7.自己廃棄 (一章終)
男二人と女数人の集団は、どこか色気づいていて、僕からしてみれば居心地の悪いものでした。自尊心をひけらかす岡崎君は、いつの間にか僕のことなど目もくれず、女の子達との会話に夢中になっています。彼女らと岡崎君は賑やかに話をしながら、互いの距離感を急速に縮めておりました。
僕と言えば、今まさにその集団から自ずと脱退し、彼らよりもやや後ろを歩いておりました。それに気づかない彼らを上目に眺めて、やはり、頷くだけが取り柄の僕など、代わりがいれば必要とされなくなるものなのだと、肩を落としました。
岡崎君は、自慢げに自身の話を続けます。
高校時代の成績とか、趣味でお金を稼いでいるとか、親は大手の社長だとか、平気で自分をさらけ出します。
彼女らは、言ってしまえば僕のように首を縦に振るマシーンと化し、いつしかその顔が紅潮し彼を恋慕の目で見るようになりました。
女というものは、男の影に隠れるために、こうして男の話を聞くことに長けているのでしょうか。僕はただ嫌われるのが怖くて、必死に首を縦に振りますが、彼女らの場合、首を縦に振るのは不安や恐怖からではなく、攻略のための戦略の一環として、首肯しているのではないかと思われます。
強い男を求めて、彼女らは行く。
ふと、昨日は僕に恋慕の視線を送ってきていた彼女を見ますと、他の女学生と同様、岡崎君の話に耳を澄ませておりました。ああ、彼女もそうなのですね。
僕は、彼女らから離れていきました。進む方角を変え、本来の目的地と違う校舎へ入り、まっすぐお手洗いへ。人の気配はしません。ここにいるのは僕一人です。
横幅2メートルはありそうな鏡、その前で、僕は自身の顔を見つめました。冴えない顔つきをしていると自分でも思います。スポーツが得意なわけでもないので、滑り台のような撫で肩です。殴れば砕けそうな、脆弱な肉体です。
両親には捨てられました。里親にも捨てられました。今は何人目の里親かわからない男女の、世間体を良くする道具です。勉学だけは、ある程度出来ます。
こんな自分を偽るために、僕は笑顔を身につけました。少なくとも、人を不快にさせることはないようにと、自分なりに努めてきたつもりです。
僕には誇れるものが何もありません。勉学など、学生時代だけの評価尺度です。
僕はバッグの中から仮面を取り出し、タオルを剥きました。現われたその顔から、僕は目を離せなくなりました。この顔は、世界一女から愛される顔。愛おしい顔。何も出来ない僕を受け入れてくれるようになる、最高の顔。
僕は、なんの抵抗を感じることもなく、その仮面を、自分の顔に、かむりました。
白い仮面から真っ黒の半紙が何枚も伸びてきて、僕の身体を覆っていきます。やがてそれらは僕の肉体を締め付け、苦痛を感じさせますが、必要な痛みなのであればと、僕は歯を食いしばってそれに耐えました。
骨がきしみ、肉が裂けるような痛みが走ります。変化の痛みです。いうなれば、成長痛です。
痛みも治まり、いつしか僕の身体を締め付けていた半紙のようなものは緩み、僕の身体から離れていきました。それらは仮面に収納され、変化が終わったことを知らせてくれます。
僕は、鏡を見ました。そこにいたのは、『僕』でした。何も変わらない、『僕』です。
おかしい、何も変わっていません。
自分の顔をおそるおそる撫でてみますが、それは僕の顔に変わりありません。頬は柔らかく、鼻は低いです。おでこは少し汗をかき、明かりを反射しています。
身体の痛みは覚えています。僕は確かに仮面をつけたはずです。なのに、おかしいでしょう。恨めしい瞳で鏡をじっと眺めますが、僕はどこまでも僕でした。
現実を受け止めきれず、僕はしばらくじっとしておりました。何度も嘆息し、鏡に手をついてみたり、水で顔を洗ってみたり。身体を動かす気にもなりませんでした。洗面台に手をついて項垂れます。
そうしておりますと、お手洗いにスーツを着込んだ年配の方が一人入ってきました。手に持ったプリントの数を見て、おそらく大学教員だと言うことが察されます。ふと思い立ち、スマートフォンで時刻を確認しますと、あと数分で授業は始まる時間です。ここからなら問題なく間に合うでしょう。
時間は待ってくれません。落ち込んだ気持ちを奮い立たせる方法を考えながら、僕はお手洗いを後にします。廊下ですれ違う生徒達は忙しなく、手で顔を仰ぎながら講義室へ向かっていました。
校舎を出て、向かいにある大講義室へ入室します。すでに受講者の多くは着席しておりました。教授はまだ来ておらず、生徒達は落ち着かない様子で歓談をしております。
僕の入る隙はないように思え、また肩を落としそうになりましたが、偶然目を向けた先で、岡崎君がこちらを見て手を振っておりました。
嫌な気持ちに蓋をして、なんとか足を進めます。岡崎君が座っているのは前の方の席、つまり教授の目が届く範囲でありました。
席と席の間を縫ってそこまで歩いて行っておりますと、ギリギリで来た生徒として周囲から目を少し向けられます。視線が刺さるような感覚がして、逃げ出したい衝動を必死に抑えながら進みます。
ちらりと、周囲を見回すと、なんだか様子がおかしい生徒がいくらか見受けられました。僕を見て、呆けた顔をしているのです。なんでしょう、どういう気持ちでそんな顔をしているのか、全くわかりません。
まあ、大した感情はそこに無いでしょう。早めに来る生徒がいつもより遅く来た、ということに気づいただけなのではないでしょうか。僕は首を振って、その視線を払うようにしつつ、やっとの思いで岡崎君の所にたどり着きました。会釈をして、隣に座ろうとすると、岡崎君が当然の疑問を投げかけてきます。
「おい、なんでいきなりいなくなったんだよ」
「と、トイレに行きたくなったんですよ」
「なんだ、そんなことかよ。まあ、お前のおかげで俺は楽しい時間が過ごせたわ。モテる男は辛いぜ」
岡崎君は誇らしげに髪をいじりながら言います。僕はまた首を縦に振りながら彼がモテることを肯定しておりました。やはり、この立場が自分には合っていると、痛感します。
何の感情もなく、僕はこんなことが出来るのですから。
教材を出し、教授が来るまでの間どうしようかと、スマートフォンを取り出します。すると、急に背中を叩かれました。肩ではありません、背中です。少しくすぐったくて、身体が震えました。鳥肌が腕にぽつぽつと現われます。
何事かと思い後ろを振り返りますと、名も知らぬ女生徒が僕を見つめて口元を押さえておりました。
パーマをあて、意図的にウエーブさせた特徴的な髪型をした、大人っぽい色気を出す女性でした。この講義を受けているということは同じ一年生でしょう。
僕が「どうかしました?」と戸惑いながら聞きますと、彼女は悶えるようにしながら机に突っ伏しました。髪の毛の間から覗く耳は真っ赤に染まり、照れているように見えます。
すると何を思ったか、彼女は周囲に聞こえそうな程の声で控えめに叫びました。
「かわいいーーーー!! なにこの生き物!! 尊い!! 尊いわ!!」
ポカンと、口を半開きにして呆然とすることしか出来なかった僕は、彼女が何を言っているのか理解できませんでした。いきなりそんな、理性的でない行動をするのには理由があるのでしょうが、彼女は僕の顔を見てこうなりました。
しかも、わざわざ知らない僕の背中を叩いて。
彼女の知り合いと思われる周囲の女生徒たちは彼女にどうしたのかと問いかけながら、僕の顔を見て驚く素振りを見せました。口元を押さえて赤面する者、両頬に手を添えてにやける者、机に額をたたきつける者。そして、彼女らは自分の感性を疑うように、隣で同じように赤面する女生徒に話しかけ、同意を求めるのです。
「かわいいよね、かわいいよね!?」
「いや、それ!! まじ、それ!!」
状況をつかめずにいると、いつの間にか教壇に立っていた教授が授業を始めるためにマイクで生徒に向かって声をかけます。50代ほどに見える、威厳のある女性教授。彼女が話し始めて数秒後、僕と目が合いました。
「では、今日の講義を始めます。本日は人間関係学の恋愛的な……ぶふぉ」
彼女は吹き出して教壇に突っ伏しました。
僕は、初めて、自分が原因かと、疑いました。再び後ろを振り返りますと、先程よりは少し冷静さを取り戻した女生徒たちと目が合い、一斉に彼女らが目をそらしました。そして、頬や耳を紅潮させるのです。ちらりちらりと僕を見る人もおります。ここで、確信しました。
これが、仮面の効果?
一章、これにて終了です。ここまで読んでいただきありがとうございました。これからも物語は続いていきます。感想や評価などいただけますと、今後の励みになりますので、是非よろしくお願いいたします。
今後もしっかり更新を続けて参ります。よろしくお願いいたします!!
オジギソウ