06 恋の病
この女性は誰?
具合が悪いのはタップのお父さんだと言ってなかった?
ベッドの中の女性は額に汗を滲ませていて顔色も悪い。
そのベッドの脇に座っている男性は女性の手を祈るように握っていた。
「君のために、指輪をつくったんだ」
「結婚なんて、できないわ……。見たらわかるでしょう? うちの家系は呪われてる」
女性は男性からの求婚を弱々しい声で拒否する。
魔法も呪いも遠い過去に失われた技術だ。
彼女が比喩で呪いという言葉を使ったのか、本当に呪われているのか判断はつかなかった。
「君の家系は確かにみんな同じ病に苦しむ。だから僕はこの指輪を用意したんだ。君の家系にかかった呪いを解くための指輪だよ」
男性は言いながら女性に指輪をつける。
銀色に輝くそれはタップが持っていた指輪で間違いなかった。
「この指輪には魔法使いに魔法をかけてもらった。この指輪をつければ呪いは弾かれる。だから大丈夫。結婚しよう」
私は魔法使いじゃないから男の人が彼女を励ますためにそう言っているのか、はっきりとはわからない。
でも彼の表情からして、それが詭弁だとは思えなかった。
今見えている光景は恐らく魔法がまだ残っていた時代の出来事なんだろう。
テレーゼは疑うことなく嬉しそうに瞳に涙を浮かべて、男性に抱きついていた。
病に倒れた愛する人。
その人を救うためにならなんだってできることを私は知っている。
どうして知ってるんだろう。
わからないけど、私も愛する人を失いたくなくて神にすがった記憶がどこかにある。
『願い事は人生で一度きりだよ。本当にそれでいいんだね?』
ふと記憶に浮かんだのは、どこかで聞いた声とどこかで聞いた台詞だった。
この記憶はなに?
目の前の光景と頭の中に浮かぶ記憶の境界線がわからなくなる。
「――お姉さん、どうかな?」
ハッと我に返る。
魂が身体に戻ってきた気がする。
不安そうにこちらを見ているタップに「ええ」と曖昧な返事をして指輪から手をどける。
記憶が混乱したのは私がまだギフトをうまく扱いきれていないことが原因なのかもしれない。
だって私は愛した人が病に倒れた経験なんて、この人生で一度もないんだから。
ひとつ息を吐いて気持ちを落ち着けてからタップを覗き込んだ。
「タップ。ひとつ確認したいんだけど、この指輪はお父さんが具合が悪くなってから売ることに決めたの?」
「ううん。その前から、この指輪は売ろうってお父さん言ってたよ」
「じゃあお父さんはこの指輪をずっとつけていたけど、売るために外したりした?」
「うん。お古だから売る前に綺麗にしなくちゃって磨いてた」
こくんと頷くタップを見て確信する。
タップのお父さんの体調不良の原因は、この指輪を外してしまったことだ。
「タップ。正直に言うわ。私はこの指輪がお金になるものなのかはわからない。けど、すごく価値のあるものだということはわかったわ」
「お金になるかはわからないけど、価値があるの?」
「ええ。この指輪があなたのお父さんを守っていてくれたの。この指輪には魔法がかかってる。お父さんがこの指輪をつけていないと、タップまで具合が悪くなってしまう可能性があるわ」
「そうなの!?」
この指輪はタップの家系にかけられた呪いを解くものだと言っていた。
このままだとタップまで具合が悪くなる可能性があることは事実だろう。
タップの顔に浮かんだ不安の色が濃くなる。
こんな突拍子もない話を信じてくれる純粋な子でよかった。
タップの手のひらの上で指輪をハンカチで包み直しながら、私はタップの不安が少しでも取り除けるように努めて優しく声をかけた。
「この指輪を持って帰って、お父さんにつけてもらってみて。それでも治らないようなら、騎士団のところに来てパノン・ジマ・ゼメスタンを訪ねてね。きっと力になるから」
見てきた記憶を頼りに解決方法を伝えてはみたけど、この指輪にかけられた魔法がもう解けていることも考えられる。
そのときにちゃんと責任をとることができるように伝えると、タップは頷いて指輪を握った。
「わかった! ぼく、お父さんに指輪をつけてもらってみるね! ありがとう、お姉さん!」
ぺこりとお辞儀をしたタップは跳ねるように駆けていく。
全身の疲労感は強いけど、前にギフトを使ったときほどではない。
それよりも誰かの役に立てたのかもしれないという高揚感の方が強かった。
「鑑定士かあ……」
鑑定屋の看板を振り仰ぐ。
どうせ働くんだったらギフトを使って誰かの役に立ちたい。
それなら鑑定士という仕事もありなのかも。
誇らしい気持ちでいると、角の向こうからヴェルメリオ様が駆けてきたところだった。
「パノン。鑑定屋がそんなに気に入ったか?」
私が鑑定屋の前にいたからだろう。
不思議そうに首を傾げるヴェルメリオ様に、私はふふっと小さく笑った。
「素敵なお仕事だなと思ってみていただけです。アイスクリームありがとうございました。それがプリン味なんですか?」
タップが訪ねてきたら、私に連絡がくるだろう。
治らなかったら訪ねてきてねと言ってあるんだから、タップが訪ねてこない未来が一番いい未来だ。
ヴェルメリオ様に「人助けをしました!」なんて自慢をするつもりはなく、そんなことよりもプリン味のアイスクリームが気になって仕方がなかった。
「ああ」と頷いたヴェルメリオ様は、持っていたアイスクリームの片方を差し出してくれる。
手に取った瞬間、コーンの上の丸いアイスクリームからカラメルの香りがした。
「わあ! プリンのにおいです! 所々茶色いこれがカラメルなんですね。ヴェルメリオ様のは私とはちょっと違うんですね」
「これはイチゴケーキの味がするらしい」
ヴェルメリオ様は得意げに教えてくれる。
ピンク色のアイスクリームがヴェルメリオ様の鋭さを感じさせる顔立ちにはあんまり似合ってないけど、それでもかっこよかった。
「甘いものお好きなんですね」
「意外だとよく言われる。でもパノンと好みが一緒でよかった」
優しくめじりを下げるヴェルメリオ様にどんな顔をしてなんて返事をしていいのかわからない。
恥ずかしくて「そ、そうですか」と俯きがちに答えると、ヴェルメリオ様にクスクス笑われてしまった。
「座って食べよう」と声をかけられて、ヴェルメリオ様と一緒にさっきの木陰のベンチに腰掛ける。
付いていたスプーンでアイスクリームをひとさじすくって口に入れると、口いっぱいに冷たさとミルク感のあるプリンの甘みが広がった。
「ん~! おいしいですぅ」
ほっぺたがとろけて落ちそうな気がして頬を押さえながらヴェルメリオ様に感想を伝える。
ヴェルメリオ様は満足そうににこにこしながらピンク色のアイスクリームを食べていた。
「よかった。今日はここにだけは連れてきてやりたいと思っていたんだ」
「ヴェルメリオ様はお味いかがですか? イチゴ味というのはわかりますけど、ケーキ味っていうのは想像がつきません」
ただ感想を聞いただけのつもり。
だけどヴェルメリオ様は「ん?」と首を傾げて、さらりととんでもないことを言ってきた。
「食べてみるか?」
「へ!?」
「味が気になるんだろう?」
言いながらもヴェルメリオ様は既にスプーンでひとさじピンクのアイスクリームをすくって私に差し出していた。
同じスプーンを共有するってことにびっくりしたけど、イチゴケーキ味は気になる。
スプーンを受け取ろうとおずおず手を差し出すと、さっとスプーンを引かれてしまった。
意地悪されているのかとヴェルメリオ様の表情を窺うと、ヴェルメリオ様は色気を感じさせる表情で口を開いた。
「口、開けて」
「口? あ、む?」
「あ」と言ったと同時にスプーンを口に入れられた。
思わず口を閉じてしまってから、ヴェルメリオ様に「あーん」されたのだということに気がつく。
楽しそうにしているヴェルメリオ様は私の唇からスプーンを抜き取って首を緩く傾げた。
肩にかかった赤い髪がさらりと流れる。
「味はどうだ?」
「……お、おいひい、れす」
おいしいのは確かだ。
苺の酸味の中に生クリームっぽい甘さがあって、すごくおいしい。
けどおいしいという感情よりも「あーん」されてしまったというドキドキで頭がいっぱいだった。
「それはよかった。プリン味は俺も食べたことがないな」
もったいつけるような言い方。
ヴェルメリオ様の意図がわかって、ちらっと見上げる。
案の定ちょっとからかうみたいな表情をしていた。かっこいい。
「……気になります?」
「気になるな」
頷いたヴェルメリオ様は私の方に顔を向けると、小さく口を「あ」の形に開く。
アイスクリームの食べさせあいっこなんて、イチャイチャしすぎだ!
恥ずかしい! でも拒否する気にはなれなかった。
「はい」
スプーンでひとさじすくったアイスクリームをヴェルメリオ様の口にそっと差し入れる。
ぱくんと食べてくれたその姿に今まで感じたこともないくらいの愛しさがこみ上げて苦しかった。
スプーンを引き抜くと、ヴェルメリオ様は形のいい唇を舐めて「うん」と頷く。
「甘いな」
そう言って微笑むヴェルメリオ様の表情がこの世で一番甘い気がする。
羞恥心からその後は黙ってアイスクリームを味わった。
ヴェルメリオ様は沈黙でもご機嫌な様子だった。
アイスクリームを食べ終えたところで、ヴェルメリオ様は「さて」と立ち上がる。
木漏れ日の中でヴェルメリオ様はキラキラ輝いて見えた。
「たくさん歩いて疲れたな。今日はそろそろ帰ろう」
「あ、そうなんですか」
なんだか残念そうな声を出してしまった気がする。
慌てて口を覆うと、ヴェルメリオ様が優しく笑った。
「ああ、帰ろう。これ以上ないほどゆっくり。回り道でな」




