【始まりのフロンティア編】第6話「力の在り方」
『武道とはいかなるものか。分かるか?』
道着で身を包む初老の男性は、小さな少年にそう問う。
優しげという言葉の対局にあるような剛勇かつ剛健な容姿の初老は、畳張りの床に綺麗な正座をしていた。
対する顔に切り傷ばかりが目立つ少年は、冷え切った眼をしていて、初老を睨みつける。
『しらない』
『だろうな。であれば、武道を嗜む人間が安易に暴力を振るうはずがない――武道は歴史が長い。辿れば中世の時代を超えて古代にまで遡る。その時代は武道のことは古武道という名で、戦うため、生き残るための手段として皆人が鍛えぬいていた』
『……俺も、生きるために』
『まぁ待て、最後まで話を聞け――現代武道において、古来のものとは形は違う。必ずしも戦うためだけのものではなくなった。どうしてだと思う?』
『……戦争も、ないから』
『そうだ。戦乱の時代は今人のほとんどは知らない。それでも武道を嗜む人間は少なくない――心技体、これらを鍛錬の中で鍛えていき、その中で人格を磨き、礼節を弁える。剣道の世界で残心という言葉があるように、決して驕らず、他人を尊重できる人物に至るまでの道……それが武道のありようだ』
それを聞いて、しかし少年は視線をそらして子供ながら、文句を垂れた。
『じゃあ、殴られたらやり返すなって言うのか。殺されそうになったら、黙って殺されろっていうのか』
『ははっ、それは話が飛躍しすぎだ。もちろん身を守る手段として武道を学ぶこともある。自衛手段としては否定しない――だがな、お前は今回、不必要な暴力まで振るっただろう』
『……甘やかしたら、あいつらはつけあがるから』
『認めたな。自分の行いを素直に認めることは、強者の条件だ――不必要な暴力は、時に更なる暴力を生む。本来、お前は無力化するだけでよかった。……まだまだ若い、怒りに身を任せることもあるだろう。それをなくしていく。それこそが現代武道の形だ』
初老は見た目とは裏腹に、柔らかい笑みを浮かべ、そしてそっと立ち上がって少年の隣に腰かけた。
仰々しい正座ではなく、胡坐をかいて少年の手を取り、拳を見つめる。
『お前の拳は、子供にしては殴り慣れた拳だ。背手の皮は固くなっていて、子供らしくない。それほど身を置く環境が整っていないことも理解できる』
『……妹を守るために、力がいるんだ』
『その心は正しい。お前が振るう暴力は、決して自分本位のものではない。全ては守るための拳なのだろう――今も昔も、武道で変わらないものが一つある』
鬼面仏心という言葉は、初老のためにあるだろう。
長年武道の世界で磨いてきた心は、本当の意味で優しい。間違ったことを間違いと伝えられる強さ、正しいことを正しいと伝えられる強さ。
彼の体が武道の在り方の証明だった。
そしてその初老の言葉を、少年は待つ。
『それは誰か守るための力。いついかなる時に理不尽が大切な何かに降り注ぐかは分からない。それに備える一つの手段として、武道はある。あ、これは持論だ』
『守るための、力?』
『そうだ。だから――隆一、お前の拳は誰かを守るものだ。決して自分のために、間違った使い方をするな』
――その言葉は、不思議なことに反発的な少年の胸に溶け込んだ。
その思い出を忘れてしまったかもしれない。だがその約束を無意識のうちに破らなかった。
それほどに初老との会話は彼を成形する一つの大きなものとなった。
◎・・・◎
日も落ちて、夜更けとなる。
日中の騒々しさは嘘のようになくなり、シンとした静けさのある夜だった。
リュウは少ない荷物をまとめて、宿を出る。
「……思った通りか」
外に出て少し歩いて、すぐに気づいた――人の気配と、視線がある。それも一つや二つではなく、十数人単位でだ。
リュウの予定では誰もいない夜に大きく騒ぎ立て、子供たちが逃げる時間を確保するつもりであったが……リュウが夜に動くことを敵も理解していたのだろう。
リュウは町の中心で歩くのをやめて、荷物をドサっと無造作に地面に置いた。
「面見せろ。俺は逃げねぇぞ」
「――転移種の人間っ!! 囲め!!」
建物の影よりぞろぞろと半人種と思われる敵が現れ、あっという間にリュウを囲んだ。
リュウは特に動揺することはなく、堂々と待ち構えていた。あくまで冷静に、人数の把握をするために辺りと見渡す。
数にして十八人。全員が凶器と思わしき武装を整えており、武具はそれぞれ違うようだ。
「……鉛弾がねぇだけで大したことはねぇな」
しかし、刃物や弓などのごく原始的な武具を見て落胆する――何せリュウがこれまで身を投じていた世界での主な武装は拳銃だ。
人を殺すことに重点が置かれた殺戮兵器を前にしていれば、剣や弓など劣ってみえる。
しかしそんな考えとは裏腹に、決して慢心しない。
「(弓の名手は例え拳銃が相手だろうが、獲物の動きを予想して矢を放つ。剣の達人は鉛弾すらも一刀両断する化け物もいる。こいつらの中にそんな奴がいる可能性はゼロではない)」
例えその懸念が杞憂で終わろうとも、その前提を立てることが生死をかけた戦いでは重要だ。
「皆、気をつけろ! 敵は転移種、違法持ちだ!! 全員で同時に畳みかけ――」
「――てめぇが頭だな」
敵の参謀と思わしき半人種が仲間に口頭で指示を出している中、リュウは彼らの視界から消える。
無慈悲にもリュウの鍛え抜かれた脚は、参謀思わしき男の後頭部を打ち抜き、行動不能にする。
「……こい。全員あの世に送ってやる」
「――ッッッ! 武器を構えろ、呆けるな!!」
一人、彼の早々の初撃に我に返って、仲間を鼓舞するように声をかける。しかしリュウは既に彼らの視界からは消えている。
特殊な歩法と、それ以前に彼の身体能力は、前世でも指折りのものだ。
この世界にきて、特別な力を貰わずとも獣を狩ってきた身体能力。状況を瞬時に判断する決断力。即座に動くことができる反射能力。一瞬で最高速で動き出せる敏捷性、瞬発力。
どれをとっても一級品であり、敵が例え鋭利な刃物を、音速で撃ち放たれる銃弾を用いたとしても、それをもろともしない強さだ。
小さく身を屈め、敵の急所にためらいもなく蹴りをする。ただのそれだけで並大抵の者が戦闘不能となった。
「こ、これが違法?」
「――んなちゃちなもんじゃねぇよ」
敵の一人がリュウのあまりもの強さに腰を抜かし、戦意喪失する中、ふとそんな戯言をこぼした。
リュウはそれを聞き逃さず、膝を地につける男を除く全ての半人種を戦闘不能にした。
「……おい、てめぇらのボスはどこだ」
リュウは胸倉を掴んで、凄みのある声音でそう尋問する。
――明らかにこの場にいる半人種は弱者の集まりだ。転移種で、違法持ちを想定した戦力では到底ない。
そもそもこの中には人間の姿はなかった。リュウもジェネスからこの世界の人間特有の能力「異彩」のことを聞いている。
この世界の支配者に君臨しうる力を、少なくともこの中からは感じなかった。
「レイア様は……ここには、いない」
「……なんだと?」
敵が随分とあっさりと白状したものだから、リュウはそう聞き返してしまう。
それと同時に嫌な予感が頭に過った。
「人間はどこに行った……」
「……ペコラのもとにさ」
半人種がそう言った瞬間だった。
――町の外れの、遠くにあるフロンティアの森付近から炎が夜空を埋めた。
「……こいつが、異彩」
「……レイア様のお力だ――悪いことは言わない、今のうちに逃げたらどうだ」
すると突然、敵の方からそのような提案がされる。
「どういうつもりだ」
「どうもしない。どちらにせよ、俺たちはお前に負けた時点でレイア様に用済みで殺される。……どんな状況になっても、俺はお前に勝てる気がしない」
「――それでせめて温情で逃がしてくれるってか。それはまた、お優しいことだな」
リュウは半人種の胸倉を、すっと離した。
「……人間の異彩は、炎を操る能力か?」
「――待て。なんで、そんなことを聞く」
「…………そんなもん、俺が聞きてぇよ」
――理屈では説明できなかった。リュウの行動は、どう考えてもあの子供たちを守る行動に違いない。だが、リュウはそれを言葉に言い表せない。
本当は地獄の業火に身を焼かれ、断罪を受けるべき存在だ。それほどにリュウの生前は罪深く、決して許されず、そして自分を許しはしない。
だから彼は、誰かを守りたいなんて言葉を口にはできない。
――そんなどうしようもないくらいに、リュウは、鬼嶋隆一は不器用な男なのだ。回りくどい方法しか知らず、自身が善行をすることを皮肉気に嫌う。
「……だけど、あの餓鬼どもがてめぇら大人の事情で殺されるのは、どう考えても道理が違う。それはあまりにも理不尽だ」
自身が子供たちと境遇に陥るとすれば、それは当然かもしれない。それほどの悪行をしてきたのだから。
――だが、あの子供たちは違う。
もちろんリュウが子供たちに関わったことはごく僅かだ。子供たちのことはよく知らず、何か恩があるわけでもない。
ただ――同じ釜の飯を食った仲だ。末っ子のサヴォークとシャロリーと、確かに飯を一緒に食べた。
「……この世界に来て、初めて飯がうめぇって感じたんだ」
食事とは生きていくために必要不可欠だ。だからリュウも、飯を食う。そこに楽しいとか、美味さなどを求めたことはない。
そういう幸福を拒否して生きてきた。だから、何を食べても幸福は感じない。
――それでも、あの時、同じ焚火を前に肉を焼いて、食べた。味付けも何もしていないただの焼肉が、リュウは美味に感じた。
そのあと一人で同じ肉を食っても、美味いと感じなかった。
「……だから教えろ」
リュウは今一度、半人種に問う。
「人間の異彩は、なんだ」
――そんな分かりやすい理由付けをしてまで、リュウは……戦うことを即断した。
◎・・・◎
――時は戻り、日が暮れた頃。ペコラの仔羊たちは森の中を慎重に歩いていた。
「……うん、ここらへんで森の住人以外は見かけてないってさ」
姉妹の三女、チャオビットが自身の異彩の力を扱いながら、索敵をしながら森を進む。
有機物であれば心の声が聞こえる能力により、動植物と意思疎通が可能であり、それを使ってここまで幾度となく姉妹の命を救ってきた。
「チャオ、ありがとう――アイス、体調は大丈夫?」
「バッチリ」
メリノがアイスにそう聞くと、アイスは相変わらずの無表情でそう返答する。
森を進み、そして夜中になると同時に森を抜けだした。
「……みんな、ここからは体力勝負だよ。フロンティアから、アドモンまで止まらずに向かうよ」
姉妹たちは声を出さずに、頷き合う。ちょうどその頃、町ではリュウが暴れまわっており、タイミングとしてはこの上なかった。
そして森の草木から一歩踏み出した時、
「――やぁっと見つけた、ペコラの仔羊」
――突如、背後から何者かにそう声をかけられた。
誰か、なんて彼女たちはすぐに理解できた。長女のメリノと次女のアイスがすぐさまに妹たちを守るように、前に出る。
……森の木にもたれかかっていた存在――異人種、レイアが下卑た笑みを浮かべながら、仔羊たちを見ている。
「ど、どうして……ッ」
「――お姉、みんなを連れて、逃げて」
アイスは無表情……とはいかずとも、恐怖を顔に出さないようにしながら、メリノにそう言った。
「そ、そんなのできるはずないぞっ!! み、みんなで戦えば」
チャオビットはアイスの決断を止めようとする。幼いながらも、姉の言葉を理解できたからだ。
それをしてしまえば、きっとアイスと二度と会うことができなくなってしまう。暗にそう伝わった。
……アイスの心の声が聞こえたのだ。
「……みんなを守りながら、戦えない――お姉、お願い」
「――みんなっ、いくよ……ッッッ」
メリノはアイスの言葉を聞いて、大粒の涙が瞳に溜まった。しかしそれを流さないように腕で拭って、真っ赤な顔でシャロリーとサヴォークの手を引く。
「いやだよ、メリノねぇちゃんっ!! みんな、一緒じゃないとっ」
「――チャオ、行って」
――アイスが心からそれを願っていることは、誰よりもチャオビットが理解できた。
そしてメリノは彼女の覚悟を、願いを理解できたから……他の妹を連れて逃げることを選択した。
「アイスおねぇちゃんっ!! おねぇちゃんっっっ!!!」
「……ッッ、シャロリー」
大粒の涙を流すシャロリーと、対照的に泣くのをこらえるサヴォーク。
――しかしレイアがそれを易々と見逃すわけがなかった。
「おいおい、せっかく見つけたんだから、そう簡単に逃がさねぇよ」
彼の手からは朦朧とした炎があふれ出て、それを逃げるメリノたちに放とうとした――その瞬間、目の前にアイスが現れる。
アイスは拳を握って、レイアに打撃を加えようとしたが――寸前のところでレイアが標的をメリノたちからアイスに変えことで、逆にアイスが再び彼から距離を取った。
「……バイバイ」
アイスは小さくそう呟くと、逃げるメリノたちの方には視線を向けず、目の前のレイアを睨みつける。
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