【始まりのフロンティア編】第5話「出来ることがあるとすれば」
そういえば、と。本当にふとリュウは思い出していた。
自分で名乗るのはすこぶる恥ずかしく、自身で名乗ることはついに一度もなかったのだが……彼は極道時代、そのあまりある強さと恐ろしさから、畏怖を込めて異名があった。
「や、やめてくれぇ……っ。なんで、こんな森にぃ――聞いて、ねぇよっ!!」
「うるせぇな、黙ってろ」
振るう剣は一度も当たることなく、空を切る。代わりに届くものは骨が折れるほどの衝撃だけだ。
事実、ガードで突き出した腕は綺麗に折れており、その攻撃――蹴りをその場にいる誰もが止めることはできない。
――その様は荒ぶる獣のようだ。もはや戦いですらない。
あまりにも一方的な攻防に、犠牲となる男たちはリュウの背後に何か別の生命体が見えた。
意識も薄い男の一人が、リュウを朧げに見ながらふと呟いた。
「ま、まるで手がつけられない――まるで、ドラゴンじゃないか……っ」
その鋭い三白眼の、逆鱗に触れたように暴れまわる戦闘スタイル。浴びた血潮の姿は恐ろしい。
男の発言にリュウは眉間に皺を寄せて、ついにその意識すら奪う。
――偶然にもその名は、リュウの極道時代の呼び名の一つだった。それに苛立ちを覚えたのか、その攻撃は更に激しさを増す。
数秒の間に鳩尾に三度四度繰り出される強烈な蹴り技……蹴り技とも言えない乱暴な攻撃だが、それは全てが急所に入る。
顎、心臓、局部、首裏、鳩尾……あらゆるところに、身体が吹き飛ぶほどの威力がある蹴りだ。
後ろに目がついているのかと言いたいほどに、背中に向けて剣が振り下ろされるが、身体を小さく回転して、踵で剣の側を回し蹴りを繰り出し、綺麗に折る。
「――一回、死んで来い」
一人が気を失うと、続けざまに二人目が高等部に蹴りをまともに食らって気絶する。
「なんなんだ、お前っっっ!! どうして人間が、こんな森にいる!?」
「なんだ、まだ元気じゃねぇか」
しかし、リュウは最後に残ったこの男を気絶させるつもりはない。気絶してもらっては困る。
何せ仲間の二人がこうして気絶してしまったのだ。しっかりとリュウという男の存在を、同じく人間であるリーダーに伝えてもらわなければならない。
「仲間連れて、無様に逃げろ。てめぇらは、気に食わねぇんだよ」
絶妙な力加減で男を気絶する仲間の方へと蹴り捨てる。
自力では勝てないと思ってか、男は仲間を連れて逃げようとした。
「……金魚の糞が」
そう毒を吐き、しかしリュウは男たちを追わない。
……あまりにも一方的な攻防に、リュウは特に面白みも感じず、荷物を背負い森を後にする。
――極道時代、一度もリュウは戦闘で負けたことがない。刀を出されようが、拳銃を持たれようが、集団で襲おうが……その全てを蹴り一つで一蹴してきた。
その様を見て、どこかの誰かがつけた異名――それが、翼のない龍、無翼のドラゴン。
翼がなく地上で暴れまわるリュウにつけた、皮肉のような二つ名だ。
「……これであいつらの意識は、少なからず俺に向くはずだ」
――子供たちを追っている武装集団が、突然現れた人間に蹴散らされた。
自身の身に降りかかる火の粉を放っておくほど、この世界の人間が平和ボケしているとリュウは思わない。
必ず報復をするか、自信を追いかけるようになるだろう。
……そうなれば、子供たちが逃げる時間を稼げる。リュウにしてやれることは、ここまでが限界だ。
「……じゃあな」
リュウは森を後にする。
奴らが逃げた先は恐らく滞在している町である。そして仲間に状況を説明して、最近自分たちを襲っていた存在がリュウであると確信するはずだ。
故にリュウも時間がない。幸い荷物も関係を持つ存在も少ないため、急ぎ足でとある場所に向かう。
――背中に視線を感じながら、その視線の正体に気付きながらも、無視して走っていった。
……リュウは真っ先に向かった先は、ジェネスの元だ。この世界にきて初めて会話をして、少なからず関わってきた半人種である。
多少なりとも義理があるため、彼にここから去ることを伝えることと、危険な可能性があることを伝えに行ったのだ。
「お、リュウじゃないか。さっきぶり……だけど、この時間は珍しいね」
「……良いか、黙って聞け――俺は例の荒くれ集団を襲った。少ししたら奴らは俺を狙うために動くだろう。そうなったらてめぇにも危害が加わる可能性がある――ここから離れて、違う場所で商売しろ」
「……わざわざ、それを言いに?」
「借りは作らねぇ主義だ。いいか、今日中にこの町から離れろよ」
それだけ伝えて、リュウはジェネスの元から離れる。
「――君はお得意様だからね。またどこかの町で出会えたら、贔屓させてもらうよ」
……本当にいい性格をしている。リュウはそう思いながら、自身の宿へと向かった。
◎・・・◎
――リュウの思惑通り、町は騒然としていた。
荒くれ集団の半人種がリュウを探しまわっているのだ。
宿の壁越しに聞こえる怒声でそれで理解でき、リュウは今は静かに時を待っていた。
動くのは夜だ。夜に分かりやすく動き、注意を自身に向ける。そうして子供たちが逃げる時間を稼ぐつもりだ。
もしかすると、リュウが人間と戦闘になる可能性もある。しかしそれを考慮に入れての選択だ。
――そんなリュウの思考を組み取り、行動に移しているのは他の誰でもない、アイスであった。
アイスはリュウと別れてから、急いで姉妹の元に戻った。
「アイス、一体どうしたの? そんなに急いで……」
「……落ち着いて、聞いて――人間たちが、この森に来てる」
アイスは長女のメリノにそう伝えると、彼女は顔が青ざめる。
当然だ。命の危険がすぐ傍に迫っているのに、焦らない人はいない。しかし反してアイスは酷く冷静で、メリノにリュウから渡された袋の中身を見せた。。
「……これ、どうやって」
「説明は、あと。今出るのは危険。夜、出発する」
「……そうよね。うん、私が下の子たちに事情を説明するわ。だからアイスは、今はゆっくりと休んで夜に備えて」
「……うん」
メリノはアイスの肩を掴んでそうお願いした。
――姉弟が今日まで生き延びて来れたのは、アイスがいたことが大きな要因だ。それはアイスの持つ能力……異彩が戦闘に向いているからだ。
故にこれまで追っ手をある程度無力化できた。
……しかし、相手が人間となれば話は変わる。しかも今、子供たちを追う荒くれ集団のリーダーの異彩は、アイスとは相性が悪い。
だから今は、逃げ延びるしかない。
日没までには時間がかかる。その間にできることは、この森で少しでも多く食料を確保して、荷物をまとめること。
そしてこの場所からの逃走ルートの確保だ。
「チャオビット、少しいい?」
「姉ちゃん、聞いてたぞ。……また、逃げるんだよね」
木陰で双子の相手をしていたチャオビットの耳にも、姉たちの会話は聞こえていた。
するとチャオビットは双子の頭をワシャワシャと撫で、メリノを安心させるように笑顔を浮かべた。
「ダイジョーブ! なんとかなる!! だから二人はチャオに任せて、姉ちゃんは姉ちゃんにしかできないことをしてくれて良いぞ!」
「……チャオビット」
メリノはチャオビットを抱き寄せて、背中を優しく摩る。
――私にできることは、何。心でそう思って、しかし決して表に出さない。
……今いるフロンティアは、この世界で最も辺境にある地だ。北、西、東に向かったところで、あるのは海だけだ。
だから今、姉妹たちに残された選択肢は南に向かうこと。
「……私が、守らないと」
そう自分に言い聞かせて、これまで守ってきたのだ。
大丈夫、なんとかなる――自身に戦闘特化の異彩が備わっていたらと、これまで何度考えてきたことか。
メリノは深呼吸をして、心を落ち着かせた。そうしなければ、自身の異彩が安定しないためだ。
「チャオビットは、この森でどれくらい友達が出来た?」
「……弱い原獣種が九匹くらいだぞ」
「その中で力を貸してくれそうな子はいる?」
「う~ん……チャオの異彩はまだそんなに強くないから、強いのは仲良くなれないんだぞ」
――チャオビットの異彩は、対象の心の声を聴くことができる能力だ。それに加えて対象がチャオビットに心を開きやすくなる副次効果もあるのだが……そもそも危険な獣に近づく勇気がチャオビットにはなかった。
姉妹が森の最奥まで迷わずにたどり着けた理由はこの異彩の力が大きい。
「そう……一応お願いして、森の要所に案内役で配置してもらっても良いかな? それで安全に移動できると思うから」
「分かったぞ! すぐに行ってくる!」
するとチャオビットはお願いされたことが嬉しいのか、すぐに立ち上がって森の中に走っていった。
そして次は残された双子だ。
特に幼いシャロリーとサヴォークはまだ異彩に目覚めておらず、何かができるわけではないが……この二人に関しては、心を落ち着かせることが目的だ。
「サヴォーク、シャロリー。落ち着いて聞いてね――今夜、この森から離れる。だから今は休んで体力を残しておくの」
「……そっか。うん、分かった」
サヴォークはメリノの話す内容に頷き、双子のシャロリーの手を握った。
「おねぇちゃん、シャロリーができることはない?」
「――絶対に生きて、逃げ切るの。それで……それで……ッ」
――それで、一体どこを目指せば良いのだろう。その言葉は胸中に収め、メリノは二人の頭を撫でた。
「隣の国のアドモンを目指すの。あそこは温厚は小人族が統治している農業が盛んな国だから、きっと私たちにも優しくしてくれるはずだよ」
安心させるために、満面の笑みを浮かべた。
……メリノは食料をボロボロの鞄につめて、逃げるための準備をする。
――アイスが持ってきた袋の中には、大量のお金と干し肉などの食料が入っていた。明らかに今の彼女が手に入れられるものではない。
メリノはとても利口な少女だ。それを手に入れるための手段は考えられるだけで二つしかない。
……盗むか、与えられるか。
その答えも既にメリノの中で答えはあった。
「――私たちを、助けてくれる誰かがいるの?」
淡い希望が頭にちらつくが、その選択肢をすぐに消す。
そんな、都合よく助けてくれる存在が現れるわけがない。そんな無償の善意が、この世界にはないことをメリノは嫌と言うほど理解していた。
◎・・・◎
――町の古びた宿の一角の大部屋に、数人の男たちがいた。
一人の男は仰々しく椅子に座り足を組んでいて、その周りには筋骨隆々の半人種の男たちが跪いていた。
「――最近、どうも不愉快なことが立て続けに起きているよな。何でか、未だに突き詰められないのか?」
「も、申し訳ございません、レイア様ッ」
「俺はな、別に謝って欲しいわけじゃないんだ――結果を示せって言ってんだ」
男――異人種のレイアは半人種の男の胸倉を掴み、ニコリと笑う。
事の発端は部下の半人種が何者かに連続で殺害された事件だ。
「ペコラの捜索の任務をな、俺は魔王様から承ってんだ。結果を出さないと俺の面目も丸つぶれだよなぁ――なぁ」
レイアは手の平を開き、そこからは――炎が溢れ出た。その炎を見て、半人種は汗をタラリと流した
死が、目前にある。その炎に充てられたら、確実に死ぬ。レイアという男はそれを平気で出来る男なのだ。
「フロンティアにいることは間違いないんだ。森以外は探し尽くしていねぇってことは、ペコラどもは森にいるってことだろ」
「で、ですが、森は独特の霧に包まれていて、かつ素人では最奥まで辿り着くには時間が足りず……」
「なら、焼けばいい。それであぶり出せるだろ」
「……僭越ですが、自然を破壊することは危険もあります。自然を管理するのは精霊種です――極力は自然は破壊しないに越したことはありません」
――精霊種とは、肉体を持たない存在だ。
その役割は森や海などといった自然を守り、管理するものだ。寿命は存在はせず、基本的に無害とされているが、もしも自然を無暗に壊すなどをしてしまうと、精霊は牙を剝くと言われている。
レイアもそれを理解しているのか、歯がゆく舌打ちをした。
「めんどくせぇな――ん?」
……レイアはふと、外が騒がしいことに気が付いた。
「おいお前、ちょっと外を見て来い」
「はい」
配下の半人種に命令をして宿の外を見に行かせ、少しすると……男は戻って来た。
――大怪我を負っている半人種の仲間を三人連れて。
「おいおい、随分とまあ面白いことになってんじゃねぇか」
レイアは傷だらけの部下たちを見て、二ヤリと笑みを浮かべた。
「んで、何があった?」
「それが……彼らはフロンティアの森で敵と遭遇し、一方的に蹂躙されたようです」
「蹂躙、ねぇ――んで、誰にやられた?」
「それが――転移種の人間です」
転移種、とその言葉を聞いた瞬間、レイアは椅子から立ち上がる。
その表情はどこか高揚しているようで、レイアはボロボロの部下に近づいた。
「ペコラに続いて転移種とは、面白いなぁ! おい、お前以外は今すぐ転移種の居場所を探せ!!」
レイアは三人を連れてきた半人種以外の部下を転移種捜索の人員に回し、そして怪我人を別室に放り、残った部下と二人になる。
「レイア様、これまでの事件の犯人はその半人種ということでしょうか」
「……いいや、違うな」
レイアは少し考えて、そう断言した。
「転移種が犯人だとしたら、あの雑魚を殺さない理由がねぇ。しかもこんな明るい真昼間から襲うなんざあり得ねぇ」
「……なるほど」
「どっちしろ臭うな――俺に歯向かう奴は全部燃やす。転移種とペコラ、どちらにも人員を回せ」
「かしこまりました。レイア様はいかがなさいますか?」
「――俺はペコラに当たるぜ」
――リュウの思惑通りといくわけもなく、ただ時間は過ぎる。
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