06 侍女の奮闘
ぎゅ~ん、と鳴った自分のおなかの音で目が覚めた。
結構大きな音だった気がする。
窓の外は夜。
一日中寝続けていたから、おなかが空いてしまった。
たくさん眠ったおかげで、全身を襲っていた疲労感はもうない。
気持ちよく伸びをしてからベッドから立ち上がった。
ごはん食べたいけど、今何時?
夕飯刻だったりすると嬉しいんだけど……。
そんなことを考えながら、ふと見えた鏡台。
そこに映った私はボサボサの髪の毛にだらしない寝間着姿だった。
ヴェルメリオ様には嫌われなくちゃいけないんだから、この恰好でごはんを食べに行くだらしない姿を見せたって構わないとは思う。
けど今までの作戦はヴェルメリオ様にはノーダメージだったことは判明済みだ。
ワンピース作戦が通用しなかったヴェルメリオ様に、寝起きパジャマ作戦なんて通用する気がしない。
……それに、ヴェルメリオ様にノーメイク姿を見せるのは少し恥ずかしい気がする。
ワンピースでいいからちゃんと着替えはして、メイクくらいはフィオルにしてもらおう。
そう決めた私は棚の上に置いてある呼び鈴を鳴らす。
これは魔力が通っている道具で侍従や侍女を呼ぶときに使うものだ。
私の侍女はフィオルしかいないから、この呼び鈴に共鳴するのはフィオルが持っている同様の鈴だけ。
そんなに遅い時間じゃないだろうからフィオルはきっと来てくれるだろう。
鏡台の前に座り、くしで髪をときながらフィオルを待つ。
ドアのノックはすぐに鳴った。
「フィオルよね。入って」
「フィオルさんではないのですが、よろしいでしょうか」
予想外の声にギョッとしてしまう。
知らない女性の声だ。
警戒して立ち上がってしまった私は恐る恐るドア越しに声の主に話しかけた。
「……どちら様ですか?」
「屋敷のメイドです。フィオルさんはいらっしゃらず、侍女ができる者もおりませんでしたので急遽わたしが対応させていただいております」
「フィオルはどこに行ったの?」
嫌な予感がして、メイドに訊ねる。
メイドは少しの間を置いてから答えてくれた。
「フィオルさんはヴェルメリオ様の命でお暇をいただきました」
「お暇!? ヴェルメリオ様の命で!? フィオルが!?」
「は、はい」
すごい剣幕になってしまった私の声にメイドがびっくりしているのがドア越しでもわかる。
びっくりさせて申し訳ない。
でも一番びっくりしているのは私だ。
なんで?
どうしてフィオルがヴェルメリオ様にクビにされてるの?
フィオルは私の侍女なんだから、ヴェルメリオ様が私に相談もなくクビにする権利なんてないじゃない!
考えれば考えるほど怒りが沸々と湧いてくる。
気づけばノーメイクで髪がボサボサなことも、パジャマ姿であることも忘れてドアを開いていた。
「ヴェルメリオ様はどちらにいらっしゃる!?」
「書斎です!」
私の勢いに気圧されたメイドが書斎を指さして教えてくれる。
「ありがとう!」と怒りに満ちた声で礼をして、私はズンズンとスリッパでヴェルメリオ様の書斎へと向かった。
ノックもせずにドアを叩き開ける。
ロキがノックして返事がなければ、ドアを開けても良いと言ってたくらいだもの。
ノックなんて不要よ!
怒り心頭でドアを開けた私に、ヴェルメリオ様は机上に向けていた視線をゆっくりと上げた。
「起きたか。体調は……良さそうだな。顔色も良すぎるくらいだ」
「怒っているので、顔色は真っ赤かと思います!」
なんでもないような態度のヴェルメリオ様に答えながら、机に歩み寄る。
勢いのままにドンと机に両手をたたきつけると、書類の山がバサバサとなだれを起こした。
「どういうことですか? なんでフィオルをクビにしたんです?」
ヴェルメリオ様は私が怒ってやってくることはわかっていたようだ。
書類のなだれを気にすることもなく、怒る私に驚くこともなく、冷静に答えた。
「フィオルがパノンを侮辱したからだ」
「侮辱? フィオルがですか?」
フィオルが私を侮辱するなんて、今までの言動からは考えられない。
フィオルは私にずっと尽くしてくれていた。
「なにか勘違いがあったんじゃないですか?」
「勘違いではない。フィオルはこの書斎に来て、パノンの出生について話したいことがあると言った」
私の出生。
それは私にはゼメスタン伯爵家の血が流れていないという話だろうか。
どうしてそんな話をフィオルはヴェルメリオ様にしたんだろう。
考えて、すぐに思い至った。
フィオルは言っていた。
『自分にできることは全てやってみます』と。
「フィオルは、私が養子であることを話したんですね?」
ヴェルメリオ様が静かに頷く。
フィオルはきっと私がヴェルメリオ様の妻にふさわしくないことをアピールするために話したはずだ。
私のためにしてくれたことでフィオルを失うなんてことは絶対に嫌だ。
「私が養子なのは事実です。フィオルはヴェルメリオ様が公爵家に一般の血を入れることを嫌うのではないかと思って、報告してくれたんではないのですか? クビにするほどのこととは思えません」
「フィオルはパノンを貶めたんだぞ。淡々とした報告ではなかった。あえて侮辱するような言い方をしていた」
「どんな言い方ですか」
ヴェルメリオ様の視線がおよぐ。
優しいこの人は、きっと私が傷つくと思っているんだろう。
「私はまったく傷つかないので教えてください!」
フィオルがどんなひどいことを言っていたとしても、きっと私を思って言ってくれたことなんだってわかる。
絶対に傷つくことなんかない。
私の勢いに負けたらしいヴェルメリオ様は、小さく息を吐いて答えた。
「養子であることを『汚れた血が流れている』と言っていた。『どこの血が流れているかもわからない女を公爵家に入れて良いはずがない』と」
やっぱりフィオルは私のために言ってくれたんだ。
臆病なフィオルが、ヴェルメリオ様に真正面からそんなことを言っただなんて。
どれだけの勇気が必要だっただろう。
クビを言い渡されたとき、きっとフィオルは震えていたはずだ。
「ヴェルメリオ様のお気持ちはありがたいです。私を侮辱した侍女を許せないと思ってくださったんですよね」
「パノンに敵対心がある可能性がある侍女を傍に置いておくことは危険だろう」
「でも私に相談もせずに私の侍女のクビを決めるのは間違ってます!」
フィオルは私が連れてきた侍女だから、それは間違いない。
ヴェルメリオ様はばつが悪そうに視線を落とした。
「……悪かった。パノンを侮辱され、怒りのままに『出て行け』と言ってしまった。きみに相談してから決めるべきだった。申し訳ない」
ヴェルメリオ様が頭を下げる。
怒っている気持ちはある。
でもこの状況になってしまった一因が、私にもあることはわかっている。
私が夢を叶えるためにヴェルメリオ様に嫌われてやろうなんて、ひどいことを考えているからこんなことになってしまった。
わかってはいる。
けど、今はヴェルメリオ様と向き合うことはできなかった。
「頭を冷やしてきます」
静かに告げて書斎を出る。
足取り重く向かった先は、庭の四阿だ。
もう空腹なんて気にならない。
フィオルが今どこでどうしているのかだけが心配だ。
今すぐ探しに行ってあげたい。
見知らぬこの土地でフィオルは一晩過ごすことができるの?
クロムズ領は魔物が活発な地域だし、夜は魔物も行動的になる。
そもそも命の安全は大丈夫なの?
不安でいっぱいになって、四阿に置いてある椅子の上で膝を抱えて小さくなる。
ヴェルメリオ様はひどい。
そう思う気持ちと、ヴェルメリオ様の対応は仕方なかったと思う気持ちがぐちゃぐちゃだ。
「フィオル。どうか無事に過ごして」
祈るような気持ちで呟いたとき。
魔力で青く輝いている庭園の花が揺れた気がした。
ふと顔をあげる。
そこには涙目のフィオルが立っていた。




