【始まりのフロンティア編】第9話「拳」
鬼嶋隆一は戦うとき、拳を使うことはない。
合理的に考えれば一撃必殺という観点から、腕の力よりも脚の力の方が断然力が出るから、蹴りを主体に戦う――ならまだ分かる。
だが彼は、頑なに蹴りだけを用いて戦う。拳を使った方が良い場面があったとしても、蹴りしか使わない。
極道の道に進んだ時から、知らずのうちに拳を使うことをやめてしまった。
その理由は……きっと彼は、無意識に自身に力の在り様を教えてくれた師の言葉を守りたかったのだ。
拳は誰かを守るためにあるもの。幼き頃、妹の美虎を守る術を求め、通った道場で初老の男性にリュウは、そのような教えをもらった。
――リュウの人格形成の一つにも影響する出来事だった。その時より、リュウは無暗な暴力を振るう凶暴性は薄れた。
守るために常に牙を磨き、瞳孔を鋭く光らせ、静かな闘志を胸の内に秘めた。
……美虎がある日、帰ってこなくなる前までは。
思えばその日から、その拳を使った記憶はない。常にポケットに手を入れて、傷つける人々を足蹴りにして、敵勢力を蹴りで制圧していた。
ついぞ死ぬ時には、その理由さえも忘れてしまっていた。
「――ッ」
――視界が炎で埋め尽くされる。
流石のリュウと言えど、炎を蹴り飛ばす方法は知らない。別に真正面から打倒する必要もなく、その脚力を使って走って逃げる。
一度打ち離れた炎はそのままリュウを追尾することはなく、しばらく一直線上に飛んでいき、ある程度の距離が離れたところで霧散した。
「くそっ、くそっ!」
――遮るもののない荒野の大地が、レイアの選択肢を狭めていた。
レイアは本来、炎によって徐々に敵の動ける場所を奪っていくか、圧倒的な火力で押し通す方法の二択で戦うことが多い。
そのために木々や岩などを燃やすのだが……この場所にはそんなものはない。圧倒的出力の炎を放っても、リュウはそれを明らかに人間離れしている身体能力で逃げてしまう。
至近距離で炎を放てば――レイアはその選択肢を選べない。
何故なら、傷がその危険性を知っているからだ。今もギリギリ意識が保てるほどくらいにしか回復はしていない。
それほどの最初の衝撃が凄まじいものだ。……近づいたら、例え炎の脅威があっても、リュウはそれを受け入れたうえで確実に一撃を入れる。
少なくとも冷静ではない頭では、その可能性がある限りは大胆な攻撃は使えないのだ。
違法を持たない転移種は、かつての実戦で培われた戦闘センスだけで異彩を翻弄していた。
「……それで、地獄の炎ってのはいつになったら見せてくれんだ?」
「――うるせぇよ、黙ってろ……ッ」
レイアは地面に手を当てて、リュウを鋭く睨みつける。
――何かを企んでいることは明白だ。
高出力の炎の弾丸、高熱を身にまとい身に触れるものを火傷させる……リュウが持つ情報はそれだけだ。
他にも技があると仮定するならば、レイアの行動はその予備動作に他ならない。
大地を蹴とばすような助走からの、トップスピード。レイアに接近するのに僅かな時間も必要はなかった。
「――炎の壁!」
その動きを察知して、レイアは手以外の体中から炎を生み出し、その炎を操作して炎の壁を作った。
少なくともこれでリュウは近づけないと踏んだのだろうが……その選択は彼と敵対するのであれば失策だ。
「質量も持たねえなら、ちょっとばっか我慢すれば簡単に届くぞ」
――その言葉が届いたときには、レイアの身体は炎の渦の外に弾き飛ばされていた。
炎によって視界が遮られていたためか、リュウの狙いは逸れて鎖骨から肩へかけて蹴りが炸裂した。
「あぁぁぁぁぁぁああッッッ!!!」
あまり経験しない痛みから、レイアは声に出して絶叫した。
――肩の脱臼と、鎖骨もヒビは免れないだろう。痛みを耐え、倒れながら先ほどまで自分がいた場所を見ると……炎の壁の中から、リュウが火傷を負いながら出てきた。
炎で上の服が焼けて、その肢体を見ると……そこには見事としか言えない肉体があった。
若返って身体自体は小さくなったものの、筋肉量は上半身を見る限りでも限りなく多い。無駄な筋肉はなく、必要な筋肉を得るために最適なトレーニングをしていることが理解できた。
……レイアは肩を抑えながら立ち上がる。
「なん、で、お前は、生き一つ上がってねぇ……ッ」
「――お前は動いてないのに息が上がってるんだな」
レイアの質問に、皮肉で返答する。
「違法も使ってねぇ転移種にこんな様、笑えねぇんだよ!!」
レイアはそう叫ぶと、手のひらに小さな炎の球を作り出した。
「……熱量が違う」
リュウはすぐに肌で熱を感じた。
レイアの手の平に浮かぶ炎の球は、先ほどの炎の壁と比べても明らかに熱が集中している。
リュウの想定通り、その球はより炎を凝縮して作られたものだ。それを両手に一つずつ持ち、既に放つ準備も整えている。
――リュウは一瞬だけ、馬車の方を見た。アイスは既に馬車に向かっているか。それを常に確認できるほど、レイアは油断していい敵ではない。
今はギリギリ戦えていて、善戦できているように思えるが、リュウはそうは思っていなかった。
炎の熱量や、力の範囲、応用方法……大技を一つでもまともに食らえば、瀕死は免れない。
――だから確実に殺せる一撃を、反撃覚悟で叩き込む。リュウの勝ち筋はそこにしかなかった。
「――こい」
「ッッッ!!」
レイアの注意をリュウに釘付けにする。注意を仔羊から逸らし、逃げる時間を作る。
そのための方法は、常にリュウが脅威で居なければならない。
リュウが動くと同時にレイアは炎球が差し向けられた――リュウ、ではなく、馬車に。
「――ッ」
その意味合いを理解できたリュウは、レイアの手が向けられた方に方向転換する――だが、一瞬、反応は遅れた。
「やっぱり、てめぇの目的はそれだよなぁっ! 見てろ、そこで、餓鬼どもが焼ける姿をなぁっ!!」
放たれる炎の球。それを消す方法はなく、だが受け止める方法はある。
身体を犠牲にすれば、少なくともその一撃は止められる。
「(身体、間に合わねぇ。脚も、振り上げるのに時間がかかる。飛べばギリギリいけるか? 何をすれば――)」
刹那の瞬間も、リュウは考えることを辞めない。思考が身体に追いつく時間は、常人とはかけ離れている。考えたことをすぐに行動できるほどのものが、リュウには備わっている。
だが――それを遥かに凌ぐものが、リュウには備わっていた。
『――お前の拳は、誰かを守るためのものだ』
理性を超えた野生のごとき直観が、彼の身体を動かす。
それと共にリュウの頭の中には走馬灯のように、恩師の言葉が木霊する。
『――いつ如何なる時、理不尽が降り注ぐか分からない』
その言葉に従うように、リュウは、
『――だから守るために、優しい拳を振るうんだ、隆一!』
「まに、あえぇぇぇぇえええええええええ!!!」
――拳を振るった。
◎・・・◎
リュウがレイアの相手をしている中、アイスは傷つく身体に鞭を打ちながら、馬車へと向かった。
「――アイスっ」
馬車に入るや否や、メリノが彼女に抱き着いてきた。
「アイス、アイスっ」
「……お姉、ごめんなさい。戻ってきた――助けに、来たよ」
「うんっ、うんっ」
抱きしめながら泣き続けるメリノに、アイスは薄く笑みを浮かべる。
そして他の妹たちを見つめた。
「……アイスのこと、見損なった? 一人で、逃げて」
「そ、そんなことあるはずないぞ!! アイス姉ちゃんだって、辛いのを我慢して……ッ」
「……でも、どうしてリュウさんが」
「――話は後でする。それより今は……」
アイスはメリノから離れ、そしてメリノの目を見た。その目が真剣なことは姉であるメリノが一番理解できた。
普段は静かで口数が少ないアイスが、こんな目をすることはほとんどない。それほどにアイスは今、しなければならないことがあった。
「ここから、逃げる」
「…………あの人を、助けるじゃなくて?」
「……じゃないと、リュウが思いっきり戦えない」
アイスは理解していた。
リュウの戦闘を見たのは先ほどが最初で、すぐに行動したためかしっかりとは見ていない。だが、リュウの能力なしの戦闘能力の高さは、異彩込みのアイス自身の力よりも格段に上だ。
そのことを理解しているからこそ、アイスはその選択肢がリュウのためになると思った。
――本音を隠して、そう選択した。
「……ごめんね、私、あの人が人間だってことしか分からないし、シャロリーやサヴォークもあの人のことを知ってるのも後で聞かないとね」
「「うっ……」」
メリノは鋭い指摘をすると、双子はバツの悪そうな表情を浮かべた。
しかしすぐにクスリと笑い、二人の頭を撫でた。
「――でも私たちを助けるために、必死に戦ってくれてるってことだけは分かる。……アイスは、本当はどうしたいの?」
……アイスの本音を見抜くように、メリノはそう言葉を投げかけた。
その言葉を受けて、アイスは俯く。
――もしもここにいるのが自分だけなら。助ける姉弟もいなかったら。そう考えた。
「私は――リュウと、一緒に戦いたい」
……ここに来る前に、リュウとレイアの会話をアイスは聞いていた。
――極道とか、カタギとか、落とし前とか。そんな言葉の意味はアイスは理解ができない。
しかし一つだけ分かったことがある。
「あの人は、刺し違える覚悟で、戦ってる。……独りぼっちで、戦ってくれてる。そんなヒト、今までいなかった――そんなリュウに、死んでほしくない」
アイスは、本音を溢した。
自分が倒れそうになった時、抱き留めてくれた。無茶な自分のお願いを彼は多くは聞かずに、聞いてくれた。
――ここで逃げたら、きっと一生後悔する。
「……そうね。うん、お姉ちゃんもちゃんとお礼したい。最初に勝手に逃げちゃったことも、謝りたい――でも、あの人と一緒に戦えるのは、アイスしかいないの」
「……うん」
「サポートは私たちで全力でする。だから――アイスは、全力であの人を助けてあげて」
「――わかった」
アイスは強くうなずいた。
そうして仔羊たちは決意のもと、馬車から降りた――その瞬間の光景に、全員が動けずにいた。
――この場所からも感じほどの熱が、炎球として自分たちのいる馬車へと放たれていた。
それに向けて足を走らせるリュウの姿があり、しかしどうやっても間に合わない。
ここで馬車燃えたらきっと、全員が助からない。
「み、みんな、離れッ」
メリノがすぐさまに姉弟を逃がそうと声をかけるが……すぐに言葉を無くした。
――視線の先の出来事を前にして、言葉を行き所をなくしたのだ。
……その拳は、放たれる脅威を打ち破るために、振るわれていた。
……その拳は、向かい来る脅威に、反逆していた。
――その拳は、覆い隠すほどの脅威を、打倒した。
「――は?」
その出来事に驚いているのは仔羊でもリュウでもなく、力を使ったレイア本人だった。
炎を躱すなら分かる。何度もされたから理解できる。
炎を我慢するならまだ分かる。実際に目の前でされたことだから。
――だが、炎を真正面から打ち破られるのは、理解が出来なかった。
……もちろん拳は焼けている。大怪我と言えるだろう。だが、そもそも大怪我で済む一撃ではない。
岩を溶かす熱量なのだ。余波だけで身を焼く力なのだ。
それが――違法も使わない人間の拳に、打倒された。
「……はっ、使っちまった」
リュウは大火傷をする拳を痛がる様子を見せず、拳を振るったことが信じられないような顔で、可笑しそうに笑った。
「いつぶりだろうな。拳の振り方なんて忘れちまったって思っていたけどよ――案外、体が覚えてるもんなんだな」
……リュウは、ポケットに手を突っ込むことはしない。
その代わりに、腰を落とし、大きく息を吐いた。そして拳を構え、先ほどまでの眼光とはまた違う、更に鋭い視線をレイアに向けた。
――かつて習った、誰かを守るための拳。そしてそれを振るうための構え。
先ほどまでの傍若無人で荒々しい戦い方とは違い、精錬された構えだ。
「……まだ逃げてなかったのか」
ふとリュウは、後ろにいる馬車から降りたばかりの仔羊たちに視線を向けた。
それぞれが様々な表情をしている。
メリノは単純に目を見開き驚いて、アイスは唇を噛んで何か言いたげな表情だ。チャオビットは何が起きたのか分かっておらず、サヴォークとシャロリーは目をキラキラと光らせていた。
「――そこで見てろ」
上手く言葉が思いつかず、ふてぶてしくそう言ってしまう。
だがリュウは全く気付いていない――逃げなくても良い。俺が守る。
その短い言葉の中に、そんな意味が含まれていることに。
……全く以て、気づいてはいなかった。
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