02 前世から愛してる
「今日こそ! 聞いてみるわ」
「パノン様っ! 今日こそはきっと聞けるはずです! そのスノウとかいう人が誰なのか、はっきりさせちゃいましょう!」
デートの日から早数日。
ヴェルメリオ様が過去に苦しいほどに会いたがっていたスノウという人物のことを考えて、私は悶々とした日々を過ごしていた。
ヴェルメリオ様にスノウについて聞いてみたい。
だけど怖くて聞けない。
でもやっぱり聞いてみたい。
そんな思考をループさせながらもなかなか勇気が出せずにいる間にも、結婚するかしないかの返事をする日は近づいてきているのだ。
ヴェルメリオ様がスノウという人物のことを今でも愛しているのなら、私は身を引くことだって考えなければいけない。
ぐずぐずしていられる時間はもうほとんど残っていない。
だから、今日こそはヴェルメリオ様にスノウは誰なのか聞いてみよう!
今日も今日とて決意を固めて、フィオルと一緒に「えいえいおー!」と自分を鼓舞していると視線を感じる。
ここは騎士団の営所と屋敷を繋ぐ列柱廊から見える中庭。
人通りもあまりない場所だから誰も来ないだろうと、油断してフィオルと割と大きな声を出していたのは失敗だった。
誰かに見られたかもしれない恥ずかしさに焦って列柱廊を見る。
そこには仮面みたいな笑顔のロキが立っていた。
「ロキ。任務に行っていたのよね。おかえりなさい」
「お久しぶりです、パノン様。『がんばっている話し方』はおやめになられたんですね」
久しぶりに会ったものだからご機嫌に話しかけてしまったけど、言われて思いだす。
そうだ。ロキと最後に会ったのは、まだ『私が想像する一番イヤな女』を演じていた頃だった。
無理をしてお嬢様言葉を話していたことがヴェルメリオ様だけでなく、ロキにまでバレていたなんて……。
羞恥心で「うっ」と小さく呻いてしまった私に、ロキはクスクス笑った。
「それで、今日こそ誰になにを聞いてみようと張り切っておられたのですか?」
やっぱり私とフィオルが気合いを入れていたところもばっちり見てたのね……。
恥ずかしさに拍車をかけてくるロキに咳払いをして、心を整える。
ロキはヴェルメリオ様の幼い頃から傍にいると聞いている。
ヴェルメリオ様に直接聞かなくても、ロキならスノウのことを教えてくれるかもしれない。
ちょっとズルい気もしたけど、ヴェルメリオ様に直接聞かずに済むのならそうしたい。
わずかな期待をこめてロキに訊ねてみた。
「その……。ロキは知ってる? スノウって人のこと」
ロキの顔色が一瞬にして変わる。
黒い目を見開いて、余裕綽々で立っていたロキは衝撃を受けたようによろめいた。
「ロキ? どうしたの?」
スノウという人物の名は出してはいけなかったのだろうか。
うろたえている私の肩をロキがつかんできた。
その手は震えてすがるようなものだった。
「思い出した?」
「へ?」
「スノウのことを思い出したのかって聞いてる」
ロキの態度が急変したことにも驚いたけど、何よりも思い出したかと聞かれていることに戸惑う。
私はスノウのことなんて知らない。
知らないことは思い出しようがない。
なにか言い間違えたのかと思ってロキを見るけど、その目は真剣だ。
慌てて首を横に振ると、ロキは「そう」と言って肩から手を離してくれた。
ロキは小さく息を吐く。
俯く表情がひどく残念そうで、何か大切なことを忘れているような気分になった。
「わかった。もう猫を被るのはやめよう。パノンだって猫被るのやめたんだから、僕だってありのままでいかせてもらうよ。その方がきみも思い出すかもしれない」
「え、ロキ? どういうこと?」
突然砕けた口調で話しだしたロキがきっちり胸元までとめていたシャツのボタンをふたつほど外す。
胸元をはだけさせて「ああ、きつかった」と肩をすくめたロキは軽く舌を出した。
「これがありのままの僕。あーんな執事様みたいな態度、よそ行きで疲れるんだから。いつまでやろうかと思ってたとこ。あ、不敬だとかいって騒がないでよ?」
「騒がないけど、びっくりしてる。いろんなことに」
いきなり態度を崩したロキ。
思い出したのかと問われたこと。
スノウの名前にロキが激しく動揺していたこと。
すべてにびっくりしている私にロキは首を傾げた。
「思い出してはないんだよね? 僕のこともスノウのことも、--ゼヴェルのことも」
「ゼヴェル?」
その名を舌に乗せると懐かしい心地がする。
どこかで会ったことがあるような気がするけど、それ以上はなにもわからない。
思い出すという言葉の意図もわからず静かに頷く。
ロキは少しだけ眉を下げて、更に訊ねてきた。
「それじゃあ、どうしてパノンはスノウのことを知ってるの?」
ギフトのことをロキに話していいものか。
ロキを信じていないわけじゃない。
この秘密の力は、まずヴェルメリオ様に打ち明けたいと思っていた。
ヴェルメリオ様がギフトの件をロキから聞くようなことになったら、私から直接聞けなかったことを悲しむかもしれないと思ったからだ。
……まあ、ヴェルメリオ様がスノウという人をまだ愛しているのなら、そんな心配は杞憂に終わるのだけど。
私が黙っていると、ロキは答えを聞くことは諦めたらしい。
小さく肩をすくめた。
「まあいいや。大方想像はつく。……スノウが誰か聞いたね。僕はスノウを知ってるよ。苦しいほどによく知ってる」
「スノウは何者なの?」
「教えてあげたいところだけど、この答えはヴェルメリオから聞いた方がいい。僕が伝えればヴェルは怒るだろうしね」
ロキが誤魔化すということは、やっぱりスノウはヴェルメリオ様の愛人なのだろうか。
イヤな想像が膨らんで思わず俯いてしまう。
困った様子のロキは「あー」と言って、私の頭をぽんぽんと慰めるようにたたいた。
「大丈夫。心配しなくても、ヴェルはずーっとパノンのことを愛してるよ」
優しく頭をぽふぽふとたたく手。
こんな風に慰められたことはなかったはず。
なのに、なんでこんなに懐かしいんだろう。
ギフトを使ってから私は少しおかしい。
ヴェルメリオ様を見ても今こうやってロキに慰められていても、不意に涙が出そうになってしまう。
「ありがとう、ロキ……。やっぱりロキに聞くなんてズルはせずに、ヴェルメリオ様にちゃんと聞いてみるわ」
「おお、いいね。やっぱりパノンはヴェルなんかよりよっぽど勇気がある」
にっとロキが笑う。
ヴェルメリオ様が勇気のない人だなんて思えないんだけど、なんでそんなことを言うんだろう?
不思議に思っていると列柱廊を走る靴音が聞こえた。
営所の方面から騎士がひとり駆けてくる姿が遠目に見える。
ロキに用だろうとゆるりと構えていたのは大間違い。
その騎士はまっすぐ私に向かって走ってきた。
「パノン様、お客人がいらっしゃっております」
「お客?」
私に?
きょとんとしていると、騎士は客人の名を告げた。
「タップと名乗る少年なのですが……、ご存じでしょうか?」
疑わしそうに騎士が告げたその名はもちろん知っている。
鑑定屋に銀色の指輪を見てもらおうとしていた男の子だ。
ギフトで指輪の過去を見た結果、その指輪を外したことでタップの父は体調を崩したのではないかという推測ができた。
指輪をもう一度つけてみて、それでも父が治らなければ私を訪ねるように言ってあったのだ。
タップが訪ねてきたということは、私は判断を間違えたのかもしれない。
「知っています。部屋を用意していただけますか? タップに会います」




