02 恋の病
逃げ帰るように自室へと戻った私はベッドの上でゴロゴロと転がり回っていた。
何にこんなにそわそわしているんだかわからないけど、ずっと胸がそわそわしていてじっとしていられない。
そんな私をベッド脇から見下ろしながら、フィオルは怪訝そうな表情をしていた。
「あの、パノン様。一応確認したいのですが……、嫌われるという作戦はもうおしまいにしたんですよね? 作戦会議とは?」
「フィオル。あのね、聞いてほしいの」
ヴェルメリオ様には当然、絶対、まだまだ伝えられないけど、フィオルには私の恋心を伝えておかなければ。
私がこれから繰り返すだろう奇行のフォローと改善のためのアドバイスを、フィオルにはお願いしたい。
ベッドの上に正座をしてフィオルに向き直る。
私が醸し出す深刻な雰囲気に、フィオルは「はいっ、なんでしょう!?」と背筋を正してくれる。
大きく息を吸う。
言わなきゃ。言え、私。
「あの、あのね。フィオル。私、その、」
「はい」
酸素をたくさん取り入れたわりには小さい私の声を聞き逃すまいと、フィオルが前傾姿勢になって耳を傾けてくれる。
「ヴェ、ヴェルメリオ、様のことが……」
「……はい」
「え、っとね」
「……ッ好きなんですよね!?」
しびれを切らした様子のフィオルが、「正解でしょう!?」と言わんばかりに私を指さして言う。
フィオルのかわいらしい声は、よく響いた。
どこで誰かが聞いているかもわからないのに!
慌ててフィオルに「しー!!」と人差し指をたてる。
「だめよ、フィオル! 誰かが聞いてたらどうするの? それよりどうしてわかったの!?」
「見ていたらわかりますよっ。パノン様はヴェルメリオ様の話をされてるときが一番かわいらしいですもん」
さすがフィオル。
私のことをよく見てくれている。
でもそうなると、ヴェルメリオ様にも私の思いがバレてしまっているんじゃないかと不安になってきた。
その不安は表情に出ていたのだろう。
フィオルは輝く笑顔で励ましてくれる。
「大丈夫ですよ、パノン様。だってパノン様とヴェルメリオ様は婚約者同士じゃないですか。好き合ったのなら、それは喜ばしいことです。おめでとうございます!」
「……待って。まだ結婚するって決めたわけじゃないのよ?」
「え!? 好きなのに、結婚なさらないんですか!?」
「だから、しーっ!!」
フィオルは声が大きい!
慌てる私を無視して、フィオルは侍女の立場も忘れた様子でベッドに上がり込んできて私の肩を掴んで揺らす。
「ど、どうしてですか!? 好き同士で婚約者同士なんですから、問題なく結婚されればいいじゃないですか。あっ、もしかして自由になる夢のためですか?」
「その夢については問題ないの。ヴェルメリオ様が結婚しても働いていいし、なんでも決めていいって……」
「それなら本当にどうして結婚されないんですかあ?」
疑問符まみれのフィオルの質問に目が泳いでしまう。
私だってフィオルの立場だったら、そう思っていただろう。
でも馬鹿になるのが恋愛なのだ。
私は今、もう完全に馬鹿になってしまっていた。
「だ、だって、結婚ってキスしたり、するのよ? ヴェルメリオ様と、キ、キスなんて……むり」
言い切る前に真っ赤になった顔を両手のひらで覆ってしまう。
最後に見えたフィオルの表情はポカンとしてしまっていた。
あああ、何があっても味方でいてくれた侍女からも呆れられてしまっている自分が恥ずかしいし情けない。
それでもヴェルメリオ様のあの素敵なお顔にキスされるんだと思ったら、心臓が止まる未来しか見えなかった。
「パノン様ぁ。目を閉じてたら、きっと大丈夫ですよっ。ヴェルメリオ様が上手にしてくださいますよ」
「上手!? 上手だったらイヤ!」
「ううう、あたしはいつだってパノン様の味方ですよ。ですからパノン様のために言います。そんなにお好きなら、結婚しない方が後悔されると思いますよ!?」
「わかってるわよぉ」
ヴェルメリオ様との婚約を破棄しても、この先の人生でヴェルメリオ様以上に好きになれる男性に出会える気がしない。
婚約を破棄すれば絶対に後悔する。
わかってはいる。
けどヴェルメリオ様と夫婦らしいやりとりをすることが、想像するだけで本当に本当に恥ずかしくてたまらない。
悶絶する私の顔を覆う両手をフィオルが無理矢理ひっぺがしてくる。
真っ赤な顔を晒してしまった私に、フィオルは真剣な表情で告げた。
「パノン様! 好きだけど恥ずかしいなら、そのことをヴェルメリオ様にきちんとお伝えするべきです。ヴェルメリオ様は話せば分かる方だとおっしゃっていたではありませんかっ」
フィオルの言うとおり。
ヴェルメリオ様の立場からすると、まだ私が嫌われ作戦を続行していると思われても仕方ない態度をとってしまっている。
きちんと話さなければヴェルメリオ様をまた傷つけてしまうだろう。
羞恥心に負けていた勇気が、フィオルの言葉で少しだけ優勢になる。
……がんばって伝えてみなくちゃ。
もうヴェルメリオ様を傷つけたくない。
「……そうよね。がんばって伝えてみる」
「パノン様なら大丈夫です!」
応援してくれるフィオルが背中をさすってくれる。
がんばらなくちゃと奮起していると、ドアを叩く音がした。
誰かが訪ねてくるという話は聞いていない。
フィオルと顔を見合わせてから、返事をする。
「どなたですか?」
「俺だ」
ヴェルメリオ様!?
お仕事に行ったはずでは!?
今の会話をもしかしたら聞かれていたかもしれない……!
一瞬でパニックになってしまった私を見て、フィオルは慌てて代わりに返事をしてくれた。
「わわわ。ヴェ、ヴェルメリオ様! パノン様お着替え中でして!」
「そうか。忙しいところにすまない。……ドア越しでいいから、聞いてもらいたい」
ヴェルメリオ様の声は切実だ。
この様子だとこちらの会話は聞いてはいなかったらしい。
まずはそこに安堵した。
そろそろとドアの近くまで行って、か細い声で返事をする。
「はい。なんでしょう……?」
「パノンから返事をもらう約束の日まで、もうあまり時間がない。それまでに、もう少し俺にチャンスをくれないか?」
「チャンス、ですか?」
確かに結婚するかの返事をする約束の日までは残り僅かだ。
だから私はこんなに焦っている。
ヴェルメリオ様も焦る気持ちは一緒だったのかもしれない。
ドア越しに聞こえる声には余裕がなかった。
「明日、休みをとった。俺とデートしてくれないだろうか?」
デート!?
思わず背後のフィオルを振り返る。
フィオルは拳を突き上げて「いってらっしゃいませっ」と小さい声で訴えてきている。
もうヴェルメリオ様を傷つけたくない。
デートできちんと向き合って、今の思いを伝えなければ。
緊張で乾いた唇を舐めてから、私は重々しくうなずいた。
「わかり、ました! いきましょうっ!!」
戦いにでも赴くような緊張感あふれる返事になってしまった。
ヴェルメリオ様はどう思っただろう。
不安だったけど、次に聞こえてきたヴェルメリオ様の声は明るいものだった。
「よかった。では明日。楽しみにしている。……すごく、楽しみにしている」
噛み締めるみたいに最後は言って、ヴェルメリオ様は「今度こそ仕事に行ってくる」と言い残して部屋の前を去ったようだ。
デート。
大丈夫かなという不安の思いはあるけど、それ以上に私も楽しみに思う気持ちが芽生えてしまった。
「フィオル」
呼びながら、そろりとフィオルを振り返る。
「私が一番かわいく見える服とメイクって……どれ?」
「待ってました! あたしはそれをずーっとずーっと考えていたんです! 3案ありますので、すべて今日中に試してみましょう! ささ、まずはこちらですよっ」
言うなり、迅速な準備をはじめたフィオルにあっという間にワンピースを剥かれた。
その後の私は着せ替え人形と化した。




