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08 侍女の奮闘


 書斎の前までたどりついたところで大きく深呼吸をする。

 さっきは立場もわきまえずに感情任せにヴェルメリオ様を責めてしまった。


 きちんと今までのことを説明して謝らなければいけない。

 それにフィオルのクビも撤回してもらわなくちゃ。


 今までお義姉様のわがままに付き合い、お義父様に居ないかのように扱われてきたから喧嘩なんて人生ではじめてだ。

 きちんと仲直りできるのか。


 そんな不安を抱えながらも、意を決してドアをノックした。


 返事はない。

 ……ロキが返事がなければ入っていいって言ってたわね。


 ロキの言葉を大義名分にドアを開く。

 机にはヴェルメリオ様の姿はなかった。


 視線を巡らせると、ヴェルメリオ様は応接セットのソファーに横になっていた。

 背もたれ側に顔を向けて寝ているから、どんな表情をしているのかもわからない。


 そろそろと近付くと、もぞっとヴェルメリオ様が動いた。


「……もう、帰ってこないかと思った」


 ぽつりと言うヴェルメリオ様はこっちに顔を向けてくださらない。

 それでも気配だけで私だとわかったんだろう。


 切なげな声に罪悪感がうずく。

 ヴェルメリオ様の長い足が乗っているソファーの端に、浅く腰掛けて話しかけた。


「帰ってきますよ。1ヶ月はここに居ると約束しました」


「……フィオルは探す。俺が悪かった」


 こんなに沈んでいる男の人の声を初めて聞いた。

 ヴェルメリオ様も感情任せに動いてしまったことを後悔している様子だ。

 もう責める気なんてない。


「大丈夫です。フィオルは見つけました」


「本当か!? どこでだ?」


 くるっとヴェルメリオ様がようやくこちらに顔を見せてくださる。


 泣いているかと心配するくらいの声だったけど、泣いてはいなかったらしい。

 ……まあ今にも泣きそうではあるけど。


「庭園で見つけましたよ。追い出されたあと、ずっと隠れていたんだそうです。今は部屋で休んでもらってます」


「そうか……。よかった」


 安堵の息を吐いたヴェルメリオ様が身体を起こす。

 隣に座ったヴェルメリオ様の様子をうかがう。


 こちらを見下ろす緋色の瞳は元気がない。

 ヴェルメリオ様は確かに感情任せにフィオルを追い出してしまった。

 けどその発端となったフィオルの発言は、私のわがままが原因だ。

 ヴェルメリオ様だけが悪いんじゃない。


「ヴェルメリオ様。謝らなければいけないのは、私もです。さっきは責めてしまって、ごめんなさい」


「相談もなしにきみの侍女をクビにしたんだ。怒って当然だろう」


「……でもそのフィオルが私を侮辱するような発言をしたのは、私が原因なんです。私の夢を叶えるために、フィオルはあんなことを言ったんです」 


「夢?」


 ヴェルメリオ様が不思議そうに首を傾ける。

 こんなわがままなことをしているのは人生で初めてのことなのだ。


 そのわがままを理由も告げずにぶつけていた相手に暴露するのは恥ずかしいし、勇気がいる。

 もしも許してくれなかったらどうしうようという緊張でじっとしていられない。

 手のひらをすりあわせ、足をもぞもぞと動かしながら私はどうにか口にした。


「ヴェルメリオ様に婚約破棄を迫っていたのは、ヴェルメリオ様が嫌いだからじゃないんです。私には夢があって……。その夢を叶えるために婚約を破棄してもらいたかったんです」


「夢とは、なんだ?」


「……自由になりたかったんです」


「自由?」


 ヴェルメリオ様は怒っている様子でもびっくりしている様子でもない。

 ただ「自由」という言葉の意味を考えているようで、口の中でその言葉を転がしている。


 恥ずかしいけど、もっと具体的にきちんと夢を伝えなくては。

 今までヴェルメリオ様に理由も告げずに婚約破棄を求めてきたのだから、ちゃんと向き合わなくては申し訳がたたない。


 ええい、と思い切って告げた。


「もっとはっきり言います。私、自分でなんでも選んで決めてみたかったんです! そのために働いて、自分でお金を稼ぎたいんです!」


「……仕事がしたいということか?」


「はい。仕事があれば自由になれます。お金を自分で稼いで、小さな家を借りて、自分で選んだ家具やお洋服に囲まれて暮らしたいんです。質素な暮らしでかまいません。とにかく自分で決めた仕事で、自分が決めたように生きてみたかったんです!」


「俺と婚約破棄すれば、その自由が手に入るのか?」


「私が養子であることは事実です。実家に居場所なんてありませんでした。ヴェルメリオ様との婚約が破談になれば、私はゼメスタン伯爵家を追放されることになっています。そうなれば私は何者にも縛られない一般人です」


 お義姉様のわがままを叶えるための人形としてではなく、人間として生きたい。


 婚約破棄されれば、あの大嫌いなゼメスタン伯爵家から逃げ出せる。

 その一縷の望みに懸けるしか、私にはなかったのだ。


 私の想いが切実だということは伝わったらしい。

 ヴェルメリオ様は「そうか」と呟くと、しばらく虚空を見つめて考えた。


 落ち着かない沈黙のあと、ヴェルメリオ様は私に向き直る。

 その綺麗な顔に浮かんだ表情は、子猫でも見るみたいなものだった。


「パノンの願いはわかった。パノンはわがままになりたかったといういことだ」


「……わが、まま」


「わがままに生きてみたかったんだろう? 養子として我慢してきたことも多かったはずだ。自分が生きたいように、わがままに、生きてみたかった。そういうことだろう?」


 わがまま。

 確かに、私はわがままになってみたかった。

 お義姉様みたいに自由に生きてみたかった。


 私はお義姉様のことが大嫌いで、お義姉様を誰より羨んでいたのかもしれない。


「……そう、ですね。わがままになりたかったんだと思います」


「この城に来て少しは練習できたようだな。俺に嫌われようと、がんばってわがままを演じていた」


「理由も告げずに、今までごめんなさい」


 冗談めかして言うヴェルメリオ様に静かに頭を下げる。

 ヴェルメリオ様は「謝ることじゃない」と、私の肩に手を置いてすぐに頭を上げさせる。


 そしてそのまま至近距離で覗き込んできた。


「わがままになることは、なんら悪いことじゃない。パノンの夢は叶えるべきだ」


「では、婚約は破棄してくださいますか?」


 ヴェルメリオ様はやっぱりわかってくださる方だった。

 最初からこうして理由を話して婚約破棄を願っていれば、無駄にヴェルメリオ様を傷つけることも、フィオルに無茶をさせてしまうこともなかったのかもしれない。


 今までの罪を後悔していた私に、ヴェルメリオ様は予想外の言葉をはっきりと告げた。


「いや、婚約破棄はしたくない」

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