメリオ様は苦々しげに表情を歪めていた。
「好きな人がいるから、俺とは結婚したくないと言っていたじゃないか」
出会ったときに言った台詞。
あんなものは嘘だった。
そのことを今ここで問われるだなんて思いもしなかった。
気づけば見開いていた目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。
私の涙に気づいた様子のヴェルメリオ様が焦った様子で手を伸ばしてきたけど、一歩さがってその手は避けてしまった。
「私は、好きな人なんていませんでした。好きな人がいるという嘘をついたときには、婚約破棄をしてもらいたくて必死で嘘をついていました。ごめんなさい。
……私が好きになったのは生涯でヴェルメリオ様だけです。ヴェルメリオ様だけだったんです」
ヴェルメリオ様の顔は涙で歪んでわからない。
ひぐっと情けなくしゃくりあげてしまう。
もうこれ以上みっともない姿を見せたくなくて、涙を拭いながらどうにか伝えたいことを口にした。
「ヴェルメリオ様。どうか前世にとらわれず、もう一度愛しているのが誰なのかよくお考えください。……生涯に一度の結婚です。後悔なさらないように」
「パノン、俺は……」
「今日は、もう。ごめんなさいっ……」
ここでヴェルメリオ様になにを言われても、私の器はもういっぱいいっぱいだ。
ボロボロ泣く私の肩を誰かが抱く。
ヴェルメリオ様かと思い身を固めながら確認すると、私の身体を支えてくれていたのはロキだった。
「はい、おしまい。見事にこじれちゃって、本当に手の焼ける。ヴェルは反省。こんな最悪のタイミングで不安を爆発させるんじゃないよ、まったく」
呆れた調子で言うロキに、ヴェルメリオ様は叱られた子どものように項垂れる。
涙が止まらない私に、ロキはハンカチをくれた。
「はい。女の子が鼻水垂らして歩けないでしょ。部屋に帰ろう。びっくりしたんでしょ。ちょっと落ち着いた方がいい」
「……はい」
「ヴェルも。落ち着いて、『パノン』と向き合うことを考えることだね」
最後は優しい声音でヴェルメリオ様に告げたロキは「行こう」と私に囁く。
ロキに支えられながら部屋を出るとき。
振り返って見たヴェルメリオ様の背はいつもより小さく見えた。




