03 目指せ婚約破棄! 手に入れろ自由!
翌朝。
私は自分で自分の用意をして、ゼメスタン伯爵家の屋敷を出た。
お義父様の顔は見ることもなかったけど、お義姉様は玄関までお見送りに出てきてくれた。
「あっちでの生活をぜひ手紙にしたためて教えてほしいの。あなたの結婚生活にとても興味があるのよね。待ってるわ」
そう言ったお義姉様の晴れやかな笑顔と言ったら、女神様のようで力が抜けた。
お義姉様は私が緋色の悪魔との結婚生活に苦しむ姿を知りたくて仕方がないんだと思う。
外面は良いけど、お義姉様こそ悪魔みたいな性格の人なのだ。
そんなお義姉様のわがままに散々付き合わされてきた私は、もちろんこのお義姉様のわがままに「はい」と笑顔で頷いてきた。
もう嫁ぐ身なのだから、別に言うことを聞かなくたって構わなかったのに。
長年の習慣って恐ろしい。
唯一ゼメスタン伯爵家が嫁ぐ私に用意してくれたのは、クロムズ公爵様の居城まで送ってくれる片道の御者と馬車。
そしてフィオルという臆病な侍女だけ。
私と一緒に馬車に乗ったフィオルは泣いてばかりいた。
緋色の悪魔の城に行かされるんだから当然よね。
私だって泣きたい。
フィオルを励ましながらの3日間の旅路も今日でおしまい。
ヴェルメリオ様の居城にいよいよ向かう今日、私は鏡の前で悩んでいた。
「……髪が、結えない」
それどころか、ドレスの後ろの紐すら締められていない。
今まではワンピースを着て、お義姉様とお義父様に望まれるがままに家の仕事を手伝ってきた。
おしゃれなんて私には無縁の世界のお話だったのだ。
どうしていいのかわからず途方に暮れていると、ドアがたたかれる。
そこで、もう日が昇ったのだということを理解した。
ここまで来る旅の間、毎朝日の出と共にドアが鳴った。
それはすすり泣く声と共に聞こえるノックだった。
臆病な侍女のフィオルは、仕事を果たすために着替えの手伝いを毎朝提案しに来てくれるのだ。
でも、今日はすすり泣く声が聞こえない。
流石にもう泣き止んだのかも。
「フィオル? 今日も着替えの手伝いを提案しに来てくれたの?」
「は、はい。今までは不要とのことでしたが、今日こそは必要なのではないかと……。ご、ご迷惑だったらすみません」
「迷惑なんかじゃないわ。大正解よ。今日こそは必要だから、入ってきて」
今までは不要だったが、今日はドレスすら着られないのだから必要だ。
婚約破棄を狙っているとはいえ、初対面の公爵様の前にワンピース一枚では出て行けないだろう。
お願いすると、フィオルは恐る恐る部屋に入ってきた。
栗色のショートカットにオレンジ色の瞳。
活発そうな顔なのに、臆病な性格がアンバランス。
私はそんなフィオルを可愛く思っている。
3日間も慰め続けたら、母性が湧くものだ。
「手を煩わせてごめんね、フィオル。ドレスすら着られなくて。化粧はなんとかしてみるから……」
「いえあの! すべてお手伝いさせてくださいっ!」
ビクビクしながらも、力強く言われた言葉に一瞬きょとんとしてしまう。
「えっと、フィオルは元はメイドだったわよね? 私の侍女になったのは、お義父様にたまたま声をかけられただけって言ってなかった?」
「はい。その、お掃除をしていましたところ、『公爵に嫁に出すのに、侍女がひとりもいないのもなぁ』と呟いていたディメイス様に見つかってしまい……。でも、あたしは侍女がイヤというわけではないのです。むしろパノン様のような方の侍女になれたことは光栄なんです!」
「私みたいな大したことのない人間の侍女になるのは不運なことだと思うけど……」
「そんなことないです! この人事はあたしの人生で最高の幸運です! だってパノン様はお美しいではないですか!」
今までにないフィオルの勢いに、驚いてしまう。
フィオルはずんずんこちらに歩み寄ってきて、私の顔をかなりの至近距離から見つめた。
「珍しい薄紫の輝く瞳! 日に透けるようなピンクブロンドの髪! 陶器のような白い肌! そしてびっくりするほど細い腰!! パノン様がドレスを着てお化粧をされたら、どんなにお美しいことだろうと、あたしは毎日妄想しておりました」
「ま、毎日?」
「ええ毎日です! お見かけする度お美しいのでドキドキしておりました。ああ、パノン様を飾ることができればどんなに幸せだろう、と」
「そんな風に褒められたことがないから、ちょっとよくわからないわ……」
「あたしは運のない人生を送ってきた女ですが、パノン様の侍女になれたことは幸運です。そして、今日こうしてパノン様を飾れる機会が巡ってきたことに興奮しています! どうか、このフィオルにお任せくださいませ!」
「わ、わかりました」
フィオルのあまりの勢いに圧倒されて、こくんと頷いたが最後。
私は、あっという間に飾られていた。
腰の締まった濃紺のドレスは足下へと広がっていくシルエットが美しい。
髪の毛は動きのある柔らかなシニョンにまとめられた。
化粧品は私が最低限持ってきていたものとフィオルが持参していたものとを駆使して行われた。
「気が強い印象で」と頼むと、フィオルはそのリクエスト通りに仕上げてくれた。
薄紫の瞳に怜悧な輝きが見える気がする。
短時間で貴族令嬢として恥ずかしくない姿に仕上がった私は、姿見の前でくるりと回って自身の姿を確認した。
自分がこんなに綺麗になれるだなんて、思ったこともなかった。
「すごいわフィオル! 正直フィオルのことを見くびってたわ。こんなに完璧にしてくれるだなんて」
「おしゃれが大好きなんですっ。いろいろな方のメイクやドレスを観察してきた成果を活かすことができて、よかったです」
褒められて照れた様子を見せていたフィオルは、その後言いにくそうに「あのぉ」と口を開いた。
「ご希望通り気が強い印象にはなっているかと思いますが、婚約者様にお会いするのに大丈夫なのでしょうか?」
「フィオルは良い侍女ね。そうやって意見してもらえると助かるわ。ありがとう。でもこれは意図的に選んだの」
「ヴェルメリオ様は気の強い方がお好きなんですか? そ、そんな性癖が……」
「ヴェルメリオ様の性癖は知らないわよ! 私は婚約破棄してもらいたいの」
「へ?」
今の今まで作戦をフィオルに伝えてこなかったのは、彼女を見くびっていたからに他ならない。
臆病ではあるけど、フィオルは私のために一生懸命働いてくれようとしている。
そんなフィオルの努力に報いるためにも、私は彼女の主人として自分の考えを伝えなければいけない。
「私はね、フィオル。ゼメスタン伯爵家が大嫌いなの。こんな家出てってやると、いつも思ってた。
この婚約はそのチャンスなの。婚約が破談になれば、私はゼメスタン伯爵家を追放されることが決まってる。そうなれば晴れて自由の身よ。
だから第一印象からヴェルメリオ様に嫌われて、婚約破棄してもらおうと思ってるの。
フィオルには私のこの作戦に協力して欲しい。どう?」
「こんな家出てってやる……」
唖然としているフィオルは、貴族令嬢としてありえない発言をしている私にドン引きしているのかもしれない。
ちょっと緊張しながらフィオルの反応を見守っていると、彼女は力強く頷いてくれた。
「あたしは田舎の出身です。『魔王の目覚め』で畑がダメになり、口減らしのために捨てられました。
こんな家、こっちから出てってやるという思いで、ゼメスタン伯爵家のメイドになったんです。パノン様のお気持ち、よくわかります!
ぜひ、あたしに出来ることは協力させてください!」
「ありがとう……! フィオル。私が追放されても、あなただけは屋敷に戻れるように私が掛け合うからね」
「ありがとうございます! がんばりましょうね、パノン様! 目指せ婚約破棄! 手に入れろ自由! です!」
きりりと眉をつり上げて、鼓舞してくれるフィオルにほっとする。
味方ができたという安堵を感じたとき。
初めてとても肩に力が入っていたことに気がついた。
軽くなった肩を感じながら、フィオルと共に馬車に乗る。
ヴェルメリオ様の城が近付いてくるにつれて、フィオルがビクビクとしだす。
「がんばりましょうね」と声をかけながら、視線を投げた窓の向こう。
そこには、ヴェルメリオ様の灰色の城塞が見えた。




