07 侍女の奮闘
「フィオル!? 城を追い出されたんじゃなかったの!?」
「しー! パノン様しー! 追い出されたんですよ! だからお静かにしてくださいっ」
フィオルが大慌てで唇の前に人差し指を立てる。
まさか庭園で再会できるなんて思っていなかったから、思わず耐えていた涙があふれてしまった。
「よかったぁ、フィオル。魔物に食べられちゃっていないかって心配したのよ……!」
「うわーん! お会いできてよかったです! ずっと庭園に隠れていた甲斐がありました!!」
ひしっとお互い抱きしめ合って、無事を確認する。
フィオルは庭園にずっといたらしいけど、どこも異常なく元気そうだ。
本当によかった。
「パノン様、その、ヴェルメリオ様にお話は伺いましたか……?」
「ええ。フィオルが私を侮辱したからクビにしたって」
「あああ、ごめんなさい……! あたし、本心でパノン様を汚れた血なんて思っているわけではないんですぅ!!」
「わかってるわよ。私がヴェルメリオ様の妻にふさわしくないことをアピールしてくれたのよね」
フィオルはしゅんと項垂れたままうなずく。
臆病なフィオルをがんばらせてしまった私が情けない思いがした。
「がんばってくれてありがとう。怖かったでしょう。フィオルは臆病だから……」
「うう、でもパノン様ががんばっていらっしゃいますから、あたしもがんばってみたかったんです」
本当に私はいい侍女を持つことができた。
フィオルのがんばりに「ありがとう」と涙を拭いながらもう一度深く感謝する。
それから屋敷を指さした。
「ヴェルメリオ様のところにいきましょう。散々文句を言ったから、私が言えばクビは取り消してもらえるはずよ」
ヴェルメリオ様は私に相談なくフィオルをクビにしてしまったことを、いたく反省している様子だった。
あの様子ならば、きっとクビを撤回してもらえる。
屋敷に向かって歩きだそうとした私の背に、フィオルが「パノン様」と声をかけてきた。
「どうしたの? ヴェルメリオ様はそんなに怖い人じゃないわよ。ちょっと不器用なだけだと思うから、話せばわかってもらえるわ」
「そうかもしれません。でもわかってもらう必要がないかもしれないんです」
「……え?」
フィオルの言っている意味がわからない。
きょとんとしていると、フィオルは庭園の奥を指差した。
「今日クビを言い渡されてから、あたしずっと庭園に隠れていたんです。深夜になったら忍び込んで、パノン様に事情をお話しようと思って。それで庭園にいたら見つけたんですよ!――外に出られる場所を」
「外……って。逃げだそうってこと? クロムズ領は魔物が活発な地域なのよ。こんな夜に抜け出すのは危ないわ」
「木をのぼって城壁を越えるルートなんですけど、この辺りは騎士が多いので魔物もあまり寄りつかないはずです! 外に出たら、どこかに隠れて朝まで待ってから遠くへ行きましょっ」
ぐっと手を握って、強気に言うフィオルに驚いてしまう。
臆病なフィオルがそんなことを考えたということに、正直びっくりしてしまっていた。
「フィオルは怖がりだとばっかり思ってたわ」
「怖がりですよ! ルート確認のために木を登るのもすっごく怖かったです……! けど、パノン様のお役に立ちたかったんです」
フィオルの尽くしてくれる気持ちが嬉しい。
嬉しいけど、いざ今から逃げようと言われるとためらってしまっている自分がいた。
屋敷には使用人が少ない。
今ここを抜け出せば、きっと望んでいた自由を手に入れることができるだろう。
けど、そうすればヴェルメリオ様との『1ヶ月共に過ごす』という約束を果たせない。
ヴェルメリオ様は私が急に居なくなったと知れば、どうするだろう。
きっと悲しんでしまうと思う。
喧嘩のようになってしまった後である今の状況で私が消えれば、ヴェルメリオ様は今日のことを後悔して生き続けるのではないだろうか。
緋色の瞳が悲しみに沈む様子が目に浮かぶ。
高い背を丸めてしょんぼりしているヴェルメリオ様の姿を想像すると胸が痛んだ。
「さあ、パノン様行きましょう! 誰かに見つかる前に!」
フィオルが手を差し出してくれる。
この手をとって逃げ出せば、夢が叶う。
わかっているのに私はその手をとることができなかった。
「……ごめんなさい、フィオル。せっかく逃げ道を見つけてくれたのに。私、今は行けない」
「どうして、ですか?」
フィオルのオレンジ色の瞳がくるりと丸くなる。
心底驚いている様子のフィオルに、私は正直に話した。
「ヴェルメリオ様が心配なの。私、フィオルをクビにしたことをすごく責めちゃったのよ。もちろん相談なくフィオルをクビにしたヴェルメリオ様が悪いと思うわ!
けど、そうなった一端は私が嫌われようとするなんてひどい努力をしていたからなんじゃないかと思うの。それにヴェルメリオ様との約束を違えることになるのは違うと思う」
「じゃあパノン様は、これからは嫌われる努力はおやめになるということですか?」
フィオルが「むむ?」と不思議そうに首を傾げる。
あれだけ自由になりたいと言っていたのに、そのチャンスをふいにしようとしている。
そんな私が自分でも不思議なくらいだ。
フィオルはもっと不思議に思っていることだろう。
それでも私は、今逃げだすことはできなかった。
「……やめるわ。もう疲れちゃった。ヴェルメリオ様はきっと話せばわかってくださる方だと思う。夢を話して、嫌われるなんて方法じゃなくて理解してもらって婚約破棄したい。それじゃ、ダメかな?」
フィオルはこんな意思の弱い主は嫌いになってしまうかもしれない。
ドキドキしながら告げた想いに、フィオルはきょとんとする。
それから満面の笑みで頷いてくれた。
「ダメなんかじゃありません! あたしはパノン様の味方です。嫌われる努力はもう限界でしたよね。ヴェルメリオ様は手強すぎますっ。それに理解してもらうっていう作戦は、パノン様らしい気がします!」
「フィオル……! 認めてくれてありがとう。これからも私の侍女でいてくれる? フィオルが傍に居てくれるだけで私は元気になれるって、今回の件で本当によくわかったの」
「そんなありがたいお言葉をいただけるなんて!! こんな役立たずの侍女でよろしければ、ずっと傍にいさせてください!」
フィオルがぎゅうっと抱きついてくれるのを、私も抱きしめ返して受け止める。
もうヴェルメリオ様に嫌われようとする努力はやめる。
変な手ではなく、真正面から想いを伝えてみたい。
ヴェルメリオ様なら、それできっとわかってくれるという考えが今の私には芽生えていた。
「庭園にずっと居て疲れたでしょう。今日は部屋に戻って休んで」
「パノン様はどうされるんですか?」
「ヴェルメリオ様とお話しするわ。フィオルのクビは撤回してもらうから安心して。……きっと私が怒ってへこんでるだろうから、仲直りもしたいの」
庭園から屋敷へと歩きながらフィオルに話す。
自然にほほえんでしまっていた私に、フィオルは少し考えてから口を開いた。
「あの、パノン様。無理に婚約破棄しないという道もあると、あたしは思いますよ」
「ダメよ、フィオル。私は自分の選んだ道で生きるんだから!」
「えっと、そういう道を選ぶという選択肢もあると思うんですけど……。いえ、どんな道でもあたしはご一緒しますからね」
「それではお言葉に甘えて失礼します」と頭を下げてフィオルは去って行く。
なんだかニヤニヤしていたのは気のせいかしら。
「……さて、ヴェルメリオ様は書斎にまだいるかしら」
呟いた私はまた書斎へと足を向けた。




