第二十八章 親友と一緒にエッセイコンテストで優勝
今日、キャンベル先生はクラスの前で私が今年のエッセイコンテストで優勝したことを発表した。その後、親友のアリスも優勝したことを知った。キャンベル先生は私と握手をした。私はとても嬉しかった。何日か後に、私とアリスは大学に表彰されに行った。審査員は、アリスのエッセイは形式がとても良くて、私のはちょっとナイーブだが内容が良いと言ってくれた。私は「ちょっとナイーブ」というのはあまり嬉しく思わなかったが、アリスは「内容がいい方が形式がいいより良いんじゃない?」と言ってくれたので、私の気分は改善した。私は大好きな日本について書いた。こんなエッセイを書いた:
日本の学校の国際化
―日本の教室で日本の子供が外国の子供と隣り合わせに座れる日-
日本では、生徒は実際外国人と交流することは少なく、外国語や外国の文化は教室で教科書を通して学ぶことが多い。文部科学省の1998年の研究によると、日本の小中学校における外国人の人数は約76,000人で、全生徒の0.6%に過ぎない。このデータは、日本の教室に外国人のいる割合は非常に低く、日本の子供たちはあまり他の国から来た子供たちと交流する機会がないことを示唆している。
日本に来る外国人の学生は、ほとんどが韓国か中国かブラジルから来ていて、何らかの事情があって日本に来ている者が多い。彼らを除いて、外国人の子供はあまり日本の学校に入ることは少ない。これには、日本人が「自分と違う人」を受け入れることに抵抗を示し、国が「ユニーク」でなくなることを恐れ、日本の学校が国際化する準備ができていないこともあって外国人をあまり歓迎しないことが理由として挙がる。
シュウ・ミヤハラは『国際人を育てる』という著書の中で、人のことをただ「自分と違う」「変わっている」という風に判断してしまうと、その人の価値観や視点を理解することは難しくなると書いている。「自分とは違う」人を排除しようとするのはいじめの原理に似ている。アキオ・ヤマグチによると、いじめとは変わっている人を除外することで、集団の安定性を保とうとすることである。似たように、人々は精神的に不安定になると、自分たちのアイデンティティを保ち安定性を取り戻そうと、「違う」人を排除するようになる。このような原理で、日本人は外国人の「自分とは違うところ」を受け入れようとしなくなっている可能性があると考えられる。
このため、日本の学校が外国人に「一方的に日本の学校の制度に順応する」ように求めていることも驚きではない。外国人は自分たちの言語、文化、価値観の全てを捨てることになり、それに耐えられなくなると、学校に来なくなる。日本の政府が行った研究によると、小学校では八人に一人、中学校では三人に一人の外国人が不登校となっている。
日本人が自分たちの日本人としてのアイデンティティを失いたくないという風潮も、日本の学校に外国人が少ない重要な要因となっている。アレックス・シシンはホームページで、「外国人嫌いの主要な特徴として、自分の国が特別であるという信念を抱いていることが多い」と述べている。例として、公立の小学校での英語教育は2002年まで延期されていた。それは、人生の早期に第二外国語を習うと、日本人らしさを失ってしまうのではないかという不安に起因している可能性が高い。シシンによると、「日本人の言語の独立性への固執は、グローバリズムと呼ばれる以前の支配者の国による再支配に対する恐怖を反映している。」しかし、シシンの述べるように、日本人は支配される側というよりも支配する側であったことや、発展途上国ではなく世界で二番目の経済大国であることから、非常に矛盾している。日本人の恐怖心は、おそらく「第二次世界大戦で敗北した屈辱感」を表していると考えられるが、日本人が過去の屈辱を乗り越え、現代的な国際的な環境で日本人の子供が教育を受けることができるように専念すべき時が来た。
しかし、日本の学校がすぐに国際化できない理由は、外国人に対する日本語教育や日本人に対する英語教育が十分に発達していないからである。新人とも呼ばれる、日本語を全く知らない外国人の生徒を教えるには、教師は彼らに日本語を、日本人が習得するのと同じ方法で教えないといけないが、とても速いスピードで教える必要がある。少し時間が経てば、外国人の生徒は日本人の友達とコミュニケーションをとることはできるようになるかもしれないが、授業についていくのはやはり難しい。
日本人に対する英語教育では、生徒は英語を第二外国語として6年間中学校と高校で教わる。しかし、日本人は外国人と交流する際に困難を抱えている。それは、日本における英語教育が、特に翻訳を中心に読み書きを重視しており、会話のスキルを軽視しているからである。外国語指導助手(ALT: Assistant Language Teachers)は、ネイティブの英語を教えられる教師であり、彼らは日本の学校の有力な教育指針とは違う教育の目標や過程に対する意見を持っている。彼らが英語の会話を日本人に教える重要な役割を果たし、日本人がより流暢に英語を話せるようになることが期待される。
外国人が日本の学校で教育を受けることを志願することが少ない最後の理由は、日本の法律と政治が彼らに対し「オープン」でないからである。国内の教育の指針に従い、外国の生徒は日本の学校を志願し、その学校より入学の許可を受けることはできても、日本人の子供と同様の小学校と中学校の義務教育のシステムは存在しない。つまり、外国人と日本人の子供では入学という点において、教育を受ける権利に差がある。また、外国人の生徒が犯罪を起こすことを減らすように、日本の政府はビザの要件や承認を厳しくしていることが多い。ジャパン・タイムズの記者であるトモコ・オオタケのホームページによると、「昨月始まった一学年において、事務局は23,285件の日本で学びたいという外国人の願書を受けたが、ビザを与えたのはたったの10,657件であった。」このことより日本の政府は外国人の生徒に対し偏狭であり、かなりの割合で彼らの日本で学びたいという希望を受け入れていないことが分かる。その結果、日本人の子供は他国の子供と共に勉強する機会を奪われてしまっている。
日本における閉鎖的で同種の教育システムの問題を解決するにはいくつかの方法がある。一つは現在の厳しい移民制度を緩め、日本に移住する外国人を増やすことかもしれない。しかし、厳罰を科されているにも関わらず、海外からの能力の低い労働者は日本において現在でも深刻な問題であり、移民制度の緩みを困難にしている現状がある。同種の教育への日本人の強いこだわりを改善するために有効な二つ目の方法としては、現在の世界に対し広く鋭い視点を持った優れた教師を雇うことである。教師は日本人の生徒に小さい時から、グローバリズムが進む世界において、多様な国籍、文化、信念や価値観を受け入れることの重要性を教えることができる。しかし、教師の言葉が、子供たちの外国人に対する気持ちを変えるほど子供たちの心に届くかどうかは分からない。子供たちの、自分たちとは「違う」ものに対する否定的な気持ちは、彼らの家庭生活からきている可能性が高く、長く積み重ねられてきた観念を変えることは難しいかもしれない。この二つの方法の実現が難しそうであることから、私は日本における言語教育の強化が、日本の学校の国際化を進めるにあたって、最も実際的で効果的な方法だと考える。
日本における英語教育を強化するには、ネイティブの英語が話せる教師や海外経験の長い教師の人数を増やし、日本人の子供が正確な英語を学ぶように促すことが必要であろう。海外に姉妹校のある学校は、海外の子供たちとのコミュニケーションを促進するためにその姉妹校と連携することができる。例えば、手紙やEメールを用い、欲を言えば数年に一回会う約束を交わすこともできるかもしれない。交換留学も日本の学校の国際化に非常に有効であり、学校や生徒によって良い異文化交流プログラムが準備されればなおさらである。
一方、外国人の生徒への日本語教育の方が、難しく複雑な問題である。外国人の子供たちが授業についていける程の日本語を身につけるには相当な時間がかかるにも関わらず、半年もすれば、学校は外国人の子供たちに「特別な」日本語のレッスンを行うのをやめてしまう。それは、外国人の子供たちの日本語のレベルが多くの日本人の子供たちと同じ水準に達したと判断されるからであるが、実際には外国人の子供たちはそこまで達していない。新入生は言語の障害を抱えており、学校の教職員が日本語をきちんと教えないと、授業を理解したり、テストで良い成績をとることはできない。しかし、「学校には色々な問題を抱えいている子供がいて」、教師は「新入生のためだけに時間を多く割くことはできない」。このため、日本における外国人生徒の教育を改善するためには別の方策が必要である。
様々な教育課程を大学生に提供する日本の大学でも、英語の授業だけで卒業できるような外国人向けの教育課程は用意されていない。私の友達のシェイラはガーナから来ていてあまり日本語が話せず、日本でそのような英語の授業だけで卒業できる大学を探したが見つからず、結局夏に英国に行ってそちらで大学教育を受けることにした。私はその頃、日本の外国人への教育システムの欠陥についてあまり知らなかった。しかし、最近調べたところによると、国際性と寛大さで有名な国際基督教大学でさえも、英語のみの教育課程は存在せず、いかなる国籍であっても日本語の講義を受けないと卒業できなかった。英語の講義は全体の20%しかなく、それでも数名の外国人は日本語の講義を受けて卒業していた。一方、上智大学は英語の講義のみを受けて卒業することのできる学部を持つ珍しい大学である。その学部は比較文化学部という学部で、800人の生徒がおり、そのうち20%は外国人である。文学の教育が主であり、多くの卒業生は国際的で多文化の仕事に就職している。そのような海外の学生のための柔軟なシステムは日本の他の大学だけでなく、日本の小学校や中学高校でも導入されるべきである。これにより、外国人の子供たちの日本で勉強したいという意欲が高まれば、日本の学校の国際化はとても進展するであろう。
結論として、海外の学生が日本の学校に自主的に入ろうと思わない理由は四つある。一つは、日本人が他者との「違い」を受け入れることに抵抗があり、外国人の子供たちは一方的に日本の学校の文化に順応するしかなく、順応できない子供は学校をやめるしかないためである。二つ目は、日本人が国際化により自分たちの日本人としてのアイデンティティを失うことを恐れているからである。三つ目は、言語教育のシステムが不十分であるため、日本の学校の国際化のための基盤が整っていないためである。四つ目の理由は日本の法律や政府が、日本で教育を受けたいという外国人の子供たちに対し寛容でないことである。現状を改善する実際的な方法として、日本における言語教育の強化が有効であると考える。日本人はネイティブの先生から英語を学び、海外の学生との直接の交流や交換留学制度により海外の文化についても学ぶことができる。外国人の子供たちはより良い日本語教育を受けるべきであり、そうでなければ英語で授業を受けられるべきである。それにより、彼らは言語的な「ハンデ」を背負わなくて済むようになる。このように、日本における国際的な教育の基盤が整うことにより、より多くの外国人の生徒が日本で教育を受けたくなるかもしれない。そのようになれば、ついに日本の学校を国際化するという計画は実現されることになる。外国人の子供たちが、ただ教科書の中で微笑んでいるのではなく、日本人の子供たちの隣に座り共に笑い合うことで、日本人の子供たちは人それぞれの多様性を受け入れ、多くの「違う」人たちと協調的に生きるための新しい視点を得ることができるかもしれない。
私は自慢するつもりではないけど、自分のエッセイがとても好きである。学校でのいかなるいじめも迫害もなくして、みんなで協調的に平和に生きられるようにすることが大事だと思う。私はまたアリスも優勝したことが嬉しかった。これで少し彼女も自信がついたかもしれない。親友と一緒にエッセイコンテストで優勝するのは素晴らしい快感だった。




