【農業国家アドモン編】第7話「子供たちの過去」
2話連続で更新します。
「二人は忘れちゃったのか!?」
チャオビットは声を荒げて、二人に問いかけた。
――パパとママは、人間に殺された。リュウははっきりとそう言われたのだ。
……リュウも子供たちの親のことを考えたことがなかったわけではない。シャロリーとサヴォークに出会った時に彼女たちは父と母の名を出して、涙で肩を震わせていた。
それで彼女たちの親は、既にこの世にいないことも察していた。
親は不在、人間に追われている、親の存在を思い出して泣いてしまう――人間によって殺された。辻褄は合った。
となればチャオビットがリュウに恐怖を抱くことは致し方なかった。
「リュウは、あいつらとは違う」
「そんなこと言われても、分からないよ! だってそいつは、あいつらと同じ見た目で――」
「見た目は同じでも、リュウは転移種の人間。それに私たちを助けてくれた」
「そ、それは、そうだけど……ッ」
アイスの言っていることは正論だ。そもそも異人種に対して牙を剝いた時点で彼の立場は子供たちと何も変わらない。
しかし今、チャオビットには正論というものでは心を落ち着けることなど出来るはずがないのだ。
「チャオは、アイス姉ちゃんみたいにそいつを信じることは、出来ないぞ……ッ」
……チャオビットは居た堪れなくなって、どこかへ走っていった。
アイスはチャオビットを追いかけようとするが……その手をメリノは掴んで止めた。
「お姉」
「今アイスが行っても、何も出来ないよ」
「…………そう」
アイスはメリノの言葉を聞いて、少し俯いて頷いた。
「……リュウさん」
するとメリノはリュウの前に立って話しかけた。
「――少し、いいですか?」
◎・・・◎
シャロリーとサヴォークをアイスに任せ、リュウとメリノは村を離れて畑の脇道を歩いていた。
メリノは先ほどから無言でリュウの隣を歩いていて、そんな彼女の言葉をリュウは待っていた。
「……すみません。チャオビットが、勝手なことばかり言って」
「……気にしてねぇよ」
「私が、気にします――こういう時って、アイスとチャオビットって噛み合わないんです」
「噛み合わない?」
「……アイスは直感で決めるタイプなんです。でもチャオビットはちゃんと考えて、自分の心の中で納得してから決めるんです。だからアイスには、チャオビットの気持ちは分からないです」
「……だから、アイスを止めたのか」
メリノは静かに頷いた。
「……普段は喧嘩なんて全くしないんです。きっと、私の異彩の能力が大きいとは思います。私がしっかりとしていれば、あの子たちが不安になることはないんです――私の責任です。あの時、私がもっとチャオビットの話を聞いてあげれば、こんなことにはならなかったんです」
……自分を責める言葉には、後悔しか感じなかった。
――しかしあの時、チャオビットが明確に人を傷つける言葉を使おうとした時……我慢をすることが出来なかった。
それでチャオビットの頬を叩いてしまい、この始末だ。
「……こんなことには、ならなかったか――お前が責任を感じることは何もねぇよ」
――そんなメリノの懺悔を、リュウは肯定しなかった。
「お前は姉として妹に言わないといけないことをしっかり言ったんだろ。……立派なもんだ。それが言えない馬鹿が、この世界どれだけいると思ってんだ」
「でも、もっと他に良い方法が……」
「――家族にそんな綺麗な方法いらねぇだろ」
「……え?」
リュウのその持論に、メリノは言葉を失った。
「……互いに言いてぇことを言って、喧嘩して、仲直りしていくもんだろ。家族ってもんは…………そうやってぶつかり合って、初めて分かり合えんだよ」
「――妹を泣かせても、ですか?」
「はっ。餓鬼は泣くのが仕事だろうが。……泣かせりゃいい。泣いたら勝手に強くなって戻ってくる――そんでいつか泣かなくなる。……そういうもんだ」
……リュウがそう話している表情を見た時、メリノは目を見開いた。
――懐かしみながら、その表情はどこか悲しんでいる。何かを思い出してリュウの顔は酷く寂しそうなものとなっていた。
もちろん彼はその自覚はないだろう。だがメリノにとって、リュウのそんな顔を見るのは初めてだった。
「……リュウさんにも、そんな家族がいたんですか?」
「――騒がしくて、いつも怪我ばっかりして、泣いてばかりな妹がいた。泣き虫の癖に次の日には馬鹿みてぇに笑ってて、絶対に俺の隣を離れなかった……俺のたった一人の家族が、確かにいたな」
……いた、ということは今はもういないということ。
リュウの寂しげな表情の理由が、メリノにははっきりと理解できた。
「……初めてですね、リュウさんが自分のことを話しなんて」
「聞いたのはお前だろ」
「――そうですね、だからまた、教えてください」
メリノは立ち止まり、リュウにそう願うように言った。
「……少しずつで良いから、私たちにリュウさんのことを教えてください。きっとチャオビットも、あんな風にリュウさんを傷つけることを言うつもりはなかったんです――底抜けに、優しい子だから。私たちのことを大切に想っているから、あんな風に言ってしまったんです。特にあの子は、リュウさんのことを何も知らないから」
「…………そうか――分かった。だけど、期待はするなよ」
リュウは頷くと、メリノに背を向けた。
――その時だった。リュウの背中からメリノが抱き着いた。
「そのままで、聞いてください」
背中越しでも分かるほど、彼女の肩は震えている。
本当は思い出したくもないことを、話そうとしていることはすぐに理解できた。そしてそんな話は、リュウには検討が一つしかなかった。
「――私たちに起きたことを、全て話します」
「……話したくなかったら、別に話さなくても良い」
「いいえ、リュウさんには聞いて欲しいんです。それにリュウさんには話してもらうのに、自分たちのことは話さないなんて、都合の良い話です」
メリノの意志は固く、少し息を吸って――そして、話し始めた。
◎・・・◎
「私たち家族は、イルソーレの東大陸最大の国、フィオール大国の片田舎の森に、家族七人で静かに暮らしていました」
「森の中ってことは、フロンティアの森みたいなものか?」
「気候や環境、森の規模は全然違いますけど、想像通りの生活だと思います。……決して便利な場所ではなかったけど、ご飯に困ることはなかったし、とても平和でした」
フィオール大国は都市部とその他の地域では環境が全く異なる。世界最先端の技術が揃っている都市と、大自然が広がる田舎があり、特にメリノたちはほとんど誰も住まない片田舎の、特に深い森の中に住んでいた。
「お父さんはとても強い異彩使いで、森の中の獣を狩っては外に売りにいく狩猟で私たち家族を支えてました。お母さんは何でもできて……家族以外に知り合いはいませんでしたが、本当に何不自由なく暮らしていました」
「……でも、お前たちは」
「――はい。転機は、今から数ヶ月前でした」
メリノは当時を思い出して、少しだけ肩が震える。
「ある日、お父さんが狩りから帰ってきて、家族でとある国に出掛けると言いました――絶界。その名で恐れられる、イルソーレで最も踏み込んではならないとされる場所です」
「踏み込んではならない?」
「――絶界は、異人種が支配しています」
「……そういうことか」
リュウは納得する。
……絶界とは、イルソーレ東部の大陸にある。
地形は特殊な形をしており、絶界と他の大陸はとても細い一本の道で繋がっている。
その一本道には危険な生物たちが縄張りとしており、長らく絶界は誰も収めぬ無法地帯であった。
「絶界は異人種の人間が世界で初めて納めた土地です。とても強い魔獣種や、更に強力な純獣種さえも住む危険な土地です」
「……どうしてそんな国に行く必要がある」
メリノはそう説明すると、リュウは疑問を持つ。
何故そのような危険な場所に行かなければならなかったのか。
「それは……実はお父さんは昔、絶界に住んでいたんです」
「……そんな危険な土地に?」
「詳しいことはわかりません。でもそれくらいお父さんは強いんです――そして、お父さんは異人種と過去に交流がありました」
「…………」
「それも、異人種の頂点にいる人間の王と、旧知の仲だったんです。ある日、狩りをしているお父さんの元に、異人種の使いが現れ、お父さんに話があるから絶界に来るようにと催促されたそうです」
……話の流れはリュウも理解した。
「……私たちの住む森は、魔獣種なども生息する場所で、お父さん抜きでは危険でした。だから、私たち家族は全員で絶界に行き――それが罠であることを、後に知りました」
「……最初から、人間の目的はお前たちの命だったのか?」
「…………そう、だったんでしょう。最初は手厚い出迎えでした。絶界までの道は異人種が用意した船で向かい、その間の魔獣種なども異人種が倒していました――恐ろしいほどに強い異彩使いだったことは今でも覚えています」
メリノは当時、戦慄するほどの圧倒的な光景を目の当たりにした。
――船を軽々しく超えるほど大きな海洋生物を一瞬で手なづける者がいた。
――身の丈が違いすぎる巨大な魔獣の大群を、一瞬で切り裂く者がいた。
――天候を操り、落雷によって一帯の敵を殲滅する者がいた。
同じ異彩使いとは思えないほどの規格外をメリノは目の当たりにした。
「私たちは絶界の異人種が住む大きな城に行き、そして先にお父さんとお母さんが異人種の王に会いに行きました」
「異人種の、王……」
リュウは数日前戦った異人種のレイアを思い出す。あれでさえ異人種の末端。
リュウには異人種を統べる王の力など想像もつかなかった。
「……私たちは与えられた別室で、お父さんとお母さんを待っていました。でもいくら経っても帰ってこない二人に、チャオビットが真っ先に何かあったんじゃないかって言い出したんです」
「…………」
「そして、チャオビットは二人を探しに部屋を出て、私たちもそれに続きました。――異人種の王がいる部屋に行ったみたいです。部屋の中ではお父さんが何か揉めてて怒声が聞こえてきて……っ」
――そこまで静かに話していたメリノの声が、震えた。
「普段お父さんは全く怒らない人で、チャオビットは部屋を開けました――そこには、口から血を吐いて倒れているお母さんと、同じように、血を吐きながら王の前で立っているお父さんが、いたんです……ッ」
「…………っ」
「私たちは、その光景を見て何か起きているか分からなくて……でも、倒れているお母さんがすぐに私たちに気付いて、血を吐きながら近付いてっ!」
……メリノの声が涙声となり、リュウの服を掴む力が強くなる。
「……………………っ」
それでも少し沈黙することで声音を元に戻し、少し間を置いて話し続けた。
「――多くは、語れませんでした。人間が私たちを騙してここに連れてきたこと。お父さんとお母さんは飲み物に毒を仕込まれて、もう先は長くないこと。そして――私たちを逃がすために、お母さんは最後の命を使って、古代魔法の一つの転移魔法を使い、私たちを絶界から遠く離れたイルソーレの西大陸に転送しました」
メリノは、最後まで話し切って鼻をすする。
――まだ少女であるメリノが、冷静に話せるような内容ではなかった。
リュウは何も余計なことは話さず、その全てを聞いた。
……その胸中でどんなことを思っているか。
「……それからは、私たちは最後にお母さんが渡してくれたお金を使ってどうにか旅を続けました。異人種の追っ手が完全に私たちに追いついたのは、リュウさんと私たちが出会う少し前でした。それからは、リュウさんも知っていると思います」
リュウは彼女たちと出会った当初のことを思い出した。
長旅でボロボロになった衣類や、切羽詰まった子供達の表情。
ちょうどリュウに助けを求めた頃には、異人種によって身を脅かされていたのだ。
……実際には、問題は異人種だけではなかった。
天羊族の血肉を食えば強くなれる、種族としての格が上がるなどの噂が広まり始め、異人種以外の種族にも狙われることがあった。
そもそも子供達だけで、原獣種や魔獣種のいる危険な場所を生き抜いた時もあった。
「おとう、さんは、最後まで私たちを守るために異人種と戦って、おかあさんは、最後まで私たちのことを、想って……ッ!!!」
メリノは最後まで耐え切れず、涙を流した。
――なによりも、彼女たちは親の死に際を見た。
確実に助からないことをメリノたちは知っていたのだ。
もしかすれば生きているかもしれない、そんな希望すらも抱かないのだ。
「チャオビットは、一人だけお母さんの事切れる前にお母さんの心の声を聞いて、それで…………っ、それなのに、私は、あの子にひどいことを……っ!!!」
……転移魔法発動のほんの一瞬、姉弟の中でチャオビットだけはその異彩の力で、母の心の声を聞いたのだ。
だからこそ、チャオビットは人間に対する憎悪と恐怖の心がより強く根付いていた。
それをメリノは知っていたのに、感情的になった彼女を責めて、叩いてしまったのだ。
……気持ちが分かるのに、それなのに彼女は少し間違えただけでチャオビットを叩き、傷つけた。
今になってその後悔がメリノの心を強く締め付けた。
「――お前たちは、誰も悪くねぇよ」
――リュウは振り向かず、静かにそう言った。
……話は全て聞いた。本当にはらわたが煮えくりかえるような話だ。
子供達も全ての真実は知らないだろうが、しかし事実は変わらない。
彼らを騙し、命を奪い、そして子供達の命までもを奪おうとしている。
今、目の前に人間がいれば、確実に息の根を止める。そう思ってしまうほどの怒りだ。
だが……それをメリノに伝える必要はない。
誰よりも怒っているのは、子供達だから。だからリュウはそんな自分の憤りを話すことはしなかった。
「真っ当に生きてる奴が、ただまっすぐ生きてるだけだろ。悪いのは何があっても人間だ。お前たちの親を殺した、道を踏み外した奴らだ」
――真っ当に生きる子供達の親を奪い、それだけに飽き足らず子供達の命までもを狙う。
リュウは彼ら異人種を、これまでよりも深く軽蔑した。
……裏の世界の者が、表の世界の人々を傷付ける。それだけは彼の仁義に反する。
裏は裏、表は表。その境界を、異人種は破ったのだ。
「メリノもチャオビットも、お前たちは誰も責任はねぇんだ――だから我慢せず泣け」
「……で、も……私は、おねぇ、ちゃんでっ…………ッ!」
「……誰も、見てねぇよ」
「――アァァァァァァ……………………ッ!!!!!!」
背中越しに、言葉にもならない泣き声が聞こえた。
鼻をすする音、嗚咽……きっと彼女が見られたくもないだろう。
だからリュウは決して振り返らず、ただ泣き続けるメリノに背中を貸し続けた。
……メリノはずっと、思いっきり泣くのを我慢し続けていた。自分が泣けば、他の妹と弟まで泣いてしまう。
泣けば前に進めない。
涙で目の前が見えなくなってしまって、動けなくなる。だからせめて自分だけは泣くのを我慢して、家族の心の支えになると決めた。
これまで我慢していたものが溢れ出るように、メリノは泣き続ける。
涙はきっと枯れることはしないだろう。それほどに彼女にとって、父と母は掛け替えの利かない存在なのだ。
リュウはただ、メリノを受け入れて――そして自分が取るべきケジメ。
正解が何かは彼にも分からない。……それでも彼がしなければならないことを決めた。
※注釈
【古代魔法】
イルソーレにおける魔法とは、日常生活で扱えるようなごく小さな力です。
魔力という概念はこの世界にはありますが、魔法は異常な魔力量を要求する割に、力は微弱です。
なので魔法を戦闘に使うことはありません。
古代魔法とは、既にイルソーレでは使う者が誰一人としていない廃れた魔法のことです。その理由は使うためには莫大な魔力が必要な上、もしも使用者の魔力が足りなければその命さえも代償にしてしまう危険な魔法なのです。
転移魔法は一見便利ですが、扱うためには規格外の魔力が必要で、人一人が持てる魔力では発動は不可能です。
子ども達の母親がこれを扱えたのは、母親が自身の残りの命を全て転移魔法の依代にしたためです。
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