04 絶対に惚れたりなんかしない
「ヴェルメリオ様は営所で仕事中です。少し歩くことになりますが、構いませんでしょうか?」
「ええ、仕方ないもの」
先導するロキに頷いて、屋敷を歩く。
ヴェルメリオ様の城は馬車から見たときも大きかったけど、中に入っても印象通りに広かった。
屋敷を出るだけでもだいぶ歩いたのに、騎士団の営所へと続く列柱廊の長いこと。
ヒールを履いて歩くには疲れる距離。
でも整えられた綺麗な中庭を眺めながら歩いていると、大した苦労には感じられなかった。
長すぎる列柱廊の先。
やっと辿り着いた騎士団の営所の大きな扉を開いた瞬間、開けた視界に驚いてしまう。
見上げるほどに高い天井。
端から端まで歩くのにも時間がかかりそうな幅の廊下。
漆黒の騎士服に身を包んだ談笑する騎士たち。
屋敷よりも随分広い営所の様子に驚いていると、ロキが笑顔で説明してくれた。
「こちらの営所はクロムズ騎士団員の寝所も兼ねています。生活の場にもなっていますので、屋敷と違って人は多いですよ」
「だからこんなに大きいのね……」
クロムズ騎士団はクロムズ公爵家の私設騎士団。
クロムズ領は普段から魔物が活発な地域で、『魔王の目覚め』の際に一番に被害を受ける土地でもある。
そこを治めることを任されている公爵家は、独自の騎士団を設けることを許されているのだ。
つまり、ヴェルメリオ様は王国騎士団の団員であり、クロムズ騎士団の団長という忙しい立場にある。
そんなヴェルメリオ様のお仕事タイムに行ってもいいのかしら……。
いやいや、いいのよパノン!
嫌われるために来てるんだから!
図々しくて、空気が読めなくてなんぼよ!
しぼみそうな気持ちを鼓舞するために、ぺちぺちと自分のほっぺをたたく。
後ろについてきているフィオルが「がんばってください」と小さく声をかけてきて、ロキはやたらとニコニコしていた。
「それで? 団長室はどこにあるの?」
「団長室は上階にありますが、今ヴェルメリオ様は訓練場にいらっしゃるはずですよ」
「団長自ら騎士の訓練をしているの?」
「騎士団で一番強いのはヴェルメリオ様です。一番強い者が訓練をした方が死亡や怪我の確率が下がるというのが、ヴェルメリオ様のお考えです」
緋色の悪魔なんて呼ばれているヴェルメリオ様の優しい考え方に、思わずきょとんとしてしまう。
「参りましょう」と歩き始めたロキを慌てて追いかけた。
「あのご令嬢は? あんな綺麗な人はじめて見たぞ」
「バカ! あの方は団長の婚約者様だよ! 手出すなよ、殺されんぞ」
遠目にこちらを見る騎士たちの噂する声が聞こえてくる。
こんなに綺麗だなんだと言われるのは、この城に来てからが初めてだ。
フィオルのメイク技術の高さに感謝しながら進んでいった先。
重そうなドアを開いた先には、石でできた訓練場があった。
「落ち着いて剣を振れ。戦場では取り乱した者から死ぬ」
冷徹な声音の奥に情熱をはらんだ不思議の声。
惹かれたようにそちらを見ると、ヴェルメリオ様の周りを何人もの騎士が取り囲んでいた。
訓練とはいえ、この人数差は圧倒的不利な気がする。
なのに、ヴェルメリオ様が負けるとは欠片も思えなかった。
ヴェルメリオ様は木剣を片手に立っているだけに見える。
それなのに周囲の騎士たちはみんな動けないようだった。
「あれが……訓練なの?」
「ヴェルメリオ様は『魔王の目覚め』の際に、ひとりで魔物の巣に潜り込み、殲滅して帰ってきた戦績があります」
「魔物の巣ってあの、騎士が隊を組んで数日かけて殲滅する?」
「そうです。ヴェルメリオ様は半日で殲滅して帰られました。それも何度も」
後ろでフィオルが息をのむ。
私も彼の異常な戦歴に背筋が寒くなる思いがした。
「ヴェルメリオ様はおひとりで、大型魔物数十体分の戦力があるということになります。我がクロムズ騎士団は、そんなヴェルメリオ様との戦闘訓練を日課としているのですよ」
クロムズ騎士団は最強の騎士団として、名を轟かせている。
ヴェルメリオ様の代になってからは、その強さが増したという噂も聞いた。
ヴェルメリオ様くらいの強者相手に訓練をしているのなら、納得なのかもしれない。
「やあああ!」
ヴェルメリオ様を取り囲んでいた内のひとりの騎士が躍り出た。
それに釣られたように数人の騎士が踏み出したけど、次の瞬間には全員が転がっていた。
私みたいな素人には、ヴェルメリオ様の太刀筋はまったく見えない。
緋色の髪が風圧に舞い、鋭い瞳が一瞬見開かれた。
わかったのは、それだけ。
「犬死にするためにお前達は騎士になったのか? 鍛錬をしろ」
ヴェルメリオ様が言い捨てると、転がっていた騎士たちが慌てて立ち上がって「はい!」と言いながら敬礼をする。
冷たい雰囲気と尖った視線が相まって、もう緋色の悪魔にしか見えない。
私はこんな人に喧嘩を売って、婚約破棄してもらおうとしているのかと思うと恐怖に身が凍る思いだ。
でも、言うのよ。
ドレスも何もいらないわ、婚約破棄だけしてくださいって!
私は自由になるの。
平民として街に降りたって、好きなお店で働くのよ。
カフェやお花屋さんなんかいいかもしれない!
おうちはボロ屋だっていいのよ。
自分が選んだ家具やお洋服に囲まれて、自由に生きるの!
「パノン?」
妄想を膨らませていた私の耳に、低い声が届く。
ふと現実に返ると、訓練場から去ろうとしていたヴェルメリオ様が私たちに気がついたようだった。




