07 恋の病
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「疲れていないか?」
ヴェルメリオ様は宣言通りゆっくりとした足取りで遠回りの道を選んでいた。
街を随分歩いて回った上にギフトを使ったから、少しだけ疲れは感じていたけど訴えるほどのものじゃない。
それに「疲れた」と言って、この時間が早く終わってしまうことも嫌だった。
「大丈夫です。今日はいろいろと教えてくださり、ありがとうございました」
「やりたい仕事は見つかったか?」
「アイスクリーム屋さんは楽しいかもしれないです。味見とかできるんでしょうか?」
「どうだろうな? 味見をさせてもらえるなら、パノンにとっては最高の職場だな」
小さく肩を揺らしてヴェルメリオ様は笑う。
ヴェルメリオ様を『緋色の悪魔』なんて呼んでいる人たちは、ヴェルメリオ様の強さとちょっと冷たそうに見えるお顔しかきっと見ていない。
こんなに優しく笑う人に、そんな二つ名はまったく似合っていなかった。
「そうだ。鑑定士のお仕事もいいかもなと思いました」
「鑑定士か。渋いセンスだな」
ギフトのことは伝えてもいいのかもしれないけど、いきなり打ち明けたら驚かせてしまうかもしれない。
伝えるべきか伝えずにいるべきかで悩んでいると、ヴェルメリオ様が思い出したように言った。
「そうだ。鑑定士になりたいなら、確か試験に受かる必要があるぞ」
「試験があるんですか!?」
「物品の価値を決める仕事だからな。歴史や魔物の生態についても詳しくなければならない」
「う、うわあ、そうなんですね」
ギフトがあれば鑑定士として誰かの役に立てるかも! なんて思っていたけど、一筋縄じゃいかないらしい。
本気で鑑定士になりたいなら、まずは試験について調べなくちゃいけないかもしれない。
考えながら歩いていると、いきなり路地から大きな男の人が出てきた。
酒のにおいがするから相当酔っているらしい。
なんとかぶつからずに避けることができたけど、足は思わずたたらを踏んでしまう。
よろけたところをヴェルメリオ様に肩を抱かれて支えられた。
「わ、す、すみませんっ」
「大丈夫か? そろそろ酔っ払いも歩き出す時間だ。人も多いから気をつけた方がいい」
冒険者が多いこの街には気性の荒そうな人も多い。
日が暮れかけたこの時間から酒を飲むらしく、ご機嫌に歩いている人も見かけられた。
ここは人通りも多いし、確かに気をつけて歩かなければぶつかってしまいそうだ。
「わかりました」と返事をして身を離すと、ヴェルメリオ様が手を差し出してきた。
……なんだろう? 握手? 今?
不思議に思って首を傾けると、ヴェルメリオ様は夕日のせいじゃなく頬を赤らめた。
「手を繋いでもいいなら繋ごう」
「手を……?」
なんで手を?
そんなことされたら心臓が止まるかもしれませんが。
びっくりしすぎて逆に冷静な思いだ。
ヴェルメリオ様はずいっと差し出した手をこちらに近づけてくる。
「人通りも多いし、どうだろうか?」
「ハッ、もしや誘拐される心配があるということですか……?」
そうだ。
私は一応公爵の婚約者だった。
私に悪漢と戦って勝つ力なんて全くない。
はぐれてあっさり捕まられてはヴェルメリオ様も困るだろう。
意図を理解して真剣に言うと、ヴェルメリオ様は「若干違う」と眉を寄せた。
……意図は理解できていなかったらしい。
「では、どういう意図で?」
「確かにはぐれたりした場合、パノンに何かあったらと不安だ。それより純粋に、俺がきみと手をつなぎたい」
そういえばヴェルメリオ様は私に触れたいと言っていた。
私だってヴェルメリオ様に触れたい。
けどそんなことしたら、ときめきで心臓が止まる危険性がある。
それに、これ以上好きになったら頭がおかしくなる気がする。
「は、ずかしいです」
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど……」
言いながら恐る恐るヴェルメリオ様の表情を窺う。
夕日をバックに、捨てられた犬みたいな表情をしているヴェルメリオ様を見て胸が締め付けられる。
既に私の頭はおかしくなっていたようだ。
考える余裕もなくヴェルメリオ様の手を握っていた。
「パノン? いいのか?」
「は、恥ずかしいですけど、ヴェルメリオ様が悲しそうにするのは嫌なので! 繋ぎましょう。でも、今日は手を繋ぐだけです。他はなしです」
「今日はか。ところで他とは一体なんだ?」
意地悪っぽく聞いてくるヴェルメリオ様にカッと全身が熱くなる。
顔どころか全身真っ赤になっている気がする。
けど意地になっていた私はヴェルメリオ様の手を離すことなく歩きだした。
「他は、他です! ご自分で考えてくださいっ」
「そうか。考えておこう」
面白そうにしながらも笑いをこらえている様子のヴェルメリオ様をぐいぐい引っ張って歩く。
「ゆっくり帰るんじゃなかったのか?」との問いかけに「恥ずかしいので、やっぱり早く帰ります」と宣言すると、「残念だ」と肩をすくめられた。
今日一日でヴェルメリオ様がこんなにお茶目な人なのだということを知ってしまった。
結婚するかしないかを決める約束の日まであと少し。
私の返事はもう決まったようなものだ。
こんなに好きになってしまった人の傍から私は離れられそうにもない。
キスはまだまだ先にしてほしいけど、それでもヴェルメリオ様と生きていきたいと思っていることを今日一日で強く感じてしまった。
返事は約束の日より先にしても良いはずだ。
もう今日の別れ際に勢いで「結婚しましょっか」とでも言ってもいいかもしれない。
言った直後は絶対に恥ずかしさで息ができなくなってしまうだろうから、その後はすぐに部屋に退避だ。
落ち着いた翌朝の朝食できちんと話をすればいい。
そこまで計画を立てたところで、ヴェルメリオ様の剣を握ってきたことがわかる堅い指先が私の手の甲を撫でた。
感触を確かめるような手つきにビクッとしてしまう。
「くすぐったいです」
「ああ、すまない。パノンの手は柔らかいなと思ってな」
「ヴェルメリオ様の手は堅いです」
「触り心地が悪くてすまないな」
「そんなことはないですよ。たくさん努力してきたことが感じられるすてきな手だと思います」
手をぐいぐい引っ張りながら、振り返らずにヴェルメリオ様に告げる。
ヴェルメリオ様の「そうか」という照れくさそうな声が聞こえたとき、私は足が止まってしまった。
「パノン?」
「ちょっと、待ってください」
手の感触に意識を集中したことは失敗だった。
不意にギフトが発動してしまったことが感覚でわかる。
さっきギフトを使ったからか、うまく制御できずにヴェルメリオ様と繋いだ手から過去に繋がってしまったようだ。
手を離せば良いんだということに気がついたときには、もう視界は別世界を映し出していた。
ここは多分森の中。
確信ができなかったのは周囲が火の海だったからだ。
燃えさかる炎の中、剣を握ったままの手をだらりと下ろして俯いている人がいる。
ヴェルメリオ様だ。
その綺麗な横顔にはまだ幼さが残っている。
ヴェルメリオ様の周囲にいくつもの大型魔物の死骸が転がっていることからも、今見えている景色は『魔王の目覚め』のときのものなのだろう。
魔物の血を浴び、泥まみれのヴェルメリオ様はゆらゆらと歩き出す。
ボロボロのヴェルメリオ様はひとりで大量の大型魔物を倒したあとのようだった。
魔物の血でできた池を踏むヴェルメリオ様の姿は亡霊のようだ。
ゾッとするような美しさと虚ろな目がアンバランスで恐ろしい。
その姿に目を奪われていると、ヴェルメリオ様は疲れた様子で曇天の空を仰ぐ。
「はあ」と深い息を吐いてヴェルメリオ様は小さく呻いた。
「スノウ……。スノウ、早く会いたい」
絞り出された泣きそうな声。
その声がつむいだ名前を私は知らない。
だけどヴェルメリオ様がそのスノウという誰かを深く愛していることだけは、すぐに理解できた。
「――パノン? どうした、大丈夫か?」
意識が戻ってくる。
故意ではないとはいえヴェルメリオ様の過去を盗み見てしまった罪悪感で、手は離してしまった。
ギフトを連続使用したことによって頭がぼんやりする。
それよりもスノウという人物のことが気になって仕方がなかった。
「パノン?」
心配そうにこちらを見てくるヴェルメリオ様に、私は無理矢理笑顔を見せる。
今ここで「スノウって誰ですか」と聞く勇気は持ち合わせていなかった。
「大丈夫です。やっぱり、ちょっと疲れちゃったみたいで」
「無理をさせてすまない。早く帰ろう」
もう城はすぐそこだ。
ヴェルメリオ様がもう一度繋ごうと差し出してくれた手は取らずに「歩けますよ」と微笑んで、隣を歩いて帰った。
部屋の前まで送ってくれたヴェルメリオ様に礼を言って部屋に戻る。
ベッドに転がった私は天井を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「結婚しましょっか、って言えなかったな」
スノウって誰?
その人のことヴェルメリオ様はまだ愛してる?
あんな血まみれの戦場で神にでも祈るかのように再会を願うような相手がヴェルメリオ様にはいた。
その事実が苦しくて不安で、身体は疲れているのになかなか眠ることはできなかった。




