07 絶対に惚れたりなんかしない
「わ、私は愛してないです! もう部屋に戻ります!」
愛してるなんて人生ではじめて言われたから、今の私はきっと混乱してるんだわ。
このままここにいたら、混乱して暴走している心臓が飛び出してしまうかもしれない。
真っ赤になっているのを自覚しながら、立ち上がって歩きだす。
その数歩でかかとに痛みが走った。
痛みに思わず足が止まる。
でもここで本格的に立ち止まったらヴェルメリオ様に心配されてしまうだろう。
優しくされたら苦しくなってしまいそうで立ち去ろうと再び歩きだしたのに、どうしてもかかとが痛い。
おかしな歩き方になっている私にヴェルメリオ様が気づかないはずがなかった。
「どこか痛むのか?」
椅子に座っていたはずのヴェルメリオ様は、もう私の隣にいた。
気配なく移動するスキルの高さにまず驚く。
さすがひとりで魔物の巣を殲滅する能力を持つ騎士だ。
「大丈夫です」
「無理をするな。足が痛むんだろう?」
「大丈夫なんです!」
優しくしないでほしくて強く答える。
ヴェルメリオ様はこれで引き下がってくれると思っていた。
むっと不愉快さを顔いっぱいに表してヴェルメリオ様を見上げる。
嫌いになってもらうために感情をあえて隠さずにいたからか、逆に感情を隠すことが下手になってしまった気がする。
自己嫌悪でいっぱいになって、胸が苦しい。
ヴェルメリオ様を振り切るように足を踏みだすと、急に腕をつかまれた。
「へ?」
「かかと、血が出てるぞ。靴擦れだろう」
ヴェルメリオ様の視線の先。
言われて見やった痛むかかとは靴下が赤くなってしまっていた。
今日はドレスと一緒にお義姉様にもらったヒールで営所までの長い列柱廊を歩いた。
あの時に靴擦れを起こしてしまったのだろう。
「うわ……」
思っていたよりひどい有様に思わず声が出る。
血を見たら急に痛みが強くなった気がした。
「こんな足で歩かせるわけにはいかない」
ヴェルメリオ様はボソリと言うと、私に背を向けてひざまづく。
思わず首を傾げると、ヴェルメリオ様は肩越しに振り返った。
「乗れ」
のれ? 乗れ?
……背中に?
ヴェルメリオ様の両手のポジション的に、まず間違いなく負ぶってくれるつもりなんだろう。
でも私最近ちょっと太っちゃったし、重いって思われたくないし、ていうか近いと恥ずかしいし!
頭の中がぐるぐるしてきた。
ヴェルメリオ様の横を素通りして帰ろうかとも思ったけど、絶対にそれは許してくれないと思う。
それに本当にかかとが痛い。
大丈夫。私は絶対にヴェルメリオ様を好きになんかならない。
おぶってもらうくらい問題ないわ。
自分を鼓舞してヴェルメリオ様の肩にそっと触れる。
えいやと意を決してヴェルメリオ様の背中に乗ると、その背の頼もしさに驚いた。
細身に見えるのに、触れるとしっかりと堅い。
私の身体とは構造が違う。
それが布越しにも感じられて緊張した。
「大人しくしていろよ」
ヴェルメリオ様の優しい声が聞こえたかと思うと視界がぐんと上にあがる。
ヴェルメリオ様が立ち上がったのだ。
ヴェルメリオ様はとても背が高い。
おんぶされて初めてわかったけど、背が高いと見える世界も違う。
青く光る庭は、さっきとはまた違う美しさを魅せてくれた。
「この庭、本当に綺麗ですね」
「もうおかしなしゃべり方はやめたのか? 『わたくし』とか『ですの』とか」
「……がんばって嫌われることには疲れたので、素の私で嫌われようと思いまして」
考えてみれば素の私が十分イヤな女なんだから演じる必要なんかなかったのかもしれない。
ヴェルメリオ様を傷つけて、愛されていると知りながら婚約破棄を突きつけるイヤな女だ。
もうすぐ屋敷に入る。
少ないとはいえ屋敷にも使用人がいる。
こんな姿を見られたら恥ずかしい気がしてヴェルメリオ様の背で小さくなっていると、ヴェルメリオ様の声が小さく聞こえた。
「その、またこうやってふたりで話がしたい。いいだろうか?」
まただ。
またヴェルメリオ様は私の機嫌を窺うみたいに声をかけてくる。
私はこの屋敷に来て以来ずっと扱いづらい態度をとってきた。
ご機嫌窺いをしたくなる気持ちはよくわかる。
でもこのまま1ヶ月間ご機嫌を窺われ続けられるのは、私が耐えられない。
「ええ、いいですよ。またお話ししても」
「本当か?」
「はい。でもそうやってご機嫌を窺うような態度が続くようでは疲れてしまいます。私はわりとヴェルメリオ様に言いたいことを言っていますから、ヴェルメリオ様も言いたいことは私に言ってください」
緋色の悪魔と呼ばれる公爵にへりくだられると居心地が悪い。
私の訴えにヴェルメリオ様は少しの間黙る。
それから耳をわずかに赤くして照れくさそうに答えた。
「気をつける。好きな女に嫌われたくなかったんだ。許せ」
ヴェルメリオ様が恥ずかしそうに言うから、私にも恥ずかしさがうつってしまった。
やっと落ち着いてきた心音が一気に跳ね上がる。
むずがゆさに唇をかんで、悶えてからようやく絞り出せた言葉は一言だけだった。
「……そう、ですか」
そこからはヴェルメリオ様は無言で私を部屋の前まで運んでくれた。
ヴェルメリオ様の背中から降りると、その背がとても暖かかったんだということを知った。
「送っていただいてありがとうございました」
「治療はしなくていいか?」
「はい。自分で消毒できます」
「無理をせず、痛みがひどいようなら呼んでくれ」
「呼ぶならフィオルを呼びますよ。ヴェルメリオ様を呼ぶのはおかしいでしょう」
「そうか」とヴェルメリオ様はシュンとしたけど、これは正当な意見だったと思う。
ヴェルメリオ様はなかなか帰らない。
名残惜しそうに私を見る視線がくすぐったい。
「ひとつ、聞きたい」
「なんですか?」
「パノンは好きだと言っていた男と今夜のようなデートをしたことがあるのか?」
デート!?
そうかも。
自覚はなかったけど、今日はデートみたいなものだったかもしれない!
デートという響きだけで、頭が沸騰してしまう私がデート経験なんてあるはずない。
嘘をついちゃえばいいのに、私は思わず首をブンブン横に振ってしまっていた。
ヴェルメリオ様の表情が緩む。
嬉しそうに笑ったヴェルメリオ様は照れた様子で頬を掻いた。
「じゃあ俺はパノンの初めてのデート相手になれたな」
「は、じめての」
「おやすみ。また明日会えるのを楽しみにしてる」
静かな微笑みを浮かべて、ヴェルメリオ様は踵を返す。
「おや、すみなさい」
遠くなっていくヴェルメリオ様の背中に、私は消え入りそうな声をかける。
その後飛び込んだベッドで私は経験したことのない感情を抑え込むように、足をバタバタとしばらくばたつかせてから眠りについた。
▽▽▽
「――そうですか。昨夜はそんな約束をなさったんですね」
翌朝。
支度をしに来てくれたフィオルに昨夜の経緯を伝えると、フィオルは神妙な表情で頷いた。
「1ヶ月後に私はヴェルメリオ様に別れを告げるわ。それまでに『やっぱりこいつとは無理だな!』ってヴェルメリオ様には思っていただきたいのよ。だって一方的に傷つけて、私が自由を手に入れるなんて嫌でしょ!?」
「パノン様はお優しいですから、そういうお気持ちになられることでしょう! 引き続き嫌われるようにがんばっていきましょうね!」
こんなに愛されていては、ヴェルメリオ様の元を去りづらくて仕方がない。
嫌われる努力は続けようという方針を決め直したところで、フィオルが「あれ?」と首を傾げる。
「どうしたの?」
「なんだかパノン様、お肌の艶が今日はとってもいいですね。いつもよりすごく綺麗です。昨夜はよく眠れたんですね」
「そんなことは……」
昨夜は落ち着かなくて、なかなか寝付くことなんてできなかった。
否定しかけたところでフィオルが昨日言っていた言葉を思い出す。
『愛する人ができれば、その方に褒められる内に自信が持てるようになるそうですよ。そうすれば、女性はもっと美しくなると聞きました』
「大丈夫よ! 私はヴェルメリオ様を好きなんかじゃないわ!」
「んぇ? なんのお話ですか?」
素っ頓狂な声をあげるフィオルに「なんでもない」と答えて頭を抱えた。




