4(ああ、そうですか)
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ところで、あまり血の巡りの良くない一美でも、疑問を持たないこともない。カマボコ板に釘を打つと異界に跳ぶ。これは良い。しかし戻るとなると、これは良くない。向うで都合三ヶ月過ごしたとしても、戻ってみたら数分で、一年過ごしても、やはり数分なのである。都合いいな、便利だな! たまに数秒前に戻ることもないこともないが、部屋の時計の正確性は考慮しないものとする。
ともあれ、いずれにしても、これでは誰より早く老けてしまう。花の十代を好奇心の赴くままに過ごすも悪くはないが、自分の世界に戻るとなると、やはり流石にウマくない。
一美の疑問:
「わたし」は本当に世界を跳んでいるのか?
一美の仮説:
ある種の多元宇宙観によれば、それぞれ世界に、それぞれの「わたし」が存在している。しかし、「わたし」は「わたし」に遭遇していない。故に、「わたし」は跳んだ先の「わたし」に乗り移っている、或いは入れ替わっている、ないしはそれに類する何かが起きているのではないか?
一美の実験:
「わたし」の同一性を確認するため、故意に肌を切ってみる。そしてカマボコ板に釘を打つ。傷の完治を待って戻る。傷が治っているのなら、体は年をとっている。傷が残ったままならば、体は非同一性、或いは跳んだ瞬間、振り出しに戻る可能性を示唆する。
さぁ、やってみよう。
手足だと、ちょっとした擦り傷切り傷のできる恐れがあるので、左のおっぱいの下をカッターで小さく横に切った。ここが傷つくようなことがあるのなら、心もかなり傷つきそう。バーン! バンソウコウは剥がれた。
一美の考察:
傷が治ったので戻ってみたら、やっぱり傷は治っていた。分かっていたけど、かえって謎が深まったように思う。だって向うで食べたり飲んだり、その結果も排出して生活していたワケだし。どういうこっちゃ、もう知らん。一介の女子高生風情に分かるはずなかろうもん。以下、参考になんとかと云うなんとかの言葉を引用することで〆る。
「ああ、そうですか」と、なんとかと云うなんとかが、なるほど、と頷いた(ように見えた)。「それはヤーレイ効果と云います」
ふーん?
本来は瞬間移動的な現象らしいが、いったい誰が気にするか。原理や理論は二の次だ。
そんな次第で週末ごとに旅に出る。色んな世界を跳び廻る。行く先々で知識の重要性を痛感する。なので勉学に励んだ。成績が変な方に伸びた。「なんでこれが分かって、これが分からんのだ」担任が嘆いた。
依然、一美はカマボコ板に釘を打ち、冒険を続ける。帰省した兄に打ち明けたが、「はッ」鼻で笑われた。お兄ちゃんと云うモノは、たいていそんなモンだ。大学院でなんちゃらと云うのを学んでいるが、それは思慮とか思い遣りとかと引き換えの学問なのだ。気晴らしに小学生の妹相手に玩具を浮かせてみせたり、本を圧縮したり、ビスケットを叩いて増やしてやったりした。めちゃくちゃ喜んでくれた。子供はチョロかわいい。
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ここで時間は過去に跳ぶ。新幹線が開通した頃の話で、まだ人類が月に足跡を残していない頃の話だ(無人探査機は到達している)。
その年の秋、ひとつのお菓子が誕生した。
そして現代、お泊まり会。さっちんが座卓に広げたお菓子の山からポッキーを手に取り、ふと、訊ねた。「これ、手に持っていたら、どうなるの?」
「手ぶらだよ」と一美は答えた。
「そっかー」とさっちん自分の胸に手を宛て、「手ブラ?」
なんだか一美はやさしい気持ちになって。「そう、手ブラ」乗っかった。
「咥えていたら?」
「半分だけ」
「食べ終わったら?」
「口の中?」一美は記憶を探る。唾液が取り残された感じはない。「持っていける」
「それ、変じゃん?」
はっ、と一美は息を飲んだ。さっちんはポッキーを咥え、ちっちゃな齧歯類みたいに端からポリポリ齧る。